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私という人間とアニマート二百二号室
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私は遊園地へ行っても華やかなメリーゴーランドに目を輝かせる子供ではなかった。血と暗闇のお化け屋敷に二回突入するような子供だった。なぜ二回かというと一回目は偵察の為である。まず初回で幽霊だかモンスターを凝視し、綿密な作戦を立てた上で、武器を構えつつ不敵な笑みを浮かべながら二回目に突入していた。いつも背負っていた赤色のリュックには銃や刀といった、男の子が好きそうな攻撃性の高いものばかり詰めこんでいた。いつ曲がり角で幽霊やゾンビに出くわしても即座に戦いに移れるようにという訳だ。そのリュックも親に買ってもらう時に自分で選んだものだったが、女の子だから赤という訳ではなく、返り血を浴びて真っ赤に染まったという設定で赤を選んでいた。親に対して女の子らしい可愛いものをねだった事は数えるほどしかない。
私はちょっと気持ちの悪い女の子だった。
異質なものは友達の輪からはじき出される。共通の話題を持つことのできない私は、女の子の輪の中には当然入っていけなかった。それではと思い、遊び相手を男の子に求めようとしたがそれもことごとく失敗した。当時、二件隣に住んでいた純君という、同い年くらいの男子と仲良くなろうとしたのを今でも覚えている。彼は私がリュックからゾンビマスクを取り出して以降、ぱったりと遊んでくれなくなった。私がそのマスクを被りながら『お゛お゛お゛ぉぉ』と本気のゾンビ声を出して追いかけ回したのもいけなかったと思う。私が敵役で、倒す役を彼にゆずってあげたつもりだった。
このホラーに対する異常な耐性というか好奇心はどこから来るのか、私自身よく分かっていない。私は父と母、そして三つ下の妹に囲まれた、ごくごく普通の家庭に育った。大きなトラウマを受けるような事件だとか事故に見舞われた記憶はない。両親は他の子とは違う方向にしか興味を持てない私に戸惑いながらも、こうして社会人として一人暮らしできるまで立派に育ててくれた。この性格はおそらく生まれついてのものだと思う。
むしろトラウマを抱えてしまっているのは妹の方だ。もちろん原因は私。妹は遊び相手がいない私の格好の餌食だった。幼稚園時代にオオカミ男が出てくる映画に散々つき合わされたせいで妹は今でも犬系の動物が苦手だ。ブルドッグのようなハンマーでちょっと叩いて潰したような顔の犬でも駄目だ。そういった経緯もあり、妹は私とは正反対に怖いものが大の苦手である。妹はホラー映画で例えるなら事あるごとにキャーキャー騒ぐ、いわゆる足引っ張り役だ。でもそんな子に限って男子にモテるのも事実だ。男の人って自分より弱い子を守ってあげたくなるらしい。私は武器の扱いに長けて終盤までカップルを守ってしぶとく生き残った上で、最後のどんでん返しでやられる役だ。
自分の好きな事を大っぴらに主張しつつ、無邪気に遊べるのはせいぜい小学校低学年ぐらいまでだった。それより上の学年になる頃には私にも『自分の好きな事は変なこと』という自覚が生まれ、友達の輪に入っていけるよう、人前では素の自分を隠すよう努力するようになった。でもクラスという集団は既に私に『ホラー女』という卒業するまで覆し難い二つ名を付けていた。私はもう開き直って魂の入っている人間と友達になるのを諦め、魂の入っていないゾンビやモンスターと妄想の中で友達になる道を選んだ。大勢といるときは出来るだけ人畜無害な観葉植物になろうと心がけた。そして一人の時は映画やゲーム、そして妄想など様々な場所で私はこの世のものではない者と闘い続けた。そんな生き方は小学校を卒業して中学、高校を経て社会人になった今でもずるずると引きずっている。
幼稚園時代の将来なりたい職業にゴーストバスターと書いていた私だが、現実世界で亡霊やゾンビの大群が襲ってくる事はなく、私は営業事務という肩書きで社会を動かす歯車の一部になった。相変わらず友人はおらず、人生を共に歩む候補になる男性もいない。亡霊やゾンビばかり相手にしているうちに、魂の入った生の人間との付き合い方が下手な大人になってしまった。頭の中では人にあだ名をつけたり好き勝手言ったりしているが、それはただの無口な外面の裏返しなのだ。部屋の中でおバカなことをしてしまうのは、素の自分を出せない反動でしかなのだ。肌の色が白いと時々羨ましがられるが、それはただの出不精の副作用なのだ。テレビに映るゾンビや幽霊に夢中になってよく目の下にクマを作っている私自身が亡霊のようだと時々鏡を見ながら思う。
皮肉なことに私に霊感というものは一切ない。聞こえる音も、見える物も、寝るときに見る夢も、おそらく普通の人と同じだ。高校二年の夏休み、一度だけ本当に恐ろしいと評判の心霊スポットに一人で行ってみたことがある。宿を取り、電車を乗り継ぎ、日付が変わる時間を見計らって訪れたその場所は、一言で表すなら『ただの小汚いトンネル』だった。トンネルの真ん中まで進んで『もしもーし』と話しかけてみたけれど、地縛霊からの返事は無かった。代わりに反対側の出口から大学生らしき男女数人の慌てる声と急いで車を発進させる音が届いてきた。そのまま一時間ほど粘ったけれど何も起きなかったので私は『だめだこりゃ』と独り言を言って宿へと引き返した。もう現実の幽霊にはもう期待ができそうもない、そう思った。そういった訳でテレ子は私が遭遇する初めての幽霊になる。
私がこのアニマート二百二号室に越してきたのは約一ヶ月前のことだ。電車の通勤ラッシュにどうしても耐えられなくなり、それを回避できる条件の地域を探して引っ越してきた。この街にはしみったれたお店が多い。バーもラーメン屋も古着屋も映画館も何かどこか小さいのだ。そして床の端っこがちょっと汚れているような、そんな雰囲気をはらんでいる。引っ越し前に周囲をブラブラした時、街全体がちょっとしたお化け屋敷みたいだと思った。それに手の届く範囲にものが揃っていて落ち着くような感覚があった。この街は私の腕の長さにぴったり収まるくらいの大きさだった。今にして思えば、前に住んでいた街が私にとって広すぎたのも引っ越しを決める理由の一つにあったと思う。毎日同じ道を歩いていても何だか迷子になっているような気分だった。
不動産屋から『アニマート』という名前を聞いた時、最初アニメオタクの大家なのかなと若干不安になった。不動産屋のおっちゃんが運転する車の助手席に座りながら、アパートの壁に異様にでっかい目をしたキャラクターでも描かれていたら流石に住むのをやめようと考えていた。でも実際に壁に描かれていたのは水色空と雲、そして目と口の付いた太陽だった。正直センスが悪かったが住めないほどではないと思った。
港に積まれているちょっと錆びたコンテナを並べたような二階建ての四角いぼろアパートだったので最初は住もうかどうか少し悩んだ。でもアパートの特長を聞いて私はここを根城にしようと決めた。必要最小限の大きさにまとめられたキッチンやお風呂場、そして八畳ちょっとのリビングと狭いベランダ。当然オートロックなんていうバリケードはないが、それを上回る魅力があった。壁や窓がとっても厚いのだ。音を通さないのだ。これは映画とゲームをこよなく愛する私のハートを一発で打ち抜く魅力だった。引っ越しした当日、調子に乗ってリビングでラジオ体操を二番まで踊ってみたけれど、苦情は一切来ることはなかった。
アニマートとはどうやらイタリア語で『賑やかな』という意味らしい。私が普段外出時に身に纏っている雰囲気とは真逆の言葉だ。まだ挨拶程度の会話しかしていないが、他の住人もあまり賑やかな面々とは言えない。
左隣に住んでいる会社員の男性は体格は良いが猫背でちょっとおどおどしている。さらにここ数日は目の下にすごいクマを作っていて『おはようございます』の声も地獄の底で炎に炙られた低級悪魔みたいなっている。何が彼をそこまで睡眠不足にさせるのかは知らないが、私はそういう死にそうな人を見ると母性本能が少しくすぐられてしまう。生姜焼きおにぎりを差し入れしてあげたい気持ちになるのだ。『生姜焼きおにぎり』とは私が食費を節約する為によくお弁当代わりに会社に持っていってるものである。名前通りの具が入っているやつで、とりあえずお腹がいっぱいになってスタミナがつけばいい、という戦闘糧食みたいな色気のないやつだ。近くのコンビニで買った暖かいお茶とセットにして彼に『はいっ』って言って渡してあげたくなった。
右隣には二十歳前後の女子大生らしい子が住んでいる。ドングリとか小さいものを集めるのが好きなリスっぽい小動物系の印象の子だ。この人もやはり最近元気が無いようで、昨日も家の鍵を開ける時に肺の中の空気を全部出すくらいの勢いのため息をついていた。それにここ数日は寝坊をやらかしているらしく、顔色悪く走っているの姿を朝見かける。
唯一元気があると言えばすぐ隣に住んでいる大家のおばちゃんだが、こちらは『賑やかな』というより『口うるさい』に近い。引っ越しの挨拶をしに行った時、初対面の私に向かって『そんなに色白くて大丈夫なの?ちゃんとご飯食べてるの?』という言葉をかけてきた。面倒くさそうな人だなという印象は当たっていて、今朝も『ゴミ袋の口の縛り方がよくない』なんていう針みたいに小さい事をネタにツンツンつつかれた。大家のおばちゃんも最近気分が良くないらしく、イライラ気味なようだ。
まあ、隣にどんな人が住んでいようが、厚い壁があれば気になることは無いし、大家のおばちゃんとも鉢合わせしないように気を付ければいいだけの事だ。生きていく上で大した支障じゃない。
住んでみて分かった事だが壁の厚さ以外にも私を魅了するポイントがこのアパートにあるのが分かった。それが『シネマンドラゴラ』とかいうレンタルビデオ屋がすぐ近くにあることだ。そのビデオ屋はアパートから歩いて五分もかからない場所にあり、マンドラゴラに対する殺意の高い意味不明なネーミングセンスもさることながら、雰囲気がとっても私好みでお店に入るだけでちょっとくらっとしてしまう。
まず、真っ黒いカーペットが敷かれたやたらと奥に細長い店内が、まるで未開の洞窟のような雰囲気を醸し出して私を出迎えてくれる。扱う映画のチョイスもマニアックなホラーやB級ものが多い。店員の男性も骸骨みたいなガリガリ体型で、もう何回も洗濯したであろう薄いジーンズとハイテクなバスケットシューズを履いて、黄色いエプロン姿で店内をうろついている。うろついていると言っても決してサボっている訳じゃない。ちゃんと返却されたDVDやらブルーレイを棚に返すという仕事が彼にはあるのだ。でも私には死人か何かが徘徊しているようにしか見えない。勝手にスカル君というあだ名を付けて、よくビデオ屋の不安定な棚を挟んで擬似ホラー映画ごっこをしている。角にあるカーブミラーのような防犯用の丸い鏡に彼の姿が映ると私は『きたっ』と思ってこそこそ逃げ回って鼻息を荒くしている。
スカル君の他にもバスターってあだ名を付けた背の低い女性店員とかニードルってあだ名を付けたやたら背の高い男性店員だとか、とにかくこのビデオ屋は個性的なメンツで構成されている。全員ひょろっとしているので、平均体重を引き上げてくれるような店員がいればいいホラー映画が撮れるのになあと思っている。ビデオ屋を舞台にマンドラゴラが頭にくっついてゾンビ化した人間相手に、店員が泥臭い籠城戦を繰り広げる脚本が私の頭の中に大体できている。それぞれが持つ武器とやられる順番についてもほぼ決まっている。
他にも店内に流れるピコピコとした謎のBGMや、可愛くないオリジナルキャラクターなど語り出したらきりがない。住んで一ヶ月たらずなのにこれだけダラダラと語ってしまうくらいこのビデオ屋は私の心を虜にしている。
そんな私なのでテレビをとっても溺愛している。テレビは私の彼氏である。引っ越しを機にプレイヤー内臓の縁が黒く角が鋭いかっこいいやつを思い切って買った。買うと決心するまで二週間近く悩み、お迎えの前日はウキウキしながら滅多に歌わない鼻歌を口ずさんで床にコロコロにかけていたほどだ。部屋に忘れ物をした時、靴を脱ぐのが面倒という理由で、土足のままドカドカ上がってしまうぐらい適当な性格の私がそれだけするのだから思い入れはひとしおだ。きっと彼氏を家に呼ぶ時はこんな気分なんだろうなと思った。お出迎えした日は帰りがけに立ち寄った百円ショップで蓄光性のシールを買ってきてデコレーションを施し、早速『グリッパーくん』というあだ名をつけた。英語で死神を意味する『グリムリッパー』をちょっと縮めたのだ。初めて電源を入れた時は『これでグロテスクなゾンビやお化けどもが画面にくっきり綺麗に映るぞ』とガッツポーズをした。そんな私の愛する彼氏にいたずらをするテレ子はなんとも許しがたい存在だった。
テレビが勝手に点いた時、初めは誤動作を起こしたのかと疑ったりもした。でもそれが本体やリモコンの故障の類でないとはすぐに分かった。それはテレビの電源のコードを抜いたにも関わらず電源が入ったからだ。さすがに手が生えて勝手にコードを差すような故障が起こるはずもないので、この世のものではない奴の仕業に違いないという結論に達したわけだ。
私はちょっと気持ちの悪い女の子だった。
異質なものは友達の輪からはじき出される。共通の話題を持つことのできない私は、女の子の輪の中には当然入っていけなかった。それではと思い、遊び相手を男の子に求めようとしたがそれもことごとく失敗した。当時、二件隣に住んでいた純君という、同い年くらいの男子と仲良くなろうとしたのを今でも覚えている。彼は私がリュックからゾンビマスクを取り出して以降、ぱったりと遊んでくれなくなった。私がそのマスクを被りながら『お゛お゛お゛ぉぉ』と本気のゾンビ声を出して追いかけ回したのもいけなかったと思う。私が敵役で、倒す役を彼にゆずってあげたつもりだった。
このホラーに対する異常な耐性というか好奇心はどこから来るのか、私自身よく分かっていない。私は父と母、そして三つ下の妹に囲まれた、ごくごく普通の家庭に育った。大きなトラウマを受けるような事件だとか事故に見舞われた記憶はない。両親は他の子とは違う方向にしか興味を持てない私に戸惑いながらも、こうして社会人として一人暮らしできるまで立派に育ててくれた。この性格はおそらく生まれついてのものだと思う。
むしろトラウマを抱えてしまっているのは妹の方だ。もちろん原因は私。妹は遊び相手がいない私の格好の餌食だった。幼稚園時代にオオカミ男が出てくる映画に散々つき合わされたせいで妹は今でも犬系の動物が苦手だ。ブルドッグのようなハンマーでちょっと叩いて潰したような顔の犬でも駄目だ。そういった経緯もあり、妹は私とは正反対に怖いものが大の苦手である。妹はホラー映画で例えるなら事あるごとにキャーキャー騒ぐ、いわゆる足引っ張り役だ。でもそんな子に限って男子にモテるのも事実だ。男の人って自分より弱い子を守ってあげたくなるらしい。私は武器の扱いに長けて終盤までカップルを守ってしぶとく生き残った上で、最後のどんでん返しでやられる役だ。
自分の好きな事を大っぴらに主張しつつ、無邪気に遊べるのはせいぜい小学校低学年ぐらいまでだった。それより上の学年になる頃には私にも『自分の好きな事は変なこと』という自覚が生まれ、友達の輪に入っていけるよう、人前では素の自分を隠すよう努力するようになった。でもクラスという集団は既に私に『ホラー女』という卒業するまで覆し難い二つ名を付けていた。私はもう開き直って魂の入っている人間と友達になるのを諦め、魂の入っていないゾンビやモンスターと妄想の中で友達になる道を選んだ。大勢といるときは出来るだけ人畜無害な観葉植物になろうと心がけた。そして一人の時は映画やゲーム、そして妄想など様々な場所で私はこの世のものではない者と闘い続けた。そんな生き方は小学校を卒業して中学、高校を経て社会人になった今でもずるずると引きずっている。
幼稚園時代の将来なりたい職業にゴーストバスターと書いていた私だが、現実世界で亡霊やゾンビの大群が襲ってくる事はなく、私は営業事務という肩書きで社会を動かす歯車の一部になった。相変わらず友人はおらず、人生を共に歩む候補になる男性もいない。亡霊やゾンビばかり相手にしているうちに、魂の入った生の人間との付き合い方が下手な大人になってしまった。頭の中では人にあだ名をつけたり好き勝手言ったりしているが、それはただの無口な外面の裏返しなのだ。部屋の中でおバカなことをしてしまうのは、素の自分を出せない反動でしかなのだ。肌の色が白いと時々羨ましがられるが、それはただの出不精の副作用なのだ。テレビに映るゾンビや幽霊に夢中になってよく目の下にクマを作っている私自身が亡霊のようだと時々鏡を見ながら思う。
皮肉なことに私に霊感というものは一切ない。聞こえる音も、見える物も、寝るときに見る夢も、おそらく普通の人と同じだ。高校二年の夏休み、一度だけ本当に恐ろしいと評判の心霊スポットに一人で行ってみたことがある。宿を取り、電車を乗り継ぎ、日付が変わる時間を見計らって訪れたその場所は、一言で表すなら『ただの小汚いトンネル』だった。トンネルの真ん中まで進んで『もしもーし』と話しかけてみたけれど、地縛霊からの返事は無かった。代わりに反対側の出口から大学生らしき男女数人の慌てる声と急いで車を発進させる音が届いてきた。そのまま一時間ほど粘ったけれど何も起きなかったので私は『だめだこりゃ』と独り言を言って宿へと引き返した。もう現実の幽霊にはもう期待ができそうもない、そう思った。そういった訳でテレ子は私が遭遇する初めての幽霊になる。
私がこのアニマート二百二号室に越してきたのは約一ヶ月前のことだ。電車の通勤ラッシュにどうしても耐えられなくなり、それを回避できる条件の地域を探して引っ越してきた。この街にはしみったれたお店が多い。バーもラーメン屋も古着屋も映画館も何かどこか小さいのだ。そして床の端っこがちょっと汚れているような、そんな雰囲気をはらんでいる。引っ越し前に周囲をブラブラした時、街全体がちょっとしたお化け屋敷みたいだと思った。それに手の届く範囲にものが揃っていて落ち着くような感覚があった。この街は私の腕の長さにぴったり収まるくらいの大きさだった。今にして思えば、前に住んでいた街が私にとって広すぎたのも引っ越しを決める理由の一つにあったと思う。毎日同じ道を歩いていても何だか迷子になっているような気分だった。
不動産屋から『アニマート』という名前を聞いた時、最初アニメオタクの大家なのかなと若干不安になった。不動産屋のおっちゃんが運転する車の助手席に座りながら、アパートの壁に異様にでっかい目をしたキャラクターでも描かれていたら流石に住むのをやめようと考えていた。でも実際に壁に描かれていたのは水色空と雲、そして目と口の付いた太陽だった。正直センスが悪かったが住めないほどではないと思った。
港に積まれているちょっと錆びたコンテナを並べたような二階建ての四角いぼろアパートだったので最初は住もうかどうか少し悩んだ。でもアパートの特長を聞いて私はここを根城にしようと決めた。必要最小限の大きさにまとめられたキッチンやお風呂場、そして八畳ちょっとのリビングと狭いベランダ。当然オートロックなんていうバリケードはないが、それを上回る魅力があった。壁や窓がとっても厚いのだ。音を通さないのだ。これは映画とゲームをこよなく愛する私のハートを一発で打ち抜く魅力だった。引っ越しした当日、調子に乗ってリビングでラジオ体操を二番まで踊ってみたけれど、苦情は一切来ることはなかった。
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右隣には二十歳前後の女子大生らしい子が住んでいる。ドングリとか小さいものを集めるのが好きなリスっぽい小動物系の印象の子だ。この人もやはり最近元気が無いようで、昨日も家の鍵を開ける時に肺の中の空気を全部出すくらいの勢いのため息をついていた。それにここ数日は寝坊をやらかしているらしく、顔色悪く走っているの姿を朝見かける。
唯一元気があると言えばすぐ隣に住んでいる大家のおばちゃんだが、こちらは『賑やかな』というより『口うるさい』に近い。引っ越しの挨拶をしに行った時、初対面の私に向かって『そんなに色白くて大丈夫なの?ちゃんとご飯食べてるの?』という言葉をかけてきた。面倒くさそうな人だなという印象は当たっていて、今朝も『ゴミ袋の口の縛り方がよくない』なんていう針みたいに小さい事をネタにツンツンつつかれた。大家のおばちゃんも最近気分が良くないらしく、イライラ気味なようだ。
まあ、隣にどんな人が住んでいようが、厚い壁があれば気になることは無いし、大家のおばちゃんとも鉢合わせしないように気を付ければいいだけの事だ。生きていく上で大した支障じゃない。
住んでみて分かった事だが壁の厚さ以外にも私を魅了するポイントがこのアパートにあるのが分かった。それが『シネマンドラゴラ』とかいうレンタルビデオ屋がすぐ近くにあることだ。そのビデオ屋はアパートから歩いて五分もかからない場所にあり、マンドラゴラに対する殺意の高い意味不明なネーミングセンスもさることながら、雰囲気がとっても私好みでお店に入るだけでちょっとくらっとしてしまう。
まず、真っ黒いカーペットが敷かれたやたらと奥に細長い店内が、まるで未開の洞窟のような雰囲気を醸し出して私を出迎えてくれる。扱う映画のチョイスもマニアックなホラーやB級ものが多い。店員の男性も骸骨みたいなガリガリ体型で、もう何回も洗濯したであろう薄いジーンズとハイテクなバスケットシューズを履いて、黄色いエプロン姿で店内をうろついている。うろついていると言っても決してサボっている訳じゃない。ちゃんと返却されたDVDやらブルーレイを棚に返すという仕事が彼にはあるのだ。でも私には死人か何かが徘徊しているようにしか見えない。勝手にスカル君というあだ名を付けて、よくビデオ屋の不安定な棚を挟んで擬似ホラー映画ごっこをしている。角にあるカーブミラーのような防犯用の丸い鏡に彼の姿が映ると私は『きたっ』と思ってこそこそ逃げ回って鼻息を荒くしている。
スカル君の他にもバスターってあだ名を付けた背の低い女性店員とかニードルってあだ名を付けたやたら背の高い男性店員だとか、とにかくこのビデオ屋は個性的なメンツで構成されている。全員ひょろっとしているので、平均体重を引き上げてくれるような店員がいればいいホラー映画が撮れるのになあと思っている。ビデオ屋を舞台にマンドラゴラが頭にくっついてゾンビ化した人間相手に、店員が泥臭い籠城戦を繰り広げる脚本が私の頭の中に大体できている。それぞれが持つ武器とやられる順番についてもほぼ決まっている。
他にも店内に流れるピコピコとした謎のBGMや、可愛くないオリジナルキャラクターなど語り出したらきりがない。住んで一ヶ月たらずなのにこれだけダラダラと語ってしまうくらいこのビデオ屋は私の心を虜にしている。
そんな私なのでテレビをとっても溺愛している。テレビは私の彼氏である。引っ越しを機にプレイヤー内臓の縁が黒く角が鋭いかっこいいやつを思い切って買った。買うと決心するまで二週間近く悩み、お迎えの前日はウキウキしながら滅多に歌わない鼻歌を口ずさんで床にコロコロにかけていたほどだ。部屋に忘れ物をした時、靴を脱ぐのが面倒という理由で、土足のままドカドカ上がってしまうぐらい適当な性格の私がそれだけするのだから思い入れはひとしおだ。きっと彼氏を家に呼ぶ時はこんな気分なんだろうなと思った。お出迎えした日は帰りがけに立ち寄った百円ショップで蓄光性のシールを買ってきてデコレーションを施し、早速『グリッパーくん』というあだ名をつけた。英語で死神を意味する『グリムリッパー』をちょっと縮めたのだ。初めて電源を入れた時は『これでグロテスクなゾンビやお化けどもが画面にくっきり綺麗に映るぞ』とガッツポーズをした。そんな私の愛する彼氏にいたずらをするテレ子はなんとも許しがたい存在だった。
テレビが勝手に点いた時、初めは誤動作を起こしたのかと疑ったりもした。でもそれが本体やリモコンの故障の類でないとはすぐに分かった。それはテレビの電源のコードを抜いたにも関わらず電源が入ったからだ。さすがに手が生えて勝手にコードを差すような故障が起こるはずもないので、この世のものではない奴の仕業に違いないという結論に達したわけだ。
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