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一章〜盤外から見下ろす者、盤上から見上げる者〜

12話「【ダンジョン】」

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 ダンジョンに先行した一つの分隊——人数は八人——は全員が同じように迷彩服に緑色のヘルメット、手には一丁の軽機関銃M249を構えて慎重に前へ進む。

『ここが【ダンジョン】か⋯⋯』

『⋯⋯不気味な場所ですね』

 隊員達が視線を周囲へ向ければ目に入るのは地面が見えないほどに覆い尽くした墓場だ。十字架、墓標が乱立し、それらが無い場所には何かを燃やした後のように灰が小さな山を作っていた。
 そして、墓場と道を分けるように並んでいる痩せ細った枯れ木。緑をつけることはなく、それどころか黒く変色までしており一層不気味さを見せる。

『⋯⋯止まれ、そろそろ時間だ』

 分隊の先頭で進んでいた他の団員とは一味違う者が足を止めて、腕に巻いた時計を確認した。恐らく、この者がこの分隊を指揮する隊長に当たる人物なのだろう。

『⋯⋯よし、連絡を取るぞ。周囲を警戒しろ』

 隊長は他の団員に指示を出すと懐から携帯電話と無線を取り出した。
 そして、携帯電話を耳に当て電話をかけた。しかし——、

『⋯⋯おかけになった電話は現在使われていないか、電波の届かないところにあります。ご確認のあと——』

 電話は繋がらなかった。チラリと画面の端へ目を向けるとそこにはダンジョンに入った時は立っていた電波が今は圏外の表示に切り替わっていた。

『⋯⋯どうやら、外部との連絡はつかないか』

無人探索機ドローンが使えないっていう噂は本当だったんですね』

『そのようだな』

 無人探索機ドローン。当然それはダンジョンという未知への探索に使われた。しかし、結果はのだ。

 と言うのも、そもそも無人探索機ドローンがダンジョンの中に入れなかったのだ。入ったとしても同じ入り口から戻ってくる、という不思議な現象が起きたのだ。

 同様に、石や、電子機器なども投げ入れたが方向、力を一切変える事なく同じ入り口から出てきたのだ。結果、研究者、軍は外部からの破壊は難しいと考えて、直接乗り込む事となったのだ。

 当然、入り口は人が通るには十分だが、兵器が通るには不十分。従って、人間が文字通り命を懸けて乗り込む事となったのだ。

『次は無線を使う。周囲警戒を怠るな』

 そう言って隊長は携帯電話を懐にしまい無線に電源を入れた。

『こちらA班、こちらA班。応答してくれ』

 取り出した無線に声をかける。ザーッ、と嵐音が続くがしばらくすると——、

『⋯⋯こちらB班、こちらB班。応答できる、どうぞ』

『こちらA班。どうやら、【ダンジョン】内での情報交換は可能のようだな。先程、携帯を使ったが連絡は取れなかった。一人の団員を入れ替え情報を伝えてくれ、どうぞ』

『こちらB班。そのようだ。団員を一人入れ替え情報を伝える。となると、研究者どもの『侵入者仮説』が有力かもな』

 侵入者仮説。それは、無人探索機ドローンが行けず、人間が電子機器を持ってでも入れた場合においての仮説だった。

 敵意ある生物もしくは、侵入という内部を犯す生物を何らかの方法で限定し判別。その後、判別で弾かれた者はダンジョンから出され、弾かれなかった者は内部へ入ることができる。という仮説だった。

『かもな。それらも含めて伝えてくれ』

『わかった。では、次の時間に』

『了解』

 そう言うと、隊長は無線の電源を切り懐へしまった。周囲に異常はなく、数えた団員も八名。流石に未知と言うだけあり、開始十分で疲労が隠せない。

『⋯⋯進むぞ』

 ゆっくりとゆっくりと進んでいく一つの分隊。そして、歩き続けることようやく景色が変わった。

『⋯⋯これは⋯⋯屋敷か?』

 目の前にそびえ立つ巨大な建物。窓の数から三階まであることが確認できるが、どこをどう見ても立ち続けていることが不思議なくらいに壊れている。

 窓は縁だけが残り、ガラスの方は所々が破壊されている。両明けの扉も建て付けが悪いように斜めに傾いており片方が開いたままである。

『これは⋯⋯ジャパニーズ日本でいうゴーストハウス幽霊屋敷ってやつですかね』

『ああ、そう言えばこの前⋯⋯日本のお化け屋敷、とか言うアトラクションに行ってきたって自慢してたな』

『中々スリルがありましたよ? しかしまぁ、これは⋯⋯そんな柔なレベルじゃあないですけどね』

『同感だ。警戒しろって俺の中の鐘が煩く鳴いてやがるよ』

 ゴクリ、と乾いた喉を潤す音がした。誰の、と言うことでは無い。誰もが自分だと錯覚するほどにこの屋敷から危険を感じ取れるのだ。

『連絡を入れる。周囲を警戒しろ』

『『『『了解』』』』

 隊長を囲むように全方位へ銃を構える隊員達。そして、暫くの嵐音の後に声が聞こえた。

『こちらB班、こちらB班』

『こちらA班。この階層のメインにもなりそうな物を発見した。物はでかい屋敷だ。建て付けが悪いどころか、幽霊でも出そうな雰囲気だ』

『こちらB班。成る程。さながらここは死後の国かな』

『こちらA班。そんな優しい雰囲気じゃないね。この屋敷までは前回の連絡地点からおよそ五分の距離もない。人員を変えて連絡してくれ』

『こちらB班。了解。人員を変えて連絡をする⋯⋯あんまり死に急ぐなよ』

『⋯⋯了解』

 暗い雰囲気を明るくしようとする先方の気遣いが垣間見える連絡だった。話を聞いていた隊員も先程までの強張った表情をいくらか和らげているが⋯⋯二人だけは別だった。

『⋯⋯隊長』

『どうした?』

『人数を⋯⋯人数を数えて下さい⋯⋯』

 震える声。懇願するように、己が感じていることが違うと他の誰かに証明して欲しい、そんな願いを血の気が引いた青い顔で伝えた。

『一、二、三⋯⋯』

 隊長の声だけが耳に通る。それは、カウントダウンの様で、登っているのか降っているのか分からない。ただ、各々が信じる数字まで聞き耐えるのみだった。

『五⋯⋯六⋯⋯七⋯⋯』

『⋯⋯隊長、八が抜けてますよ? 自分を数えていないとか笑えないですよ?』

『⋯⋯一番目だ』

『は?』

『俺は一番目に数えたよ⋯⋯』

『じゃ、じゃあ!』

『やっぱり⋯⋯』

『ぐ、グレッグ⋯⋯!』

 一人いないのだ。八人いたはずの一分隊隊員は七人に変わっていたのだ。それは陣営を組んだその瞬間まで知ることができないほどに静かに、急速に行われていたのだ。

『⋯⋯隊長、隊員の補充は⋯⋯?』

『⋯⋯無しだ。それと、もしグレッグが見つかった場合は迷わず射殺しろ。そして、遺体は放置、もしくは火葬しろ』

『な!? そ、それは⋯⋯!』

 隊員の血も涙も感じられない発言に一人の隊員⋯⋯グレッグの隣で陣形を取った隊員が抗議の声を上げた。

『そ、それはあんまりではないですか!? あいつには家族がいるんです! せめて、遺体だけでも⋯⋯!』

『馬鹿か!? この任務に当たる時の説明で何を聞いていた! 魔物の中には寄生するタイプもいるんだ。そんなものを持ち帰ったら⋯⋯グレッグだけじゃすまねえんだぞ!』

『⋯⋯ッ!』

『⋯⋯俺たちの任務は何だ?』

『ひ、一つでも多くの情報を手に入れ、一つでも多くの情報を伝えることです』

『そうだ。そのために必要なのは生きることだ。生きてるか分からねえ奴よりも今生きてる奴を優先することは当たり前だ。違うか?』

『違い⋯⋯ありません』

 隊員だけではなかったにだ。隊長だって本当は探しに行きたい。ただの割り振りで決まったチームだったとしてもそれは仲間だ。背中を任せられるほどの信頼を置いていた。

 だが、探しにはいけない。それは任されているのがグレッグ一人の命だけでは無い。他の六人の命も同時に預かっているのだ。だから⋯⋯時として非常になりきる必要があったのだ。

『⋯⋯先に進むぞ』

『⋯⋯はい』

 隊員達は静かに、ゆっくりと隊長の後ろに続き屋敷の中に入っていった。

 ◾️◆◾️◆◾️◆◾️◆◾️◆◾

 隊長達が屋敷に入り、待ち受けていたのは血どろみの惨劇後だった。

 引き裂かれた絨毯、崩れた階段、壊れた石像。壁は黒ずんでおり、見える木造の部位も綻びが目立ち腐敗が進んでいる。
 そして、それら周囲を照らす光源は壁の所々に設置されている蝋燭に着いた火だけ。揺らめく炎が視界の明暗を行ったり来たりしている。

『⋯⋯ここで何があったんだ⋯⋯?』

『⋯⋯我々の他にここまで来た人間がいるのでしょうか?』

『⋯⋯、であればいいがな』

 寒気と嫌な汗を背中に感じながら進む隊長達。そして——、

『『『『な!?』』』』

 ——バダン、と隊長達が敷居から数歩離れた瞬間、扉が音を立て閉まった。

 急いで戻る隊員達。押したり引いたり、体当たりを試みるが扉は揺れることがあっても壊れる気配がない。まるで、衝撃が全て吸収されているかの様に元に戻るのだ。

『だ、ダメです! 開きません!』

『クッソ! 閉じ込められたか!?』

『発砲は!?』

 隊員の誰かの声。その声に反応し一人の隊員が銃を構え、その轟音を屋敷内に響き渡らせるが——、

『だ、ダメです! 傷一つつきません!』

『何だと!?』

 扉には一切の傷は付かなかった。今にも壊れてしまいそうな扉とは思えないほどに柔軟で頑丈であった。その証拠に、打たれた弾丸は全て先が凹んでしまっていたのだ。

『⋯⋯銃をしまえ。これ以上は弾の無駄だ』

『し、しかし⋯⋯!』

『しまえ。今すべきことはこの扉の向こうに行くことじゃない』

『ど、どう言うことですか?』

『ここだけが出口にならないと言うことだ。他に出ることができる場所があるはずだ。もしくは⋯⋯後続組の誰かが来るまで待てば開くかもしれないな』

『あ⋯⋯! な、なるほど』

 隊長の言い分に納得したのか食い下がっていた隊員は潔く構えていた銃を下ろした。それに釣られ、扉をこじ開けることに固執していた他の隊員達も扉から離れ隊長のそばまで戻ってきた。

『これから緊急で連絡を取る。周囲を警戒しろ』

 言われなくとも、と言った様子で隊長の声がかかる前に陣形に散らばる。しかし——、

『⋯⋯おい、アレクはどこ行った⋯⋯?』

 一人の隊員が震えた声を上げた。その声に全員が今いる人数を数え始めた。一人、二人、三人、四人、五人⋯⋯六人⋯⋯一人足りない。

『⋯⋯一体いつだ⋯⋯? いつ居なくなったって言うんだよ⋯⋯!?』

 隊員に恐怖と焦りの感情が膨れ上がる。目線を上げ思い出すのだ。一体、いつまで消えた隊員が居たのかを。そして——、

『⋯⋯あの時だ。扉が閉まったあの時からアレクの声を聞いてねえよ』

 一番近くにいたのだろう。いなくなった隊員、アレクの声が聞こえなくなったその瞬間を思い出した。否、思い出してしまったのだ。

 あれだけ近くにいたのにも関わらず、助けることはおろか、気づくことすらできなかった。そのことに気づいてしまったのだ。

 この瞬間、隊長を含めた全員の何かにピシリとヒビが——亀裂が入った気がした。

『⋯⋯こちらA班、こちらA班。応答してくれ』

 無線から聞こえる嵐音が高まる心臓の音を打ち消し続ける。初めての連絡から一回分⋯⋯つまり、もう一つの分隊がこのダンジョンの中に入っている。だが——、

『⋯⋯何で繋がらないんだ⋯⋯おい! こちらA班! B班! C班! 応答してくれ!』

 一向に他の音を出さない無線機。その一秒が刻々と刻まれていく。そして、それに同調するように刻々と真っ直ぐに伸びていた何かが削られていく。

 そして——、













 ⋯⋯ポッキリと折れてしまったのだ。

『う、うわああああああああああああああああああぁぁっ!』

 突然に大きな声を上げ扉に向かう一人の隊員。

『ッ! お、おい!』

『嫌だ! 死にたくない! 死にたくなんかねえ!』

 死にたくない、そう叫びながら隊員は扉をこじ開けようと叩き続ける。何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何ども何ども何ども何ども何ども何ども何ども何どもなんどもなんどもなんどもなどもなんどもなんどもなんどもなんども⋯⋯

 手に裂傷が入ろうと、傷口から血が流れようと、拳が青くなっても、隊員はただただ叫びながら叩き続けた。

『お、おい! これ以上はお前の手がッ!』

 錯乱してしまった隊員を止めようと隊長が駆け寄ろうとするが——、

『すいません隊長⋯⋯俺たちに今できるのは⋯⋯隊長の荷物にならないことです』

 隊長のすぐそば、陣形を取っていた一人が銃口をこめかみに着けていた。持つ手は震え、銃口はブレブレだが無理矢理押し付けることで——

『や、やめ⋯⋯!』

 ——ズガンッ!、と一発の銃声が響き渡った。大きく響いた音は耳鳴りを起こすほどにうるさく鮮烈で、周囲には音と共に赤く鮮やかな液体を振りまいたのだった。

『何で⋯⋯どうして⋯⋯?』

 隊長は空間で膝から崩れ落ちてしまった。膝に当たる赤い液体は熱く、まるでどこまでもどこまでも広がる炎の様だ。

『⋯⋯馬鹿だよ⋯⋯お前は⋯⋯おい、他の⋯⋯!』

 隊長は自殺した隊員から目を離した。そして、その瞬間に気づいてしまったのだ。空間の意味を。

『⋯⋯おい⋯⋯扉を叩いてた奴は⋯⋯? さっきまでここにいた奴等は⋯⋯?』

 そして振り返る。先ほど自殺した隊員を。当然そこにいるだろう隊員の姿を思い描きながら。しかし——、

『⋯⋯嘘だろ⋯⋯?』

 そこには何もなかった。ただ、赤く燃える様な海だけがそこに何かがあった証拠を残し、隊員はその姿を消していた。

 持っていた銃も、被っていたヘルメットも、打たれた弾丸すらも無くなって、赤い海だけが今もゆっくりとゆっくりと広がっているだけだった。

『⋯⋯何なんだ⋯⋯ここは⋯⋯?』

 そして次の瞬間——、























 ——屋敷の中で息をする生物は居なくなった。

 そこには何の証拠も無く、ただただ床に大きなシミが増えてしまっただけだった。
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