溢れる雫

五嶋樒榴

文字の大きさ
上 下
22 / 41
日本酒

7

しおりを挟む
飛鳥との別れから一年が経った。
今日は晴美の結婚式だった。もちろん宗嗣も、チャペルでの式から参列し心から祝福した。
披露宴の全てのフラワーアレンジメントを宗嗣がプロデュースして、晴美が大絶賛してくれたブーケは、最後のメインイベントのブーケトスで晴美の後輩が勝ち取った。
二次会も終わり時計を見るとまだ22時だったので、宗嗣はマスターに会いに行こうとバーに向かった。
今日は結婚式が多かったのか、バーに行くまでの間に何組かのグループを見た。
その1組のグループに飛鳥の姿を見た。
びっくりして宗嗣は信じられない気持ちで飛鳥をじっと見つめた。
飛鳥は楽しそうに他の女性と楽しそうにしている。
ふと、宗嗣の視線を感じたのか、飛鳥が宗嗣に気がついた。
飛鳥もびっくりしていたが、微笑んで軽く会釈をした。
その距離、数メートル。
飛鳥は他の仲間たちと場所を移動し始めた。
その時、荒い息をした宗嗣が、飛鳥の右腕を掴んだ。
周りは驚きながら宗嗣を見る。
「ご、めん。姿をみ、たら、つい」
荒い息をしたまま宗嗣は言った。
「今、このまま別れたら、後悔、しそうだった、から」
まだ息が整わない。
「ごめんね。知り合いなの。先に次行ってて」
飛鳥に言われ、飛鳥の仲間たちはヒソヒソ言いながらも立ち去った。
「もし、時間あったら少し付き合わない?」
宗嗣が言うと、飛鳥は頷いた。
バーに飛鳥をエスコートした。重厚なドアを開け、飛鳥を先に店に入れた。
「いらっしゃいませ」
いつもと変わらない魅惑的なマスターを見て、飛鳥は目を奪われた。
「珍しいですね、こちらに女性を連れて来られるなんて」
あえて初めて女性を連れてきたと言わないところが、相変わらず意地悪なんだからと宗嗣はマスターを恨めしく見る。
いつもはカウンターだが、マスターは1番奥のソファ席に案内した。
「お飲み物は、いかがなさいます?」
声も素敵なマスターに、飛鳥はすっかり心を奪われた様子で宗嗣は面白くない。
「飛鳥さん、日本酒は大丈夫?」
バーで日本酒とは珍しいチョイスに飛鳥は驚いたが笑顔で頷いた。飛鳥と聞いて、マスターも去年宗嗣と見合いをした丸葉銀行の頭取の娘だとすぐに思った。
「では、景虎ですね?すぐにご用意します」
マスターはそう言ってカウンターへ戻った。
「元気だった?」
宗嗣は飛鳥を見つめながら言う。
「はい。特に変わりなく。半年くらい経った時、お付き合いを始めた人がいました。優しくて、頼もしくて、私を1番に大事にしてくれる方でした」
過去形に語る飛鳥に、宗嗣はなぜかホッとした。なぜそう思ったのか、宗嗣にも分からない。
「宗嗣さんは?」
宗嗣が答えようとした時、マスターが景虎を持ってきた。
「お話中、失礼いたします。こちら越乃景虎雫酒です」
前の時と同様、江戸切子の酒器揃と共に運ばれて来た。
「辛口なんだけどとてもふくよかで、女性でも飲みやすいよ」
宗嗣はそう言って飛鳥に注ぐ。飛鳥が返盃をしようとしたが手で遮って手酌した。
盃を合わせず軽く乾杯。
「あぁ、本当。美味しいです」
景虎に口を付けて、幸せそうに飛鳥は言った。
「僕は華道に精進した1年だったよ」
飛鳥に問われた返事をした。本当に華道にだけ打ち込んできた。弱い自分を見つめ直すため。
そんな宗嗣を飛鳥は黙って見つめた。
「さっき見かけた時、思わず君を引き止めてしまったけど迷惑だったよね。ごめんね、びっくりしたよね」
飛鳥は首を横に振った。
「偶然でも会えて嬉しかったです。あれから1年経ったけど、私はずっと忘れていませんでした。さっき話した彼との結婚も考えました。でも無理でした。私ドMなのかも」
飛鳥の告白に、宗嗣は吹き出しそうになったが、それを我慢したせいでむせてしまった。
「大丈夫ですか?」
びっくりして飛鳥は宗嗣の背中をさすった。
「君が変なこと言うから」
ゲホゲホとむせる姿をマスターは妖しい笑みで見守っている。
「だって、自覚ないんですか?お見合いの席もそうでしたが、生け花を頂いたあの日、本当に冷たかったですよ。宗嗣さんは超ドSです!」
いやいや、超ド級のドSはさっきから君が熱い眼差しで見ているマスターだから!と、心の中で叫んだ。
しかし、事実大人気ない態度をしていた自分に、宗嗣は本当に恥ずかしかった。
「でも、私はそんな気難しい芸術家を好きになったんだから、いつか生けるお花を愛でるように、私のことも好きになってもらいたいって思っていました」
恥ずかしそうに飛鳥は言った。それを聞いている宗嗣はもっと恥ずかしかった。
「もし、飛鳥さんが嫌じゃなければ、またこうして一緒に飲みませんか?1年前の無礼の数々を償いたいし」
宗嗣が熱い眼差しで飛鳥に懇願する。飛鳥は、パアッととびきりの笑顔になった。
「過ぎたことはもういいんです。でも是非これからもご一緒させてください」
飛鳥の返事に、宗嗣は満足そうな笑みをした。
「それにこのお店とっても気に入りました。マスターがとても素敵で」
うっとりと飛鳥がマスターを見つめるので、宗嗣は二度とこのバーに飛鳥を連れてくるのはやめようと決心した。
しおりを挟む
1 / 3

この作品を読んでいる人はこんな作品も読んでいます!


処理中です...