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一章〜盤外から見下ろす者、盤上から見上げる者〜

8話「気づかない存在」

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 現れた魔物は様々だった。

 薄汚れた緑色の肌に尖った耳。並びは悪くギザギザとした歯。子供くらいの身長で装備は腰に巻かれた一枚の薄汚れた布と手に持つ劣化の激しいナイフが一本。言うならばその魔物——ゴブリン。

 濁った水がまるで生きているかのようにズリズリと這うようにして進む。当然、目や耳、口はなくデフォルトなのだろうか雫のような形を取っている魔物——スライム。

 大人の人より一回り大きい体躯。しかし、そのお腹はデップリと張っており、その巨体を支えている足もまたズボンがはち切れそうになっている。頭部は豚をモチーフにしたようだが、普段見られるそれよりも何倍も醜悪さと見ているだけで悪臭すら感じさせる魔物——オーク。

 そして、それらの魔物の最も後ろに立ち魔物。人間を一回り大きくしたオークのよりも大きく、見える四肢は筋肉の塊のように引き締まっており濃い紫に肌は黒光りまでしている。真っ白なボサボサの髪に、尖った犬歯、赤く鋭い眼光そして、頭部には象徴とも言うべき一本の角が生えている。

「グガアアアアアアアアアッ」

 その魔物——オーガの大きく響く声を掛け声に魔物達はダンジョンの進行を始めた。

 ◾️◆◾️◆◾️◆◾️◆◾️◆◾

「なんで魔物がダンジョンに入ってきてるんだ!?」
「わ、わかりません!」

 ダンジョンの最下層、レイジ達は驚愕に包まれていた。
 そもそも、魔物はダンジョンで生まれるものであってダンジョンにものではない。

 ダンジョンに魔物が入ってくるなど異例であって異常である。しかし、その異例、異常をレイジはすでに一度経験していた。

「⋯⋯っ! ちょっと待て⋯⋯確かあの時、涼宮も⋯⋯!」

 異世界最後に戦い、勇者戦の直前に侵入してきた涼宮零はダンジョンへ大量の魔物を送り込み撹乱させるという大迷惑な行動を起こした。
 目の前にある同じような現実にレイジはその時の出来事が頭の中で浮かんでいた。

「確かあの時は⋯⋯種族は獣系ばかりだった⋯⋯パンドラ!」
「は、はい!」
「魔物は他の種族と徒党を組んだりするのか!?」

 涼宮の時とは違う点。この一点に明らかな違和感をレイジは感じ取った。

「それはわたくしも疑問に思っていました! 魔物は同種であっても相当な事態⋯⋯命の危険のようなことが迫っていない時でもばければ集団を作ったりは致しません。ましてや、異種族⋯⋯それも、進化もしていない知性が備わっていない魔物が徒党を組むことなど聞いたことがありません!」
「なら今起きているのは一体⋯⋯」

 レイジは画面に映し出された魔物の集団を見つめる。
 狂ったように叫び、ひたすらに進軍させる。まるで何か⋯⋯目印にようなものを目指しているように真っ直ぐに進み続ける。

「取り敢えず、魔物の集団を何とかしないとな⋯⋯」
「あ、それでしたら問題は無いと思います」
「は? どうしてだ?」
「⋯⋯ん⋯⋯パンドラの⋯⋯いうとおり⋯⋯」
「だってあの階層はぁ⋯⋯」

 そして突如、聞こえていた五月蝿い叫びが小さく⋯⋯聞こえなくなった。全く聞こえなくなったのだ。それも、突然に。
 まるで、先程まで聞こえていたのが断末魔だったかの様に。

「は? 急に声が⋯⋯っ!?」

 不思議に思ったレイジは振り返り画面に見入る。そこで予想されるものは先程まで見ていた魔物の集団による侵攻だ。しかし、レイジの目に映ったものは⋯⋯

「ゆう⋯⋯れい⋯⋯?」

 無数に空中を漂う薄い存在。それら一体一体は地面や墓標、屋敷の壁や窓、ドアなど必ずどこかに体の一部が繋がっている。まるで、そこが自分たちに領地であるかを主張するかのように。

 そして、薄い存在達は自らの体から出したを使い並み居る魔物達の手を足を口を封じ、自分たちの領地へ招き入れるように飲み込んでいく。

 魔物達は抵抗することも声をあげることもできずに鎖に引き寄せられ、中には複数の鎖を巻き付けられたために⋯⋯ブチリっ、と引き裂かれ連れていかれてしまった。

 気づけばそこには魔物達はいない。薄い存在もまた消えている。吹き抜ける風と、赤や緑などの液体だけがそこで何かが起きた事を示す唯一の証拠となっていた。

「終わった⋯⋯のか?」
「ですから心配はありません。あの階層は⋯⋯ハクレイ様の階層です。地縛霊という種族は主に罠を張って戦います。知性が低く、罠を考えない魔物はその罠に嵌り恐怖を感じながら亜空間に引き込まれていきます」
「じゃあ、アレは⋯⋯」
「はい、アレは⋯⋯最後の戦いまでで産み出され、生き残っていた⋯⋯ハクレイ様の最後の残したもの、と言うべきでしょうか」
「ハクレイ⋯⋯」

 レイジは呟く様に名前を呼んだ。
 あの時、命を張った少女は今もレイジを助けてくれていた。それは偶然なのかもしれない。それは必要のないほどに小さな力なのかもしれない。
 だが、そんなことは関係ない。例え、偶々であろうと。例え、小さな力であろうと。それはレイジにとっては⋯⋯唯一なのだから。

 レイジの周囲に重たいものが現れる。
 そして、それを敏感に感じ取った四人の少女はあたふたと⋯⋯

「ま、まあわたくしの方がもっと速く倒せますわ!」
「そ、それならぁわたしの方が速いですわぁ」
「ん⋯⋯ふたりより⋯⋯はやく⋯⋯れる⋯⋯」
「テトの方がもっともっともっと速いよっ!」

 四人はちょっとふざけて見せたのだ。
 深く考え行ってしまったレイジを引き戻すように、重い荷物を一人で持たせないように、元気付けたかったのだ。

 そんな四人の姿を見たレイジは唖然とした後に硬かった口元を綻ばせた。

「⋯⋯テトラに戦いはまだ早いだろ」
「そ、そんなことないよっ!」
「そうですわ。テトラ様はまだ小さいんですよ? まだ戦う必要はありませんわ」
「そうですよぉ。テトラの分ぐらいは私が補えますぅ」
「⋯⋯ん⋯⋯テトラは⋯⋯まだあそんでる⋯⋯ぐらいで⋯⋯いい⋯⋯」
「ぶ、ぶうーっ」

「「「「あははははっ」」」」

 最下層の中に笑いの声が木霊する。幸せな時間。ずっと続いて欲しい時間。過ぎて欲しくないのに、瞬きの間で終わってしまう儚い時間。

「⋯⋯ありがとう」

 レイジの口から自然に溢れた言葉。
 その言葉を聞いた四人は見合わせまた嬉しそうに笑った。ダンジョンの奥で今までに感じたことのない時間が過ぎていた。

 それと同時にこの時、レイジは二つの事に気づかなかった。一つは、もし今回のような魔物の集団を倒す競争をしたなら⋯⋯最も意外な人物が優勝すると言うことに。

 そしてもう一つは——

 ◾️◆◾️◆◾️◆◾️◆◾️◆◾

 防衛省の一室。

 必要なものが必要な分だけ揃えられている部屋。机があり、椅子がある。接客用のソファがありテーブルがある。部屋の主があまり物を買うタイプではないことが良くわかる部屋だった。
 そして、そんな一室に扉がノックされる音が小さく響いた。

「入ってください」

 部屋の主、防衛省の長防衛大臣を務める小野塚五郎が顔を上げ、扉の向こうにいる人物に届くほどの声量で許可を出した。

「し、失礼します!」

 入ってきたのは三十代ぐらいの男性。急いで来たのか額には汗が噴き出る様に現れている。声もどこか震えている様にも感じられる。

「どうかしましたか?」
「さ、先程、魔物の移動の報告が入りました!」
「⋯⋯もうですか」
「ば、場所は太平洋に現れたダンジョン、日本海に現れたダンジョン、そして⋯⋯米国と露国の間に現れたダンジョンの三箇所です」

 ダンジョン——世界地図が新しく更新された時、政府は現れた全ての陸地に洞窟の様なものが存在することを知った。
 現在、それらはまだ非公開であるがその洞窟と送られてきた手紙から新陸地を通称【ダンジョン】と呼ぶことにしている。

「三箇所もですか⋯⋯」
「か、確認できましたのは太平洋は海洋生物系、日本海は飛行生物系、そして、米国と露国の間のダンジョンには陸上系の魔物の移動です」
「⋯⋯これ以上【ダンジョン】を隠しきれそうにありませんね。⋯⋯公開の是非も無し、ですか⋯⋯」

 苦虫を噛み潰した様に渋い表情をする小野塚防衛大臣。
 世界はまた次の段階へと足を踏み込んでいたのだった。
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