溢れる雫

五嶋樒榴

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番外編・百年の恋の味

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重厚なドアを開けると、そこには妖しく美しいマスターが微笑んで出迎えてくれた。
趣味のいい落ち着いた調度品と、静かに時が流れる空間に相応しい音楽と、煌めき揺らめく照明。
ガラスで隔たれた奥のソファでは、葉巻を燻らし愉しむ紳士達。
「いらっしゃいませ。お越しいただけてとても光栄です」
右手を胸に当て一礼し敬意を払うマスター。
私は頷きカウンターの椅子に腰掛けると、ハットを隣の椅子に置いた。
マスターはコースターを私の前に置いた。
「今宵は、何になさいますか?」
私はこのマスターの力量を確かめたく、マスターにお任せにした。
「こちら百年前にアルセーヌ・ルパンが、一目見て愛した美しい方に送ったコニャックと、同じ蒸溜所の同じ製法で作られたコニャックです」
ブランデーグラスに注がれた、とても美しい琥珀色のコニャック。マスターは輝く瓶をカウンターに置いた。
私は香りを愉しんだ後に一口、ゆっくりと口に含む。
鼻から抜ける芳醇な香りと、切ないまでの甘美な口当たり。刹那に至福の時が訪れた。
ああ、これぞ私の求めた完成形。私の愛したルパンそのもの。
「その美しい方は、一度もルパンと長い逢瀬を過ごすことはなかったのですが、心はいつも彼のそばで幸福を感じていました。そしてルパンは美しい方のハートは盗めても、その実体は幻のまま。しかし魂は」
マスターの言葉に、続けて私は言った。
「ハートを盗んだと言うことは幻のままで終わったのではなく、求め合う魂は一つになれた。恋しい美しい人とね」
最後の一滴まで味わうと、私はマスターを見つめた。マスターは妖しく美しい笑みを絶やさない。
「ルパンが彼女と出会わなければ、私はこの一杯にありつけなかった。この感動に感謝を」
席を立ち上がりハットを胸に当て一礼すると、マスターに見送られ私はこのバーを後にした。
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