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第19話 心外ですわ

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 コルネリアの言葉にシュナイダーの顔がみるみると強張っていく。まるで、今ここで殺されてもおかしくないと覚悟しているかのようだった。私は慌ててコルネリアの腕を掴んだ。

「ちょっと、そういう言い方はないんじゃないの? この人は今は護衛対象なのよ? そういう私情は持ち込まないルールじゃないの?」

 コルネリアを睨み付けると彼女はフンッと鼻を鳴らした。そして勝ち誇ったような顔をして私を見る。

「ふん、わかっていますわ。今のは単なる嫌味、軽いジャブです。こんなのに本気で腹を立てていたらきりがありませんもの」

 そう言うと今度は私に向けてウインクしてくる。……相変わらず憎たらしい女だな。
 シュナイダーの方は、すっかり萎縮しきっていた。

「その節は……申し訳ございませんでしたコルネリア嬢」

 深々と頭を下げる。

「いえ、謝られても困りますの。謝られたところで過去を変えられる訳ではありませんし」

 コルネリアが冷ややかな声で突き放す。シュナイダーは唇を噛んで黙り込んだ。
 私は呆れ顔でコルネリアに尋ねる。

「でもよくシュナイダー伯爵だってわかったわね。私でさえ一瞬騙されそうになったくらいなのに」
「あら、アニータちゃんの観察力が足りないだけじゃなくて?」
「アニータちゃん言うな」

 さらりと痛いところを突かれたのでムキになって言い返した。……確かに私は観察力が鋭いタイプではないし。
 するとそこで、コルネリアに手を引かれていた護衛対象の少年が声を上げた。……そういえばこの子誰だっけ?
 貴族だということは確かだけど。

「あのっ! 喧嘩はよくないです!みんな仲良くしましょう?」

 無垢な瞳で見つめてくる彼に私たちは揃って押し黙った。なんだか怒っている自分が恥ずかしくなってきたのだ。
 すると彼は、天使のような笑顔で続ける。

「それに僕、シュナイダーさんのこともコルネリアのことも好きですよ?」

 彼はニコニコしながら続けた。

「だって、こうしてお互い無事に合流できたんだから。きっとまた仲良くできると思います」

 彼の純粋な気持ちに心を打たれたのか、シュナイダーがハッとした表情になる。一方、コルネリアも満更でもなさそうな様子だった。……こいつ本当にこういうのには弱いのよね。案外ちょろいというか。

「申し遅れました。僕の名前は……アベルといいます。護衛の皆様、よろしくお願いします」

 アベルと名乗った少年は、私とリサちゃんに向かって頭を下げる。
 私たちがそれぞれアベルと握手をしたところで、リサちゃんが尋ねてきた。

「あれ、そういえばアニータさんの護衛対象の方はどちらですか?」
「あぁ、ローラお嬢様なら馬車で待ってもらってるわよ」

 私が答えた時、ちょうどローラがこちらに駆けてくるところだった。馬車で待ってろって言ったのにまったくこのお嬢様は……。

「アニータ!」
「ローラお嬢様、ダメじゃないですか馬車で待ってないと……」
「だって……1人だと心細いもの」

 私が注意すると彼女はぷくりと頬を膨らませる。だが、彼女はすぐにコルネリアの存在に気づき、露骨に嫌そうな顔をした。

「……なんでこいつがこんなところにいるのよ?」
「あら、随分ご挨拶なことですわね。ローラ・ヴラディ嬢?」

 コルネリアが口元に手を当てて笑ったその時だった。突然ローラがコルネリアに掴みかかった。

「ようやく合点がいったわ! 今回のクーデターもあんた仕組んだことね!」

 コルネリアの襟を両手で掴み上げる。その形相はとてもお淑やかさからはかけ離れていた。彼女の目は怒りに染まっており、ギリギリとコルネリアの服にシワが寄っていく。コルネリアが苦しげに息を漏らす。それでもなお、コルネリアは不敵な微笑を浮かべたままだ。

「……ふぅん? どういう根拠があってそんなことを仰っているのかしら?」
「あんたがここにいるってことが何よりの証拠でしょう! わたくしの命を狙っているのはあんたね!」
「どうしてそう思いまして?」
「どうしてもこうしても、あんたがわたくしを恨んでいるからじゃないの!」

 興奮気味に叫ぶローラとは対照的にコルネリアはあくまで冷静な態度を崩さない。

「心外ですわ。わたくしがあなたのことを恨んでいるのは事実ですが、殺したいと思ったことは一度もありませんわ? ……その価値すらないですから」
「ふざけないで! よくもそんなことが言えたものね……! わたくしが一体どんな想いで過ごしてきたか、あんたに想像がつくっていうの!? いつ殺されるか分からないまま部屋で怯えるしかない恐怖が、あんたに分かる?」

 コルネリアの挑発的な言葉についに我慢の限界を迎えたようで、ローラは感情を剥き出しにして怒鳴り散らす。しかし、当のコルネリアは全く動じていない。

「あなたが勝手に怖がっていただけでしょう?」
「……っ!!」

 そう言われるなり、ローラは悔しそうにコルネリアを睨み付けた。……どう見ても負け犬の遠吠えにしか見えないのだが、本人にとってはそれどころではないらしい。そして次の瞬間、コルネリアの頬に平手打ちを食らわせた。パンッという乾いた音が響き渡る。コルネリアはなおも無表情のままだ。
 見かねたリサちゃんが2人の間に割って入った。

「落ち着いてくださいっ! ローラさん、今回はコルネリアさんは味方なんですよ?」
「あんた誰? あんたは関係ないでしょ?」
「ありますよ! コルネリアさんは大切な仲間で、あなたは大切な護衛対象なんですっ!」

 必死のリサちゃんの言葉を聞いたローラの顔から血の気が引いた。そのままその場に崩れ落ちるように膝をつく。彼女は呆然としながら呟く。

「こいつは……こいつがわたくしの命を狙っているのではなくて……?」
「違います! コルネリアさんはローラさんを守ろうとしていますよ。……少なくとも今は」

 リサちゃんはそう言うと、優しく彼女の手を握った。しばらく黙って彼女を落ち着かせてから、改めてコルネリアの方を向く。

「コルネリアさんも、ローラさんは護衛対象なんですから、あまり煽るようなことは言わないでください」
「えぇ、申し訳ありませんわ。ローラ嬢の様子があまりにも面白かったもので、つい……」

 リサちゃんの注意に対してコルネリアは軽く謝罪を口にしたが、相変わらず反省しているような態度は見られない。私は溜息をついた。

「……とりあえず、みんなで馬車に戻って移動しよう。ここも安全じゃないからさっさとヴラディ領までローラお嬢様とシュナイダー伯爵とアベルくんを護衛しないと」

 私の言葉に一同がうなずく。馬車に向かう途中、シュナイダーとアベルは何か話をしていた。何を喋っているかまでは聞き取れなかったが、とても和やかな雰囲気だったことだけは確かだった。
 2人の背中を見ながら、思わず呟いてしまう。

「貴族だって同じ人間なんだよなぁ……」

 同じ人間でも、身分や育ち方によって生き方や考え方が大きく異なる。それを肌で実感するたびに自分の立場を思い知らされるのだ。……きっと彼らはこれからも私とは違う人生を歩んでいくんだろう。

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