テレ子

倉田京

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誕生日プレゼント

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 犯人の居場所を聞きだした私は警察に匿名とくめいの通報を入れた。そしてアパートから一歩も出ず、ひたすら真っ暗なテレビと向き合ってその時を待った。

「何か動きがあったらテレビを点けて教えて」

 そう約束した。
 待っている時間はすごくすごく長く感じた。もし私の通報が信じてもらえなかったら。犯人に逃げられてしまったら。別の誰かが襲われていたら。そんな事ばかりが頭の中でぐるぐると回って眠ることができなかった。ただじっとしている事もできず、もしそんな事が起きた時は、この子とどう協力すればいいかをテレビの前に座りながら考え続けた。そして思いついた方法を一つ一つ紙に書き出していった。私の心の中に『逃げる』という言葉は無かった。どうしても犯人を捕まえるという気持ちだけがあった。考えられるすべてのパターンを書き終えると、黒い画面に反射する自分の姿と向き合う時間が訪れた。もし私が被害者の子と同じ状況なってしまったらと思った。分かってもらえないと知っていてもなお、見ず知らずの誰かの為に同じ事ができるだろうか。きっとできないと思う。そう考えると優しくて勇気がある子がこの世から消されてしまった不条理ふじょうりさに、やるせない気持ちがこみ上げてきた。

 火曜日の早朝、テレビが点いた。
 私はテレビを消し、目を閉じて聞いた。

「捕まったの?」『YES』

 全身から力が抜け、眠気で意識が一瞬すとんと落ちた。今すぐにでもベッドに倒れこみたい衝動にかられた。でも私にはやるべき事があった。私がこの子の為にできること。
 私はテレビに向かって問いかけた。

「ねえ、心残りはある?」『YES』

 私はそのまま五十音表を使ってその子の心残りを拾い出した。三時間近くかかって全てを書き終えた頃、意識が途切れた。
 夢をみた。私は小さい頃の自分になり、赤いリュックを背負って住宅街を歩いていた。その街は生まれ育った場所であり、今住んでいる街でもあり、いつか訪れたことがある街でもあった。記憶の中に残っていた街並みをバラバラにして繋ぎ合わせたような風景だった。私は迷子だった。気がつくと高校生くらいの男の子に手を引かれて歩いていた。私たちは細い路地を抜けて車が通る大通りを渡り、その先の公園にたどりついた。初めて見る公園だった。そこには沢山の子供が遊んでいた。手を引いてくれた男の子はいつのまにか居なくなっていた。夢はそこで終わった。
 目が覚めると夜になっていた。私は真っ暗な部屋の中でつぶやいた。
「ねえ、まだそこにいる?」『NO』
 テレビが勝手に点くことはもう二度となかった。

 『菱田ひしださとし』それが被害者の子の本名だった。十七歳、まだ高校二年生の男の子だった。母親と二人暮らしをしていた自宅アパートの廊下で彼の未来は突然奪われてしまった。ノートパソコンに映し出されたニュース記事の『強盗』『殺害』『遺体』『刃物』という単語の一つ一つがペンチのように私の胸を締め付けてきた。私はその現場に行かなくてはいけなかった。そして彼を一番最初に見つけた母親に会わなければいけなかった。彼の心残りを渡す為に。

 記事を頼りに訪ねてみると、聡君の母親は事件が起こったアパートを離れていた。私は周囲に住む人々や不動産屋にひたすら頭を下げて周り、居場所を聞いてまわった。聡君とは年齢差があり、まったく別の場所から来た無関係の人間である私に、全員いぶかしみの目を向けた。月曜から突然欠勤した挙句、休みを取りまくったおかげで会社の上司にも散々嫌味を言われた。でもそんな事は苦にならなかった。

 居場所を訊ね始めてから四日目、身を寄せているという知り合いの方の住所を教えてもらう事ができた。私はその家を訪ねた。母親は恵子けいこさんという名前だった。やつれて沈みがちな目をしていて、事件が起きた自宅アパートからはもうすぐ引っ越す事を決めたと教えてくれた。そんな彼女に『その場所に連れて行って欲しい』と頼むのはとても勇気がいった。『なぜ?』と聞かれて何と答えていいか分からなかったからだ。私は嘘をつこうと思った。人前で素の自分を隠す為に、嘘を作り出すのには慣れていた。でも私は彼の心残りを書き移した紙を見せ、自分の身に起こったことを全て正直に話すことにした。彼女は信じてくれた。紙の最後には母親に向けた感謝の言葉と、支えてあげることが出来なくなってしまった事への謝りの言葉があった。そしてその中に母と子だけに通じる思い出が書かれていた。小さい頃に連れていってもらった公園の記憶だった。きっと彼は私が嘘をつかないで済むようにと思い、その一文を残してくれたんだろう。そう思うとまた胸が痛くなった。

 二人が住んでいたアパートにはもう生活感を感じるものは残っていなかった。聡君の部屋からも全ての荷物が運び出されていた。壁の色でベッドと勉強机があったらしい場所がかろうじて分かった。カーテンも既に外されていて、がらんとした室内に足音が響いた。クローゼットの扉の裏、見えない場所に鍵が隠してあった。彼は母親へ宛てた誕生日プレゼントを、鍵のかかった勉強机の引き出しにしまっていた。それが彼の心残りだった。

「中身は一生見ないつもりでした。鍵が見つからないのは、あの子の意思だと思ったんです。いつか心の整理がついたら、服と一緒に天国に送ってあげようと、そう考えていました」
 鍵を受け取った恵子さんはそう言って涙を流した。そして息子の名前を小さく何度もつぶやいた。
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