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理性という名の殻
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重たい瞼をゆっくりと開けると、飛び込み台が目に入る。視線を上げると薄暗い闇の中で細い糸が煌めく。導かれるように飛び込み台の上に立った。
―ああ......、また......
プールの水の中をウネウネと靡かせるクラゲの足が私を招くように輝いていた。ぼんやりと見つめていると、足の半分が飛び込み台からはみ出していた。もう一歩踏み出そうとした刹那、水面にいたクラゲが手招くように足を激しく動かし、ギラギラと輝きを増したのだった。眩しさのあまり、足がすくんで飛び込み台に跨って、カエルのような体勢で座り込んだ。ふっと息をついて視線を降ろすと、水面に私の顔が写る。瞼や頬は力なく落ちており、ボロボロの人形のようで無性に腹が立った。足で水面に写る自分の顔をかき消しても、逃がすまいとしつこく浮かび上がる。蹴ってかき消す。繰り返すほどに水面に写る自分に嘲笑われているようで顔を上げて視線を反らした。じっと目を凝らした先にゴールの壁がうっすらと見える。ゴールの遠さが私の胸にぽかんと空洞を穿ち、べっとりした汗が額から吹き出していく。この空間に漂う冷たい空気を汗が吸い込み、生暖かい空気へと変わり、肌に纏わりついた。水面を蹴ることさえ億劫になるほどに。
―こんなところ、来たくなかったのに
ぼやきながら飛び込み台の上でダンゴムシのように丸く蹲ってしまう。穿たれたプールの空間から目を背けるように腕に顔を埋めた。
―――お前は何度言えば分かるんだ
誰かの怒鳴り声が響き渡る。怒声に籠る熱が私へ襲いかかった。滲んでいた涙は大粒の涙となり、頬を伝って飛び込み台へと零れていく。胸の奥底がグツグツと沸き立ち、手足に力が入った。腕があかくなるほど握り、踵を大きく踏みつける。ドンっと大きな音が鳴った。私の怒りに呼応するようにクラゲの足は濁流を生み、水中を蠢き、渦を形成していった。
―――なんだその反抗的な態度は。碌に......もできないくせに
目くじらを立ててまくしたてているのであろう。モクモクと迫りくる熱がべったりと纏わりつき、私の自由を奪っていく。抗うように涙を腕にこすりつけて、ゴールの壁をギロリと睨みつける。しかし、ゴールの姿など跡形もなく、ゾロリと蠢く暗い闇が広がっていた。ゴールを取り上げられた気がして、胸に穿たれた空洞はガラガラと崩れ堕ちるように広がっていく。握りしめていた力も抜けて、胸元にあった熱でさえも嘘のようになくなり、いつしか飛び込み台に両手をついてだらりと項垂れていた。
―――そんなんで生きていけると思うなよ
―何も……してくれないくせに
胸の動きに呼応して目尻から涙が溢れて、飛び込み台からプールの水へと垂れていった。涙がプールの上で蠢く闇を吸い込みながらプールの水に溶ける。渦の先まで涙が堕ちるとアリ地獄のようにだんだんと水底への道を穿いていく。ギラリと光っていた水面が嘘のように穿かれた先にはドロドロとした深みが形成されていった。絵の具が滲んだ人物画のような顔を上げて深みを見つめる。一縷の光さえ通さなさそうな淀みが、こめかみにバチっと稲妻を走らせて目を見開き、全身に鳥肌が伝播し、震えが止まらなくなった。震えを抑えるようにギュッと両腕を掴み、プールから視線を反らした。
―偉そうに......言わないで
髪の毛が宙を舞うほどぐしゃぐしゃに掻きむしり、呼吸が荒くなっていく。口元は涙なのか唾液なのか分からないほど濡れて、ギリリと歯ぎしりをする。次第に涙が少なくなるのに反して、歯ぎしりが強くなっていく。唇をギュッと縫い、胸のひくっとする動きを抑えながら顔を上げた。足元さえも見えづらいほど、暗闇たちがボコボコと雨雲が発達するかのように蠢きながら広がっていて空間を支配している。ゴールの壁がどこにあるのかも、水中のクラゲがどう動いているのかも、水底がどこにあるのかも分からない。それでも、私を見失わないように、私を誘うもの、私に纏わりつくものを払うように腕を振り払った。
―もう......操り人形......なんかじゃない
水面にあった殻が破れて、アリ地獄が穿いた水底で蠢く暗闇と暗雲たちこめる水上の暗闇が繋がった。ゆっくりと立ち上がり、飛び込み台の上でそっと瞼を閉じる。水底から吹き上げる生暖かい風が頬を伝い、涙の通った道を乾かしていく。
―もう、おしまいにしよう
ゆっくりと飛び込み台の端に足の指を掛けて立った。水底をじっと見つめると、水の泡が私の堕ちる道を指し示すように水底から沸き上がってくる。水面に泡が達した時、私の胸の鼓動が一段と早まり、渦巻く力が強まり、泡の湧き上がる速度も早くなっていく。やがてそれはプール全体へ伝播して蝕んでいく。ゆっくりと視線を上げて、私へ怒鳴る声が聞こえた先を見つめながら、そっと胸に手を当てながら呟いた。
―ああ......、また......
プールの水の中をウネウネと靡かせるクラゲの足が私を招くように輝いていた。ぼんやりと見つめていると、足の半分が飛び込み台からはみ出していた。もう一歩踏み出そうとした刹那、水面にいたクラゲが手招くように足を激しく動かし、ギラギラと輝きを増したのだった。眩しさのあまり、足がすくんで飛び込み台に跨って、カエルのような体勢で座り込んだ。ふっと息をついて視線を降ろすと、水面に私の顔が写る。瞼や頬は力なく落ちており、ボロボロの人形のようで無性に腹が立った。足で水面に写る自分の顔をかき消しても、逃がすまいとしつこく浮かび上がる。蹴ってかき消す。繰り返すほどに水面に写る自分に嘲笑われているようで顔を上げて視線を反らした。じっと目を凝らした先にゴールの壁がうっすらと見える。ゴールの遠さが私の胸にぽかんと空洞を穿ち、べっとりした汗が額から吹き出していく。この空間に漂う冷たい空気を汗が吸い込み、生暖かい空気へと変わり、肌に纏わりついた。水面を蹴ることさえ億劫になるほどに。
―こんなところ、来たくなかったのに
ぼやきながら飛び込み台の上でダンゴムシのように丸く蹲ってしまう。穿たれたプールの空間から目を背けるように腕に顔を埋めた。
―――お前は何度言えば分かるんだ
誰かの怒鳴り声が響き渡る。怒声に籠る熱が私へ襲いかかった。滲んでいた涙は大粒の涙となり、頬を伝って飛び込み台へと零れていく。胸の奥底がグツグツと沸き立ち、手足に力が入った。腕があかくなるほど握り、踵を大きく踏みつける。ドンっと大きな音が鳴った。私の怒りに呼応するようにクラゲの足は濁流を生み、水中を蠢き、渦を形成していった。
―――なんだその反抗的な態度は。碌に......もできないくせに
目くじらを立ててまくしたてているのであろう。モクモクと迫りくる熱がべったりと纏わりつき、私の自由を奪っていく。抗うように涙を腕にこすりつけて、ゴールの壁をギロリと睨みつける。しかし、ゴールの姿など跡形もなく、ゾロリと蠢く暗い闇が広がっていた。ゴールを取り上げられた気がして、胸に穿たれた空洞はガラガラと崩れ堕ちるように広がっていく。握りしめていた力も抜けて、胸元にあった熱でさえも嘘のようになくなり、いつしか飛び込み台に両手をついてだらりと項垂れていた。
―――そんなんで生きていけると思うなよ
―何も……してくれないくせに
胸の動きに呼応して目尻から涙が溢れて、飛び込み台からプールの水へと垂れていった。涙がプールの上で蠢く闇を吸い込みながらプールの水に溶ける。渦の先まで涙が堕ちるとアリ地獄のようにだんだんと水底への道を穿いていく。ギラリと光っていた水面が嘘のように穿かれた先にはドロドロとした深みが形成されていった。絵の具が滲んだ人物画のような顔を上げて深みを見つめる。一縷の光さえ通さなさそうな淀みが、こめかみにバチっと稲妻を走らせて目を見開き、全身に鳥肌が伝播し、震えが止まらなくなった。震えを抑えるようにギュッと両腕を掴み、プールから視線を反らした。
―偉そうに......言わないで
髪の毛が宙を舞うほどぐしゃぐしゃに掻きむしり、呼吸が荒くなっていく。口元は涙なのか唾液なのか分からないほど濡れて、ギリリと歯ぎしりをする。次第に涙が少なくなるのに反して、歯ぎしりが強くなっていく。唇をギュッと縫い、胸のひくっとする動きを抑えながら顔を上げた。足元さえも見えづらいほど、暗闇たちがボコボコと雨雲が発達するかのように蠢きながら広がっていて空間を支配している。ゴールの壁がどこにあるのかも、水中のクラゲがどう動いているのかも、水底がどこにあるのかも分からない。それでも、私を見失わないように、私を誘うもの、私に纏わりつくものを払うように腕を振り払った。
―もう......操り人形......なんかじゃない
水面にあった殻が破れて、アリ地獄が穿いた水底で蠢く暗闇と暗雲たちこめる水上の暗闇が繋がった。ゆっくりと立ち上がり、飛び込み台の上でそっと瞼を閉じる。水底から吹き上げる生暖かい風が頬を伝い、涙の通った道を乾かしていく。
―もう、おしまいにしよう
ゆっくりと飛び込み台の端に足の指を掛けて立った。水底をじっと見つめると、水の泡が私の堕ちる道を指し示すように水底から沸き上がってくる。水面に泡が達した時、私の胸の鼓動が一段と早まり、渦巻く力が強まり、泡の湧き上がる速度も早くなっていく。やがてそれはプール全体へ伝播して蝕んでいく。ゆっくりと視線を上げて、私へ怒鳴る声が聞こえた先を見つめながら、そっと胸に手を当てながら呟いた。
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