美春・美咲物語

ぎらす屋ぎらす

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曇った公園

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2024年6月。

梅雨の晴れ間、飛松美咲(とびまつ・みさき)は古びた公園のベンチに座っていた。空は薄い灰色の雲に覆われ、湿った空気が肌にまとわりついている。大学の授業を終えた後、いつものように寄り道をするのではなく、実家近くに足を運んだのだ。

ここ数年、この公園は以前ほど人が来なくなった。錆びついたブランコがかすかな風に揺られ、きしむ音を立てている。遊具の赤い塗装は剥げかけ、雑草が伸び放題の砂場には誰の足跡も残っていない。

美咲の隣には、大学で使っている古い革のショルダーバッグが置いてあった。中には一通の手紙が入っている。差出人は母だ。先週、実家の整理をしていたら見つかったという。3月に美咲が大学に合格して一人暮らしを始めるために、家を出る直前に書かれたものだった。

手紙を受け取ってから一週間、美咲はまだ封を切れずにいた。

この公園には思い出がある。小学生の頃、母と一緒によく遊びに来た。当時は新しく、明るい色彩の遊具が立ち並び、休日になると子供たちの声で賑わっていた。母は美咲がブランコに乗るのを後ろから押してくれた。シーソーでは、バランスを取るのが難しい美咲のために、わざと軽く着地してくれた。

中学生になると、母との関係は少しずつぎこちなくなっていった。何でもよくできる姉の美春(みはる)と何かにつけて比べる母に対する反抗だったのかもしれない。些細なことで言い争い、次第に会話も減っていった。高校生になっても、その溝は埋まることはなかった。

そして高校を卒業すると同時に、美咲は一人暮らしを始めた。それ以来、母とはほとんど話をしていない。大学に合格した報告をメッセージで送っただけだった。既読がつき、おめでとうのスタンプが返ってきた。でも、それ以上の言葉は交わさなかった。

手紙を受け取ったが、怖くて中を見られない。ただ、母とのしがらみを解消するまたとないチャンスであるような気がして、黙って実家近くまで戻ってきた。でも、実家のチャイムを押す勇気はない。半ば喧嘩するような形で家を出た手前、「ただいま」の一言は、美咲にはあまりに遠かった。



今、目の前では小さな女の子が一人、砂場で遊んでいる。黄色い帽子をかぶり、熱心に何かを作っているようだ。時折、曇り空を見上げては、誰かを待っているような素振りを見せる。

「ねえ、お姉ちゃん」

ふと気づくと、その女の子が美咲の前に立っていた。

「お母さんを待ってるの。でも、まだ来ないの」
女の子は不安そうな表情を浮かべている。

「そう。お母さんはいつ来るの?」

「さっき、おやつを買ってくるって。でも、もう随分経つの」

美咲は母の手紙が入ったバッグに目をやった。十九年の人生で初めて、母の気持ちを少し理解できる気がした。

「一緒に待ってあげようか?」
美咲は女の子に微笑みかけた。

「うん」
女の子は嬉しそうに頷いた。

二人は並んでベンチに座り、空を見上げた。薄暗い雲の間から、かすかに日の光が漏れている。女の子は美咲に、砂場で作っていた砂の城のことを話し始めた。母と一緒に遊ぶ時の楽しい思い出を、無邪気に語っている。

その時、公園の入り口に人影が見えた。慌てた様子の若い女性が走ってくる。

「ごめんね! レジが混んでて…」

「お母さん!」
女の子は飛び上がるように立ち上がり、母親に駆け寄った。

母親は女の子を抱きしめながら、美咲に向かって深々と頭を下げた。
「ご迷惑をおかけしました。心配していただいて、ありがとうございます」

「いいえ、楽しい時間を過ごせました」

二人が去った後、美咲はゆっくりとバッグから母の手紙を取り出した。封を切る音が、静かな公園に響いた。

「お母さんごめんなさい」

美咲は手紙を広げ、最初の一文を読んだ。そこには、実家にいた頃の自分には決して理解できなかったであろう母の想いが、丁寧な文字で綴られていた。

曇り空の下、美咲は一人、手紙を読み進めた。遠くで風鈴の音が聞こえる。やがて雲の切れ間から差し込んだ一筋の光が、古びた公園を優しく照らし始めた。

母に会いに行こう。手紙を読み終えた美咲は、そう決意していた。今度の週末、ちゃんと実家に帰ろう。まだ間に合うはずだ。

ブランコがかすかに軋む音を残して、美咲は立ち上がった。公園の空気が、少しだけ軽くなったような気がした。梅雨の晴れ間は、まだしばらく続きそうだった。大学の講義ノートが詰まったバッグを肩にかけ、美咲は帰路についた。
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