【完結】氷の王と炎の王妃

藤井 紫

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第二章 されるがままに身を任せながら

ヴァンデの悪魔

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「でも、シルヴィア様は最初から、陛下の黒髪を怖れたりしなかった」

 その言葉に、シルヴィアはふと視線を落とす。
 ――戴冠式の日。
 壇上に立つ金髪の騎士が、澄んだ声で言い放った。

 『ヴァンデの悪魔』と呼ばれるこの私が、『魔女王』に剣を捧げよう――。

 それは、黒髪の王を堂々と称え、国中に示す宣言だった。

「『魔女王』に剣を捧げると……あれを言ったのは、ヴィンセント卿だったわね」
「そうです」
 ラシェルの声は低く、吐き捨てるようだった。

「確かに、あの宣言は、敵にも味方にも忘れられないはずです。きっと黒髪の人たちも王を支持するでしょう。でも、狂ってる……って、私は思いました」
 ラシェルの表情にかすかな陰が差す。
「……もしかして『ヴァンデの悪魔』と言うのは、あのヴァンデ条約の?」
 シルヴィアが尋ねると、ラシェルは小さく頷いた。

「九年前、ヴァロニアとシーランドの戦争後に結ばれた条約です。ヴァンデの地で……。王女とシーランド王を結婚させ、その子が二国を治めるという条件でした」

 シルヴィアは、自分があまりにも政治に無関心だったことに気が付いた。
「ねぇ、まって。今、わたしがギリアン陛下と婚姻を結んだと言うことは、条約は破棄されたの?」
 今祖国シーランドを治めているのは、まだ幼い王ではなく、その摂政権を持つ宰相だ。
「はい。ただ、今回の婚姻は、条約が破棄された後のことです」

 だが、シルヴィアの胸がわずかに冷たくなる。
 シーランドで囁かれていた噂――『ヴァンデの悪魔』は、あの戦で一万人のシーランド人を殺した――。
 あのヴィンセントが、その渦中にいたというのか。

 黙り込むシルヴィアを見て、ラシェルは淡々と続けた。
「陛下の黒髪より、あの人の思想の方がよっぽど危険です! 王都に戻ってきて、陛下さえも巻き込まれてるんじゃないかって、私、心配なんです」
「陛下も?」

 ラシェルは一度息をのみ、視線を落とした。
「本当は、私、修道院に入るつもりでした。でも――あの人が王妃を選んだと聞いて、放っておけなくなったんです」
「放っておけない?」
「……かわいそうだと思ったからです。あの人に選ばれた、というだけで」
 短く息をつき、ラシェルはまっすぐシルヴィアを見た。

「――あの人、私の兄なんです」
 茶器を持つ指に力が入り、湯面がかすかに揺れた。
「兄妹……?」
 信じがたい思いで見つめるシルヴィアに、ラシェルは静かに頷いた。

「今は、名乗る家名は違いますけど、シルヴィア様以外、宮廷のみんな知ってます。……有名人なので……」

 茶の香りが濃く漂う中、シルヴィアの胸には、ギリアン、魔女、そして兄妹という三つの謎が重なり、静かに沈んでいった。
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