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第五章
重ねられた嘘(2)
しおりを挟む学院内には来賓室が点在する。
性質上、貴族が何泊も泊まり込むという事はさして珍しいことではなかった。慌ただしい足音。荒々しく開かれる豪華な扉。目尻を釣り上げたフーポーが部屋の主を睨視する。
「いらっしゃる頃だと思いました」
優雅に紅茶を飲んでいたヨンリィを殴り飛ばした。
「……ぃっ! あ、っ、親父にさえ殴られた事は少ないのに」
芝居がかった口調で嘆く。口の中を切ったのか、緑色の血が滴った。ヨンリィの胸ぐらを掴んで体を引き上げる。似たような顔が並んだ。傍に控えていたカルナは介入しない。
「どうしてヨルシャに話したんだ」
「はて、どの話でしたか」
「とぼけるな。目を離した隙に脅迫に行くなんて」
「人聞きの悪い。私は最初に申し上げましたよ。『酷い遊びをしておられますな』と」
余裕のある表情で嫣然と微笑み、胸ぐらを掴んでいた手を払いのけた。
ぐしゃぐしゃになった服を正し、横倒しになった椅子を直す。服に付いた砂埃を払うと何事もなかったように座った。空になっていた陶器のティーカップに紅茶を注ぐ。
「遊びなんかじゃない。ヨルシャは僕の大事な」
「大事な弟子ですか? 戯れもほどほどになさいませ。出自もいずれ知れること。隠し続けられると本気で思っていたのですか? 貴方は国王、それが真実です。結果的に傷つくのは、貴方を師として慕っている娘の方ですよ」
指摘されてフーポーは押し黙った。
「時がきたら言うつもりだった」
拳を握る。静まらぬ怒りに震える呟きを、ヨンリィは鼻で笑う。
「時が来たら? いつです。歌花祭は終わった。もう師匠と語らなくても良いはずだ。しかし此度の問題が発生しても、貴方は『白家縁の者』という偽りの肩書きを押し通した。それは、ばれるまで平民のふりをしたかったから……違いますか?」
反論は無かった。沈黙したまま開いている椅子に腰掛け、片手で頭を抱える。
様子を眺めたヨンリィの口から大袈裟な溜息が零れた。
「全く。どちらが年上だか分かりませんね。勘弁してくださいよ。私は一児の父親でも、まだ若者気分でいたいんです。それで、血相を変えて来たと言うことは喧嘩になりましたか」
翡翠の瞳が黒髪の間から見える。
「ほっといてくれと言われた。国に帰れと」
くぐもった声に絶望感が滲んでいた。ヨンリィが肩をすくめる。
「当然ですね。言っておきますが、私は一臣下として間違った事をした覚えはありませんよ。議会からは『陛下が好意を抱く娘を見つけたら。拉致してでも連れてこい』って、言われてるんですから、紳士的な私に感謝して頂きたいくらいです」
「分かっている」
苛ついた声音は胸中の葛藤が故だろう。
「ま、無理強いはよくないですからね。二度も迫ったりしませんよ」
「父上は単に面白くなればいいだけの話でしょう」
「それはそれ、これはこれ」
間を入れずに突っ込んだカルナに陽気な声を返す。何杯目か知らない高価な紅茶を水のように呷ると、近くの椅子で苦悩している主君に向かって、持ち前の笑みを向けた。
「さて、八つ当たりも気が済んだでしょう。仲直りに行かないんですか?」
酷い顔をしているフーポーが、虚ろな目で立ち上がった。
奇妙なことに、心は意外と穏やかだった。
少年王は何故ヨルシャが此処にいるのか訊ねるわけでもなく、どうでも良いことを口にする。此処の学院の料理で、煮物は美味しいだとか、炒め物はまずいだとか、寝台の蒲団が堅くて全く眠れなかったとか。くだらない事ばかりだ。
それでも何となく耳を傾けていた。
「夢?」
夢の話になった途端、深緑の瞳を輝かせた。無邪気な笑顔が可愛いと思った。
「我は西武帝のような、立派な竜王になると母上に誓ったんだ」
西武帝。各西国の基礎となった二大竜王の一人だ。
第二次世界大戦で、砂国を攻め滅ぼしたと言われている。武術に秀で、あらゆる武具を使いこなし、火を操る力は桁外れで岩すらも溶かしたという。たった一人で敵軍の宿営地に乗り込み、五千の兵を再起不能にしたという伝説の狂王。
竜族にとっては英雄でも、人間にとっては殺人犯である。
「へえ。あんた人殺しになるのが夢なんだ。あんたの母上の顔がみたいもんね」
不快感を露わにして、つい憎まれ口を吐いていた。
言ってしまってから我に返る。こんな子供相手に、本気で文句を言ってどうするのか。
これでは単なる八つ当たりに過ぎない。
謝ろうかと考えたが、少年は既に冷静さを欠いていた。
「母上と西武帝を愚弄する気か。貴様が妻でなくばその罪、万死に値するぞ。口を慎め」
不遜な物言いに、謝罪の気持ちが失せていく。
「私はボーヤの嫁になった覚えはないし、事実を述べたまでよ。そっちの国では英雄かも知れないけれどね、人間にとっては世界大戦を始めた二大悪党で大量殺人犯よ」
「悪党ではない! 偉大なる救い主だ!」
「なんでそんなことが言えんのよ。どんな教育を受けているわけ? 西国がボーヤみたいな連中ばっかだと思うと吐き気がするわ。東国の方がまだまともね」
売り言葉に買い言葉。
堪りに堪った不満や気疲れが漏れていく。少年王はヨルシャの言葉を鼻で笑った。
「東国がまともだと? 笑わせる。イルノュドの王は頻繁に王座から消え、女も男も囲っているばかりか、流れ者を面白半分に孕ませ海に流したという噂だってある、何処がまともか!」
かっと頭に血が上った。
「恥を知りなさい! イルノュド王は確かに出奔したかも知れない。けど、自分の足で街を歩いて人々を見てる。あんたみたいに噂で人を判断したり、侮辱したり、我が儘で周囲を困らせたりしないわ!」
祭の夜に、フーポーは愚痴を零した。
自由を望めば、他人に困ると言われる。望まないのに、責任を押しつけられる。
妻も子供もいたけれど、周囲によって引き離されてしまったと。
ぱき、と乾いた音が響く。
振り向いた先には、いつから居たのかフーポーが棒のように立っていた。
「えぇっと今来たばっかりで、決して聞き耳をたててたわけじゃなくて」
慌てながら両手を振っていたが、明後日の方向に視線をそらす。
「あの、ヨルシャに話があってきたんだけど、邪魔だったかなーなんて。……ごめん」
間の悪い男である。
「貴様、何者か」
まるでヨルシャを庇うように間に立って尋問した。
「そのー…、ヨルシャの師匠をしていた者で」
言い淀んでいると、ルイシアはふんと鼻を鳴らした。
「我が妻の師匠か。丁度良い。不貞勝手な東のトカゲを庇い、我が崇高なる目標を愚弄したのだ。厳しく諭してやってくれ。我は気分が悪い故、部屋に帰る」
何とも言えない表情でルイシアを見下ろしたフーポーはヨルシャを一瞥すると「分かりました。お任せを」と頭を垂れて、型に填った返答を返した。フーポーが国王だという話は、国家機密に類する事項だ。侮辱されて激昂し、正体を明かすほど愚かな真似はしない。
答えに満足したらしいルイシアは、胸を張って颯爽と立ち去っていく。
ヨルシャとフーポーだけが残されて、嫌な沈黙が降りた。
少年王の侮辱が脳裏から離れない。
「なんで文句を言わないの」
怒りのやり場が分からない。
「莫迦にされたのよ。よく知りもしないで罵られたのよ。なんで言い返さないの」
噂は、どうとでも解釈できる。少年王も同じだろうが、あたかも異常な王の様に侮辱したのが許せなかった。フーポーは奥さんと子供を愛していた。周囲の暴論によって、引き裂かれただけなのだと。
言ってやりたかった。
「ヨルシャが代わりに怒ってくれたから、いい」
淡泊な返事に何かが込み上げる。堪えるように歯を食いしばった。
足音が近づいてくる。視界の隅に黒い革靴が現れた。服が汚れるのも構わず膝を折って芝生に座り込み、椅子に座ったままのヨルシャを見上げた。
「ごめん。言いたくなかったんだ。僕は単なる飾りなのに、家のことを言うと……誰も一個人として扱ってくれないから。ヨルシャもそうなったらどうしよう、って思ったんだ」
愁いを帯びた顔が、隠していた感情を吐露していく。
「フーポー……」
ヨルシャはそっと手を伸ばし、
「いだだだだ!」
頬をつねり挙げた。
「莫迦言ってんじゃないわよ。つまりなに、このヨルシャ様が色目を使うとでも思ったわけ? 大金持ちだと知ったら『あーんフーポー様ぁ』なんて言うとでも思ったわけ? 見くびるな」
「だからごめんって言ってるじゃないか」
「だまらっしゃい!」
「いひゃーい、いひゃーい、いひゃーい」
顔の形が変わるのではないかと思うほど目一杯に白磁の頬をつねりまくったヨルシャは、ゴムのように伸びた頬を放した。涙目で赤く腫れ上がった両頬をさするフーポーを見下ろす。
「あんたは私を哀れむどころか見くびった。私がお金に執着することを知って態度を変えるんじゃないかと考えて、黙っていた」
「だから謝ってるのに」
「でも最初から立場を知っていたら、私は態度を変えたかも知れない。否定はしないわ」
翡翠の瞳が丸くなる。
否定はしない。最初から竜王だと知っていたら、媚びていただろう。黙っていたフーポーが悪い訳ではない。誰だって隠しておきたい秘密の一つや二つは抱えているものだ。
「だから、おあいこ」
ヨルシャは立ち上がって手を差し出した。
フーポーが動かない。ヨルシャは反応に困り、慌てて自分の両頬をつねった。
「片方だけ暴力振るうのは不公平よね。私のもつねる? 叩いても別にかまわないけど」
「抱きしめていい?」
「……また変態って呼んでほしいわけ」
「そうじゃなくて。嬉しいから」
無邪気に笑うフーポーにあてられて、ヨルシャは照れた。
「仕方ない。この寛大なヨルシャ様が許しましょう。二度はないから光栄に思うことね」
照れ隠しとは言えども、あんまりに不自然な態度は笑いを誘う。フーポーは硝子細工に触れるように、ヨルシャの小柄な体を両手で包み込んだ。
「にまにまして気持ち悪い。変なことしたら、跪いて靴を舐めて貰うわよ」
「それは嫌だなぁ。でも、許してくれてありがとう」
抱擁する腕に力がこもる。気恥ずかしいが悪い気はしない。
目を閉じた。さらさらと零れる黒髪の絹のような肌触りが気持ちいい。
心音が――近い。
「そして二人は永遠の愛を確かめ合ったのであった、めでたしめでたし」
突然聞こえた第三者の声に、顔を上げた。視界が黒に覆われる。フーポーが動いていた。声の発せられた方向に向かって大きく蹴り上げる。弧を描いた足は空を凪いだ。
「ちっ、逃したか」
心底悔しそうに呟く。植木の影から、仮面を付けた長身が現れた。
「ふふふふふ、そう何度も殴られると思わないでくださいよ。私は貴方よりも武芸に秀でているんですからね。先ほどのは、一種のお詫びです」
フーポーの身代わりを務めているヨンリィだ。
話が見えない。
「なんのこと?」
溜息を零すフーポーを見上げると、片手で頭を抱えていた。
「いや、こっちの話。ごめん。ヨンは昔からあんな性格で、僕らも手を焼いてるんだ」
「人をおちょくって痛い目を見るのが、三度の飯よりも好きな変人なんです」
全く別の場所から声が響いた。柱の影から、いつから居たのかイルノュド国家声使節改めパイ・カルナが書類を片手に無表情でやってくる。
「……我が子に酷い言われようね」
周りに他の人間が居ないことを確認してから、声を発した。
万が一、学院の人間に見られたり聞かれたりしたら大問題だ。警戒を払うに越した事はない。しかしそんなヨルシャの気遣いを知ってか知らずか、大袈裟な素振りに加えて喋り続ける。
「こんな冷血漢に育てた覚えはないのに」
泣き崩れるヨンリィの一歩後ろで、カルナは動じることなく答えた。
「子供は親の背を見て育つもの。貴方の背を見てまともに育った私は素晴らしいと思いますが? 恥ずべき振る舞いはお控え下さい」
泣き真似をしていたヨンリィが、不敵な笑みを口元に浮かべて立ち上がった。
「ふふふ、年頃になった所為か、いつもよりつれないじゃないか。遠慮することはない、父はいつでもお前を愛しているぞ。母さんにも仕事の様子を見せてやりたい」
抱きつこうとする父親の顔面を、片手で鷲掴んだカルナを見て、フーポーが呆れる。
「相変わらずだな、君達は」
「眺めていないで止めてください。これ以上、男色の噂が増えたら、どうなさるんです」
いい加減離れろとばかりに、ぎりぎりと指先に力がこもっていく。
「男色の噂って」
「傍目には僕とカルナが仕事以上の関係に見えるから、そう言う噂が立つことも少なくないんだ。都合上、噂を利用することもあるけどね。従兄弟ながら何故こんな性分になったのか見当もつかないよ。で、なんのつもりだ」
従兄弟って本当だったのか、と心の中で呟く。
其れまで親子漫才を繰り広げていた二人は、姿勢を正して答えた。
「何って、お二人が仲直りされたようでしたから、私達もお詫びにきたんですよ。どの面下げてと思われるでしょうが、私も土足で踏み荒らす様な真似をしましたから、悪いと思ってるんです。ヨルシャ殿」
びくっと体を硬直させたヨルシャの前に跪く。
「先ほどの非礼をお許し下さい。役所勤めというのも色々立場がありまして、決して言い訳をするつもりではありませんが、二度と脅迫めいた真似は致しません」
言い訳しているじゃないか。
とでも言いたげに、フーポーが冷ややかな目で見下ろす。
黒仮面のヨンリィに続いて、青い目のカルナが感情に乏しい顔をヨルシャに向けた。
「父が失礼を致しました。度が過ぎたのは、私の監督が行き届いてなかった所為もあります。今後、二度とこのような無駄な面倒を起こさないように気を配りますので」
謝りに来てくれたことに、胸が温かくなっていく。
「もういいです。私も色々ご迷惑をかけましたし」
頭を下げながらヨルシャは思う。
ヨンリィやカルナからすれば、こんな見窄らしい小娘を主君に近づけるのは、不本意に違いない。まして謝罪をするなどと、貴族に誇りに傷をつけていないか心配になっていた。立場も身分も全く知らない状態でフーポーと知り合ったとはいえども、本来は気安く接して良い相手ではない。
顔色を伺うヨルシャを見下ろしたヨンリィは、何かを思いついたのか腕を広げた。
「そうだ、私も仲直りの印に、熱ーい口付けを贈りましょう! さあヨルシャ殿!」
隣にいたカルナが拳骨で殴り飛ばした。
一瞬の早業に、呆気にとられる。
「苦労してるのね」
「まあね」
誰にともなく呟いた言葉に、フーポーが呼応した。
「さて変人の躾は後ほどにするとしまして、陛下は現在、身分を秘匿とし一学生として此処へ留学中です。他言はなさらないように。表向きは父が陛下の身代わりを務めています。従いまして、陛下付きの秘書である自分は、父に付き添いますが、ご用がありましたらお訪ね下さい」
爽やかに話しかけるカルナの傍らで「でも私としては親子の会話も増えて嬉しいかな、なんて思っているんだよ。そして才色兼備で眉目秀麗な私の若い頃に瓜二つで」などと、聞いてもいないのに親莫迦っぷりを披露し続ける男がいたが、もはや無視して話は続く。
「ヨン様が貴方のお父さん、なのよね?」
「それがなにか」
眉を顰めたカルナを不躾に見つめてから、ヨルシャは満足げに頷く。
「ヨン様はフーポーと似てるけど、やっぱり貴方の方が似てるわ」
フーポーとヨンリィが並ぶと、顔も背格好も似ている。双子であると言っても申し分ないほどだが、間近で見ると微妙に違う。其れを隠すための仮面だろう。
けれどカルナの場合は親子と言うだけあって、目尻や鼻筋や顔つきといった細かいところが似ていた。これで瞳の色が翡翠なら益々似るだろう。
すると堅かった表情が和らいていく。
「無理もありません。父は竜族ですが、私は母の血を色濃く受け継ぎ人の生を授かりました。今年で十六になります。父は百八十一歳ですから、私と父を兄弟と見間違う方はとても多い」
「やっぱり私と同い年なのね。いいなぁ、竜族って長寿で若作りで」
羨んだヨルシャに、殴られた所をさすっていたヨンリィが苦笑を返す。
「そんなに良いものでもないのですがね」
「一段落ついたところで、そろそろ引き上げませんか。長話は推奨できません」
長い間、人目のつく場所で話し込み続けるのは確かに危険だ。
ヨルシャも明日は一限から授業がある。
「それじゃヨルシャ殿、また明日お会いしましょう。行きましょう、陛下」
「あぁ分かった。きちんと戸締まりして寝るんだよ、暖炉の火もちゃんと消して」
「分かってるわよ、おやすみなさい」
別れて来た道を戻っていく。
実際、何の問題も解決していないが、フーポーとの仲が元に戻ったのは嬉しいことだ。
流石に、軽口を叩いて気ままに学外へ遊びに出て、と言う今までのような真似は難しくとも、お目付役達から「また明日に」という言葉を貰えた以上、会いに行くのは許されるだろう。
行きと違って、心は軽い。
もうじきサンドミア寮につこうという時、激痛が右肩を通り抜けた。
叫ぶことも忘れて体を崩す。前のめりになって、地面に膝をついた。
右腕に力が入らない。流れるように視線を動かすと、白い制服は黒に染まっていく。
生臭い。懐に持っていた幻月岩の小石で光を当てると、赤黒い液体が制服を染め、指を伝って地面に水溜まりを作っていた。ぬるりとした感触。
これは血だ。
肩から、何か鋭利なものが飛び出している。包丁を細く長くしたような刃物だった。
刺されたのか。認識した途端、全身から汗が噴き出した。
心臓が早鐘のように鳴り響く。
圧迫感が背中を襲った。
強引な力で地面に叩きつけられる。感触で踏みつけられているのだと悟るのに、時間はかからない。右手が動かない。背中から圧迫されて胸が苦しい。襲ってきた何者かの体重が益々ヨルシャを襲った。骨が悲鳴を上げる。
何かが砕ける鈍い音がして、刃物が引き抜かれた。
刺された時とは比べものにならない激痛が走り抜ける。
「ぃああぁあぁぁあぁぁぁぁぁぁあああ!」
頭を蹴り飛ばされた。肩が痛い。背中が痛い。何処の痛みか、分からなくなっていく。
激痛が走り、鮮血が溢れ続ける肩を掴まれて仰向けにさせられた。
体格からして男だろう。その上、何人もいる。
布を被っていて顔が分からないが、皆が歪な形をした刃物を持っていた。針のように細い短剣、三日月のように反り返った短剣、槍のような物もあれば、使い方すら分からない折れ曲がった刃物を背負っている者さえいた。いずれも巷で見ない品ばかり。共通して言えることは、全員が血走った目でヨルシャを見ていること。
うちの一人に頭髪を鷲掴みにされ、顔を観察された。男達は無言で頷き合う。
喉元に光る、銀の刃。
痛い。怖い。
痛い。いたい。こわい、だれか、たすけて、死にたくない!
「ヨルシャ!」
フーポーの声がした。遠くから複数の足音が近づいてくる。
ヨルシャを踏みつけていた男達は、一斉に声の方向を振り向いた。男の体がずれたことで、持ち上げられていたヨルシャの視界が開ける。
廊下の果てに、フーポーとヨンリィとカルナ、そして何故か少年王の姿が見えた。
四人の顔色が変化していく。鷲掴みにされた頭、ぶらりと垂れ下がった右腕、地面に広がる赤黒い血溜まりと血塗られた制服。たすけて、と唇だけが動いた。音は漏れない。
見知らぬ男達はヨルシャの首筋、心臓、手足にそれぞれの刃物をあてた。
動けば殺す、という意味だった。
「貴様等、未来の我が妻になんたる狼藉を。許さぬ!」
少年王が飛び出した。カルナが慌てて幼い体を組み敷き、取り押さえる。「放せ」と叫ぶサイデラーデ王の手足を封じ「お静まり下さい!」と一喝する。少年王が飛び出した為に、ヨルシャの首から一筋の血が流れた。刃が、薄皮に食い込んでいる。
吐息すらもろくに出来ない状況下で、ヨルシャは見た。
フーポーの目つきが変わっていく。其れはさながら獲物を狙う獣の目だ。無言で右腕を持ち上げる。人差し指が左から右へ、水平な線を引いた。
微風が止んだ。
刹那、突風がヨルシャ達を襲う。フーポーが腕を下ろすと、不審者の体が揺れた。
鮮血の華が咲いた。腰の当たりから噴水のように血液が飛び散った。ぐちゃり、と生々しい音を立てて、臍の当たりから上半身と下半身が分かれていく。男達は何が起きたのか分かっていなかった。不思議そうに体を見下ろし、血を吐いて痙攣を繰り返す。
死んでいく。
ヨルシャは頭髪を掴み挙げている男に視線を移した。
男は天井を向いていた。天井を向いたままの格好で死んでいた。
眉から上が無かった。他の男達と違って屈んでいた為だろう。男達の胴が切れた位置に頭があったのだ。後ろに『蓋』が落ちていた。脳髄や脳漿がこぼれ落ちて、地面を汚している。ずるりと後ろに倒れていく。
絶叫が、闇夜を支配した。喉の奥から声を絞り出す。
歌花祭前日の筆談が脳裏を過ぎった。
『<どういう意味です?>』
あの時。
『<旦那を怒らせると、タマも残らねぇって意味さ>』
命も残らないと嘲笑った酒場の店主。あの時の言葉の意味は、まさか。
「大丈夫か」
「よらないで!」
駆け寄った少年王の手を払いのけた。痛む腕を庇って後退る。痛い、怖い、気持ちが悪い。
「動くな、愚か者。大怪我をしてるんだぞ」
尚も近づく少年王を蹴り飛ばす。
小柄な体は簡単に転がって、血溜まりのなかに尻餅をついた。「何をする」と喚いている。ヨルシャは渾身の力でそこから離れようとした。意のままにならない手足を無様に動かして、血に汚れていない柱に縋りつく。
「あんたが歌花祭で、あんな事を面白半分に言ったりするからこうなったのよ! 命を狙われるのも、シエタと仲がこじれたのも、全部あんたたちの所為よ! 返して! 私の静かな時間を返してよ!」
膝を抱えるように小さくなって俯いた。
何故こんな目に合わなければならないのか、分からなかった。
誰も傷つけないように、生きてきたはずだった。
他人に過剰な干渉しなければ、干渉されるわけがないはずだった。
遠くから足音が響いてくる。生徒達なのか先生達なのか、知る由もない。全てがどうでも良かった。吐き気が込み上げる。肩の痛みが遠のいていく。指先の感覚も、頬を撫でる風の冷たさも感じない。
悪夢ならさめて欲しいと祈りながら、ヨルシャの意識は深い闇へ落ちていった。
応援ありがとうございます!
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