僕のマネージャー

トウモロコシ

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僕のマネージャー

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目がまわる。今自分がどこに立ってどんな景色を見ているのかも分からないくらい。
だけど僅かに残った理性でここがまだ観客の目があるライブ会場だということを、それだけを理解していた。舞台に立つ者として、ここをやりきらなければいけない。使命感にかられて、気力だけでやっている感じがする。

(目が回って、気持ち悪い。)

頭ではそれだけがグルグルと回っている。時々嘔吐きそうにすらなるのを何とか耐えているような状態。歌詞が飛びそうになったり、ダンスの振りを忘れそうになったり、危うい場面がいくつもある。
体が覚えている、というのはこういう事だと実感できるくらい、感覚に頼ってライブを行う自分に腹が立つ。

何時からだっけ?ライブ始まる前はここまででなかったはず。一気に悪化させてしまったか。と少し後悔するもファンに悲しい思いをさせるのは嫌だなぁという思いもある。今は目の前が歪んでいて、ファンの子の顔までは見えない。喜んでくれているだろうか。会場中に輝くライトの光があるうちは、喜んでくれていると思っていてもいいだろうか。

スポンジの上を歩いているような感覚と生理的に出てくる涙、歪む視界に体のだるさ、吐き気などを必死に耐える。あと少し、あと少しと自分に言い聞かせて。




なんとかやりきって、お礼を言ったあと、舞台袖にはける。
終わった、と思ってしまうとさっきまで多少テンションでどうにかできていた部分がどうしようも出来なくなって、病は気からとは本当なんだと思う。

目の前が、先程とは比べ物にならないくらい揺れる。
視界が一瞬真っ白になって平衡感覚がなくなる。

(やば。)

そう思っている間にも自分の体はどんどん傾いていく。体勢を立て直す気力も体力も残っていない。傾いていく様子がスローモーションのようにゆっくりと視界を流れていく。

体全体に走った痛みと全てが自分より頭上にある景色に倒れたことを理解したが、立ち上がれる気はしない。

「はっ、はぁっ、、ふっ、けほっ、ごほっごほっ、はっひゅー。。」
「みずきさん!!」
「はっ、、ひゅっ、はぁ、はぁっ、」

吸っても吸っても空気が入ってこない。息の仕方がわからない。苦しい。助けて欲しい。生理的な涙に感情的なものが加わってボロボロと自分の顔を伝って床に落ちていく。

「みずきさん!」
「変わってください。みずき、わかる?」
「はっ、、ひゅ。。はっはぁ」

凄く聞いたことのあるような声がするけれど、なんて言っているかわからない。ぼやけていて誰かを確認することも難しい。
握られた手から伝わる温度に何故か無性に安心して、縋るように握り返した。

「ちょっと体起こすよ。」

上半身だけ起こされたが、座位を保つのもきつくて、申し訳ないが今支えてくれている人に体を預けた。驚くことなく支えてくれて、さらに頭を肩の方に引き寄せてくれた。

「はっ、ふっ、、ひゅ……。。はっ」
「落ち着いて。大丈夫。大丈夫。」

背中をさすられる感じに安心が増す。手も握ったままにしてくれている。
少しずつ、声が分かるようになってきて、さっきまで全く周りの音がほとんど入ってきていなかったことを知る。

「はっ、はぁ…、、た、つき…はっひゅっ…くる、し……はっひっ。。。」
「うん。たつきだよ~。大丈夫。落ち着いて。俺がいるから。」

さっきからずっと傍にいてくれたんだ、いつもいてくれてるこの感じに安心していたんだ。
あまり力の入らない状態ではあるけど、握られていた手を握り返した。

「んっ、、ふっ…はぁ、、はっはっ…」
「ゆっくり息吸って。すうぅ」
「ふっ、すっ、、けほっ、」
「ゆっくりはいて。はあぁ」
「はっ、はぁ、」
「そうそう、上手。すうぅ、はあぁ」
「すっ、すぅ…はぁ。。。」

しばらくしたら落ち着いてきて、力が抜けた体をたつきに預けた。
息苦しさからは開放されたものの、依然目は回っているし、体がだるい。さっきまで忘れていた吐き気も戻ってきてしまった。

同じ調子でさすってくれている背中の手に安心するも、それが吐き気を助長しているようで、胃がぐるぐると動いているような感じがする。なんとも言えない違和感に、繋がれていないほうの手でみぞおちあたりを軽く抑えた。

気持ち悪くはあるが、吐き出してしまいそうな程でもない今のうちに少し手を止めてもらおうと口を開きかけた時だった。不意に手が離されて、額に当てられた。いきなりきたひやっとした感覚に、思わず肩が跳ねた。

「あっ、ごめん。熱いね。」
「だい、じょうぶ、、。たつき。」
「ん?」
「せなか、、やめて。、、きもちわるい。」
「…わかった。」

直ぐに手を止めてくれて、支えるだけになった。それを少し寂しく感じて、やっぱりやめないでと言いたくなってしまう。額に当てた手はすぐに先程のように手を握ってくれた。

「かたづけ…」

ふと思ったことを口にした。僕はライブが終わったらスタッフさんたちにお礼しに行ったり、控え室で着替えたりする。たつきだってマネージャーとしてスタッフさんたちへのお礼をはじめ別の仕事があるはずなのに。それはいいのだろうか。
正直今一人にして欲しくはないが、そんなわがままが通用する世界ではないともわかっている。

「気にしないで。大丈夫。」
「…うぅ。。はっ、、ありがと。」
「それよりみずき、楽屋戻れる?」

それに対して首を振って応える。今、たつきに支えてもらっていても座っているのがきつい。残った気力で立ち上がれたとして、歩ける気がしない。

「そっか。でも楽屋に戻らないと。ちょっと我慢してよ。」
「えっ、」

背中を支えていた手はそのままに、繋がれていた手を離して膝下に入ったかと思うと、気がついた時にはすでに横抱きにされていて、たつきはもう立ち上がっていた。
すみません、お先失礼します。との少し大きめのたつきの声が頭に響いた。若干の痛みがして、思わず顔を顰めたのを気遣い上手のたつきは見逃さなかったようだった。

「ごめん、頭に響いちゃったか。」





どんどん楽屋に向かって廊下を歩いていく。少しの間は恥ずかしいとかいう気持ちもあったがそれも一瞬と言っても過言ではないくらいの時間だった。
当然だが、視界には天井があった。天井が流れていくような感覚とどうしたって伝わってくる振動に吐き気が増す。せめてトイレまで行ってしまいたいが、この状況では少なからず目を引いてしまい、すれ違う人に質問されてはたつきが簡潔に答えて、、というやり取りを何回か繰り返していて、僕が口を挟むタイミングをみつけられていなかった。
その間にも吐き気は増す一方。上がってくる唾液を必死に飲み込んだ。目を瞑って視界を遮った。

「大丈夫なんですか!?」
「大丈夫です。今日中に病院には連れていきます。急いでいるので、失礼します。」

何度目かのやり取りのあと、たつきは僕をみて言った。

「ごめんな。もうちょいでトイレ着くから。」

気づいてくれてたんだ。ってそれだけで泣きそうになる。


しばらくして、下ろされた。目を瞑っていたから今どこかわからなかったが、下ろしてくれたということはおそらくトイレだろう。

「みずき、いいよ。気持ち悪いでしょ。」
「うぇ、、ごほっ。。」
「よしよし。大丈夫だよ。」
「おぇ。はっ、げ…ぇ。。」

便器にしがみつく僕の背中を舞台袖でしていてくれたようにさすってくれる。吐き出しても問題ないという状況で、吐き気の助長と安心をくれる。
しばらく吐き出すと、それ以降出てこなくなった。ぐるぐるとする感じが気持ち悪くてみぞおちあたりに当てていた手に少し力を入れてみる。けれど自分では苦しいだけでなんの効果もない。気持ち悪さだけが残ってしまう。
吐きたいという思いと吐けない不安、気持ち悪さと、出ない現実に涙が零れる。いくら嘔吐いても出てこなくて、空嘔吐だけが続く。

「うぇ、、げぇ、。」
「みずき、手どけて。」

言われるままにお腹に置いていた手をどけた。たつきが僕の後ろに回って、両手をグーにしてお腹にあてた。みぞおちを探し当てて、その少し下に当てると、「いくよ。」という声と同時に下から上に押し上げられた。

「おぇえ、、ごぼっ、。。げほっ…んん…えぇえ…」
「上手上手。」

背中をさするのではなく、少し強めに叩いて、嘔吐を促されれば、もともと吐き気があった分、体は素直に胃の中身を吐き出した。

数分もすれば、落ち着いてきて、目の前の便器にぐったりと項垂れた。
自分が吐き出した吐瀉物の匂いにまた嘔吐きそうになるのをたつきが体を引き寄せて便器から顔を上げて、水を流してくれて防いだ。

「ちょっと口ゆすいでたほうがいい。また気持ち悪くなるよ。」

差し出されたペットボトルに手を伸ばすが、震えて上手く掴めない。それを悟ったたつきが口に流し込んでくれた。本当に察しが良くて気遣い上手で何から何まで…。

少し口をゆすいで便器に吐き出して、を繰り返して、次は飲んで。と言われて数口飲んだ。

「楽屋ももう少しだから。」
「ん……。」

話すのもしんどくなってきて、素っ気ない返事になってしまった。心の中で詫びを入れるもさすがにこれは届かないか。と少し諦めの気持ちも入ってしまった。

本日二度目の横抱き移動にも、もう一瞬ですら恥ずかしいなんて思えなくて、たつきに身を任せるしか出来なかった。





楽屋でソファに下ろされたことが分かった。少しの間、気を失っていたようで、たつきの不安や心配や焦りが入り混じった表情が視界いっぱいに広がった。

「よかった。」
「た、つき……。」
「熱結構あったんだ。いくつか質問するから、答えてね。ちょっとだけ頑張って。」

軽く頷いた。
頭痛はするか、腹痛はするか、まだ吐き気はあるか、などなどいくつか、と言われてもいつ終わるか分からない質問にそろそろ限界が来た頃、最後の質問、と言われた。意味がわからなかったものや、そもそも聞こえなかったものもあって、半分以上返事をしなかった自信がある。

「ありがとう。寝ちゃっていいよ。あとはやっておくから。」
「ん。。」

頼りになるマネージャーの「あとはやっておく」に甘えて、目を閉じた。

最後の質問は「最高のライブだった。」と言われた気がする。質問ではなかった気がする。さすがに熱で頭がやられたか、と思ったけど本当なら、ちゃんと意識がはっきりしているときにもう一度言ってくれるだろう。
僕のファン第一号は。
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