101 / 111
第4章
第94話
しおりを挟む
夕闇が迫る中、騎士団が都市外に退去し激動の一日にも漸く終わりが見えたかに思えたが、まだまだエル達冒険者の力を必要とする案件が目白押しだった。
街のいたる所から黒煙が立ち昇っていたからだ。
そして、騎士団の動きに同調せず、あるいは気付かずに未だに暴れ続けている愚者共がいたからだ。
カインは確かにこれ以上何も危害を加えずに退去すると言ったはずだが、あれは自分の指揮する騎士団だけに限った事だったようだ。
あの状況では、街中に散らばった荒くれ者全てに命令するのは困難であったのは間違いない。
そもそも騎士団から目を逸らすために暴れる事は依頼したが、詳しい事情は説明しておらず、その後の事も決めていない可能すらあり得る。ただ迷宮都市で狼藉を働く事だけを要請したのだ。
おそらくはその可能性が高いだろう。
つまり、当初から依頼を受けた冬幻迷宮の冒険者達は、捨て駒にする心算だったのだ。
それでも騎士団の動きを察知し、共に逃げ出した機を見るに敏な冒険者も僅かだが存在した。
彼はまさに幸運だったといえるだろう。九死に一生を得たと言っても過言ではない。
それ以外の者達の末路は……、語るまでもないだろう。
一方的に戦を仕掛けられた兵士や冒険者達が許すわけがなかったのだ。家族や隣人を奪われた彼等の復讐の刃には、容赦も温情も一切なかったのは至極当然の事であった。
そしてならず者達にとって不運だったのは、エルやアリーシャ達といった彼等では絶対に敵わない上位者も、我欲の赴くままに街を焼き民を嬲るその醜悪姦邪さに激しい怒りを覚えた事だ。
凶漢共の末路はみな悲惨で惨憺たるものになった。
殊に最上位冒険者達の活躍は目覚しいものがあった。
見つけ次第、釈明を一切許さず処断していったのである。
また、最上位冒険者の八面六臂の働きはそれだけに留まらなかった。
散会すると、各々が超人的で目覚ましい仕事振りを見せたのだ。
魔法女帝は天高く舞い上がり都市はおろか外の様子まで見渡せる程の高みに至ると、周囲に目を配りつつ火災場所には水を降らし、悪人達には裁きの雷を落として回った。
敵の動向の監視も行いつつ、正確無比に救済と断罪の魔法を無数に行使しているのだから、その練達した技量のほどがわかるだろう。
逆に大地巨人の行動はいたってシンプルだった。
何もかもも叩き潰す、それだけだ。
悪漢共は出会った瞬間に有無を言わさず圧殺され、火事にあった家屋についても壊して回ったのである。おそらくは今後の復興を考慮し、解体作業を担ってくれたという事だろう。砕かれた廃材を運び出せば、新たに建築を開始できる段階まで進めてくれたのである。
大きな家、特に宿や屋敷の様なものであっても隣家を全く傷付けず、対象の範囲だけをどれも一撃で粉砕してのけた姿は、まさに圧巻であった。
また聖女はというと、都市の中心の泉の広場を臨時の野戦病院に見立てると、周囲の冒険者や兵士達に声を掛け、怪我人の誘導や重傷の者を運び込ませたのである。
そして、上位の回復薬に匹敵するであろう大いなる回復の奇跡を、広場の隅々に至るまでに施したのだ。更には、それ以上の回復が必要な者達、命の灯火が消えんとしている者や肉体を欠損させられた者等は個別に大魔法を唱えていった。
その姿はまさに聖女。彼女の尽力によって助かったも者は枚挙に暇がない。
加えてイーニャ達の回復魔法の使い手も協力し合い、無償で回復薬を提供したり癒しの魔法を施してまわり、少しでも多くの人々の命を救うために皆必死しになって治療活動に従事したのである。
最後に、堅忍不抜は野戦病院の護りと市民の誘導を受けもった。
騎士団との戦は終わったといってもまだ愚か者共は居残っている。
依然として迷宮都市アドリウムは戦争の混乱冷め遣らぬ中にあったのだ。
そのため、早急な治療が必要な者達のためにも、安全に施術を施せる場を確保する事もまた急務だったのである。
時折まだ残っていた兇漢共が襲い掛かってくる事もあったが、誰一人として広場に足を踏み入れられた者はいなかった。
不抜の名が示す通り、彼の護りをすり抜けられた者は皆無であり、市民も最初こそ不安そうにしていたが、次第に安心して手当てを受けられるようになったのである。
エルもアリーシャ達も今己ができる最善を考え、変わり果てた街中を駆けずり回った。
兵士達もカイン達に破られた正門の修理や、負傷者の救護や治安の回復等々、誰も彼もが必死に動き助け合った。
その甲斐あって、すっかり夜を過ぎた頃にはどうにか一応の収拾を付ける事ができたのだった。
武神流の修練場では神官達が巨大な結界の張り巡らして守りを固めていた。ほぼ悪漢達を掃討し終えたが、まだどこかに潜んでいるとも限らない。だから市民達は自分の家に戻らず、この場に留まっていた。
あちこちで暖房用の魔道具が火が灯り、寒さや不安を紛らわせようと毛布を被り人々は寄り添うように固まっている。
エルやアリーシャ達もリリ達親子と火を囲みながら、遅めの夕食をとっていた。
どんなに辛く悲しい時でも、生きているからには体が勝手に食事を求めてしまう。
ただし美味しい食事は悲しみを安らげ、明日への活力を与えてくれるのもまた事実なのだ。
エルやアリーシャ達、あるいは居合わせた心優しき冒険者達はこういう時だからこそと、魔法の小袋にため込んでいた食材をありったけ提供したのである。
その食材を扱える料理人は、シェーバを初めとした難を逃れた市民の中に何人もいたので、折角の貴重な材料が無駄になったり、扱えないといった事態にはならなかった。
またシェーバもこんな時だからこそと、冒険者の持っている調理器具を借りて腕を振るい、全員に精一杯の思いを込めた料理を配ったのだ。
作られたのは皿も少ない事もあって見た目は悪いが、軽く香辛料で味付けして焼き上げただけの様々な魔物の肉の盛り合わせに野菜の付け合わせ、それと肉も野菜も魚介も何もかも詰め込んで塩で味付けしただけのシンプルなスープの2品だけである。
器具も調味料も何もかも足りていない野外での調理であり、一見すればあり合わせのみすぼらしい品に見えるかもしれない。
だがエル達にとっては、いや、多くの市民にとっては何物にも代え難いご馳走であった。
温かなスープが冷え切った体と悲しみから氷の様になった心を溶かし、普段は口にする事もできない高級食材達が生きる活力を与えてくれたのだ。
味付けは簡素であったかもしれないが、食材自身の持つ極上の旨味と料理人の腕によって最高の品となり、人々の傷心を癒やし明日を想う気持ちを取り戻させてくれたのである。
激闘を繰り返し疲れた果てたエル達の体にも、この料理は必要不可欠なものであった。
貪る様にして食らい己の肉となし、疲れをとり回復を早めた。
リリやマリナは慣れない環境と恐ろしい体験から時折不安そうな表情を覗かせたが、それでもシェフ達の心尽くしの料理を食べて安らげたようだ。
アリーシャ達も戦やその後の救助活動で疲れたせいか初めは食事に没頭していた。
たらふく食べて満足したら、口を開き意見を交換し合った。
議題はもちろん、本日の戦についてである。
「戦か……。平和な日常が誰かの思惑によって、こんなに簡単に壊されるなんてね。気に入らないわ」
「もはや危険思想の過激派の暴挙とするには、済まされない段階まできている。発端は人間至上主義なんて愚劣極まりない偏向主義だが、そんなものが根強く息衝いている聖王国こそ、今回の戦の責任を負ってしかるべきだろう」
「僕達亜人からしたら、ふざけてるとしか思えない思想だね。あっ、話は変わるけど、敵の総大将の聖騎士カイン。スレイルさんの話では、彼は10年前まで神々の迷宮で冒険者をしていたようだね」
「ああ、8つ星の上位冒険者だったんだって? それから聖王国に招かれ昇進し聖騎士になったようだが、そんな偉大な騎士様のやる事がこれかよ? 反吐が出そうだぜ」
ディム達は救助作戦の後スレイルと情報交換をしたようだ。
どうやら敵将は、昔この神々の迷宮の冒険者をしていたのだ。
その男がこの都市を占領しようと戦を仕掛けたのだから、皮肉が効いているというかなんというか……。
それほどの価値を迷宮都市アドリウムに見出したという事だからこそなのだろうが、カーンの言ではないが、平然と一般市民を犠牲に強いる電撃作戦を敢行したは許せるものではない。
怒りが再燃して勝手に顔が歪んだ。
「冒険者を辞めたようだけど、あの様子じゃ修練は欠かしていないようね。10年前は8つ星だったみたいだけど、もしかしたら9つ星に近い力を持っているかもしれないわね」
「しかも魔法騎士だ。攻守に渡って隙が全くねえ。そして一番厄介なのが、奴の持っている聖剣だ」
「武器が壊されるから、真面に斬り合う事もできないんだからね……」
アリーシャが自分の愛剣を見つめながら、苦々しそうに吐き捨てた。
エルも苦戦したが、カインの持つ聖剣の斬れ味には目を見張るものがあった。
赤竜の籠手に、これでもかとばかりに何重にも気を張り巡らせる事で辛うじて受け止められたが、気の運用や応用に特化した武神流だからこそ抗う事ができたのだ。気の属性変化を得意とする他流派では、実力がかけ離れていないでもない限り対抗は難しいに違いない。
「悔しいけど、今の俺達じゃ正直分が悪いな。可能性があるとしたら、エルか集いし英雄達の方々ぐらいだろうな」
「ええ、街には何人か上位冒険者が残っていたようだけど、カインに対抗できそうな人は残念だけど見当たらなかったわ。頼みの綱は最上位冒険者の皆様かしらね」
イーニャがローブに包まれた豊満な体を揺らしながら、ため息交じりに戦力分析を言ってのけた。
この場の誰からも反論が出ないのは、彼女の意見に同意しているからに他ならない。
それほどカインは厄介な存在なのだ。聖剣を授与される程の剣士でありながら、気も魔法の扱いも卓越した魔法騎士なのだ。エルもアリーシャ達に助けられなければ敗北していたかもしれない。
例え8つ星や9つ星の冒険者が残っていたとしても、勝てるという保証はどこにもない。それほどの戦闘巧者が倒すべき敵なのだ。
まだ隠している奥の手もあるだろうし、彼を倒せると断言できるのは最上位冒険者の面々だけだろう。
そう、最上位冒険者だ。
実力差があり過ぎて、少年ではその全容を推し量る事も不可能な超越者達。
登場と同時にスレイルを助け出し一瞬で主役になると、カインとの取引とはいえ敵軍を都市外へ退去させてた。彼等の人智を超えた実力があるからこそ、勝利目前だった敵将も断腸の思いで引いたのだ。
エルとしたら、何故あの場で雌雄を決しなかったのか未だに疑問が残っていたが……。
「最上位の方々ですか……。何故あの場で決着を付けなかったんでしょう? それに、もっとこちらに有利な条件を引き出せる事も可能だったんじゃないでしょうか?」
「エルの疑問はもっともね。あたしも正直あの場で逃がすのなんてあり得ない、って思ってたんだけどね……」
「今は違うんですか?」
エルの率直な疑問を受けてアリーシャは苦笑すると、イーニャを見た。
彼女は頷くと選手交代とばかりに口を開き、少年の質問に答えた。
「難しい質問だし、反対意見もあるとは思うけど、私はあの判断で正解だったと思うわ」
「!? どうしてですか?」
「良く考えてみて。さっきまで私達は、敵に都市内に侵入され奇襲を仕掛けられていたの。しかも別々の目的を持った勢力にね。いえ、片方は明確な目的も無かったといった方が正解かしら」
「……?」
「つまり街を荒らし回る冬幻迷宮の冒険者と、協会本部を狙う騎士団という2つの勢力に攻められていたんだ。協会も街に兵を割いたけど後手後手だったし、本部を守るために呼び戻したり情報が錯綜したりしたせいで、市民の被害は時を追う事に増大していったんだ」
「もしあの状況で直ちに停戦しなかったら、どうなっていたと思う?」
もしも戦が続いていたら?
停戦になった後直ちに賊を掃討し、市民を避難させたり怪我の治療を行ったり、あるいは火事への対処等々やる事は山ほどあり、時間はいくらあっても足りないくらいだったのだ。
カインの申し出を断り、あのまま戦争を続けていたとしたら?
「街の人達の被害は、もっと大変なことになっていたんじゃないでしょうか」
「そう、沢山の人が助からなかったでしょうね。それこそ何百人、いえ何千人もの人達が亡くなっていたはずよ」
「そこまでですか!?」
「ええそうよ。聖女様ほどの癒しの魔法の使い手がいらっしゃらなかったら、とても助けられなかったでしょうね」
そうだ、イーニャは回復魔法の使い手として、聖女が指示して設えらせた野戦病院で負傷者の治療にあたっていたのだ。
彼女の言葉は現場を見ていたからこその実感がこもっており、その目で見た事実をありのままに語っているに過ぎない。女神の泉の広場の隅々にまで行き渡る大回復魔法。そして重傷患者達を助けるために、何度も何度も高位の魔法を唱えて回った聖女の存在がなければ、命を落とした人々は数知れない。
イーニャ達も回復薬を配ったり回復魔法を唱え続けたが、他の全ての回復魔法の使い手を合わせたとしても、聖女一人の働きには到底届かなかったのだ。
「……もし交渉を行っていたら?」
「例えば聖遺物の引き渡しや、ガヴィー達純血同盟の身柄とかかい?」
「はい」
「難しいな。聖遺物なんて物は今では創る事も複製する事もできない、それこそ神々が創造されたと言われている貴重な品だ。渡すなんてまずありえないだろうぜ」
「それに、神の後光はガヴィーの肉体と一体化していた。だからガヴィーの身柄を要求しても拒否されただろうね。その結果、徒に交渉を長引かせただけさ」
「そうして交渉が長引けば長引いた分だけ、街の人達の犠牲が増えたわけですね」
エルは静かに議論を聞き入っているリリ達を見た。
少年の視線に気付いて、少女は可愛らしく首を傾げてみせた。
エルは昼間の凶事が突然脳内にフラッシュバックした。
少年が間に合ったからよかったものの、もう少し遅ければリリもマリナも悪漢共に弄ばれ最終的には人質の役目を終えれば始末されていた事だろう。
そうだ、敵は常識も通じず、情動に従い我欲の限りを尽くす人面獣心の輩なのだ。
リリ達は幸い助かった。
だが、助からなかった人々も確かに存在するのだ。
もし戦が長引いたら、彼らの魔手に掛かる犠牲者は恐ろしい数に上ったに違いない。
そんな事が許せるか?
いや、断じて許せない!!
武人としてだけではなく、一人の人間として許せるはずがないのだ。
エルの表情の変化から思考を推測し満足そうに頷くと、ディムが話し出した。
「それで最後にあの場で戦争を続けた場合だけど、どれだけ決着が長引くかによるけど、街の被害は更にひどいものになっていた事だけは間違いないだろうね」
「そして犠牲者になるのは、大勢の戦う力の無い街の人々というわけですね」
「私達冒険者や兵士なら戦う事が仕事だし、命を落とす事があってもまだ納得できるわ」
「だけど市民は違う。力無き民を襲うのは外道のやる事だ」
「市民の命を第一に考えた場合、オーグニル様達の御判断は最も多くの命を救えるものだったのよ」
「なるほど、そういうことだったんですね」
ようやく最上位冒険者達の行動の意味を理解し、エルも納得の表情を浮かべた。
彼等は一人でも多くの民を救いたかったのだ。
それにイーニャやカーンの言葉にも共感がもてる。
戦う力のある者同士が戦争するのはまだいいだろう。
だが、力無き民を一方的に襲い略奪を行うのは、間違っているし絶対に許せない。
そんな悪事を平然と行った敵の事を思うと、また勝手に怒りがこみ上げてくる。
それに、英雄達の選択が民を救うためのものであるというなら、少年が異を唱えるわけにはいかない。
武人として民を助けるのは当然の事であるが、それに加えてこの街には少年がお世話になった人々が沢山住んでいるのだ。
その人達の死ぬ可能性を少しでも減らしれくれたわけなのだから、感謝こそすれ批判する理由などどこにもない。
「まあそうはいっても、納得のできない人達はいるだろうね。何故逃がしたんだ? あの場で犠牲を出してでも倒すべきだったんだ、ってね」
「あのまま戦った場合、勝つ可能性が高かったのは事実よ。そこに不満を覚え、責める人もいるでしょうね。例えば……、協会の上層部とかね」
「そういう人達は現実を見ていないんじゃないかな。戦場になったのはこの迷宮都市の中、何万のも人々が暮らしている都市の内部なんだ。敵に侵入され街を焼かれ、協会本部も陥落寸前までいったんだ。最上位冒険者達の力で敵を退かせる事ができたけど、本来なら完全な負け戦だったんだ」
「カインが撤退したのは英雄達の存在があったからだ。そうじゃなければ、後少しで勝利を掴めていたんだ。そんな状況で誰が好き好んで退却なんかするか?」
「そんな危機的状況をひっくり返し、一人でも多くの市民が助かる道を選んでくれたのが聖女様達よ。それでも批判する様な人は物事の表層しか見ていないのよ。英雄達の真意も推し量る事もせずに、倒せたであろう敵をあっさり逃がした事が不満で仕方ないのよ。即時停戦によって彼女達が救った沢山の命も、喪われずに済んだ多くの命があった事さえ考えられないのよ」
なんともイーニャの物言いは辛辣極まりない。
彼女が憤慨し、ここまで言うという事は具体的に何かあったに違いない。野戦病院での治療活動中に、最上位冒険者達を罵った者がいたのだ。
只でさえ戦を仕掛けられた不平不満が募っているのだ。他人を批判し己の鬱憤を晴らす者達が出てくるのも、ある意味仕方がないともいえるが……。
エルとしても、イーニャ達に説明されねば英雄達の行動の深意が解らず仕舞いだったのだ。今だからこそ素直に崇敬の念を送れるが、停戦時に声を大にして意見した身としては少々肩身が狭い。
いや、そうじゃない。気付く機会はあったのだ。
街の人々のために最も献身し、粉骨砕身の働きを見せたのは英雄達だったじゃないか!
戦を停戦させた理由が分からなくとも、彼等の行動を見ればその思いも汲み取る事ができたはずなのだ。真に民を慈しみ、先頭に立って助けて回った彼らの行動から!
エルは戦おうとしなかった英雄達に、少しでも反意を覚えた自分を恥じた。
「まっ、そうはいっても、家族を失ったり隣人を傷付けられた人は多いからね。恨みから感情的になってしまうのは仕方のない事だし、ついどこかに捌け口を求めてしまったんだろう」
「人の心は難しいわね」
「それもこれも、カインやガヴィー達のせいだけどね。気付けなかったこちらが間抜けなのかもしれないけど、ここはカインの手腕を褒めるべきよね」
実際の所、カインが立案し行った電撃作戦は非常に優れていた。
もし集いし英雄達が不測の事態で都市に戻らず迷宮にいたままだったのなら、今頃この都市は占領されていたかもしれないのだ。
そんな最悪の未来を想像しただけで、少年の身体は勝手に身震いした。
だが、そんなカインも結局は退いたのだ。
退却はカインにとっても、本当に苦渋の決断だったのは間違いない。
目標達成まで後一歩の所まできていたのだ。エルやアリーシャ達、あるいは他の上位冒険者のパーティが何人いたとしても退く事は決してなかったに違いない。
最上位冒険者という人外の領域に住まう、超人的な存在が現れたからこその判断なのだ。
だがそうすると別の疑念がわいてくる。勝てないと判断したのなら、明日は本当に戦う積りがあるのかという疑問がだ。エルはその疑義を口に出し問うてみた。
「市民の命のために停戦した事はわかりましたけど、約束を反故にされてたらどうするんですか? 勝てないなら逃げるかもしれないじゃないですか。カイン達の言葉を信用してあの場で逃がしたのは、本当によかったんでしょうか?」
「まあ信じたにしろ信じていないにしろ、どちらにしてもカイン達が逃げられないのは変わりはないさ」
「えっ!? どうしてですか?」
「魔法女帝は千里を見通す力を持っているからさ」
「遠見の魔法なのか使い魔を使うのかは解らないけれど、未だかつて彼女と敵対し逃れられた者は、一人も存在しないの」
「そっ、そうなんですか?」
「そうよ。悪さをすると魔法女帝が来て妖精の国に攫われてしまうぞ! って小さい頃によく言われたものよ。懐かしいわねー」
アリーシャがからからと笑いながら話してくれた。
魔法女帝リーニャ・グリムテイル、長命なる妖精族にして現存する最古の最上位冒険者である。その齢は優に500を越えるという話だ。
彼女が生を受けた妖精族の集落はアリーシャ達と同じ亜人連合諸国にあり、彼の国では生きる伝説として崇め畏れられているのである。
「それに、逃げるといっても何処に逃げるんだい? ここまでの事をしてくれたんだ。各国は必ず聖王国に責を求めるだろうし、アドリウムを占領できずに逃げ帰ったら、格好の生贄にされるだけさ」
「聖王国以外に逃げたとしても賞金首になるだけだ。姿形を変えて潜伏したとしても、選民意識に凝り固まった奴等のことだ。長くは続かんさ」
「もう早馬は出ているから近日中に助けは来るだろうし、何より迷宮に閉じ込められた冒険者達も帰還できるようになる。時間はこちら側の味方なのさ」
「まっ、ようするに、カイン達は明日の決戦に勝てなければお終いってことね」
アリーシャはあっけらんと言い切ったが、彼女の言葉は的を得ていた。
ディム達の話を聞けば聞くほど、カイン達の不利な立場がよく分かる。
現状に不満を覚えた一部の騎士達による他国への侵略であるが、正直元々が無茶なものであると言わざるを得ない。ある程度の戦力はあるといっても国と戦えるほどではないし、絡め手を弄しなければ迷宮都市(アドリウム)の門を破り内部に侵入する事すら困難だったに違いない。
冒険者を迷宮に閉じ込め、荒くれ共の内部蜂起と陽動が成功したからこそ騎士団が門を突破し、協会本部を陥落寸前まで追い込めたのだ。
だが、その頼みの綱の電撃作戦に失敗した今、明日の決戦こそが最後の頼みであろう。
負ければ、後はない。
近隣諸国から援軍が送られるだろうし、何より時間が経てば迷宮から冒険者達が帰還できるのだ。
そうなればもはや勝てる見込みなど皆無だ。
だからこそ、明日は死に物狂いで掛かってくるに違いない。たとえこちらにオーグニル達、最上位冒険者という、そびえ立つ山脈の如き高過ぎる壁があったとしてもだ。
しかし、そうすると不審な点も出てくる。あのカインの事だ、退けばこうなる事は当然分かっていたはずなのだ。それにしては引き際が良過ぎた。
「でも、それじゃあ何でカインは退却したんです? 後がない事が解っているのに、自分から言い出すなんておかしいじゃないですか」
「カインの言葉通り英雄達を倒せないと判断したのか。あるいは、あのまま戦っても、徒に被害を増やすだけとふんだのか……」
「どんな理由でそうしたのか予想もできないけど、よほどの策、いやこの場合は仕掛けって言った方がいいのかな。まあ、そういった奥の手があるのは間違いないんじゃないかな」
「英雄達を前にして啖呵を切るぐらいだからね」
「あのカインのことだ。最悪の事態を想定していなかったはずがない。最上位冒険者に対抗する術も、必ず準備しているはずだ」
カーンが確信を持って言い切った。おそらくはその予想が正答なのだろう。
少年は不意にカインと交わした言葉が蘇り、その言葉を口ずさんでみた。
「明日は酷い戦争になる。地獄の様な、か……」
「エル、どうしたの?」
「去り際にカインがそう言っていたんです」
「へえっ、地獄ねえ。やっぱりあったんだ、対英雄用の切り札が」
「そうすると、占領目的の都市内では使えなかった可能性が出てくるね。彼等を倒すための秘策なんだ。アドリウムで使用したら更地になったとしても驚かないよ」
少年は緊張からか、ごくりと音を発ててつばを飲み込んだ。
あの最上位冒険者達を倒そうというのだ。どんなものかは想像も付かないが、ただ余程のものだという事だけは疑いようがない。
そう、明日エル達が激戦を繰り広げるであろう戦場で、それが待っているのだ。
勝てるだろうか?
無意識に不安が少年の顔に現れたのか、今まで黙って成り行きを見守っていたリリが心配そうに声を掛けてきた。
「エル、大丈夫だよね?」
「もっ、もちろんさ! 明日の戦いは必ず僕達が勝利して、街を守ってみせるさ!!」
「エル……」
一にも二にも無く、少年は笑顔で勝利を宣言してのけた。
リリは自分達を励まし少しでも安心させるために、エルが己の不安を押し隠して強気を装ってくれた事が痛いほど良く分かった。
以前も同じだったからだ。
母が倒れ泣き叫ぶ自分を励ましてくれ、笑顔で真竜との闘いに赴いてくれたのだ。
それが私の好きな人。
普段はちょっと抜けてて世話を焼かずにはいられないけど、とっても強くて優しい人。
困っている人がいたら放っておけなくて手を差し伸べてくれる人。
今日も絶体絶命のピンチに駆け付けて、私達家族を助けてくれた。
エルなら信じられる。エルの言葉を信じ、私のできる事をしよう!
今の私はエルの重荷になるためにいるんじゃない!
今すべき事は彼の心労を少しでも取り除き、気持ち良く明日を迎えてもらうことなんだ!
リリは笑顔になると、普段通りちょっとお姉さんぶって茶目っ気たっぷりに宣言した。
「それじゃあ父さんと沢山ご馳走を作って待ってるから、必ず勝って帰って来てね。でも、怪我して帰って来たりなんかしたら、ご褒美なしだからね?」
「ええ~!? そりゃないよ!」
いつもより芝居がかった仕草で、ちょっと大げさに。
だけど周囲が不安な今は、それくらい大仰なのがちょうどいい。
少年少女達のやり取りが心和ませたのか、ちらほらと笑い声が上がった。
アリーシャ達も愉快そうに声を大にして笑った。
「リリちゃん、私達の分もお願いね? いっぱいお腹を空かせて帰ってくるわ」
「わかりました。みなさん全員じゃないと食べきれないくらいの量を用意しておきますね」
「そりゃ大変だ。折角のご馳走を残しちゃ悪いから、明日は頑張らないとな」
「そうだな。リリちゃんの手料理を頂くためにも、戦働きするとするか」
「ええ、みんなで帰ってこれるように頑張りましょう」
笑顔が伝染し、笑い声が少しずつ不安を払拭していった。
明日は決戦、それも自分達の命運を賭けた大一番だ。
憂慮や心配が無いといったら嘘になる。
相手は恐ろしい強敵だ。しかも必勝の策を用意している。こちらに最上位冒険者達がいるといっても、相手が相手だけに負ける可能性もあり得。
だけど、不思議となんとかなるような気がしてならない。
心の底から信頼できる仲間と共に戦うのだ。
そして大好きなリリをはじめとした、自分を迎え入れてくれたこの街の温かい人々を守るために戦うのだ。
負けるわけにはいかない。いや、必ず勝つのだ!!
そんな思いを胸に抱きつつ、少年は心から笑い声を上げるのだった。
街のいたる所から黒煙が立ち昇っていたからだ。
そして、騎士団の動きに同調せず、あるいは気付かずに未だに暴れ続けている愚者共がいたからだ。
カインは確かにこれ以上何も危害を加えずに退去すると言ったはずだが、あれは自分の指揮する騎士団だけに限った事だったようだ。
あの状況では、街中に散らばった荒くれ者全てに命令するのは困難であったのは間違いない。
そもそも騎士団から目を逸らすために暴れる事は依頼したが、詳しい事情は説明しておらず、その後の事も決めていない可能すらあり得る。ただ迷宮都市で狼藉を働く事だけを要請したのだ。
おそらくはその可能性が高いだろう。
つまり、当初から依頼を受けた冬幻迷宮の冒険者達は、捨て駒にする心算だったのだ。
それでも騎士団の動きを察知し、共に逃げ出した機を見るに敏な冒険者も僅かだが存在した。
彼はまさに幸運だったといえるだろう。九死に一生を得たと言っても過言ではない。
それ以外の者達の末路は……、語るまでもないだろう。
一方的に戦を仕掛けられた兵士や冒険者達が許すわけがなかったのだ。家族や隣人を奪われた彼等の復讐の刃には、容赦も温情も一切なかったのは至極当然の事であった。
そしてならず者達にとって不運だったのは、エルやアリーシャ達といった彼等では絶対に敵わない上位者も、我欲の赴くままに街を焼き民を嬲るその醜悪姦邪さに激しい怒りを覚えた事だ。
凶漢共の末路はみな悲惨で惨憺たるものになった。
殊に最上位冒険者達の活躍は目覚しいものがあった。
見つけ次第、釈明を一切許さず処断していったのである。
また、最上位冒険者の八面六臂の働きはそれだけに留まらなかった。
散会すると、各々が超人的で目覚ましい仕事振りを見せたのだ。
魔法女帝は天高く舞い上がり都市はおろか外の様子まで見渡せる程の高みに至ると、周囲に目を配りつつ火災場所には水を降らし、悪人達には裁きの雷を落として回った。
敵の動向の監視も行いつつ、正確無比に救済と断罪の魔法を無数に行使しているのだから、その練達した技量のほどがわかるだろう。
逆に大地巨人の行動はいたってシンプルだった。
何もかもも叩き潰す、それだけだ。
悪漢共は出会った瞬間に有無を言わさず圧殺され、火事にあった家屋についても壊して回ったのである。おそらくは今後の復興を考慮し、解体作業を担ってくれたという事だろう。砕かれた廃材を運び出せば、新たに建築を開始できる段階まで進めてくれたのである。
大きな家、特に宿や屋敷の様なものであっても隣家を全く傷付けず、対象の範囲だけをどれも一撃で粉砕してのけた姿は、まさに圧巻であった。
また聖女はというと、都市の中心の泉の広場を臨時の野戦病院に見立てると、周囲の冒険者や兵士達に声を掛け、怪我人の誘導や重傷の者を運び込ませたのである。
そして、上位の回復薬に匹敵するであろう大いなる回復の奇跡を、広場の隅々に至るまでに施したのだ。更には、それ以上の回復が必要な者達、命の灯火が消えんとしている者や肉体を欠損させられた者等は個別に大魔法を唱えていった。
その姿はまさに聖女。彼女の尽力によって助かったも者は枚挙に暇がない。
加えてイーニャ達の回復魔法の使い手も協力し合い、無償で回復薬を提供したり癒しの魔法を施してまわり、少しでも多くの人々の命を救うために皆必死しになって治療活動に従事したのである。
最後に、堅忍不抜は野戦病院の護りと市民の誘導を受けもった。
騎士団との戦は終わったといってもまだ愚か者共は居残っている。
依然として迷宮都市アドリウムは戦争の混乱冷め遣らぬ中にあったのだ。
そのため、早急な治療が必要な者達のためにも、安全に施術を施せる場を確保する事もまた急務だったのである。
時折まだ残っていた兇漢共が襲い掛かってくる事もあったが、誰一人として広場に足を踏み入れられた者はいなかった。
不抜の名が示す通り、彼の護りをすり抜けられた者は皆無であり、市民も最初こそ不安そうにしていたが、次第に安心して手当てを受けられるようになったのである。
エルもアリーシャ達も今己ができる最善を考え、変わり果てた街中を駆けずり回った。
兵士達もカイン達に破られた正門の修理や、負傷者の救護や治安の回復等々、誰も彼もが必死に動き助け合った。
その甲斐あって、すっかり夜を過ぎた頃にはどうにか一応の収拾を付ける事ができたのだった。
武神流の修練場では神官達が巨大な結界の張り巡らして守りを固めていた。ほぼ悪漢達を掃討し終えたが、まだどこかに潜んでいるとも限らない。だから市民達は自分の家に戻らず、この場に留まっていた。
あちこちで暖房用の魔道具が火が灯り、寒さや不安を紛らわせようと毛布を被り人々は寄り添うように固まっている。
エルやアリーシャ達もリリ達親子と火を囲みながら、遅めの夕食をとっていた。
どんなに辛く悲しい時でも、生きているからには体が勝手に食事を求めてしまう。
ただし美味しい食事は悲しみを安らげ、明日への活力を与えてくれるのもまた事実なのだ。
エルやアリーシャ達、あるいは居合わせた心優しき冒険者達はこういう時だからこそと、魔法の小袋にため込んでいた食材をありったけ提供したのである。
その食材を扱える料理人は、シェーバを初めとした難を逃れた市民の中に何人もいたので、折角の貴重な材料が無駄になったり、扱えないといった事態にはならなかった。
またシェーバもこんな時だからこそと、冒険者の持っている調理器具を借りて腕を振るい、全員に精一杯の思いを込めた料理を配ったのだ。
作られたのは皿も少ない事もあって見た目は悪いが、軽く香辛料で味付けして焼き上げただけの様々な魔物の肉の盛り合わせに野菜の付け合わせ、それと肉も野菜も魚介も何もかも詰め込んで塩で味付けしただけのシンプルなスープの2品だけである。
器具も調味料も何もかも足りていない野外での調理であり、一見すればあり合わせのみすぼらしい品に見えるかもしれない。
だがエル達にとっては、いや、多くの市民にとっては何物にも代え難いご馳走であった。
温かなスープが冷え切った体と悲しみから氷の様になった心を溶かし、普段は口にする事もできない高級食材達が生きる活力を与えてくれたのだ。
味付けは簡素であったかもしれないが、食材自身の持つ極上の旨味と料理人の腕によって最高の品となり、人々の傷心を癒やし明日を想う気持ちを取り戻させてくれたのである。
激闘を繰り返し疲れた果てたエル達の体にも、この料理は必要不可欠なものであった。
貪る様にして食らい己の肉となし、疲れをとり回復を早めた。
リリやマリナは慣れない環境と恐ろしい体験から時折不安そうな表情を覗かせたが、それでもシェフ達の心尽くしの料理を食べて安らげたようだ。
アリーシャ達も戦やその後の救助活動で疲れたせいか初めは食事に没頭していた。
たらふく食べて満足したら、口を開き意見を交換し合った。
議題はもちろん、本日の戦についてである。
「戦か……。平和な日常が誰かの思惑によって、こんなに簡単に壊されるなんてね。気に入らないわ」
「もはや危険思想の過激派の暴挙とするには、済まされない段階まできている。発端は人間至上主義なんて愚劣極まりない偏向主義だが、そんなものが根強く息衝いている聖王国こそ、今回の戦の責任を負ってしかるべきだろう」
「僕達亜人からしたら、ふざけてるとしか思えない思想だね。あっ、話は変わるけど、敵の総大将の聖騎士カイン。スレイルさんの話では、彼は10年前まで神々の迷宮で冒険者をしていたようだね」
「ああ、8つ星の上位冒険者だったんだって? それから聖王国に招かれ昇進し聖騎士になったようだが、そんな偉大な騎士様のやる事がこれかよ? 反吐が出そうだぜ」
ディム達は救助作戦の後スレイルと情報交換をしたようだ。
どうやら敵将は、昔この神々の迷宮の冒険者をしていたのだ。
その男がこの都市を占領しようと戦を仕掛けたのだから、皮肉が効いているというかなんというか……。
それほどの価値を迷宮都市アドリウムに見出したという事だからこそなのだろうが、カーンの言ではないが、平然と一般市民を犠牲に強いる電撃作戦を敢行したは許せるものではない。
怒りが再燃して勝手に顔が歪んだ。
「冒険者を辞めたようだけど、あの様子じゃ修練は欠かしていないようね。10年前は8つ星だったみたいだけど、もしかしたら9つ星に近い力を持っているかもしれないわね」
「しかも魔法騎士だ。攻守に渡って隙が全くねえ。そして一番厄介なのが、奴の持っている聖剣だ」
「武器が壊されるから、真面に斬り合う事もできないんだからね……」
アリーシャが自分の愛剣を見つめながら、苦々しそうに吐き捨てた。
エルも苦戦したが、カインの持つ聖剣の斬れ味には目を見張るものがあった。
赤竜の籠手に、これでもかとばかりに何重にも気を張り巡らせる事で辛うじて受け止められたが、気の運用や応用に特化した武神流だからこそ抗う事ができたのだ。気の属性変化を得意とする他流派では、実力がかけ離れていないでもない限り対抗は難しいに違いない。
「悔しいけど、今の俺達じゃ正直分が悪いな。可能性があるとしたら、エルか集いし英雄達の方々ぐらいだろうな」
「ええ、街には何人か上位冒険者が残っていたようだけど、カインに対抗できそうな人は残念だけど見当たらなかったわ。頼みの綱は最上位冒険者の皆様かしらね」
イーニャがローブに包まれた豊満な体を揺らしながら、ため息交じりに戦力分析を言ってのけた。
この場の誰からも反論が出ないのは、彼女の意見に同意しているからに他ならない。
それほどカインは厄介な存在なのだ。聖剣を授与される程の剣士でありながら、気も魔法の扱いも卓越した魔法騎士なのだ。エルもアリーシャ達に助けられなければ敗北していたかもしれない。
例え8つ星や9つ星の冒険者が残っていたとしても、勝てるという保証はどこにもない。それほどの戦闘巧者が倒すべき敵なのだ。
まだ隠している奥の手もあるだろうし、彼を倒せると断言できるのは最上位冒険者の面々だけだろう。
そう、最上位冒険者だ。
実力差があり過ぎて、少年ではその全容を推し量る事も不可能な超越者達。
登場と同時にスレイルを助け出し一瞬で主役になると、カインとの取引とはいえ敵軍を都市外へ退去させてた。彼等の人智を超えた実力があるからこそ、勝利目前だった敵将も断腸の思いで引いたのだ。
エルとしたら、何故あの場で雌雄を決しなかったのか未だに疑問が残っていたが……。
「最上位の方々ですか……。何故あの場で決着を付けなかったんでしょう? それに、もっとこちらに有利な条件を引き出せる事も可能だったんじゃないでしょうか?」
「エルの疑問はもっともね。あたしも正直あの場で逃がすのなんてあり得ない、って思ってたんだけどね……」
「今は違うんですか?」
エルの率直な疑問を受けてアリーシャは苦笑すると、イーニャを見た。
彼女は頷くと選手交代とばかりに口を開き、少年の質問に答えた。
「難しい質問だし、反対意見もあるとは思うけど、私はあの判断で正解だったと思うわ」
「!? どうしてですか?」
「良く考えてみて。さっきまで私達は、敵に都市内に侵入され奇襲を仕掛けられていたの。しかも別々の目的を持った勢力にね。いえ、片方は明確な目的も無かったといった方が正解かしら」
「……?」
「つまり街を荒らし回る冬幻迷宮の冒険者と、協会本部を狙う騎士団という2つの勢力に攻められていたんだ。協会も街に兵を割いたけど後手後手だったし、本部を守るために呼び戻したり情報が錯綜したりしたせいで、市民の被害は時を追う事に増大していったんだ」
「もしあの状況で直ちに停戦しなかったら、どうなっていたと思う?」
もしも戦が続いていたら?
停戦になった後直ちに賊を掃討し、市民を避難させたり怪我の治療を行ったり、あるいは火事への対処等々やる事は山ほどあり、時間はいくらあっても足りないくらいだったのだ。
カインの申し出を断り、あのまま戦争を続けていたとしたら?
「街の人達の被害は、もっと大変なことになっていたんじゃないでしょうか」
「そう、沢山の人が助からなかったでしょうね。それこそ何百人、いえ何千人もの人達が亡くなっていたはずよ」
「そこまでですか!?」
「ええそうよ。聖女様ほどの癒しの魔法の使い手がいらっしゃらなかったら、とても助けられなかったでしょうね」
そうだ、イーニャは回復魔法の使い手として、聖女が指示して設えらせた野戦病院で負傷者の治療にあたっていたのだ。
彼女の言葉は現場を見ていたからこその実感がこもっており、その目で見た事実をありのままに語っているに過ぎない。女神の泉の広場の隅々にまで行き渡る大回復魔法。そして重傷患者達を助けるために、何度も何度も高位の魔法を唱えて回った聖女の存在がなければ、命を落とした人々は数知れない。
イーニャ達も回復薬を配ったり回復魔法を唱え続けたが、他の全ての回復魔法の使い手を合わせたとしても、聖女一人の働きには到底届かなかったのだ。
「……もし交渉を行っていたら?」
「例えば聖遺物の引き渡しや、ガヴィー達純血同盟の身柄とかかい?」
「はい」
「難しいな。聖遺物なんて物は今では創る事も複製する事もできない、それこそ神々が創造されたと言われている貴重な品だ。渡すなんてまずありえないだろうぜ」
「それに、神の後光はガヴィーの肉体と一体化していた。だからガヴィーの身柄を要求しても拒否されただろうね。その結果、徒に交渉を長引かせただけさ」
「そうして交渉が長引けば長引いた分だけ、街の人達の犠牲が増えたわけですね」
エルは静かに議論を聞き入っているリリ達を見た。
少年の視線に気付いて、少女は可愛らしく首を傾げてみせた。
エルは昼間の凶事が突然脳内にフラッシュバックした。
少年が間に合ったからよかったものの、もう少し遅ければリリもマリナも悪漢共に弄ばれ最終的には人質の役目を終えれば始末されていた事だろう。
そうだ、敵は常識も通じず、情動に従い我欲の限りを尽くす人面獣心の輩なのだ。
リリ達は幸い助かった。
だが、助からなかった人々も確かに存在するのだ。
もし戦が長引いたら、彼らの魔手に掛かる犠牲者は恐ろしい数に上ったに違いない。
そんな事が許せるか?
いや、断じて許せない!!
武人としてだけではなく、一人の人間として許せるはずがないのだ。
エルの表情の変化から思考を推測し満足そうに頷くと、ディムが話し出した。
「それで最後にあの場で戦争を続けた場合だけど、どれだけ決着が長引くかによるけど、街の被害は更にひどいものになっていた事だけは間違いないだろうね」
「そして犠牲者になるのは、大勢の戦う力の無い街の人々というわけですね」
「私達冒険者や兵士なら戦う事が仕事だし、命を落とす事があってもまだ納得できるわ」
「だけど市民は違う。力無き民を襲うのは外道のやる事だ」
「市民の命を第一に考えた場合、オーグニル様達の御判断は最も多くの命を救えるものだったのよ」
「なるほど、そういうことだったんですね」
ようやく最上位冒険者達の行動の意味を理解し、エルも納得の表情を浮かべた。
彼等は一人でも多くの民を救いたかったのだ。
それにイーニャやカーンの言葉にも共感がもてる。
戦う力のある者同士が戦争するのはまだいいだろう。
だが、力無き民を一方的に襲い略奪を行うのは、間違っているし絶対に許せない。
そんな悪事を平然と行った敵の事を思うと、また勝手に怒りがこみ上げてくる。
それに、英雄達の選択が民を救うためのものであるというなら、少年が異を唱えるわけにはいかない。
武人として民を助けるのは当然の事であるが、それに加えてこの街には少年がお世話になった人々が沢山住んでいるのだ。
その人達の死ぬ可能性を少しでも減らしれくれたわけなのだから、感謝こそすれ批判する理由などどこにもない。
「まあそうはいっても、納得のできない人達はいるだろうね。何故逃がしたんだ? あの場で犠牲を出してでも倒すべきだったんだ、ってね」
「あのまま戦った場合、勝つ可能性が高かったのは事実よ。そこに不満を覚え、責める人もいるでしょうね。例えば……、協会の上層部とかね」
「そういう人達は現実を見ていないんじゃないかな。戦場になったのはこの迷宮都市の中、何万のも人々が暮らしている都市の内部なんだ。敵に侵入され街を焼かれ、協会本部も陥落寸前までいったんだ。最上位冒険者達の力で敵を退かせる事ができたけど、本来なら完全な負け戦だったんだ」
「カインが撤退したのは英雄達の存在があったからだ。そうじゃなければ、後少しで勝利を掴めていたんだ。そんな状況で誰が好き好んで退却なんかするか?」
「そんな危機的状況をひっくり返し、一人でも多くの市民が助かる道を選んでくれたのが聖女様達よ。それでも批判する様な人は物事の表層しか見ていないのよ。英雄達の真意も推し量る事もせずに、倒せたであろう敵をあっさり逃がした事が不満で仕方ないのよ。即時停戦によって彼女達が救った沢山の命も、喪われずに済んだ多くの命があった事さえ考えられないのよ」
なんともイーニャの物言いは辛辣極まりない。
彼女が憤慨し、ここまで言うという事は具体的に何かあったに違いない。野戦病院での治療活動中に、最上位冒険者達を罵った者がいたのだ。
只でさえ戦を仕掛けられた不平不満が募っているのだ。他人を批判し己の鬱憤を晴らす者達が出てくるのも、ある意味仕方がないともいえるが……。
エルとしても、イーニャ達に説明されねば英雄達の行動の深意が解らず仕舞いだったのだ。今だからこそ素直に崇敬の念を送れるが、停戦時に声を大にして意見した身としては少々肩身が狭い。
いや、そうじゃない。気付く機会はあったのだ。
街の人々のために最も献身し、粉骨砕身の働きを見せたのは英雄達だったじゃないか!
戦を停戦させた理由が分からなくとも、彼等の行動を見ればその思いも汲み取る事ができたはずなのだ。真に民を慈しみ、先頭に立って助けて回った彼らの行動から!
エルは戦おうとしなかった英雄達に、少しでも反意を覚えた自分を恥じた。
「まっ、そうはいっても、家族を失ったり隣人を傷付けられた人は多いからね。恨みから感情的になってしまうのは仕方のない事だし、ついどこかに捌け口を求めてしまったんだろう」
「人の心は難しいわね」
「それもこれも、カインやガヴィー達のせいだけどね。気付けなかったこちらが間抜けなのかもしれないけど、ここはカインの手腕を褒めるべきよね」
実際の所、カインが立案し行った電撃作戦は非常に優れていた。
もし集いし英雄達が不測の事態で都市に戻らず迷宮にいたままだったのなら、今頃この都市は占領されていたかもしれないのだ。
そんな最悪の未来を想像しただけで、少年の身体は勝手に身震いした。
だが、そんなカインも結局は退いたのだ。
退却はカインにとっても、本当に苦渋の決断だったのは間違いない。
目標達成まで後一歩の所まできていたのだ。エルやアリーシャ達、あるいは他の上位冒険者のパーティが何人いたとしても退く事は決してなかったに違いない。
最上位冒険者という人外の領域に住まう、超人的な存在が現れたからこその判断なのだ。
だがそうすると別の疑念がわいてくる。勝てないと判断したのなら、明日は本当に戦う積りがあるのかという疑問がだ。エルはその疑義を口に出し問うてみた。
「市民の命のために停戦した事はわかりましたけど、約束を反故にされてたらどうするんですか? 勝てないなら逃げるかもしれないじゃないですか。カイン達の言葉を信用してあの場で逃がしたのは、本当によかったんでしょうか?」
「まあ信じたにしろ信じていないにしろ、どちらにしてもカイン達が逃げられないのは変わりはないさ」
「えっ!? どうしてですか?」
「魔法女帝は千里を見通す力を持っているからさ」
「遠見の魔法なのか使い魔を使うのかは解らないけれど、未だかつて彼女と敵対し逃れられた者は、一人も存在しないの」
「そっ、そうなんですか?」
「そうよ。悪さをすると魔法女帝が来て妖精の国に攫われてしまうぞ! って小さい頃によく言われたものよ。懐かしいわねー」
アリーシャがからからと笑いながら話してくれた。
魔法女帝リーニャ・グリムテイル、長命なる妖精族にして現存する最古の最上位冒険者である。その齢は優に500を越えるという話だ。
彼女が生を受けた妖精族の集落はアリーシャ達と同じ亜人連合諸国にあり、彼の国では生きる伝説として崇め畏れられているのである。
「それに、逃げるといっても何処に逃げるんだい? ここまでの事をしてくれたんだ。各国は必ず聖王国に責を求めるだろうし、アドリウムを占領できずに逃げ帰ったら、格好の生贄にされるだけさ」
「聖王国以外に逃げたとしても賞金首になるだけだ。姿形を変えて潜伏したとしても、選民意識に凝り固まった奴等のことだ。長くは続かんさ」
「もう早馬は出ているから近日中に助けは来るだろうし、何より迷宮に閉じ込められた冒険者達も帰還できるようになる。時間はこちら側の味方なのさ」
「まっ、ようするに、カイン達は明日の決戦に勝てなければお終いってことね」
アリーシャはあっけらんと言い切ったが、彼女の言葉は的を得ていた。
ディム達の話を聞けば聞くほど、カイン達の不利な立場がよく分かる。
現状に不満を覚えた一部の騎士達による他国への侵略であるが、正直元々が無茶なものであると言わざるを得ない。ある程度の戦力はあるといっても国と戦えるほどではないし、絡め手を弄しなければ迷宮都市(アドリウム)の門を破り内部に侵入する事すら困難だったに違いない。
冒険者を迷宮に閉じ込め、荒くれ共の内部蜂起と陽動が成功したからこそ騎士団が門を突破し、協会本部を陥落寸前まで追い込めたのだ。
だが、その頼みの綱の電撃作戦に失敗した今、明日の決戦こそが最後の頼みであろう。
負ければ、後はない。
近隣諸国から援軍が送られるだろうし、何より時間が経てば迷宮から冒険者達が帰還できるのだ。
そうなればもはや勝てる見込みなど皆無だ。
だからこそ、明日は死に物狂いで掛かってくるに違いない。たとえこちらにオーグニル達、最上位冒険者という、そびえ立つ山脈の如き高過ぎる壁があったとしてもだ。
しかし、そうすると不審な点も出てくる。あのカインの事だ、退けばこうなる事は当然分かっていたはずなのだ。それにしては引き際が良過ぎた。
「でも、それじゃあ何でカインは退却したんです? 後がない事が解っているのに、自分から言い出すなんておかしいじゃないですか」
「カインの言葉通り英雄達を倒せないと判断したのか。あるいは、あのまま戦っても、徒に被害を増やすだけとふんだのか……」
「どんな理由でそうしたのか予想もできないけど、よほどの策、いやこの場合は仕掛けって言った方がいいのかな。まあ、そういった奥の手があるのは間違いないんじゃないかな」
「英雄達を前にして啖呵を切るぐらいだからね」
「あのカインのことだ。最悪の事態を想定していなかったはずがない。最上位冒険者に対抗する術も、必ず準備しているはずだ」
カーンが確信を持って言い切った。おそらくはその予想が正答なのだろう。
少年は不意にカインと交わした言葉が蘇り、その言葉を口ずさんでみた。
「明日は酷い戦争になる。地獄の様な、か……」
「エル、どうしたの?」
「去り際にカインがそう言っていたんです」
「へえっ、地獄ねえ。やっぱりあったんだ、対英雄用の切り札が」
「そうすると、占領目的の都市内では使えなかった可能性が出てくるね。彼等を倒すための秘策なんだ。アドリウムで使用したら更地になったとしても驚かないよ」
少年は緊張からか、ごくりと音を発ててつばを飲み込んだ。
あの最上位冒険者達を倒そうというのだ。どんなものかは想像も付かないが、ただ余程のものだという事だけは疑いようがない。
そう、明日エル達が激戦を繰り広げるであろう戦場で、それが待っているのだ。
勝てるだろうか?
無意識に不安が少年の顔に現れたのか、今まで黙って成り行きを見守っていたリリが心配そうに声を掛けてきた。
「エル、大丈夫だよね?」
「もっ、もちろんさ! 明日の戦いは必ず僕達が勝利して、街を守ってみせるさ!!」
「エル……」
一にも二にも無く、少年は笑顔で勝利を宣言してのけた。
リリは自分達を励まし少しでも安心させるために、エルが己の不安を押し隠して強気を装ってくれた事が痛いほど良く分かった。
以前も同じだったからだ。
母が倒れ泣き叫ぶ自分を励ましてくれ、笑顔で真竜との闘いに赴いてくれたのだ。
それが私の好きな人。
普段はちょっと抜けてて世話を焼かずにはいられないけど、とっても強くて優しい人。
困っている人がいたら放っておけなくて手を差し伸べてくれる人。
今日も絶体絶命のピンチに駆け付けて、私達家族を助けてくれた。
エルなら信じられる。エルの言葉を信じ、私のできる事をしよう!
今の私はエルの重荷になるためにいるんじゃない!
今すべき事は彼の心労を少しでも取り除き、気持ち良く明日を迎えてもらうことなんだ!
リリは笑顔になると、普段通りちょっとお姉さんぶって茶目っ気たっぷりに宣言した。
「それじゃあ父さんと沢山ご馳走を作って待ってるから、必ず勝って帰って来てね。でも、怪我して帰って来たりなんかしたら、ご褒美なしだからね?」
「ええ~!? そりゃないよ!」
いつもより芝居がかった仕草で、ちょっと大げさに。
だけど周囲が不安な今は、それくらい大仰なのがちょうどいい。
少年少女達のやり取りが心和ませたのか、ちらほらと笑い声が上がった。
アリーシャ達も愉快そうに声を大にして笑った。
「リリちゃん、私達の分もお願いね? いっぱいお腹を空かせて帰ってくるわ」
「わかりました。みなさん全員じゃないと食べきれないくらいの量を用意しておきますね」
「そりゃ大変だ。折角のご馳走を残しちゃ悪いから、明日は頑張らないとな」
「そうだな。リリちゃんの手料理を頂くためにも、戦働きするとするか」
「ええ、みんなで帰ってこれるように頑張りましょう」
笑顔が伝染し、笑い声が少しずつ不安を払拭していった。
明日は決戦、それも自分達の命運を賭けた大一番だ。
憂慮や心配が無いといったら嘘になる。
相手は恐ろしい強敵だ。しかも必勝の策を用意している。こちらに最上位冒険者達がいるといっても、相手が相手だけに負ける可能性もあり得。
だけど、不思議となんとかなるような気がしてならない。
心の底から信頼できる仲間と共に戦うのだ。
そして大好きなリリをはじめとした、自分を迎え入れてくれたこの街の温かい人々を守るために戦うのだ。
負けるわけにはいかない。いや、必ず勝つのだ!!
そんな思いを胸に抱きつつ、少年は心から笑い声を上げるのだった。
応援ありがとうございます!
0
お気に入りに追加
21
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる