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第1話 天王寺結という幼女

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 優に二十畳はあるであろう広い和室。高層ビルの最上階に位置する広間である。高そうな掛け軸や、本物のようにも見える刀剣、壺に活けられた胡蝶蘭が一際目を引くその空間の中心で、二人の人物が木製の盤を挟んで将棋に興じていた。

 一人は、白髪頭の細身の老人。そしてもう一人は黒髪の小柄な少女。二人とも浴衣のような和装である。
 二人は真剣な表情で盤を睨みつけ、時折駒を打つパチンパチンという音のみが大広間に響いていた。一言も言葉を発しないが、彼らの間で壮絶な攻防戦が繰り広げられているのは盤上の戦況を見ずとも明らかだった。
 やがて、少女の表情が変わったかと思うと、勢いよく敵陣に大駒を打ち込む。

 ──パチン。

「王手ですわ」

 ドヤ顔で老人の顔を覗き込む少女。すると老人は感嘆の表情を見せる。

「ほぅ……、ゆいよ。また腕を上げよったな」
「でしょう? そろそろ平手でもいい勝負になるのではありませんか?」

 少女──結の言葉に、老人はフッと笑った。

「ふん、そんなもん百年早いわ」

 パチンと指された次の一手を見て、結が固まる。そして、その表情がだんだん険しくなっていった。

「なっ……?」
「ほれ、どうした結よ」
「くっ……」

 苦し紛れに次の攻め手を繰り出す結。しかし、それも直ぐに防がれてしまう。そればかりか、しばらくすると自陣がピンチに陥っていたことに気づいて、結はガックリと項垂れた。攻めを放棄し、必死に自陣を守ることでなんとか戦況をひっくり返そうとするが、状況は悪化するばかりだった。そして──。

「……ありませんわ」

 持ち駒の上に手を置いて投了を告げる結。

「次も飛車角落ちやな。せめてもう少し先を見通せるようになるとええ」
「相変わらず、お爺様はお強いですわね」
「はっはっはっ、老いぼれたいうても、まだヒヨっ子に負けるような天王寺てんのうじまさるやないわ!」

 そう言って笑う老人は天王寺勝。関西圏に拠点を置く巨大ゼネコングループ『天王寺グループ』のCEOである。顔の傷は昔反社だった頃に作ったものだというが、一代で巨万の富を手に入れた今となってはその事実を知る者は少ない。

 結はその孫娘であった。彼女は『星花女子学園』という中京圏の中学校への進学が決まっている。……といっても彼女自身進学を希望したことはなく、なにやら『オトナの事情』が絡んでいるらしいが、結にとってそれは日常茶飯事のことだったので特に気にすることはなかった。

「お爺様。しばらく離れ離れになってしまいますが、どうかお元気で」
「うむ。……結も学校生活楽しんでや」
「はい」

 勝は結との別れが寂しいのか、努めて無表情を装っているようだ。
 可愛い子には旅をさせよというが、勝の結に対する愛情はひとしおだった。一方の結はそれを時に鬱陶しく思うこともあるようで、なかなか愛情が噛み合わないのは一般人であろうと富豪であろうと変わらないらしい。


「──して、結よ」
「はい?」
「ジブンは星花女子学園で何がしたいんや?」
「……というと?」

 結は首を傾げる。今ひとつ、勝の問いかけの意図を測りかねていた。

「なんのために中学校に通う? 言うてみい」
「そう……ですわね。やはり今度こそ『友達』というものを作ってみたいと思いますわ」
「ほう?」

 勝は目を細めた。まるで、結を試しているようでもある。
 偉大すぎる祖父を持つ結は、小学校では無意識に避けられていた。関わると何が起こるか分からず、皆戸惑っていたのである。人とは少し違う感性を持っている結も、友人を欲しがるものの作り方が分からず、挙句の果てにクラスメイトに小切手を差し出して「友達になってください!」と言って回る始末であった。
 ほとんどのクラスメイトは丁重に断ったが、一人の男子生徒がふざけて小切手に1億円と記入して結に差し出した。結果、次の日に男子生徒の親の口座に本当に1億円が振り込まれた。
 慌てたのは男子生徒の親である。結の自宅に菓子折を持って現れた男子生徒の両親は、酷く恐縮した様子で勝に何度も頭を下げ土下座をし、1億円を返金した。その伝説が、結をさらに孤独な立場へと追いやったのは言うまでもない。

「私は知りたいのです。本当の友情とはどのようなものなのかを」
「なるほど、それも一興やな……せやけどな結」
「……はい」
「ええか。社会に出るからには肝に銘じなあかん。世の中は敵だらけや。油断したらすぐに食われてまう。食われる前に食ってやるくらいの心づもりでおらんとあかんで。天王寺家はそうやって成り上がってきたんや」
「心得ております」

 口ではそう言うが、結は不満げな表情を隠そうとしない。人を信じずに友達などできるものか。私に友達ができなかったのは小さい頃から勝にこう教え込まれてきたからなのではないか。そのようなモヤモヤした感情が鎌首をもたげる。


 すると、勝は唐突にパンパンと柏手を打った。

御幣島みてじま

 呼ばれて一人の男が部屋に入ってくる。黒い髪をオールバックにして黒いスーツを身につけた20代後半くらいの男で、スーツの上からもガッシリとした体格であることがうかがえる。

「お呼びですか、オヤジ」
「結のこと、よろしく頼んだで」
「はっ、この命に替えても、必ずやお嬢をお守りいたします!」

 そう言いながら、御幣島と呼ばれた男は畳に平伏した。オヤジと呼んでいるが勝と御幣島の間に血縁関係はない。なんというか、そういう習わしなのだ。

「御幣島もついてくるのですか?」
「もちろんや。まだ中学生になったばかりの孫に一人暮らしなんかさせられる訳がないやろ」
「いらないのですが……。それに、星花女子には寮もあると聞きますし。単身で入れる寮もあるそうですわよ?」
「あかん」
「えっ……」
「可愛い孫娘を敵中に放り込むようなもんや」
「えぇ……」

 では、学園自体に通わせなければいいのではないだろうか? 結は疑問に思ったが、これにも恐らく『オトナの事情』が絡んでいるのだろう。

「お嬢……」

 結をなだめるようにそう口にしたのは、先程「いらない」と言われて少し傷ついていた御幣島だった。
 ため息をつく結はおもむろに立ち上がると、捨て台詞を吐きながら広間を後にした。

「はぁぁ……、もう仕方ありませんわねお爺様は」

 その台詞を聞いて顔を見合わせる勝と御幣島。

「年頃の娘はようわからん」
「全くです」
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