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 ゲームの世界の住民には、何よりも恐ろしいものがある。

 理不尽で意味不明な言動を繰り返す主人公(プレイヤー)、……違う。
 プログラムゆえに簡単に奪われてしまう命の軽さ、……違う。
 強制的に進んでしまう運命とも呼べるシナリオ、……違う。

 そんな倫理や道徳の時間に語るものではなく、もっと根本的で回避しようがない、根深い恐怖がこの世界にはある。
 いつかかるかわからない、病のようなもの。かかってしまえば、いったい自分がどうなるかわからないまさに混沌と呼んで差支えないもの。

 主人公より意味不明な言動を繰り返すかもしれないし、使えるスキルの威力が強くなったり弱くなったり、もしくは急に裸になったりシルエットが縦に横に伸びるかもしれない。
 そんな悲劇に比べてしまえば、自分たちがゲームのキャラクターで運命がシナリオとプレイヤーに握られていることなど、鼻で笑ってしまえた。

 ゲームを作った人間、そしてプレイする人間たちは、この悲劇の現象を『バグ』と呼んでいる。



 リューカの「これはバグっすね」の台詞が、酒場前喧騒の真ん中に響き渡ってしばらく。

 主人公たる『ああああい』は、気障なマントを揺らめかせながらうろうろしていたし、ロクトバもまたメニュー画面を開いたり閉じたりを繰り返し、おじいちゃんに話しかけたりした。

「おお、お主らが連れてってくれるのかい。こりゃあ頼もしいのう」
「おじいちゃん、それさっき聞いたよ、35回目だよ」
「律儀に数えてるの、ロクトバさんらしいっす」

 恐ろしいほど代り映えのないおじいちゃんの台詞は、もはや聞き飽きている。
 メニュー画面にも変化は無く、これは恐らく、主人公の方でもそうなのだろう。

 無表情なりに(プレイヤーの表情は変わらない)慌てているらしい主人公は、しばらく奇妙なブレかたをしながら停止したり、あたりを走り回っていたりした。
 ちなみにこのうちに、【クエストに失敗しました。酒場へ戻ります】の文字は三回出現した。

 つまり三回、おじいちゃんは死んだ。

「まさか三回違う段差につまずいて死ぬとは……。おじいちゃん、ひ弱っすねえ」
「気が付かなかったけど、この町、結構段差多いんだなあ」

 丈夫な足腰を持っているロクトバやリューカはなんてことの無い段差だが、ご老人や幼児には辛いものがあるのかもしれない。
 道路の整備が必要かもなあ、と二人は現実逃避しながら「バグだなあ」と呟いた。

 ───前述のとおり、『バグ』はゲームの住民にとって何より恐ろしいものである。

 このおじいちゃんのように、同じセリフを繰り返し、クエストの内容が狂うなどと可愛い方。
 酷い時には物語の中でそれほど重要性のない人間が、いつの間にか死んでいることもある。
 ロクトバなどは一度、何もないところで無心に剣を振るモーションが止まらないことがあった……らしい。

 らしいというのは、その時の記憶が、ロクトバには無いからだ。
 これがまた『バグ』の不思議で恐ろしいところで、かかっている間は自分自身おかしいとは思わない。

 恥ずかしさと怖さで死にそうになった当時を思い出していると、ふと挙動不審だった主人公が停止した。

「お、主人公さん、覚悟を決めたようっすね」
「何処でセーブしたかは知らないけど……ここは一度リセットだね。その方が手っ取り早い」

 バグの対処法の一つとして、リセットしていったんやり直すというものがある。
 あまりにも酷く、進行不能なバグの場合は公式から修正パッチが配信されたりもするが、今回の場合は一度電源を落とせば何とかなるだろう。

 やれやれ人騒がせだったねー、などとのんびりした気持ちで、ロクトバとリューカが顔を見合わせていると、主人公がくるりと背を向けた。
 様子がおかしい。妙に覚悟を決めた顔をしている……ように見える。
 「ん?」と、二人が身構えていると、なんと、主人公はマントをひるがえして再び歩き始めた。

「あ、あれ?」
「ちょ、主人公くん?」

 去っていく赤いマントに向かって声をかけるが、もちろんそれは主人公に届いているわけではない。
 ロクトバたちがおろおろしながらその背中に続くと、当たり前のようにおじいちゃんも続けて歩き出した。

「主人公くん、おじいちゃんが!おじいちゃんが!」
「危ないっ!危ないっすよ!!」
「おお、お主らが連れてってくれるのかい。こりゃあ頼もしいのう」

 柔和な顔で続くおじいちゃんの足取りは、奇妙で危ない。
 縦横にブレて、タップダンスもかくやという動きだった。それでいて手は後ろに回したままの老人ポーズなのだから、不可思議な光景以外の何物でもない。

 見ていて不安になるおじいちゃんに、主人公は一度振り返り、何やら口と手を動かすモーションをし始めた。

 魔法だ。
 ロクトバは気が付いたときには、不思議な光が主人公の周囲に現れて、詠唱を終えたのちふわりと舞い上がった。
 きらきらと粒子になった魔法は、挙動不審にダンサブルな影へ降り注ぐ。
 こう、とそれは一際強く輝き、おじいちゃんにまとわりついて消えた。

「能力強化の魔法っすね……」

 一連の流れを見ていたリューカがぽつりと呟き、ロクトバも「そうだな」と頷きメニュー画面を開く。
 詠唱時間が短かったことに加え、炎や雷などが場に発生しないことから、攻撃魔法ではない。もちろん、怪我をした者もいないので、治癒魔法とも違う。

 攻撃力、防御力を上げたり、その他耐性をつけるための、強化魔法だ。

 メニュー画面のステータスから、パーティーメンバーの確認をすれば、おじいちゃんの欄に『攻撃力UP』『防御力UP』の文字が記されている。

「……?でも主人公くん、どうしておじいちゃんに強化魔法を……?あ……ちょ、待って」
「主人公さん!次は何するっすか!?」

 慌てる二人をよそに、主人公は再び歩き出した。しかもこの方向は、町の出口に続く道である。
 一瞬その行動に疑問を持ったロクトバであったが、すぐに「まさか」と予感がした。

「主人公くん、このクエスト、クリアするつもりなのか!?」
「な、なんですと!?」

 己の疑問に対する答えは、むろん返ってこない。
 しかし歩みを止めず、ただ真っ直ぐに出口を目指す主人公の姿が、なにより真実を物語っていた。

「……セーブしたの、ずいぶん前だったんでしょうね」

 リューカの想像は、たぶん間違っていないだろう。
 これから待ち受けるだろう困難と、理不尽な展開に、ロクトバはおじいちゃんと主人公を交互に見つめた。
 そして黙って首を振った。



 ロクトバたちが住む世界、このゲームについて少し語ろう。

 物語は単純明快、世界の崩壊間際に現れた、魔なる存在と聖なる存在の対決。勧善懲悪の流れになっている。
 ゲームの名前だとか、詳しい地名だとか、世界崩壊だとか魔だとかは、この際あまり関係ないので割愛。
 ただ聖なる存在と言うのが、ロクトバたちの前を歩く主人公『ああああい』、もしくは『ポンタタン』というわけである。

 ストーリーとしては、手垢が付くぐらい使い古されて簡単なものだ。
 しかしゲームとして注目すべきは、オープンワールドゆえのマップの広さとクエストの多さである。

 自由度が高く、このゲームはまずは世界のどこから訪れてもいい。どのクエストを先に受けても、その都度分岐点が出来、物語は進んでいく。

 ……そう、どこから訪れても、ストーリーに支障はないのだ。

 物語開始当初に、ラスボスの住居に侵入し、「へーここが最終決戦地か~」となっていても問題ない。
 もちろん主要イベントをこなしていなければ、その地でバトルは始まらないし、魔物のレベルも高い。初心者はせいぜい、マップに場所を登録するだけだ。

 ちなみに目の前の主人公『ああああい』。世界中を見て回ってのち、メインストーリーを開始させたプレイヤーである。
 もちろんおじいちゃんの送り先である、『トリスタン要塞』も登録済みのようだった。

「だからバグが起こったんじゃないっすかね?」
「ありうる」

 情報をセーブデータに書き込みすぎて、ゲームハードが処理出来なくなったのではなかろうか?
 勝手な想像をしてロクトバが舌打ちしているうちに、パーティはいつの間にか町の外に出ていた。
 舗装はされていないが、人が踏みしっかりと固まった街道を、澄み切った青空が見下ろしている。
 すれていた心が、少し癒された。

「おお、おじいちゃん一回も死なずに町を出れたっすね。強化魔法が効いたんでしょうか?」
「それもあるけど、主人公くんが上手く段差を避けていたね。だけど……ちょっとステータス画面を見てくれないか」

 「?」と首を傾げてリューカが、メニュー画面を開く。
 ロクトバも同じ画面……パーティーのステータスを見ていたが、少し気になることがあった。
 パーティメンバーのステータスを流し見ていたリューカも、すぐに気づいたようで、眉と眉の間に深いしわを寄せる。

「おじいちゃんの体力……あと5になってるっす……」
「ああ、この減り方は妙だね。確かにおじいちゃんはもともとHPは少ないけど」

 非戦闘員ゆえに、おじいちゃんも含め町民たちの体力、魔力、防御力は低めに設定されている。
 しかし、だからと言って、町の中を通り抜けただけでここまでHPが減るなんて考えられない。

「……強化してもちょっとの段差で、これだけ体力が減っちゃうってことっすか……ね?」

 しばらく眉を寄せて考えていたリューカが、ぞっとした声を出す。
 彼女の言葉を、首を横に振って否定したいが、現実がそれを許さない。
 二人が唸っているうちに主人公は停止し、メニュー画面を確認したのち、魔法を唱えた。

 今度は治癒魔法である。
 おじいちゃんの体力が回復していく。

「主人公くんがおじいちゃん護衛を成功させたいなら……、常におじいちゃんの体調に気を使い、段差に気を付け、時に回復して、力尽きそうじゃないか確認しつつ進むしかない」
「介護っすか?」

 遠い目をしたリューカが、感情のない声でそんなことを言った。
 ロクトバも同じことを思わないわけではなかったが、あえて口にしなかった。

 もだもだ喋っている間にも、おじいちゃんの介助……もとい回復を行った主人公は、よしとばかりに再び歩き始める。
 その背についていくおじいちゃんから目を離さず、ロクトバは悲痛な声でリューカに告げた。

「とにかく……主人公くんについてく僕たちも、クエストを成功させるために尽力するしかない」
「尽力って?何をすれば?」
「……まず僕と主人公くんが交互に強化魔法をかける。それと段差があったら、なるべくおじいちゃんがつまづかない位置に移動させる。道中モンスターが出たら、リューカの弓で先に仕留める」

 考えながら効率的な護衛案を口にするロクトバに、リューカはさらにげんなりと顔を歪める。

「言うのは簡単だけど、実行するのは難しいやつじゃないっすか……」
「それか主人公くんが諦めてリセットするのを祈るしかないな。もしくはいっそ……僕たちもバグるか」
「それはいやっす」

 きっぱり言い切ったリューカに、ロクトバも同意した。主人公がリセットボタンに指を伸ばすことを、天に祈るのも意味がない。
 ならば効率がいいのは、結局このクエストを素早く終わらせることだろう。

 ───まったく、主人公という存在は、本当に理不尽だ。

 そのことを改めて実感し、ロクトバとリューカは赤いマントをひらめかせる理不尽の背中を見つめる。
 一同が目指す先には、踏み固められた街道から横に伸びる、ゆったりとした坂があった。

 あの坂を下れば、本格的なダンジョンや深い森がある。自分たちの行く道は、きっと厳しく困難なものになるだろう。
 覚悟を決めて、一歩を踏み出す。
 坂をのぼり始めた主人公もまた、表情が現れないなりに真剣なようで、覗く横顔は凛々しく見えた。
 そして赤いマントの背中に続き、おじいちゃんが坂をのぼる……刹那、

 ───ぐぎり!と音をたてないことが不思議なほどの勢いで、おじいちゃんは転んだ。

 またしても人間ではありえない方角に関節を曲げたおじいちゃんは、ずるずると坂を滑り降り、途中で停止する。
 少し期待したが、そのまま動くことはなかった。

「……」
「……」

 しばし、沈黙。

 そうか~、坂も駄目か~……などと無感情に考えながら、いかにも慌てたようにブレる主人公を見つめる。
 にわかに暗転していく視界の中で、「そういえば」とリューカが呟いた。

「おじいちゃんが死んだらクエスト失敗ってことは、このおじいちゃん物語のキーパーソンなんっすね」
「こんな形でネタバレを知りたくなかった」

 一般NPCなら死んでも生きていてもメインストーリー進むからね、というロクトバの台詞は、暗闇の中に消えた。

 【クエストに失敗しました。酒場へ戻ります】
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