【完結】氷の王と炎の王妃

藤井 紫

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第五章 夜の海を揺蕩う舟のように

ノールウッドからの使者

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 その日は、王妃シルヴィアの二十歳の誕生日だった。
 王宮では例年より控えめに、だが格式を保った祝賀の式典が執り行われていた。

 高窓から冬の光が差し込む、謁見の間。
 石の床に陽の反射が揺れ、紅と金の絨毯が玉座の前までまっすぐに敷かれていた。

 シルヴィアはギリアン王とともに玉座の前に並び、次々とやってくる各地の使節たちの祝辞を受けていた。
 ラシェルは、王妃のすぐ背後、控えの侍女の位置に立っている。

(……シルヴィア様は、本当に立派になられたわ)

 しなやかに背を伸ばし、翠の瞳に静かな気品を宿す姿。
 かつて政略結婚でヴァロニアに嫁いできた少女は、今や王妃としての風格を纏っていた。

 そんな時、司会役の侍従が声を張り上げた。

「次なるは――シーランド王国ノールウッド、グラディス家の使節、参上!」

 その瞬間、王妃の肩が、ほんのわずかに震えた。

 大扉がゆっくりと開く。
 真冬の光の中、静かに歩み出てきたのは、一人の金髪の青年だった。
 騎士のような軽装ながら、マントに縫い込まれた金糸の刺繍と、佩かれた剣がその育ちを物語っている。

 翠の瞳がまっすぐに王妃をとらえ、ふと、柔らかく笑った。

「お久しぶりです──ルビ」



 ……



 ──ルビ?




 一瞬、その場の時間が止まったようだった。

「ルビ……?」
 誰にも聞こえぬほどの声で、ギリアンが呟く。


「……レオ?!」


 王妃がその名を口にした時、ラシェルの胸にひやりとしたものが走る。

(ルビ? 何それ? それにレオ? ってまさか!?)

 青年レオナール・フォン・グラディスは、ゆっくりと進み出て、恭しく一礼する。

「シーランド、グラディス家より参上つかまつりました。ヴァロニア王妃殿下のご誕辰を祝い、レーヴェンヌ伯爵家より預かった贈り物をお届けに参りました」
「……母が?」

 シルヴィアの表情に、懐かしさと驚きが入り混じる。
 ラシェルはぎゅっと拳を握る。

(……レオって……王妃様の初恋の、変顔の人……!)

 レオナールが差し出した織物包みを、シルヴィアは丁寧に受け取る。

「例の薬草を。冬向けに配合を変えたと伯爵夫人から。それと、私の妹が調合したハーブ蜜も少し。殿下のお体にも優しいと思います」
「わざわざあなたが……届けに来てくれたの?」

「ルビの頼みなら、何処へだって行くよ」
 冗談めかした口調に、シルヴィアはくすっと肩をすくめて微笑む。

 その時だった。
 玉座の横で黙っていたギリアンが、ゆっくりと口を開いた。

「……その『ルビ』と呼ぶのは、今日限りにしておけ。今は、ヴァロニアの王妃だ。『王妃殿下』と呼べ」

 声は低く、落ち着いていたが、どこかに微かな棘が混ざっている。
 だが、レオナールは怯むでもなく、にこりと笑って応じた。

「では代わりに『ヴァロニアの赤薔薇』とでも──」
「……それもやめておけ」

 ギリアンの声に、場がわずかに凍りつく。

 だがシルヴィアは、あえて何も言わず、両者の視線を静かに受け止めていた。

(……王妃様?)

 ラシェルは、不意に胸がざわつくのを感じていた。
 王妃の目の奥に、一瞬だけ宿った微かな揺らぎ。
 そして、王の瞳に燃える、見たことのない嫉妬のようなもの。

(なんなの? 変顔の人は、波風を立てに来たの??)

 そう確信した時、ラシェルの背筋に小さな冷気が走った。
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