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第Ⅴ章 歪愛90%・甘イチャ90%
brocen 63 或る天使
天界に戻ってから、五日ほど追加で休暇を取った。しばらくは天界の魔力に慣れたいのと、仕事復帰に向けて生活リズムを整えたいという理由だ。
嘘は言ってない……別にこれは嘘じゃない。ぜんぶを話してないだけだ。
少しだけディアンシャの狡いところが似てきたかな、と思いながら家に帰った。
ホテルで暮らしていたころを思い出すと、家はすごく狭い感じがした。だけど二人で作った絵やテディベアもあるし、お気に入りの家具でレイアウトした部屋なので、落ちつく場所ではある。
「ディアンシャの言ってた宝飾品、なんとかなったよ」
「本当か? 助かる」
前にカジノ店でもらった宝石を、申請して天界で霊存するように魔法をかけてもらった。
地上で買ったものはある程度までなら持ち帰り、天界に置いておけるようにできる。宝飾品は不安だったけど、他のお土産と混ぜておいたら意外にも許してもらえた。そんなに数もなかったから、不思議に思われなかったみたいだ。
ふつうなら地上のものは数日で消えてしまう。それは地獄も同じだ。霊存させるための魔法は、天界の熾天使様しか使えないものだ。
「地獄に戻っても消えないで残ってるかな?」
「わからん。希望はある」
「ディアンシャって宝飾品は好きだったんだ?」
あんまり好きそうな素振りじゃなかったんだけどな。
ディアンシャはわたしから宝飾品受け取ったあと、言いにくそうに口を開いた。
「この話は……秘密にして」
「わかった、誰にも言わないよ」
「ありがとう」
頭をぽんぽんと叩いてから、地獄へ持っていく荷物として鞄に入れている。
「テディベア……いらない?」
ディアンシャが買ってくれた大きいほうも、一緒に作った小さいペアのものも、両方部屋に置いてある。
「お前のほうが寂しがるだろ」
「でも……」
「悪魔にそんな情を移して大丈夫なのか?」
からかうように言って、こつんとわたしの頭を胸に当てる。
「ディアンシャの怪我……ずっと治らなきゃいいのに」
「お前がそう言ってくれるのは嬉しいな」
「……え?」
顔の高さを合わせ、透きとおる青の硝子にわたしの姿を映した。
「以前なら悪い感情だって、そういうの言わなかっただろ」
「あ、……ごめん、なさい」
「お前もう悪いことたくさんしてるから、謝ってもだめだよ」
「え! 酷いよ、して……な、い、もん……」
喉の奥から笑いを漏らして作業に戻った。
「俺のこと大好きだもんな」
そんなことない、とは言えない。むぅっと頬を膨らませて支度をしている彼を見つめた。
今日明日明後日と、わたしの魔力をすべて使えばディアンシャの怪我は完治するだろう。呪いも取りのぞける。その次の日にお別れをして、最後の休みは……念のため、仕事が手につかなかったら嫌なので取っておいた休みだ。
今日の治療を施してからひとりでお風呂に入った。
天界のお風呂はホテルほど広くはないし、さすがに天界で……一緒にお風呂に入るわけにはいかないよね。
バスルームは前より狭くなったはずなのに、やけにもの寂しい。わたしの体や髪だけはいつもディアンシャが洗ってくれていたけど、それもない。
「ディアンシャと別れるの、やだな」
涙がひとつ落ちて、シャワーの雨と一緒になった。残りの数日を泣いて過ごしたくはない。どうせなら楽しいことをして、ちゃんと思い出を作ってから別れたい。
お風呂から上がって身支度を整え、ディアンシャと一緒にベッドに入った。抱きしめてくれる。
「ディアンシャ……だいすき」
「こんなところで言っていいの?」
どきっとして恐る恐る周囲を見渡した。怖いので、一応残った魔力でもう一重に魔法障壁をかけておいた。
そのあと一時間くらいベッドの中でお喋りをして、ディアンシャが「もう寝るか」と言った。額にキスをして、胸のほうへ強く引きよせる。
「えと……ん……」
それしかしないの? とは恥ずかしくて聞けない。地上にいるときは毎日抱いてくれていた(正確には最後までしていないので違うかもしれないけど、わたしにとってはこの言い方がしっくりくる)けど、んー……寂しい。
「ディアンシャぁ」
甘えるように服を掴むと、彼の鮮やかな青い視線が交わった。
「天界なのに、いいの」
「ん。んー……………………」
そう言われるとなにも言い返せなくなってしまう。たしかに天界で……悪魔に抱いてもらっているのは……。どう考えても……まずい。
「我慢する……」
「ほんと悪い子だな」
心臓が不自然に弾んでいる。悪い子なんて言われたことない。わたしは天使だ。だけど……ディアンシャに言われるなら、いいかな。
彼はわたしが眠るまで髪を撫でていてくれた。
次の日は新しく話題になっていたゲームをプレイした。地上の電波と繋げて知らない人間の誰かと対戦をする。勝ったり負けたりしながら一緒に攻略を考える。
わたしひとりでもこんなに楽しんでゲームができるのかな。
その次の日は一緒に本を読んだ。ディアンシャが後ろから抱きしめてくれていて、本のページを同じように目で追いかけていく。
でもどうしても明日別れなければいけないことが頭を擡げて集中できなかった。ディアンシャがそれに気づき、ピアノを演奏してくれた。
一緒に作曲しようということになって、試行錯誤しながら──なんとか形にしてメロディと伴奏を付けた。初めての曲にしてはうまくできた気がする。一応楽譜に音を書き写して、記録に残しておいた。
その日はお風呂に入るのをやめた。ディアンシャと一緒にいる時間が少しでも減るのが嫌で、浄化魔法で綺麗にしてお終い。明日から毎日、趣味のお風呂はいくらでも入れる。
ディアンシャの体に手を当てて、全身の状態をチェックしていく。何か残った呪いがないか、魔力が漏れだしているところや流れがおかしなところがないか──。
「ディアンシャ、何か強力な魔法をかけてる? 呪いとは違うけど……」
「ああ。うん」
「それは戻さなくて大丈夫?」
「自分でやった魔法だから。あとで治せるし、このままでいいよ」
頷いた。手の周りでぼんやりと光っていた橙色の魔法が消える。
「そしたら、ちゃんとぜんぶ治ってるよ」
思っていたより治療には魔力を使わずにすんだ。昼ごろ使った魔力はもうほとんど戻ってきている。
「たしかに、もうなんの違和感もない」
彼はベッドから起きあがり、そばの椅子に座って確認をしていたわたしを抱きしめる。
「セラエル、ほんとにありがとう。悪魔なのに最後まで助けてくれて」
「え……や。やめてよ」
ずっと泣かないでいたのに、最後までとかそんなこと言われたら……我慢できなくなっちゃうよ。
きゅうと胸が締まっていくのを感じ、目頭が痛くなった。目を見開いて潤んだ視界を堪える。
「楽しかった?」彼はそのまま耳元で尋ねた。
「楽し……かった、よ」
肩が震え、声が裏返った。
「他の悪魔には気を許すなよ」
「許さないよ」
あえて明るい声で言った。
「それに天界にくる悪魔なんて、きっとディアンシャが最初で……最後、だよ」
鼻で笑い、冷たい吐息が耳朶に触れる。
「たしかに。だが地上に降りたら出会うこともあるだろ」
「ディアンシャも、契約があるから百年に一回は降りないといけないよ?」
「めんどくせー」
わざとらしく不機嫌な声をだし、ハグをやめて離れた。
「ディアンシャは……楽しかったの?」
なんで聞いたんだろう。彼を困らせるだけなのに。でもディアンシャはやっぱり器用で、塩梅のいい返答をする。
「今まででいちばんまともに地上を歩いたと思う」
まともにって言うと、普段はいったい何をしてるんだろう?
「前に、地上にいるのは不快……なんて言ってたよね?」
「ああ。今回は不快ではなかったよ」
そっか。それ以上は話さないので聞かないほうがいいのかもしれない。別に知らなくてもいいや。
ディアンシャと二人で家具を少し動かし、魔法陣が描けるようにする。帰る準備にはもっともっと時間をかけてほしかったけど、でも今のうちにやっておけば明日別れる瞬間にたくさんお話できる。
彼が丁寧にチョークで魔法陣を描いているのを眺めていた。天界ではあまり魔法陣を使わないので見慣れなくて、細かくどんな構造になっているのかはわからなかった。
「間違えて変なところに転移したりしない?」
ディアンシャは目を細める。
「まさか。完璧に覚えてるよ」
悪魔は忘却機能がないんだって。忘れてるんじゃなく、膨大な記憶の底にあるだけ。たまにその記憶を引っ張りだすのにロード時間が必要なだけで、忘れることはないと言っていた。
「ディアンシャの魔力だけで移動できるの?」
「ああ。問題ない」
そのあと蝋燭をいくつか所定の場所に並べる。必要な薬草や動物の血もすべて準備して、あとは魔力を込めれば発動するという状態にしたらしい。
帰る支度が万全に整ったあと、ふたりでベッドに戻り、いちばんお気に入りの映画をもう一度見た。
前回気づかなかった伏線やキャラクターの心情描写についてディアンシャと話していると、だいたいいつも寝ている時間になってしまう。
「もう寝るか?」
「夜更かししたい……。今日は寝たくないよ」
ディアンシャは布団を広げてわたしに入るよう促した。しぶしぶ脚を入れて、ディアンシャの横に寝転がる。
今日一緒に作曲した音楽のことを思い出す。
「ロックミュージックにしてライブもできたかな?」
「バーでジャズとして演奏するのもいいんじゃねえか」
先に作曲してから地上に行ってたら、どこかのバーに声をかけて演奏できたかな。そうじゃなくても、一緒に楽器を演奏してみれば楽しかったかも。
「わたし……ディアンシャとしたいこと、まだたくさんあった」
「そりゃ二週間ですべてはできねえよ」
横を向いて、彼の胸板に顔を押しつける。透きとおる匂いがする。
「人間はみんな趣味があるらしいけど……わたしは特別これっていうものは見つけられなかったなぁ」
「それが天使なんじゃねえ。だいたいなんでも楽しめる」
「そういうことなのかな?」
そういえばスポーツもしてない。まぁ、人間の使う道具でわたしたちらしくプレイしてしまうと壊れちゃうから仕方ないんだけど。ボールもラケットも燃え滓になっちゃう。
「ランニングとかしてみてもよかったのかなぁ?」
「空中飛行はしたじゃん」
「あー、そっか!」
何を話していても心ここにあらずで、彼がいなくなるという事実で頭がいっぱいだった。
この数ヶ月ずっと楽しかった。わたしの知らないものをたくさん教えてくれて、いろんな価値観を知った。ディアンシャといるときほど次の日が待ち遠しいことも、知らない感情に心が揺れることも、もうない。
「ディアンシャふたつに分身してよ……」
「半分置いとくのか? いずれ誰かに見つかるよ」
笑って答える。
しばらくの間のあと、ぽつりと零した。
「わたし、いい天使になれると思う?」
「今もいい天使だろ」
「だけど……悪いことしちゃったよ」
ディアンシャは悪戯っぽい笑みを見せる。
「悪魔の俺をたくさん愉しませてくれたから、俺にとってはいい天使」
「……そっか」
ぎゅうと抱きしめられる。
「すべての人にとっていい天使にはなれねえよ」
「そう、なの?」
「ああ。お前の人間と関わる仕事だって……天使が恋人に成り代わってると聞いたら、そんな幸せならいらないって言われるかもしれないぜ」
「えッ……。だけど、神様が決めた幸せだよ?」
ディアンシャの低い音が淡々と紡がれていく。
「誰も他人に幸せは決められたくないんじゃねえか。一昔前なら信仰も偏っていたが、今はいろんな考え方がある」
「じゃ、あ……わたし。お仕事したらいけないの?」
「いや? 別にいいよ。どうせ本人が知ることはねえだろ」
「そう……なの」
なんだか複雑な気持ちになって、彼の胸の中で目を瞬いた。
「ただ、俺にとってはいい天使だったよって。他の人間がお前たちをどう思うかは一生知ることがねえだろうが、今の俺の気持ちだけはここで知れただろ」
「ん、うん……」
「仮にどこかで不安に思っても、少なくともひとりは幸せにしたって確信を持てれば、それでいいんじゃねえか」
堪えていたはずの涙が出てきた。目頭が熱くなり、鼻の奥がツンとする。絶え間なく、静かに涙がこぼれた。
「どうして……優しいこと、言うの?」
「これ優しいの? 俺が思ったことを話しただけだよ」
「ん…………」
「治してくれて感謝してるのは本当だからな」
ぐすんと鼻を啜った。涙を拭い、ディアンシャの顔を見る。美しい青い目が、なんの感情もなくこちらを見つめている。
「わたし……やっぱり」
「ん?」
恥ずかしくなって抱きついた。
「前にしてくれたとき……最後だって思ってなかったから。だから……このままお別れするの、やだ」
「ああ」くつりと笑う。「いいの。天界でそんなことして」
意地悪な返答に言葉が詰まる。
「……で、も。次会えるの……いつになるか、わかんない。ディアンシャが百年に一回地上に降りるのだって、きっと三日もあれば終わらせちゃいそうだもん……」
「まあ」
胸元に縋りついて、声を抑えて言う。
「おねがい……。寂しい。最後にするから……」
ストレートの金髪を細い指で梳いては、頭皮を擽るように触れる。
「いいよ。わかった」
しがみついていた体を少し離した。
ディアンシャの顔の向こうに、自室の家具や壁、天井が見える。窓の向こうは……あの真っ白の天界の地だ。ここは地上じゃない。気づかなかったふりをして視線を戻した。
「いいんだな?」
どきまぎと胸が戦慄いている。甘やかな、でもどこか妖しく、だけどやっぱり、なんの装飾もないような声色だった。
「ん……うん」
嘘は言ってない……別にこれは嘘じゃない。ぜんぶを話してないだけだ。
少しだけディアンシャの狡いところが似てきたかな、と思いながら家に帰った。
ホテルで暮らしていたころを思い出すと、家はすごく狭い感じがした。だけど二人で作った絵やテディベアもあるし、お気に入りの家具でレイアウトした部屋なので、落ちつく場所ではある。
「ディアンシャの言ってた宝飾品、なんとかなったよ」
「本当か? 助かる」
前にカジノ店でもらった宝石を、申請して天界で霊存するように魔法をかけてもらった。
地上で買ったものはある程度までなら持ち帰り、天界に置いておけるようにできる。宝飾品は不安だったけど、他のお土産と混ぜておいたら意外にも許してもらえた。そんなに数もなかったから、不思議に思われなかったみたいだ。
ふつうなら地上のものは数日で消えてしまう。それは地獄も同じだ。霊存させるための魔法は、天界の熾天使様しか使えないものだ。
「地獄に戻っても消えないで残ってるかな?」
「わからん。希望はある」
「ディアンシャって宝飾品は好きだったんだ?」
あんまり好きそうな素振りじゃなかったんだけどな。
ディアンシャはわたしから宝飾品受け取ったあと、言いにくそうに口を開いた。
「この話は……秘密にして」
「わかった、誰にも言わないよ」
「ありがとう」
頭をぽんぽんと叩いてから、地獄へ持っていく荷物として鞄に入れている。
「テディベア……いらない?」
ディアンシャが買ってくれた大きいほうも、一緒に作った小さいペアのものも、両方部屋に置いてある。
「お前のほうが寂しがるだろ」
「でも……」
「悪魔にそんな情を移して大丈夫なのか?」
からかうように言って、こつんとわたしの頭を胸に当てる。
「ディアンシャの怪我……ずっと治らなきゃいいのに」
「お前がそう言ってくれるのは嬉しいな」
「……え?」
顔の高さを合わせ、透きとおる青の硝子にわたしの姿を映した。
「以前なら悪い感情だって、そういうの言わなかっただろ」
「あ、……ごめん、なさい」
「お前もう悪いことたくさんしてるから、謝ってもだめだよ」
「え! 酷いよ、して……な、い、もん……」
喉の奥から笑いを漏らして作業に戻った。
「俺のこと大好きだもんな」
そんなことない、とは言えない。むぅっと頬を膨らませて支度をしている彼を見つめた。
今日明日明後日と、わたしの魔力をすべて使えばディアンシャの怪我は完治するだろう。呪いも取りのぞける。その次の日にお別れをして、最後の休みは……念のため、仕事が手につかなかったら嫌なので取っておいた休みだ。
今日の治療を施してからひとりでお風呂に入った。
天界のお風呂はホテルほど広くはないし、さすがに天界で……一緒にお風呂に入るわけにはいかないよね。
バスルームは前より狭くなったはずなのに、やけにもの寂しい。わたしの体や髪だけはいつもディアンシャが洗ってくれていたけど、それもない。
「ディアンシャと別れるの、やだな」
涙がひとつ落ちて、シャワーの雨と一緒になった。残りの数日を泣いて過ごしたくはない。どうせなら楽しいことをして、ちゃんと思い出を作ってから別れたい。
お風呂から上がって身支度を整え、ディアンシャと一緒にベッドに入った。抱きしめてくれる。
「ディアンシャ……だいすき」
「こんなところで言っていいの?」
どきっとして恐る恐る周囲を見渡した。怖いので、一応残った魔力でもう一重に魔法障壁をかけておいた。
そのあと一時間くらいベッドの中でお喋りをして、ディアンシャが「もう寝るか」と言った。額にキスをして、胸のほうへ強く引きよせる。
「えと……ん……」
それしかしないの? とは恥ずかしくて聞けない。地上にいるときは毎日抱いてくれていた(正確には最後までしていないので違うかもしれないけど、わたしにとってはこの言い方がしっくりくる)けど、んー……寂しい。
「ディアンシャぁ」
甘えるように服を掴むと、彼の鮮やかな青い視線が交わった。
「天界なのに、いいの」
「ん。んー……………………」
そう言われるとなにも言い返せなくなってしまう。たしかに天界で……悪魔に抱いてもらっているのは……。どう考えても……まずい。
「我慢する……」
「ほんと悪い子だな」
心臓が不自然に弾んでいる。悪い子なんて言われたことない。わたしは天使だ。だけど……ディアンシャに言われるなら、いいかな。
彼はわたしが眠るまで髪を撫でていてくれた。
次の日は新しく話題になっていたゲームをプレイした。地上の電波と繋げて知らない人間の誰かと対戦をする。勝ったり負けたりしながら一緒に攻略を考える。
わたしひとりでもこんなに楽しんでゲームができるのかな。
その次の日は一緒に本を読んだ。ディアンシャが後ろから抱きしめてくれていて、本のページを同じように目で追いかけていく。
でもどうしても明日別れなければいけないことが頭を擡げて集中できなかった。ディアンシャがそれに気づき、ピアノを演奏してくれた。
一緒に作曲しようということになって、試行錯誤しながら──なんとか形にしてメロディと伴奏を付けた。初めての曲にしてはうまくできた気がする。一応楽譜に音を書き写して、記録に残しておいた。
その日はお風呂に入るのをやめた。ディアンシャと一緒にいる時間が少しでも減るのが嫌で、浄化魔法で綺麗にしてお終い。明日から毎日、趣味のお風呂はいくらでも入れる。
ディアンシャの体に手を当てて、全身の状態をチェックしていく。何か残った呪いがないか、魔力が漏れだしているところや流れがおかしなところがないか──。
「ディアンシャ、何か強力な魔法をかけてる? 呪いとは違うけど……」
「ああ。うん」
「それは戻さなくて大丈夫?」
「自分でやった魔法だから。あとで治せるし、このままでいいよ」
頷いた。手の周りでぼんやりと光っていた橙色の魔法が消える。
「そしたら、ちゃんとぜんぶ治ってるよ」
思っていたより治療には魔力を使わずにすんだ。昼ごろ使った魔力はもうほとんど戻ってきている。
「たしかに、もうなんの違和感もない」
彼はベッドから起きあがり、そばの椅子に座って確認をしていたわたしを抱きしめる。
「セラエル、ほんとにありがとう。悪魔なのに最後まで助けてくれて」
「え……や。やめてよ」
ずっと泣かないでいたのに、最後までとかそんなこと言われたら……我慢できなくなっちゃうよ。
きゅうと胸が締まっていくのを感じ、目頭が痛くなった。目を見開いて潤んだ視界を堪える。
「楽しかった?」彼はそのまま耳元で尋ねた。
「楽し……かった、よ」
肩が震え、声が裏返った。
「他の悪魔には気を許すなよ」
「許さないよ」
あえて明るい声で言った。
「それに天界にくる悪魔なんて、きっとディアンシャが最初で……最後、だよ」
鼻で笑い、冷たい吐息が耳朶に触れる。
「たしかに。だが地上に降りたら出会うこともあるだろ」
「ディアンシャも、契約があるから百年に一回は降りないといけないよ?」
「めんどくせー」
わざとらしく不機嫌な声をだし、ハグをやめて離れた。
「ディアンシャは……楽しかったの?」
なんで聞いたんだろう。彼を困らせるだけなのに。でもディアンシャはやっぱり器用で、塩梅のいい返答をする。
「今まででいちばんまともに地上を歩いたと思う」
まともにって言うと、普段はいったい何をしてるんだろう?
「前に、地上にいるのは不快……なんて言ってたよね?」
「ああ。今回は不快ではなかったよ」
そっか。それ以上は話さないので聞かないほうがいいのかもしれない。別に知らなくてもいいや。
ディアンシャと二人で家具を少し動かし、魔法陣が描けるようにする。帰る準備にはもっともっと時間をかけてほしかったけど、でも今のうちにやっておけば明日別れる瞬間にたくさんお話できる。
彼が丁寧にチョークで魔法陣を描いているのを眺めていた。天界ではあまり魔法陣を使わないので見慣れなくて、細かくどんな構造になっているのかはわからなかった。
「間違えて変なところに転移したりしない?」
ディアンシャは目を細める。
「まさか。完璧に覚えてるよ」
悪魔は忘却機能がないんだって。忘れてるんじゃなく、膨大な記憶の底にあるだけ。たまにその記憶を引っ張りだすのにロード時間が必要なだけで、忘れることはないと言っていた。
「ディアンシャの魔力だけで移動できるの?」
「ああ。問題ない」
そのあと蝋燭をいくつか所定の場所に並べる。必要な薬草や動物の血もすべて準備して、あとは魔力を込めれば発動するという状態にしたらしい。
帰る支度が万全に整ったあと、ふたりでベッドに戻り、いちばんお気に入りの映画をもう一度見た。
前回気づかなかった伏線やキャラクターの心情描写についてディアンシャと話していると、だいたいいつも寝ている時間になってしまう。
「もう寝るか?」
「夜更かししたい……。今日は寝たくないよ」
ディアンシャは布団を広げてわたしに入るよう促した。しぶしぶ脚を入れて、ディアンシャの横に寝転がる。
今日一緒に作曲した音楽のことを思い出す。
「ロックミュージックにしてライブもできたかな?」
「バーでジャズとして演奏するのもいいんじゃねえか」
先に作曲してから地上に行ってたら、どこかのバーに声をかけて演奏できたかな。そうじゃなくても、一緒に楽器を演奏してみれば楽しかったかも。
「わたし……ディアンシャとしたいこと、まだたくさんあった」
「そりゃ二週間ですべてはできねえよ」
横を向いて、彼の胸板に顔を押しつける。透きとおる匂いがする。
「人間はみんな趣味があるらしいけど……わたしは特別これっていうものは見つけられなかったなぁ」
「それが天使なんじゃねえ。だいたいなんでも楽しめる」
「そういうことなのかな?」
そういえばスポーツもしてない。まぁ、人間の使う道具でわたしたちらしくプレイしてしまうと壊れちゃうから仕方ないんだけど。ボールもラケットも燃え滓になっちゃう。
「ランニングとかしてみてもよかったのかなぁ?」
「空中飛行はしたじゃん」
「あー、そっか!」
何を話していても心ここにあらずで、彼がいなくなるという事実で頭がいっぱいだった。
この数ヶ月ずっと楽しかった。わたしの知らないものをたくさん教えてくれて、いろんな価値観を知った。ディアンシャといるときほど次の日が待ち遠しいことも、知らない感情に心が揺れることも、もうない。
「ディアンシャふたつに分身してよ……」
「半分置いとくのか? いずれ誰かに見つかるよ」
笑って答える。
しばらくの間のあと、ぽつりと零した。
「わたし、いい天使になれると思う?」
「今もいい天使だろ」
「だけど……悪いことしちゃったよ」
ディアンシャは悪戯っぽい笑みを見せる。
「悪魔の俺をたくさん愉しませてくれたから、俺にとってはいい天使」
「……そっか」
ぎゅうと抱きしめられる。
「すべての人にとっていい天使にはなれねえよ」
「そう、なの?」
「ああ。お前の人間と関わる仕事だって……天使が恋人に成り代わってると聞いたら、そんな幸せならいらないって言われるかもしれないぜ」
「えッ……。だけど、神様が決めた幸せだよ?」
ディアンシャの低い音が淡々と紡がれていく。
「誰も他人に幸せは決められたくないんじゃねえか。一昔前なら信仰も偏っていたが、今はいろんな考え方がある」
「じゃ、あ……わたし。お仕事したらいけないの?」
「いや? 別にいいよ。どうせ本人が知ることはねえだろ」
「そう……なの」
なんだか複雑な気持ちになって、彼の胸の中で目を瞬いた。
「ただ、俺にとってはいい天使だったよって。他の人間がお前たちをどう思うかは一生知ることがねえだろうが、今の俺の気持ちだけはここで知れただろ」
「ん、うん……」
「仮にどこかで不安に思っても、少なくともひとりは幸せにしたって確信を持てれば、それでいいんじゃねえか」
堪えていたはずの涙が出てきた。目頭が熱くなり、鼻の奥がツンとする。絶え間なく、静かに涙がこぼれた。
「どうして……優しいこと、言うの?」
「これ優しいの? 俺が思ったことを話しただけだよ」
「ん…………」
「治してくれて感謝してるのは本当だからな」
ぐすんと鼻を啜った。涙を拭い、ディアンシャの顔を見る。美しい青い目が、なんの感情もなくこちらを見つめている。
「わたし……やっぱり」
「ん?」
恥ずかしくなって抱きついた。
「前にしてくれたとき……最後だって思ってなかったから。だから……このままお別れするの、やだ」
「ああ」くつりと笑う。「いいの。天界でそんなことして」
意地悪な返答に言葉が詰まる。
「……で、も。次会えるの……いつになるか、わかんない。ディアンシャが百年に一回地上に降りるのだって、きっと三日もあれば終わらせちゃいそうだもん……」
「まあ」
胸元に縋りついて、声を抑えて言う。
「おねがい……。寂しい。最後にするから……」
ストレートの金髪を細い指で梳いては、頭皮を擽るように触れる。
「いいよ。わかった」
しがみついていた体を少し離した。
ディアンシャの顔の向こうに、自室の家具や壁、天井が見える。窓の向こうは……あの真っ白の天界の地だ。ここは地上じゃない。気づかなかったふりをして視線を戻した。
「いいんだな?」
どきまぎと胸が戦慄いている。甘やかな、でもどこか妖しく、だけどやっぱり、なんの装飾もないような声色だった。
「ん……うん」
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