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二章〜世界文明の飛躍〜

37話「本当の望みはなぁに?」

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 霞みがかった世界、気がつけば彼女はそこにいた。手が届かない場所に何があるのか、進む一歩先に何がいるのか分からないそんな世界に。


「ここは⋯⋯どこ?」


 腕を振るっても、恐る恐る進んでもその霞みが晴れることはなかった。


 ——⋯⋯っ


「⋯⋯声?」


 どうしようもなくただ立ち悩んでいた時、彼女の耳に誰かの声が入った気がした。


「誰かいるの? いるなら返事して」


 彼女は声がした方へ歩き始めた。近づけば近づくほどに声は気のせいから確信に変わった。
 ここには彼女以外に誰かいる、と。
 そうと分かれば彼女の足取りは少しだけ軽くなった。邪魔な霞を払いながら切り進みその声を頼りにする。


「誰かー、返事してー!」


 ——⋯⋯だよ⋯⋯っち、こ⋯⋯


「⋯⋯こっち?」


 か細く今にも消え入ってしまいそうな女の子の声。途切れ途切れであるがその声は確かに彼女を手招いている。


「おーい! おーいっ!」


 ——×××⋯⋯×××ッ⋯⋯!


「×××⋯⋯? 私の名前だけど⋯⋯」


 突然に彼女は自身の名前を呼ばれ動揺する。しかし、それと同時に知り合いであるならなおさら会いたい気持ちが高まる。


「君ーっ! 私のことを知ってるのーっ!」


 ——×××⋯⋯けてっ⋯⋯たす⋯⋯けてっ⋯⋯!


「え!? た、助けて!?」


 突如、声の様子が急変する。焦燥と緊張を帯びたその声色は一刻の猶予もないかのように感じさせる。


「ま、待っててッ! 直ぐに行くからッ!」


 ——⋯⋯けてっ⋯⋯たす⋯⋯


 反射的に彼女は声の聞こえる方へ走りだした。小さな女の子⋯⋯少なくとも彼女にはそう聞こえる声の主の元へ一直線に走った。


「待ってて⋯⋯直ぐに、行くからっ!」


 そして、霞の世界に終わりがやって来た。
 彼女の進む先に光があった。声もこの光の先から聞こえる。彼女は一も二もなくその光に飛び込んだ。その先にあったのは——


「⋯⋯え?」


 ——残酷で残忍な世界だった。

 白塗りの壁、光沢が見えるフローリング。
 窓にはお洒落な赤い花が白い花瓶で活けられており、テーブルには汚れないように透明のカバーが掛けられている。
 本来であれば綺麗なリビングルームであっただろう。しかし今は——、


「⋯⋯なに⋯⋯コレ⋯⋯?」


 真っ白な壁や光沢が見えるフローリングは夥しい量の血で赤く汚されている。
 綺麗に装飾されていた窓も外が見えないくらいにぐちゃぐちゃに塗りたくられ、花瓶にまで飛び跳ねている。
 汚れないように引かれた透明なカバーは確かにその役割を果たしテーブルを赤い絵の具から守っているが引き換えにその透明さは失われ、濁った赤が一滴、また一滴と雫を垂らしている。


「おかあ⋯⋯さん? ⋯⋯おとお⋯⋯さん?」


 部屋を彩る赤。その元となる材料は彼女の目の前にあった。

 目と口を一杯まで開け倒れ伏している男。
 その男の腕と脚は強い力で捩じ切られたかのように傷口が荒い。
 言わなくともわかる。痛みだ。痛みがこの男にこてほどの感情を露わにさせたのだ。

 そして、視線をずらせば壁に手をかけている女。
 背中には無数の切り刻まれた傷がある。どれも鋭い刃物ではなく中途半端に切れる得物だとわかるくらいに雑だ。

 中途半端な得物は鋭い物よりも痛い。余計に痛みを与えていたのだ。しかし、女はそれを耐えていたのだろう。
 まるで、何かを守るように壁に手をかけているのだから。


「⋯⋯たすけて⋯⋯たすけて⋯⋯」


 女の腕の中で怯えるように全身を強張らせ、震えている少女がいた。


「——ッ!?」


 その少女に彼女は見覚えがあった。いや、見覚えというのは変である。何故なら——


「⋯⋯わた⋯⋯し?」


 ——幼き日の彼女が怯えるた目で彼女を見つめているのだから。
 不安と恐怖を織り交ぜたその視線はまるで⋯⋯そうまるで、


「⋯⋯え? 私の手⋯⋯なんでこんなに赤いの⋯⋯?」


 この惨状を起こした犯人を見ているかのような視線だ。

 彼女の手は赤かった。
 どんなモノでも引きちぎってしまいそうなほど強靭な腕は赤く染まっていた。
 どんなモノでも切り裂いてしまいそうなほどに鋭い腕は赤く染まっていた。


「なんでっ⋯⋯なんでっ⋯⋯!?」


 彼女は恐怖した。
 彼女の腕は何故にこんなに逞しいのか?
 彼女の手は何故にこんなに尖ってるか?
 彼女の前は何故にこんなに赤色なのか?


「あなたコレ——」


 恐怖し、不安に駆られた彼女は真実を知るだろう少女に近づいた。しかし、


「ひ⋯⋯! た、たすけて⋯⋯たすけてくだ⋯⋯さい⋯⋯」


 少女の口から出たのは彼女への恐怖だった。畏れ、震え、只々生命を請うのだ。
 もう、その姿が物語っているのだ。この惨劇の犯人が誰なのか。


「私が⋯⋯私がお母さんとお父さんを⋯⋯殺したの⋯⋯?」


 誰かに否定して欲しい。違うって言って彼女を救って欲しい。その一心の願いが言葉に出たが——、


「そうだよ、あなたがコレを作ったんだよ」


 ——背後から聞こえてきたのは肯定だった。


「え⋯⋯?」


 振り返った彼女が目にしたのは少し前の彼女だった。高校の制服に身を包み、普通の生活を送っていた一年前の彼女。


「コレはあなたが望んだ世界。望んだ未来だよ」
「ち、違う⋯⋯私は、こんなこと⋯⋯」
「望んだんだよ。あなたの望みは復讐なんでしょ?」
「そう、だけど⋯⋯違っ⋯⋯」
「何も違わないよ。受け入れてくれないお母さんとお父さんを憎しみ一杯に嬲り殺し⋯⋯」
「そんなこと⋯⋯そんなことしたくっ⋯⋯!」
「私を貶めた真里亞や美香、幸を死んだ方が楽だと思わせるまで切って潰して壊して、そして殺す⋯⋯」
「そんな⋯⋯酷いことっ⋯⋯!」
「願ったんでしょ? 望んだのでしょ? これがあなたの夢の先にあるものだよ」
「こんな⋯⋯こんなっ⋯⋯私は、私はただ⋯⋯」


 頭を抱え、目を閉じ、彼女は前にいる彼女を振り払おうとする。そして、そんな彼女の耳に少女の泣き声が届く。そんな悲痛な声すらも振り払おうとする。


「もう⋯⋯やめて⋯⋯これ以上⋯⋯」
「何ヲ止メルンダ?」
「——ッ!?」


 彼女の足に何かが絡みつく。ベットリとした何かが。


「ドウシテ見テクレナインダ?」
「アナタ、ノ、セイナノニ」


 その不快な感触と不気味な声。
 見てはいけない、聞いてはいけない。脳内で最大音量の警鐘が鳴り響く。


「アナタ、ガ、望ンダノデショウ」
「痛イ痛イ痛イ」
「ドウシテ、コンナ事ヲスルノ」
「怖イ怖イ怖イ」

「やめてッ! お願いだからもうっ⋯⋯きゃっ!?」


 ——彼女は引き寄せられる。暗い世界へ。


「アナタ、バカリ、幸セニナンテ、サセナイ」
「死ネ死ネ死ネ」

「やめてッ! 放してッ! お母さん⋯⋯お父さんッ!」


 ——彼女は引き戻される。深い世界へ。


「オマエ、ノ、セイデ。オマエサエ、居ナケレバ」
「許サナイ許サナイ許サナイ」
「消エロ消エロ消エロ」

「お願い⋯⋯美香⋯⋯幸⋯⋯真里亞⋯⋯」


 ——彼女は閉じ込められる。赦しなき世界へ。


「⋯⋯誰か⋯⋯助け⋯⋯て」


 それが消えゆく彼女の最後の願い言葉だった。


 ◾️◆◾️◆◾️◆◾️◆◾️◆◾


「オオオオオオオオオォォォッッッッンッッ!」


 泣いている。
 大樹から発せられた衝撃波すらも生み出す声は恐怖に怯え、不安に苦しみながら泣いているように聞こえる。

 ラウが取り込まれ動き出した大樹。その大きさと太さは十階ほどある鉄筋のビルぐらいだろう。
 そんな巨体が地面に埋まった根を持ち上げ、体から伸びた枝を振り上げる。


「な、何だよこいつッ!」


 まさかそんなデカイ存在が動き出すとは思っていなかった真里亞もすぐに現実を受け入れ機関銃の引き金を引く。
 轟音と小規模の爆発が生み出されるたびに赤い花びらが散り、砂土が舞う。しかし——、


「チッ⋯⋯やっぱダメか」


 真里亞が狙った根には一切の傷は無く、むしろその周囲の花々を守ったかのように被害が少ない。


『あはははははっ! 無駄だよ、無駄なんだよそんな攻撃はっ!』


 そんな予想外に驚く真里亞を見てラウの声が響き渡る。


『今のマスターはまさに神樹ッ! その役目は庇護であり、侵入者への容赦ない鉄槌を下す存在ッ! その意味が分からないなら——』


 持ち上げられた人の太さを優に超える根が地面に落とされる。
 愚かな者へ落とす裁きのように。
 小さき者を守護する盾のように。


「あ⋯⋯ぐはっ⋯⋯!」
「きゃあああああああああっっ!?」


 落とされた根はその強靭さで花畑を縦に割り、その亀裂は遥かな常闇を生み出す。
 その衝撃で吹き飛ばされた二人も数回の回転でようやく地面に足が着き安堵するが⋯⋯安心はできない。


『——お姉さん達の願いは叶わない』
「クソがッ! 何が願いが叶わない、だ! アタシは生き残ること以外⋯⋯考えてねえんだよッ!」


 真里亞は体制を整え、木々を伝い土煙が届かない上空へ跳ぶ。
 大樹はそんな真里亞の超人的跳躍をはるかに超える高さを持っている。しかし、それは同時に格好の的だ。


「爆ぜろッ!」


 全力で投げた一つの手榴弾型魔道具。今の真里亞にとって最大火力のその一撃はプロ野球選手顔負けの球速で大樹に衝突する。
 瞬間、晴れた上空に大きな花火が上がる。全てを燃やさんとする業火と地上まで一瞬で届く轟音がその威力を物語っていた。だが——、


「⋯⋯ウソだろ⋯⋯流石に無傷はシャレになんねえぞ」


 真里亞の肌にゾワゾワとした嫌な感覚が走る。
 目を一杯に見開き、必死になってその現実を否定しようとするが⋯⋯いくら目を凝らしても傷一つ付いていない木肌が映るばかりだ。


『だから言ってるでしょ? 今のマスターは神樹そのものさ。お姉さん達が抗える存在じゃぁないんだよ』
「ウッセエェッ! 一発でダメなら⋯⋯」


 真里亞の怒号が響き、次の瞬間には片手いっぱいに手榴弾が握られていた。その数は四つ。


「弾け飛びやがれッ!」


 先程と同様に木々を伝い空中に舞う真里亞。狙いを一点に集中させ指の間に挟んだ四つの手榴弾を投げつけた。


『⋯⋯だから⋯⋯無駄だって言ってるのに』


 被弾と共に訪れるのは大規模な爆発。それは核爆発を彷彿させるほどの威力だろう。当然、そんな威力をある程度しか離れていない真里亞も無事では済まない。
 が、ここで大樹が奇妙な行動をとった。


「⋯⋯どういう⋯⋯ことだよ」


 大樹から生えている数本の枝が全ての手榴弾を受け止め、外へ衝撃を出さぬ様に包み込んだのだ。そして、その威力ですら枝一つを折ることがやっとであった。

 この瞬間、真里亞は本当の意味で驚怖した。
 自身の犠牲すら考慮した捨て身の戦法。結果として生き残れれば真里亞としては問題なかった。
 だが、壊せたのは枝一本。更には、大樹は真里亞を殺さない様に、傷つけない様に行動までしたのだ。


『神樹は庇護と断罪の役目を負う』
「オオオオオォォォッッンッ!」


 ラウの言葉に共鳴するかの様に大樹が鳴き叫ぶ。
 天まで届かんとするその叫びは求めているのだ、望んでいるのだ。


『お姉さん達じゃあこのゲームをクリアすることは⋯⋯できないかもね』


 打ちひしがれた真里亞を見て、気を失っている美香を見てラウはそう呟いた。
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