蘭月の流星

鏡 みら

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第一話

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「わー!お母さん!見て見て!あんなに星が沢山!綺麗だね!」
「……そうねぇ。星海せなはどの星が好き?」
「ん~あの大きい赤いやつ!」
「ほんと、とっても綺麗ね」
「お母さんは?どの星が好き?」
「私は……どれも好きよ。みんな、キラキラしてて宝石みたいだもの」
「……」
「お父さんどうしたの?」
「いや……何でも……ないんだ」
「泣いてるの?」
「違うよ、嬉しいだけさ」
「嬉しいとお父さんは泣くの?」
「いつかあなたも分かる日がきっと来るわ」
「そうなのかなぁ?」
「星海、見上げてごらん?蘭月らんげつの流星だ」
「わあぁああ、凄い凄い凄い!」
「あなた……」
「ああ、とっても綺麗だよ」
「星海?何してるんだ?」
「流れ星に願いを込めたんだ!お父さん言ってたもん!蘭月の流星は神様が流す涙で、その時だけは神様にお願いが伝わるって」
「……そうだな、でも何をお願いしたんだ?」
「それは僕と神様とのナイショ」
「ははは、それもそうだな」

「星海、あなたはこれからも強く、そして真っ直ぐな子に育ってね」
「え、えっ、そんなに強く抱き締められたら痛いよ」
「ごめんね……大好きよ。愛しているわ」
「……僕も、お父さんとお母さんが好きだよ」
「また、来年も来ような」
「うん!絶対!」
「約束ね」


どうやら少し眠っていたようだ
なんだか随分と昔の夢を見た気がする

「ご乗車ありがとうござました。まもなく~鳥花に到着します。車内にお忘れ物のないようお気を付け下さい。左側のドアが開きます、ご注意ください」

イヤホン越しに聞こえるアナウンスを聞き
固くなった身体をほぐすように腕を目一杯伸ばすとゆっくりと下車の準備を始めた


茹だるように暑い日照りが肌をジリジリと焼く
とめどなく額から零れる汗を胸ポケットにしまっておいたハンドタオルで拭い、顔を上げる

【鳥花駅】

外壁に書かれた駅名を確認し
ここが目的地である事を再確認する

古い記憶の中にある風景より
幾らか都市開発が進んだ駅は一瞬
降りる場所を間違えたかと勘違いしてしまうほどに様変わりしていた

腰の曲がった老夫婦の営む果物店
退屈そうにテレビを眺めている煙草屋も
まるで最初からそんなものはなかったと言いたげに背の低い商業ビルが建ち並び
吹き溜まりのような何とも言えない空気感は身を潜めているように思えた

すれ違う人の顔ぶれも昔とは少し違う
うんざりするほど見た皺だらけの顔ではなく
何かに追われるように切羽詰まった顔をしたサラリーマン達や、少し下の世代であろう若者達が横を通り過ぎていく

再び流れ落ちる汗を拭いながら日光で熱くなったスマートフォンに目的地へのルートを打ち込んだ

検索結果は徒歩で1時間
車なら20分といった所だった
この暑さの中、徒歩で行くのは自殺行為に等しい
その時、丁度タイミング良く目の前を通りかかろうとしたタクシーに手を挙げると、こちらに近付く形でゆっくり止まり、自動ドアが開かれる

車内に入るとよく効いた冷房のおかげで
みるみるうちに汗が引いていった

愛想の良さそうな運転手に行き先を伝えるとタクシーはすぐに走り出した

「今日、暑いですね」

そんな言葉が運転席から問いかけられ
バックミラー越しの運転手と目が合う

「ええ、本当に。連日これだけ暑いと参ってしまいそうです」

内心うんざりしつつ当たり障りのない返事を返す

「私は1日の殆どをタクシーで過ごしますからまぁ、そこまで辛くはないんですけど、外回りのサラリーマンとか見てると大変そうだなぁとか思うんですよね~あ、冷房の温度寒かったら遠慮なく言ってくださいね~」

大丈夫ですと短く返し、車窓へと目線を戻す
生憎、今は人と雑談を交わす気分ではなかった
運転手もそれを悟ったのか
にこやかな表情を崩すことなく
その後は何も話しかけてくる事はなかった

10分ほど揺られていると、車窓から見える景色は商業施設から田畑や木々へと移り変わり
舗装された道路はあぜ道へと変わっていく

目的地に近付くにつれ
記憶の奥底に眠る少年時代の思い出が少しずつ
そしてゆっくりと蘇っていくのを感じていた
微かな痛みを感じてふと、視線を下ろすと
無意識に拳を握っていたらしく
手のひらに付いた爪の跡が濃い赤色に変わっていた


「聞いてた住所はこの辺りですけど……どうしましょうか」
「ここで大丈夫です。ありがとうございます」

車はゆっくり減速し、路肩で止まった
料金を支払い、礼を言って車の外に出ると
押し寄せる熱気と共に再び汗が噴き出し
思わず眉間に皺を寄せる

「忘れ物しないようにして下さいね~」

座っていた席を確認し何も無い事を確かめると
タクシーは元の道を戻って行った

この辺りは駅前と違って記憶の中の思い出とさほど変わっていない
何処までも広がる長閑のどかな風景
懐かしい景色に安堵しつつ
浅くなっている呼吸を整え
陽炎が揺らめく道を歩き始めた

しばらく歩き三又に別れた道を右折する
竹林が生い茂る脇道に人ひとり程が通れる道が拓けており、その先をしばらく進むと懐かしい建物が現れた
辺りの家と比べても一際大きい屋敷には相変わらずインターホンの類は見当たらない
石造りの門塀に黒ずんで殆ど見えなくなった
鶴城つるしろの苗字を確かめ一息つく
ここまできて何を迷う事があるのだろうか
そう理解していても
なかなか一歩を踏み出す事が出来ない

門扉の前で躊躇していると
表の帳から見知った顔が現れた
その人は俺の姿に気が付くと
驚いた様に目を大きく見開き、力なく笑った




「星海……今、ちょっといいか」
「……何?」
「この人は美玲みれいさん。今日からお前の新しい母さんになる」
「初めまして……よろしくね。星海くん」
「……」
「おい、挨拶しないか」
「もう早速次の女かよ……」
「何だって?」
「情けねぇって言ってんだよ!!母さんが居なくなったら今度は若い女か?見損なったよ!」
「何だ!その口の聞き方は!!」
「準さん……私は大丈夫だから。ごめんね?星海くん。いきなりそんな事言われても困るよね」
「俺は絶対っ……認めない!!」
「全くお前はいつまで子どもみたいな事言ってるんだ!!」
「……何だよ、それ。じゃあ親の言う事に従順である事が大人って事なのかよ!違うだろ!自分に都合の良い事ばっかり押し付けて、それが通らなければ大人になれ?ふざけんな!俺はあんたの子どもである以前に一人の人間なんだよ!」




深く刻み込まれた隈、生気のない瞳
あんなにも若く美しかった面影はどこにもなく
時間は残酷だと悟る
随分とやつれてしまったが一目ですぐにその人が美玲さんだと分かった

「おかえりなさい。久しぶりね」
「……久しぶり」
「外、暑かったでしょう?さぁ、入って」

そう言って扉を開けたまま奥へと消えていく
それに続くように玄関に入ると
冷房とは違うひんやりとした空気と共に
他人の家の匂いがした

「今日はわざわざ遠い所からありがとう」

服越しにも分かる骨張った小さな背中を見ていると胸が詰まって上手く言葉を発する事が出来ない
それを知ってか知らずか
美玲さんはお構いなく次の言葉を紡いでいく

「もう会えないと思ってた」
「……」
「麦茶、入れるね。座っていて」

結局何も言葉を交わせないままリビングへ辿り着くと、言われたまま椅子に座った
ぎしりと木のしなる音と共に身体が沈む

目の前に置かれた琥珀色のそれを一気に飲み干すと乾いた喉が潤い、気持ちが落ち着いていく

美玲さんは俺と向かい合うように椅子に座ると、きごちない笑顔で微笑んだ

「お父さんに会う?」
「いや……まだいい」
「そう」
「葬式は?」
「自宅葬にしたの。明日葬儀屋さんが来てくれるわ」
「……そっか」
「明日帰るの?」
「そのつもり」
「……それじゃあ今日は泊まっていくでしょ」
「うん」
「星海君の部屋、そのままにしてあるから使って?じゅんさんは和室に寝かせてあるから。落ち着いたら顔、見せてあげてね」
「分かった」
「お腹、空いてない?」
「そこそこかな」
「そう。一応、星海君の分も作ったから、良かったら一緒に食べない?」
「分かった」
「良かった。それじゃあ……私は色々準備とかあるから。とりあえず先荷物置いてきて」
「うん」

そう言うと美玲さんは台所の方へ行ってしまった

色々な想いが粒子となって肺に入り込む
思ったように息が出来ない

後悔していた
この家に戻って来てしまった事を
出来るだけなんでもないように振る舞おうとすればするほどに、ぎごちなくなっていることは自分が1番よく分かっている

目の前でカランと音を立てて溶ける氷の音が
酷く耳障りだった




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