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第3章

第55話

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「……というわけでひどい目に会いましたよ! それにしても、やっぱり初見の魔物は怖いですね。どんな攻撃をするかわからないのが辛いです」
「うむ。棘豹竜ソーンパンサードレイク疾風爆撃ゲイルボムは知っていても、近距離では防ぐのは困難だ。まして、エルの様に初遭遇でいきなりやられたらどうしようもない。私も昔苦戦したことがある」

 しみじみとアルドがつぶやくのを聞きながらも、エルはどこか不満そうであった。近距離からの爆風のごとき広範囲の衝撃波、あのゲイルボムはたしかに初見では、ほぼ防げないといっても良い。
 だが、もっとやりようもあったはずだ。予め全身を気で包んでおく、あるいは気の鎧、纏鎧でいればたとえ衝撃波に吹き飛ばされたとしても、追撃はくらわずに反撃できただろう。
 ここ最近になって、エルは極力情報誌から魔物の情報を得ずに闘う事を心掛けていた。魔物の行動パターンや危険な攻撃なども網羅されており、情報誌を読めば初見でも格段に安全に闘えるようになるが、あえて魔物の詳細な情報を知らないようにしていたのだ。協会が販売してるのは100階層までで、それ以降のものは売っていない。つまり最上位冒険者になれば、事前情報はほとんど得られず独力で対処しなければならなくなるのだ。

 なぜこの様な事をやり始めたかというと、アルドから独りでも様々な事に対処できる力を磨かせるために、あえて情報を見ずに自分自身の力と思考で迷宮を攻略するようにエルは指導を受けたからである。パーティなら助け合いもできるがソロでの迷宮探索を主としているエルは、ちょっとした油断や気の迷いが死を招く可能性がある。アルドはエルの生存の可能性を少しでも上げさせるために、独りでも臨機応変に対応できる力を今の内から修練させる事にしたというわけだ。
 アルドの思いや新たな修行の意味を聞いていたエルにしたら、今回の危機は自分が招いた失態でしかなかった。食人大鬼オーガ大土竜鼠ビッグソレノドンなど、35層付近で1月も修行に励んだエルにとっては、既に余裕を持って倒せる敵ばかりだったということもある。それに加えて、棘豹竜についても疾風爆撃をくらうまでは、自分の命の危険性など全く考えていなかったのである。

 慢心と驕り。

 知らず知らずのうちに、単純な戦闘能力で劣る魔物達を見下していた所があったのだ。無慈悲な巨魔クロルデーモンの捨て身の自殺技を受けた苦い思い出もあるというのに、どんな攻撃をするか分からない初見の魔物相手にどこか余裕をもって闘っていたのだ。

 ああ僕はなんて未熟者で愚かなのだろう。
 
 分かっていたのに、何度同じ失敗を繰り返すのだろうかと、己の油断が招いた失敗にエルは苦虫を潰したような顔になった。
 そんなエルの様子から考えている事を察したのか、アルドが諭す様に話し掛けた。

「我々は神ではない。いや、神ですら古の邪神との戦いで失態を犯すこともあったのだ。この世に全知全能のものなどありはしないのだ。ましてや矮小な人の身である我々は、失敗しないなんてことはあり得ないのだ。大切なのは失敗した原因を把握し、同じ過ちを犯さないように努力する事だ。何故失敗したかわかっているか?」
「はい、自分の慢心です。36~37階層の様な不意打ちを掛ける敵ではなく、正面から襲ってくる敵ばかりで、既に圧倒できるだけ力を持っていたことが油断につながりました」
「ほう、初見の棘豹竜ソーンパンサードレイクもか?」
「はい、初めは動きの素早さと連続攻撃に戸惑いましたが、防戦しながら動きを観察すれば対処の仕方も思いついたので、疾風爆撃ゲイルボムで吹き飛ばされるまでは、自分の中では相手を格下に見ているような、そんな驕った気持ちがあったんだと思います」

 項垂れながらぽつぽつと話すエルを見ながら、アルドは表面上は無表情を保っていた。心の中ではエルを褒めたい気持ちを必死に堪えていた。
 初見のソーンパンサードレイクでさえ、余裕があったというのだから魂消たものだ。
 10数年前、まだ若かりしアルドが仲間達と件の亜竜と対峙した時は大苦戦を強いられたというのに、愛弟子は油断するほど余裕があったというのだから驚きである。早くも初めての魔物相手の対処能力が身に付いてきた現れであろう。
 だが、今回の失敗はその中途半端に身に付いた能力が原因ともいえる。ある程度観察すれば対処できてしまうから、心に隙が生じるのである。
 弟子の成長を褒めたい気持ちもあるが、せっかく悔い改めようとしている行為を無駄にするわけにはいかないと、アルドはエルの気持ちを後押しする様な言葉を選んだ。

「たとえ自分の方が強かろうとも、油断が死を呼び寄せる事もある。今回のエルの失敗はまさにそれだ」
「自分が恥ずかしいです。また同じ失敗を繰り返してしまいました」
「ならば、もう2度と繰り返さないように自分を戒めるのだ。幸いエルは生きている。生きていれば失敗は取り戻せる」
「今度こそ……、過ちを繰り返しません!!」

 少年の瞳が決意に燃えていた。若々しく生命力に溢れる瞳がだ。そんな弟子の好ましい態度にアルドは嬉しそうに相好を崩すのだった。

「では修行を始めよう。我々人間は進歩もするし退化もする生き物だ。エルには当て嵌まらないとは思うが、修行を少しでも疎かにすれば修めたはずの技がどんどん錆びついていくの事を忘れるな」
「はいっ!! 日々精進します!!」
「よろしい!」

 アルドが頷くのを見た後、エルは早速修行を開始した。まだ自分のものにできていない新たな背中を用いた発剄、破竜靠をだ。
 仮想の敵をイメージし相手の懐に飛び込むようにして右足で鋭く踏み込むと、直ちに足腰を回転させて背を向け始める。そして回転の勢いを殺さないように一連の流れが生きている内に左後足で震脚を行い、全身の筋肉を締め足から得られた剄を背に伝えるようにしながら、背を前方に射出するかの如く突き出した。
 エルは一つ一つ動作を確かめるように、その後も何度も何度も繰り返した。

 この破竜靠にはいくつかの要点がある。
 まず、踏み込んだ前足を中心に足腰を高速で回転させること。次に回転エネルギーを攻撃に生かすために、回転する動きの中で後足で震脚し畜剄すること。そして、得られた力を全て背に運び発剄することの3つである。
 エルが修得した発剄、猛武掌や短震肘、纏震靠とこの破竜靠とでは明確な違いがあった。まず、エルが修めた技はどれも踏み込んだ前足で震脚し、その力を攻撃部位に伝え発剄するが、破竜靠は後足で震脚しなければならない。しかも、回転の最中にである。破竜靠ではこの回転する力も余さず攻撃に利用するから、一連の動きに一瞬の遅滞なく、まさに刹那の内に完了させなければならないのだ。
 実に複雑で修得難易度の高い技である。

 だがものにさえできれば、これほど頼もしい技もない。従来の発剄に回転エネルギーを加え、全身を用いた体当たりを行うのだ。その威力は想像を絶するに違いない。エルは自分が新技を修めた姿を想像するだけで、自然と頬が緩んだ。
 現状はまだまだできそこないの背中での体当たりといった所で、とても破竜靠とは呼べたものではないが、それでも僅かであるがエルには手応えがあった。
 修行は自分を裏切らない。一歩ずつ着実にものにしていけば、必ずこの技を修得できるのだ。今迄の修行の日々を通し、様々な剄技や気の技をものにしてきたエルはそう信じて疑わず、ひたすら反復し手応えを確かめながら繰り返し続けるのだった。

「よしそこまで。次に壁打ちに移りなさい」
「はい、わかりました」

 アルドの指示に従いエルは修練場を囲む白い巨壁の傍にある、黄色の壁に向かっていった。
 化石黄鉄鉱ファシルパイライトと呼ばれる魔鉱で、65階層付近から得ることができる非常に硬い事で有名な鉱石である。
 その壁の前にエルは立つと、先程の同様に破竜靠を行い壁に背中をぶつけた。
 背中が壁に打ち付けた音と共に、衝撃がエルの身体にはしる。少々の痛みも伴うがエルは些かも気に風もなく、再度距離を取るとまた破竜靠の動きで壁に背中を打ち続けた。
 これが武神シルバ流の格闘術でいう所の壁打ちの練習法であるが、これには複数の意味がある。

 まず、壁に実際に背中をぶつけることで距離感や一番力の乗るタイミング、背中での体当たりで当てるべき最適の瞬間を覚え込ますのである。通常、背中での体当たりなどは教えられない限りは行わいので、どのように当てるべきかその感覚がわからないのだ。それを堅牢な壁相手に行うことで養うのである。
 それに加えて、壁に体当たりする事で筋肉の締め方を覚え、背中をより強固にする事ができるのだ。ようは木や壁などに拳を打ち付け鍛えるのを、背中でやるというだけの事であるが、この壁打ちによってより破竜靠は威力を増すのである。実戦での使用できるための下準備の一環というわけなのだ。

 英雄への階梯も一歩から。

 地道な修練こそが己を磨き強くする手段なのだ。
 黙々と壁打ちを続けるエルの姿を微笑ましそうに見つめると、アルドは自己の研鑚に移った。エルの師である自分が技を衰えさせるなどという、恥ずべき事態を起こさせないためであり、アルド自身もエルに刺激を受け更に上を目指そうという気概が甦ったのである。
 アルドの巨体が嘘の様に高速で動き、辺りに風切音を響かせる。9つ星の冒険者。最上位冒険者にも迫ろうという卓越した技能を持つアルドの技1つ1つは、エルの様な荒削りな技とは違う長い年月を掛けて完成した1個の絵画の様な美しさを有していた。ただし、恐ろしい破壊の力を内に秘めた美でもある。アルドの太い腕や足が宙に惚れ惚れする軌跡を描く度に、恐ろしげな音を響かせる。あの拳に触れでもすれば、瞬きする間に殺されるのではないかと、エルが脅威を覚えるほどのアルドの技の冴えであった。
 だが、遥か高みにいる師の動きを見て、エルはより一層修行の熱が入った。自分の学んでいる武術の凄まじさを実感できると共に、身近な目標であるからだ。一歩でも師の技に近付くべく、エルも気合いを入れて修練に励むのだった。



・・・
・・




 しばらくしてエルが一休みしようと手を休めアルドの方に向き直ると、驚くべき技を鍛錬しているのが目に飛び込んできた。
 強烈な踏み込みからの肘打ちでの発剄、短震肘を打ち込んだ後に更にもう一歩踏み込み身体を回転させると破竜靠につなげたのだ。
 発剄の連続技である。
 しかも恐ろしく迅い。今のエルでは到底できない連携であった。興奮にエルの目が輝き出した。悪いとは思ったが己の昂ぶりが抑えきれず、ついアルドに声を掛けてしまう。

「アルド神官!! 今のは発剄の連続技ですよね?」
「!? 良く見ていたな。その通りだ」
「そんな事もできるんですね。発剄は放った後の隙が大きいから、今まで考えもしませんでしたよ」

 興奮しきった様子のエルが息せき切って話し掛けてくる。アルドは手を止め、エルに向き直ると教訓を与えることにした。

「エルよ、常識や固定観念に囚われるな。我等が武術に果ては無いのだ。自由な発想が新たな試みを生み、より高みに導いてくれるだろう」
「自由な発想ですか……」
「そうだ。今後、絶対に必要になってくる力だ。今のエルは私から技を教わっているだけだが、その技を工夫して自分に合った技に改良する、あるいは独自の技を創始していく事になるだろう」
「えっ!? そうなんですか?」

 予想もしていなかった言葉を聞き、エルは飛び上がらんばかりに仰天してしまった。まったくコロコロ表情が変わるものである。弟子の子供らしい態度に微苦笑すると、アルドは説明を補足した。

「他の流派はどうかは知らないが、少なくとも武神流の修行者達、特に上位冒険者以上の者は、己に合った独自の技やスタイルを確立しているのだ。我々指導官が授ける技は、誰でも使える様な基礎的なものや、技の始まり根幹となる部分を教えているにすぎん。そこから自分に適した形に発展させていくのだ」
「基礎的な技というのはわかりますが、技の始まりや根幹……ですか?」
「ふむ、では実際に見せてやろう」

 そういうや否やアルドは腰を落とし、右拳を胸辺りに引き付けると金色の気を収束させ中段突きを放った。
 気を拳に纏わせる技、武人拳での中段突きである。
 エルがアルドに初めて教えてもらった気の技であり、武神流の格闘術でも最もポピュラーな技である。エルが最も好んで使う技でもある。
 
 いや、その認識は間違いであった。
 アルドの突き出した右拳には半円状の気の刃が拳頭部に付いていたのだ。この弧状の刃が敵に突き刺さるというわけだ。
 
 次にアルドが繰り出した返しの左拳の突きには、5爪の鉤爪の様な突起物が突いていた。そして、再度繰り出した右拳は圧巻であった。
 気が渦を撒いて荒れ狂っていたのだ。気が回転した力も突きの威力に転化されるというわけだ。高速で渦巻く黄金の気が風を巻き、拳を空を切り裂いた。
 横で見ていたエルの顔にも、アルドの拳から発生した風が掛かるほどであった。
 なるほど、これを見せられれば今までの武人拳が基本であったという話が良くわかる。拳に纏わせた気を変化させ、弧状の刃や突起物、あるいは高速回転させて渦と為したというわけだ。

「アルド神官、ありがとうございます。これが改良するということなんですね」
「今見せたのが武人拳の発展系だ。我々には個性があるように、一口に武術といっても得意な分野が異なる。軽快な動きで回避が得意な者、突きより蹴りを得手とする者、重い一撃を身上とする者など様々だ。自分に合った、自分なりの闘い方を目指すのだ」
「はいっ!!」

 人には適性というものが存在する。苦手な事よりも得意な事の方が伸びが早いのは明白であるし、確固たる独自の戦闘法を見つけるという事は自己の認識を深めると共に自負にもつながる。
 これだけは誰にも負けない絶対の自信を持っている。
 その思いが、矜持が更に自身を高め強くするのだ。
 武術は師の技の模倣から始まり、やがて己を知り独自の道の往く。
 まだまだアルドが教えるべき事は多いが、エルも己を知る段階に至ったのだ。エルが自分なりの道を見つけた時、更なる発展と大きな飛躍をするだろう。
 きっとエルは素晴らしい成長を遂げるに違いない。アルドはそんな明るい未来を想像しながら、愛弟子への指導に熱を籠めていくのだった。

 









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