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五幕
山端に夕陽がゆっくりと沈み、藍と橙色の濃淡をつけた雲が空に滲むようにして流れていく。
陰と陽の交差する黄昏時に、蜩の鳴き声と風鈴の音、そして雪音の笑う声が静かに響いていた。
「ふ、ふふふっ、あははっ」
「そんなに笑うこたあないだろ」
縁側で胡坐をかき暮れゆく景色を眺めながら、迅牙は口を尖らせた。隣に座る雪音は、先ほどからなんら憚ることなく笑いを零している。
「だってこの豆打餅、いかにも“迅牙殿”と言わんばかりの形で。そう思ったら、なんだかおかしくって」
手に持つ菓子を差して、雪音はなおも笑う。枝豆をすり潰し砂糖と混ぜ合わせた餡を餅に乗せた、雪音の故郷ヤコイで食されている、豆打餅という菓子だそうだ。
「仕方ねえだろ。菓子なんて、生まれて初めて作ったんだから」
迅牙はなんだかむず痒くなって、首の後ろをかいた。
つい先刻まで、迅牙と雪音は台所に籠もり、ふたりでこの豆打餅を作っていた。迅牙の持ち帰った枝豆と、雪音の持ち帰ったもち米で。
縁側に座り、夕涼みをするふたりの間には、完成した豆打餅が十個ほど置かれている。半分は小さく形も良くまとまっており、いかにも食欲をそそる見た目をしているが、もう半分はやたらめったら大きいが形は不格好で、料理経験のない者が作ったのは一目瞭然であった。
雪音が持っているのは、後者の豆打餅だ。
「迅牙殿、よく豆打餅のことを覚えていらっしゃいましたね。私がお話したのは、もうずいぶんと前だったと存じますが。それも作りたいだなんて仰るから、びっくりしてしまいました」
迅牙が豆打餅のことを聞いたのは、ちょうど一年ほど前。いまぐらい暑い時分に雪音がぽつりと漏らしたことを、迅牙は玄関先で枝豆ともち米を見た瞬間に思い出したのだった。
「……どんな味がするのか気になっただけだよ」
迅牙は、気恥ずかしくて真意を語れなかった。雪音に関することなら、どんな些細なことでも知りたくなったのだ、と。
思い返せば、迅牙は己の都合や気持ちばかりを先走りさせて、雪音自身のことや心中を知ろうともしていなかった。
どんな風に生まれ育ち、なにを想い、どのように生き、そしてこの先、どのようにして生きていきたいのか。
雪音と出逢ってから一年と三月。迅牙はようやく、雪音の想いを蔑ろにしていたことに気がついた。
「左様にございますか」
豆打餅の端を食んだ雪音の頬が、ふにゃりと綻ぶ。
「懐かしい味がいたします」
童子のような朗らかな雪音の横顔に、迅牙は嬉しいような、淋しいような想いに襲われ、目を逸らす。
迅牙は、雪音の作った豆打餅を口の中に放った。
甘みはさほど強くなく、優しく。その中でほんのりと、枝豆の青い香りと風味がする。食べ慣れている餡衣餅と比べると、なんとも趣のある味わいだった。
迅牙は豆打餅を砕き、飲み下し、意を決して雪音に問いかける。
「──なあ、雪音。故郷に帰りたいか?」
始まりからして、とてもまともではなかった。
敵同士だったとはいえ、手籠めにするような形で春の部族の里に連れ帰り。
嫁になんかなりたくないといって逃げ出した雪音を、何度も何度も連れ戻して。
何度も何度も搔き抱いてきたくせに、今度は突き放して。
そんなことばかり繰り返していて、雪音がまた、嫁になるのを嫌がっているんじゃないかと、迅牙はいまさらながら不安に駆られていた。答えを知るのは恐ろしいが、聞かないままにしてはしこりが残ろう。
いまこのとき。互いの想いを明確にしなければ、未来はない。
「……おじじ様を始めとする家の者には大切にされておりましたし、里のお子たちは私を慕ってくれましたが……存外、淋しくないものですよ」
雪音の言葉が、夕闇に溶けていく。縁側は束の間、蜩の忙しない鳴き声と風鈴の音だけに包まれた。
「──いま、このときまでのことを思い返してみれば。迅牙殿は、私の天命だったのですね」
新雪が降るような、優しく静かな声色に、迅牙は雪音の本心を知る。
雪音は迅牙の短い問いの意図を、すべて正確に汲み取った上で、なにもかも受け入れているのだと。迅牙と生涯を共にするのだと。そう告げた。
これほど幸福なことが、他にあろうか。
胸が噎せ返る。迅牙の心中に春の息吹が吹き荒れて、花々が咲き乱れていく。
「雪音、傍にいてくれ」
気がつけば迅牙は。
伝えなければならないこともなにもかもすべてすっ飛ばして、腸の中身をぶちまけていた。
「俺は、長生きしたいんだ。お前と、ふたりで、このカミズオで」
「雪音の作った粽を、たらふく食ってさ」
「夏は祭りに行って、花火を楽しんで。秋には深紅の紅葉を、冬には真っ白い牡丹雪を眺めて。春には桜を一緒に見て……」
「たとえ、俺たちの間に子を成せなかったとしても」
「ふたりで一緒に、皺くちゃになるまで生きていければ」
「雪音と一緒にいられれば、それでいい」
「傍にいてくれ、雪音」
放っておけば、どこまでも流れていってしまいそうな迅牙の心に待ったをかけたのは、雪音だった。
雪音の白く嫋々たる手が、迅牙の武張った手の甲に添えられている。
「お傍におります、迅牙殿」
風鈴の音にも劣らぬ、その涼やかで心地よい声を聞くまで、迅牙は気がつかなかった。雪音が、すぐ真横に侍ていたことに。
「……っ」
迅牙の心臓が、強く、どくりと脈打った。鞴のように鼓動し始めた心臓が、全身に熱い血液を送って迅牙の皮膚に汗を滲ませる。
雪音が溶けて消えていく走馬灯が頭を掠めたが、それでも迅牙は手を払いのけられなかった。
「迅牙殿が妓楼に通っていたのは、私の躰を慮ってのことなのだと、わかっておりました。頑なに触れて下さらなかったのも、私が迅牙殿の毒に侵されることなかれという思いやりだったことも、わかっております」
重なり合った手が燃ゆる。
「迅牙殿のそのお心を、とても嬉しく思います。けれど……私にはそれが、淋しいのです」
雪音が言葉を紡ぐ度、迅牙の鼓膜が激しく揺れて、躰の芯がぐらついた。
「私は生まれ持った頑丈さと、不撓不屈の精神だけで生き延びてきたくノ一です。これまでずっと、迅牙殿の媚薬にも耐えてきたではありませんか。それなのに、いまになってこのような扱いをされては、心が定まりませぬ」
苦悩の末に下した決断を、簡単に覆してしまいそうだから、雪音にはなにも伝えなかったのに。
それなのに、雪音はなにもかも見透かしていた。見透かした上で、迅牙を待っていた。これでは迅牙の立つ瀬がない。
「……この先も、雪音が平穏無事でいられる保証がどこにある」
抑揚のない低い声で、迅牙は呻いた。雪音がせんとしていることは、もうわかっている。
この先、未来永劫、迅牙が雪音を抱かないと決めたことを悟って、それを阻止しに来ているのだ。
「“常に死と隣り合わせと心得よ”。これが私たち忍者の不文律だと、迅牙殿もご承知のはず」
雪音も必死なのだろう。火を燈した手が、細かに震えていた。
「俺は、雪音を殺したくねえ」
迅牙のその残酷な通告を最後に。迅牙も、雪音も、蜩も風もなにもかもが、呼吸を止める。
しばしの沈黙の後、胡坐をかく迅牙の太ももに、雪音の柔らかな手の感触が乗った。
「わ、私は……迅牙殿ともっと触れ合いとうございます。すべての四季を、こうして手を繋いで過ごし……それで、その中に、私たちの子がいれば、どんなに幸せだろうかと……そう思わずには、いられないのです……」
──カランコロン、と。
迅牙を塞き止めていた理性が、滑稽な音を立てて崩れていく。
心臓が破裂する錯覚に陥った。血管の一本や二本、はち切れていたかもしれない。息が一気に上がり、眉間に深い皺が寄る。
「雪音ッッ!!」
迅牙は雪音の両腕を鷲掴み、息遣いが聞こえるほど間近に迫った。
雪音の真っ白い肌が、赤く色づいている。着物から覗く脚、腕のみならず、首や耳の隅々まで。蒼玉の瞳は潤んで、その澄み切った水面に、迅牙の姿をはっきりと映し込んでいた。
想いは同じだ。迅牙とて、もうどれほど雪音との間に子を成したいと渇望してきたことか。
それでも迅牙は、踏み止まった。
「俺の決意を揺さぶるんじゃねえ!!」
憤怒、焦燥、熱情、そして愛慕。すべての想いをありったけに込め、迅牙は雄叫びを上げる。
しかし雪音はそれに怯まず、整った眉を吊り上げ、唇を真一文字に結んでいた。
そして次の瞬間──。
雪音は、己の唇を迅牙の唇にぶつけた。
ぷにゅりとした、官能的な柔らかさが迅牙のこめかみを痺れさす。完全に不意を衝かれた迅牙は、目を見開いたまま動けなかった。
「……大好きです、迅牙殿」
雪音は、いまにも泣き出しそうな顔を迅牙の鎖骨に埋め、抱き着いた。白い腕を迅牙の背に回し、強く、強く。
──ガランゴロン、と。
迅牙は今度こそ、自我の崩壊する確かな音を聞いた。
すぐ眼下にある雪音の旋毛と項から、蜂蜜と乳が混ざったような甘い香りが漂ってくる。屈強な巨躯を健気に包み込もうとする雪音の柔らかな感触に、男の本能は瞬く間に頭を擡げた。
なによりも。
雪音のその、あまりにも拙い懇願に、迅牙は堕ちた。
これまで、数多の男を房中術で葬ってきたはずの雪音であれば、優秀なくノ一であるはずの雪音であれば、もっと言葉巧みに迅牙を誘えただろう。その官能に過ぎる躰を駆使して、強引に夜伽へと雪崩れ込むこともできただろう。
それなのに、雪音はただただ不器用に、ただただ浅霧雪音というひとりの女として、迅牙に想いの丈をぶつけてきた。
もはや、この世に迅牙を止める術なし。
「きゃ……」
雪音の悲鳴めいた声を無視して、迅牙は雪音を抱きすくめたまま立ち上がった。
そのまま自室へと向かい、奥の閨房に入って、後ろ手で襖を閉める。
閨にはすでに置き行灯の火が灯っており、二組の夜具が仕込まれていた。迅牙がいつ雪音を召してもいいようにと、女中らの計らいで常時用意されていたものである。
その夜具の上に、雪音をそっと降ろし。
迅牙は、雪音の躰に覆い被さった。
「じ、迅牙殿? わ……私は、いますぐ交わりたいというわけでなく……え、あの、その……」
この期に及んで、雪音のその主張は通るまい。迅牙はいまや不動の岩と化していた。
仄かな灯りの中で、迅牙は榛色の瞳をギラつかせ、惑う雪音をしばし凝視する。
そして──雪音の口に深く吸い付いた。
陰と陽の交差する黄昏時に、蜩の鳴き声と風鈴の音、そして雪音の笑う声が静かに響いていた。
「ふ、ふふふっ、あははっ」
「そんなに笑うこたあないだろ」
縁側で胡坐をかき暮れゆく景色を眺めながら、迅牙は口を尖らせた。隣に座る雪音は、先ほどからなんら憚ることなく笑いを零している。
「だってこの豆打餅、いかにも“迅牙殿”と言わんばかりの形で。そう思ったら、なんだかおかしくって」
手に持つ菓子を差して、雪音はなおも笑う。枝豆をすり潰し砂糖と混ぜ合わせた餡を餅に乗せた、雪音の故郷ヤコイで食されている、豆打餅という菓子だそうだ。
「仕方ねえだろ。菓子なんて、生まれて初めて作ったんだから」
迅牙はなんだかむず痒くなって、首の後ろをかいた。
つい先刻まで、迅牙と雪音は台所に籠もり、ふたりでこの豆打餅を作っていた。迅牙の持ち帰った枝豆と、雪音の持ち帰ったもち米で。
縁側に座り、夕涼みをするふたりの間には、完成した豆打餅が十個ほど置かれている。半分は小さく形も良くまとまっており、いかにも食欲をそそる見た目をしているが、もう半分はやたらめったら大きいが形は不格好で、料理経験のない者が作ったのは一目瞭然であった。
雪音が持っているのは、後者の豆打餅だ。
「迅牙殿、よく豆打餅のことを覚えていらっしゃいましたね。私がお話したのは、もうずいぶんと前だったと存じますが。それも作りたいだなんて仰るから、びっくりしてしまいました」
迅牙が豆打餅のことを聞いたのは、ちょうど一年ほど前。いまぐらい暑い時分に雪音がぽつりと漏らしたことを、迅牙は玄関先で枝豆ともち米を見た瞬間に思い出したのだった。
「……どんな味がするのか気になっただけだよ」
迅牙は、気恥ずかしくて真意を語れなかった。雪音に関することなら、どんな些細なことでも知りたくなったのだ、と。
思い返せば、迅牙は己の都合や気持ちばかりを先走りさせて、雪音自身のことや心中を知ろうともしていなかった。
どんな風に生まれ育ち、なにを想い、どのように生き、そしてこの先、どのようにして生きていきたいのか。
雪音と出逢ってから一年と三月。迅牙はようやく、雪音の想いを蔑ろにしていたことに気がついた。
「左様にございますか」
豆打餅の端を食んだ雪音の頬が、ふにゃりと綻ぶ。
「懐かしい味がいたします」
童子のような朗らかな雪音の横顔に、迅牙は嬉しいような、淋しいような想いに襲われ、目を逸らす。
迅牙は、雪音の作った豆打餅を口の中に放った。
甘みはさほど強くなく、優しく。その中でほんのりと、枝豆の青い香りと風味がする。食べ慣れている餡衣餅と比べると、なんとも趣のある味わいだった。
迅牙は豆打餅を砕き、飲み下し、意を決して雪音に問いかける。
「──なあ、雪音。故郷に帰りたいか?」
始まりからして、とてもまともではなかった。
敵同士だったとはいえ、手籠めにするような形で春の部族の里に連れ帰り。
嫁になんかなりたくないといって逃げ出した雪音を、何度も何度も連れ戻して。
何度も何度も搔き抱いてきたくせに、今度は突き放して。
そんなことばかり繰り返していて、雪音がまた、嫁になるのを嫌がっているんじゃないかと、迅牙はいまさらながら不安に駆られていた。答えを知るのは恐ろしいが、聞かないままにしてはしこりが残ろう。
いまこのとき。互いの想いを明確にしなければ、未来はない。
「……おじじ様を始めとする家の者には大切にされておりましたし、里のお子たちは私を慕ってくれましたが……存外、淋しくないものですよ」
雪音の言葉が、夕闇に溶けていく。縁側は束の間、蜩の忙しない鳴き声と風鈴の音だけに包まれた。
「──いま、このときまでのことを思い返してみれば。迅牙殿は、私の天命だったのですね」
新雪が降るような、優しく静かな声色に、迅牙は雪音の本心を知る。
雪音は迅牙の短い問いの意図を、すべて正確に汲み取った上で、なにもかも受け入れているのだと。迅牙と生涯を共にするのだと。そう告げた。
これほど幸福なことが、他にあろうか。
胸が噎せ返る。迅牙の心中に春の息吹が吹き荒れて、花々が咲き乱れていく。
「雪音、傍にいてくれ」
気がつけば迅牙は。
伝えなければならないこともなにもかもすべてすっ飛ばして、腸の中身をぶちまけていた。
「俺は、長生きしたいんだ。お前と、ふたりで、このカミズオで」
「雪音の作った粽を、たらふく食ってさ」
「夏は祭りに行って、花火を楽しんで。秋には深紅の紅葉を、冬には真っ白い牡丹雪を眺めて。春には桜を一緒に見て……」
「たとえ、俺たちの間に子を成せなかったとしても」
「ふたりで一緒に、皺くちゃになるまで生きていければ」
「雪音と一緒にいられれば、それでいい」
「傍にいてくれ、雪音」
放っておけば、どこまでも流れていってしまいそうな迅牙の心に待ったをかけたのは、雪音だった。
雪音の白く嫋々たる手が、迅牙の武張った手の甲に添えられている。
「お傍におります、迅牙殿」
風鈴の音にも劣らぬ、その涼やかで心地よい声を聞くまで、迅牙は気がつかなかった。雪音が、すぐ真横に侍ていたことに。
「……っ」
迅牙の心臓が、強く、どくりと脈打った。鞴のように鼓動し始めた心臓が、全身に熱い血液を送って迅牙の皮膚に汗を滲ませる。
雪音が溶けて消えていく走馬灯が頭を掠めたが、それでも迅牙は手を払いのけられなかった。
「迅牙殿が妓楼に通っていたのは、私の躰を慮ってのことなのだと、わかっておりました。頑なに触れて下さらなかったのも、私が迅牙殿の毒に侵されることなかれという思いやりだったことも、わかっております」
重なり合った手が燃ゆる。
「迅牙殿のそのお心を、とても嬉しく思います。けれど……私にはそれが、淋しいのです」
雪音が言葉を紡ぐ度、迅牙の鼓膜が激しく揺れて、躰の芯がぐらついた。
「私は生まれ持った頑丈さと、不撓不屈の精神だけで生き延びてきたくノ一です。これまでずっと、迅牙殿の媚薬にも耐えてきたではありませんか。それなのに、いまになってこのような扱いをされては、心が定まりませぬ」
苦悩の末に下した決断を、簡単に覆してしまいそうだから、雪音にはなにも伝えなかったのに。
それなのに、雪音はなにもかも見透かしていた。見透かした上で、迅牙を待っていた。これでは迅牙の立つ瀬がない。
「……この先も、雪音が平穏無事でいられる保証がどこにある」
抑揚のない低い声で、迅牙は呻いた。雪音がせんとしていることは、もうわかっている。
この先、未来永劫、迅牙が雪音を抱かないと決めたことを悟って、それを阻止しに来ているのだ。
「“常に死と隣り合わせと心得よ”。これが私たち忍者の不文律だと、迅牙殿もご承知のはず」
雪音も必死なのだろう。火を燈した手が、細かに震えていた。
「俺は、雪音を殺したくねえ」
迅牙のその残酷な通告を最後に。迅牙も、雪音も、蜩も風もなにもかもが、呼吸を止める。
しばしの沈黙の後、胡坐をかく迅牙の太ももに、雪音の柔らかな手の感触が乗った。
「わ、私は……迅牙殿ともっと触れ合いとうございます。すべての四季を、こうして手を繋いで過ごし……それで、その中に、私たちの子がいれば、どんなに幸せだろうかと……そう思わずには、いられないのです……」
──カランコロン、と。
迅牙を塞き止めていた理性が、滑稽な音を立てて崩れていく。
心臓が破裂する錯覚に陥った。血管の一本や二本、はち切れていたかもしれない。息が一気に上がり、眉間に深い皺が寄る。
「雪音ッッ!!」
迅牙は雪音の両腕を鷲掴み、息遣いが聞こえるほど間近に迫った。
雪音の真っ白い肌が、赤く色づいている。着物から覗く脚、腕のみならず、首や耳の隅々まで。蒼玉の瞳は潤んで、その澄み切った水面に、迅牙の姿をはっきりと映し込んでいた。
想いは同じだ。迅牙とて、もうどれほど雪音との間に子を成したいと渇望してきたことか。
それでも迅牙は、踏み止まった。
「俺の決意を揺さぶるんじゃねえ!!」
憤怒、焦燥、熱情、そして愛慕。すべての想いをありったけに込め、迅牙は雄叫びを上げる。
しかし雪音はそれに怯まず、整った眉を吊り上げ、唇を真一文字に結んでいた。
そして次の瞬間──。
雪音は、己の唇を迅牙の唇にぶつけた。
ぷにゅりとした、官能的な柔らかさが迅牙のこめかみを痺れさす。完全に不意を衝かれた迅牙は、目を見開いたまま動けなかった。
「……大好きです、迅牙殿」
雪音は、いまにも泣き出しそうな顔を迅牙の鎖骨に埋め、抱き着いた。白い腕を迅牙の背に回し、強く、強く。
──ガランゴロン、と。
迅牙は今度こそ、自我の崩壊する確かな音を聞いた。
すぐ眼下にある雪音の旋毛と項から、蜂蜜と乳が混ざったような甘い香りが漂ってくる。屈強な巨躯を健気に包み込もうとする雪音の柔らかな感触に、男の本能は瞬く間に頭を擡げた。
なによりも。
雪音のその、あまりにも拙い懇願に、迅牙は堕ちた。
これまで、数多の男を房中術で葬ってきたはずの雪音であれば、優秀なくノ一であるはずの雪音であれば、もっと言葉巧みに迅牙を誘えただろう。その官能に過ぎる躰を駆使して、強引に夜伽へと雪崩れ込むこともできただろう。
それなのに、雪音はただただ不器用に、ただただ浅霧雪音というひとりの女として、迅牙に想いの丈をぶつけてきた。
もはや、この世に迅牙を止める術なし。
「きゃ……」
雪音の悲鳴めいた声を無視して、迅牙は雪音を抱きすくめたまま立ち上がった。
そのまま自室へと向かい、奥の閨房に入って、後ろ手で襖を閉める。
閨にはすでに置き行灯の火が灯っており、二組の夜具が仕込まれていた。迅牙がいつ雪音を召してもいいようにと、女中らの計らいで常時用意されていたものである。
その夜具の上に、雪音をそっと降ろし。
迅牙は、雪音の躰に覆い被さった。
「じ、迅牙殿? わ……私は、いますぐ交わりたいというわけでなく……え、あの、その……」
この期に及んで、雪音のその主張は通るまい。迅牙はいまや不動の岩と化していた。
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