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どたどたと何者かが走り回る音が上の方向で響いている。
殺気立つ彼らに恐怖を感じつつも気配を出来るだけ消し、二人は逃亡を図っていた。
二人が進んでいるのは、工場の床下だった。
天井床よりも痛みが激しく今にも壊れそうな場所だったが、人の目もなく逃げられるのはここしかない。
感じるの湿気と泥とカビの臭い。
立つことは不可能な狭く暗い場所を、リザリーはミモザを先導しながら明かりに向けて這いずっていた。
地面についた手のひらと膝に、たまった水の冷たさを感じる。
屋根裏を通った自分はすでに慣れてしまったが、ミモザのような育ちの良い女性を通らせるのはためらわれた。
「すみません、お洋服が汚れてしまいますね……」
「いいえ、命に比べれば安いですよ」
肩越しに振り返れば、泥と埃で汚れたミモザの顔が暗闇にぽっかり浮かんでいる。
リザリーと目が合うと、彼女は気丈ににこりと微笑んだ。
「でも、よく見つけましたね。こんな床下の……」
「以前取材の途中見かけた工場だとわかったんです。壁も大きく崩れていたのを覚えていて、あそこなら出られるだろうって」
天井裏から観察して気が付いた時は、しめたと思った。
大層古いこの工場のことは記憶に強く残っているし、この周辺の地理は頭に入っている。
以前取材した飲食店の店主がこの近くに住んでいることも知っている。
あとは床に開けた穴に誘拐犯たちが気付く前に、ここを抜け出して助けを求めることが重要だった。
カビの臭いと窮屈な体勢に全身が悲鳴を上げ始めたが、一心不乱に前へ前へとただ這っていく。
次第次第に遠くに見えていた小さな光が大きくなる。
自らの手元が明るくなっていくたびに、進む二人の心に希望が灯っていく。
「もう少しです、ミモザさん。頑張って……!」
「はい……!」
崩れ、光の差し込むレンガについにたどり着き、リザリーはその端に手をかけて勢いよく身を乗り出す。
ぱっと空気が変わった瞬間、息を大きく吸った。
すぐに外に体を出してから穴に手を伸ばし、眩しいのか眉間にしわを寄せるミモザを引きずり出す。
彼けほっと小さくせき込みながら彼女は穴から這い出て来た。
「行きましょう。こっちに知り合いのお店があります」
頷くミモザの手を引いたまま、リザリーは走り出す。
内部で自分たちを探している犯人たちは、いまだ外に出てくる気配はない。
閉じ込められていた廃工場の周りには同じく廃棄された建物しかないが、通りを一本渡ればすぐに人通りが多い場所にたどり着く。
背後からの追手を恐れるように、振り向くこともせずに二人は走り抜けた───刹那、
「リザリー!」
安心感のあるバリトンボイスで名を呼ばれ、リザリーははっと振り返った。
廃工場の隣に、王立騎士団の専用車が停車している。
扉を開けて出てきたのは、立派な制服に身を包んだ金髪の青年と、その隣に立つカラスの濡れ羽色の髪を持つ女性。
大きく目を見開く二人が、泥まみれのリザリーとミモザを見つめている。
離れていたのは僅かな時間だったと言うのに、随分と懐かしさを感じる彼らの表情が、リザリーを安堵させた。
「エルンスト!カトレア!」
助かった。
緊張がほぐれ、胸を撫でおろしながら踵を返して彼らのもとへと走り寄っていく。
手を握るミモザも心底ほっとした様子で、「良かった」とぽつりとこぼしていた。
眉根を垂れ下げたカトレアが、己の名前を呼んで駆け寄ってくる。
エルンストもその後ろで感動の再会を見守っており……しかしその穏やかな顔は、一瞬で険しいものへと切り替わった。
「リザリー!伏せろ!!」
切り裂くような彼の声。
「え……?」と戸惑う呟きは、背後から聞こえたダァン!という破裂音によりかき消された。
ぎくりと背後を振り返った瞬間、握っていたミモザの手からふと力が抜けていくのを感じとる。
「え……?」
薄汚れてしまったプラチナブロンドが、流れるように地面に崩れていく。
驚きに大きく見開かれた灰色の目と視線が交わり……しかしそのまぶたはゆっくりと閉じられて灰色は見えなくなる。
衣擦れの音と何か固いものが打ち付けられる音を聞いた。
いつの間にかリザリーの手から、ミモザの白魚のような手が滑り落ちている。
崩れた彼女の向こうには、拳銃を手に震えている小男の姿があった。
土色をしたその顔には見覚えがある。「ジャン」という名前の、手紙を託されていた男だった。
「え……?」
視線をミモザが崩れ落ちた地面へと向ける。
泥まみれのドレス、その背中には丸い穴が開いており赤く濁ったシミが大きく広がり始めている。
ミモザ・マーティンは背中を銃弾に貫かれていた。
それを理解したとき、リザリーの脳天に雷が落ちたような衝撃が走る。
「あ、あ、ああああっ!!」
「リザリー、伏せて!」
咄嗟に出た叫び声にかぶせるように、カトレアが前に出た。
しかし忠告は耳に入らない。屈みこんで、どろりと流れ出すミモザの生命の源を必死で手で押さえる。
「ミモザさん!しっかりしてください!ミモザさん!!」
「リザリー!気をしっかり持て!リザリー!!」
呼びかけるエルンストの声が、嫌に遠い。
彼が制服を脱ぎ、シャツを破いて包帯替わりにミモザの応急処置を始めているのを、リザリーは呆然と見つめていた。
「銃を捨てて地面に伏せなさい!妙な真似をしたら撃つわ!!」
怒気を含ませたカトレアが、拳銃を取り出して叫ぶ。
しかし彼女の警告が効果を発揮することは無かった。
ぶるぶると震えていたジャンが、こちらに向けていた銃口を自らの頭へと持って行ったのである。
ぎょっとしたカトレアが走り出す。「ものがたりを」とジャンの唇が動いた。
「待て!」
その声と最後の銃声は、ほぼ同時に響き渡った。
殺気立つ彼らに恐怖を感じつつも気配を出来るだけ消し、二人は逃亡を図っていた。
二人が進んでいるのは、工場の床下だった。
天井床よりも痛みが激しく今にも壊れそうな場所だったが、人の目もなく逃げられるのはここしかない。
感じるの湿気と泥とカビの臭い。
立つことは不可能な狭く暗い場所を、リザリーはミモザを先導しながら明かりに向けて這いずっていた。
地面についた手のひらと膝に、たまった水の冷たさを感じる。
屋根裏を通った自分はすでに慣れてしまったが、ミモザのような育ちの良い女性を通らせるのはためらわれた。
「すみません、お洋服が汚れてしまいますね……」
「いいえ、命に比べれば安いですよ」
肩越しに振り返れば、泥と埃で汚れたミモザの顔が暗闇にぽっかり浮かんでいる。
リザリーと目が合うと、彼女は気丈ににこりと微笑んだ。
「でも、よく見つけましたね。こんな床下の……」
「以前取材の途中見かけた工場だとわかったんです。壁も大きく崩れていたのを覚えていて、あそこなら出られるだろうって」
天井裏から観察して気が付いた時は、しめたと思った。
大層古いこの工場のことは記憶に強く残っているし、この周辺の地理は頭に入っている。
以前取材した飲食店の店主がこの近くに住んでいることも知っている。
あとは床に開けた穴に誘拐犯たちが気付く前に、ここを抜け出して助けを求めることが重要だった。
カビの臭いと窮屈な体勢に全身が悲鳴を上げ始めたが、一心不乱に前へ前へとただ這っていく。
次第次第に遠くに見えていた小さな光が大きくなる。
自らの手元が明るくなっていくたびに、進む二人の心に希望が灯っていく。
「もう少しです、ミモザさん。頑張って……!」
「はい……!」
崩れ、光の差し込むレンガについにたどり着き、リザリーはその端に手をかけて勢いよく身を乗り出す。
ぱっと空気が変わった瞬間、息を大きく吸った。
すぐに外に体を出してから穴に手を伸ばし、眩しいのか眉間にしわを寄せるミモザを引きずり出す。
彼けほっと小さくせき込みながら彼女は穴から這い出て来た。
「行きましょう。こっちに知り合いのお店があります」
頷くミモザの手を引いたまま、リザリーは走り出す。
内部で自分たちを探している犯人たちは、いまだ外に出てくる気配はない。
閉じ込められていた廃工場の周りには同じく廃棄された建物しかないが、通りを一本渡ればすぐに人通りが多い場所にたどり着く。
背後からの追手を恐れるように、振り向くこともせずに二人は走り抜けた───刹那、
「リザリー!」
安心感のあるバリトンボイスで名を呼ばれ、リザリーははっと振り返った。
廃工場の隣に、王立騎士団の専用車が停車している。
扉を開けて出てきたのは、立派な制服に身を包んだ金髪の青年と、その隣に立つカラスの濡れ羽色の髪を持つ女性。
大きく目を見開く二人が、泥まみれのリザリーとミモザを見つめている。
離れていたのは僅かな時間だったと言うのに、随分と懐かしさを感じる彼らの表情が、リザリーを安堵させた。
「エルンスト!カトレア!」
助かった。
緊張がほぐれ、胸を撫でおろしながら踵を返して彼らのもとへと走り寄っていく。
手を握るミモザも心底ほっとした様子で、「良かった」とぽつりとこぼしていた。
眉根を垂れ下げたカトレアが、己の名前を呼んで駆け寄ってくる。
エルンストもその後ろで感動の再会を見守っており……しかしその穏やかな顔は、一瞬で険しいものへと切り替わった。
「リザリー!伏せろ!!」
切り裂くような彼の声。
「え……?」と戸惑う呟きは、背後から聞こえたダァン!という破裂音によりかき消された。
ぎくりと背後を振り返った瞬間、握っていたミモザの手からふと力が抜けていくのを感じとる。
「え……?」
薄汚れてしまったプラチナブロンドが、流れるように地面に崩れていく。
驚きに大きく見開かれた灰色の目と視線が交わり……しかしそのまぶたはゆっくりと閉じられて灰色は見えなくなる。
衣擦れの音と何か固いものが打ち付けられる音を聞いた。
いつの間にかリザリーの手から、ミモザの白魚のような手が滑り落ちている。
崩れた彼女の向こうには、拳銃を手に震えている小男の姿があった。
土色をしたその顔には見覚えがある。「ジャン」という名前の、手紙を託されていた男だった。
「え……?」
視線をミモザが崩れ落ちた地面へと向ける。
泥まみれのドレス、その背中には丸い穴が開いており赤く濁ったシミが大きく広がり始めている。
ミモザ・マーティンは背中を銃弾に貫かれていた。
それを理解したとき、リザリーの脳天に雷が落ちたような衝撃が走る。
「あ、あ、ああああっ!!」
「リザリー、伏せて!」
咄嗟に出た叫び声にかぶせるように、カトレアが前に出た。
しかし忠告は耳に入らない。屈みこんで、どろりと流れ出すミモザの生命の源を必死で手で押さえる。
「ミモザさん!しっかりしてください!ミモザさん!!」
「リザリー!気をしっかり持て!リザリー!!」
呼びかけるエルンストの声が、嫌に遠い。
彼が制服を脱ぎ、シャツを破いて包帯替わりにミモザの応急処置を始めているのを、リザリーは呆然と見つめていた。
「銃を捨てて地面に伏せなさい!妙な真似をしたら撃つわ!!」
怒気を含ませたカトレアが、拳銃を取り出して叫ぶ。
しかし彼女の警告が効果を発揮することは無かった。
ぶるぶると震えていたジャンが、こちらに向けていた銃口を自らの頭へと持って行ったのである。
ぎょっとしたカトレアが走り出す。「ものがたりを」とジャンの唇が動いた。
「待て!」
その声と最後の銃声は、ほぼ同時に響き渡った。
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