誰が王女を消したのか

藤井 紫

文字の大きさ
6 / 9
狙われた侍女

第6話 エリュディウスに笑われる

 エマが今度は迷わず部屋に戻ると、石造りの壁に灯る蝋燭の光がかすかに揺れ、霧が窓ガラスを白く曇らせていた。

 その静けさの中、マリーがベッドの上でそっと身を起こしていた。
 エマは食事の盆を抱えたまま、靴音を立てないように足を運ぶ。

「マリーさん、もう大丈夫ですか?」

 マリーはぼんやりと窓の霧を見ていたが、エマに気づき、薄く微笑んだ。
「……大丈夫。少し、頭はふらふらするけど。……ごめんなさい、案内するって言っていたのに。迷子にならなかった?」

「なんとか、大丈夫でした」
 と、エマははにかみながら、さりげなくマリーの顔色と指先、呼吸の様子を観察する。

(手の震え、唇の色、首筋の汗……)

「これ、持ってきたんですけど、食べられそうですか?」

 エマが食事の乗った盆を差し出すと、マリーはそれを膝にのせ、そこからパンを手に取った。だが、少しだけ指先に力が入らず、パンが手の中で滑りそうになった。

 しかし、ル・コルヌがいたずらをしに現れることはなく、パンは小さくちぎられ、無事にマリーの口に運び込まれる。
 パンをスープに浸すことなく食べ、スプーンでスープの中の少ない野菜を漉し取るように丁寧にすくって食べていた。

 やっぱり王城ここには、コルヌは居ないのかな……と考えていると。

「私が王城ここに来たのは去年の春なんだけど、……実はここに来てからずっと体調が悪くって」

 エマは食堂に行く前に聞いてしまった話のことを思い出した。
 灰色の瞳の足音がしない青年と、侍女の会話――。

 誰かがマリーに毒を盛っているのか。
 それとも薬草茶がマリーの体質に合っていないだけだろうか。

「体調が悪いこと、誰かに相談しなかったんですか?」
「ここの侍女たちはみんな身元がしっかりした人なの。でも、私は孤児院の出だから弱みは見せられなかった。それに、王妃様が私には良くしてくれるので、余計に悪いことは言えなくて……。でも、エマは私と同じ十五歳だから……」

(同じ、十五歳……と言うことは)
 エマはふっと首をかしげて、マリーの顔をじっと見つめる。

「……あの、マリーさん。すみません、じっと見てしまって。でも――神の目の妖精エリュディウスが、こういう時こそよく見てごらん、って囁いてる気がして」

 マリーは一瞬驚いたように目を見開く。
 窓越しの霧の明かりが、その灰色の瞳をやわらかく照らした。


神の目の妖精エリュディウス?」


「――たぶん、こうだと思うんです」
 エマは照れ隠しにそっと頬を掻きながら続けた。

「もし間違っていたら、エリュディウスに笑われちゃうんですけど……」


 エマは一歩前に出て、
「……マリーさん、少し血が足りなくないですか?」
 ごく自然な口調で切り出した。

「修道院では、春先や十歳を超えた女の子には、先生が血の味のするものを食べなさいってよく言ってました」

 マリーは手の中のパンを見つめたまま、小さく息をつく。
「でも、ここでは血の味のものはほとんど出ないわ」
 言いながら、スープの中の野菜をまた濾すように口に運んだ。

「……それにスープも、ここのはあまり好きじゃなくて。味が薄いでしょう? だから野菜だけ先に食べて、汁は残すことが多いの」

 エマは小さくうなずいた。
 マリーはパンをスープに浸さず、そして、少ない具材だけをすくって食べていた。

「生野菜はさっぱりして好きなんだけど、なんだか体が冷えるし……」

「でも、他の方は倒れたりしないんですよね。マリーさんはどこから来たんですか?」

 マリーは少し考えてから答えた。
「北の方の、小さな港町よ。海風が強くて、冬はとても寒いところ」
「港町……つまり」

「孤児院では、黒いパンと干し魚をよく食べていたわ。それから、魚が崩れるまで煮込んだスープも」

(なるほど……)
 エマは盆の上の器を見る。
 薄いスープ、白いパン、硬いチーズ。

「城の食堂、さっき見たんですけど……大きな鉄鍋で煮てました」
「ええ、あの黒い大きな鍋」
「だから、きっとみんな少しは血を補えてるんだと思います。でもマリーさんは、味の薄いスープは苦手……と言うことは」

 マリーがスプーンを持つ手を止める。
 部屋には二人しかいないが、少し恥ずかしそうに声をひそめる。

「……実は、先月、初めて月のものが始まってしまって……。今日もなの」

 エマは考え込む。
「なるほど。個人差はあるけど、特にからだを大事にしないといけない時期ですね」

 マリーは少し目を丸くし、それから小さな声で微笑んだ。
「……でも、どうして私が血が足りないって分かったの?」

 エマは隣りのベッドに座り、そっと答える。
「……倒れる前、と言うか、最初に会った時から、マリーさんの顔色が青白くて。今も手がとても冷たいんです。それから、目の周りと、唇の色も真っ白。それに、食堂でお肉とかレバーの料理が全然出ないのに気づいたんです。みんなパンとスープとチーズだけで。たぶんずっと続いたら、わたしも倒れちゃいそうです」

 エマは、ふと思いついて自分の鞄を開ける。
「そうだ、よかったら……」

 革の編み目の中から小さな布袋を取り出し、マリーへ差し出す。
「これ、乾燥イチジクなんです。修道院で体がだるい時や立ちくらみにはイチジクがいいって教わったから、院長さまから渡されたんです」

 マリーは、手にしたイチジクを見つめてから、
「あなた、本当によく見てるのね……」
 とぽつりとつぶやく。

 エマは少しだけ首をすくめ、
「そんなに大したことじゃないです。きっと、神の目の妖精エリュディウスが助けてくれただけ」

 マリーがイチジクを口に運ぶと、甘い香りがかすかに広がった。

「でも、ここで妖精の話は、しない方がいいわ」

 と、マリーは静かに呟いた。
感想 0

あなたにおすすめの小説

サレ妻の娘なので、母の敵にざまぁします

二階堂まりい
大衆娯楽
大衆娯楽部門最高記録1位! ※この物語はフィクションです 流行のサレ妻ものを眺めていて、私ならどうする? と思ったので、短編でしたためてみました。 当方未婚なので、妻目線ではなく娘目線で失礼します。

もう散々泣いて悔やんだから、過去に戻ったら絶対に間違えない

もーりんもも
恋愛
セラフィネは一目惚れで結婚した夫に裏切られ、満足な食事も与えられず自宅に軟禁されていた。 ……私が馬鹿だった。それは分かっているけど悔しい。夫と出会う前からやり直したい。 そのチャンスを手に入れたセラフィネは復讐を誓う――。 ※AI学習禁止・無断転載禁止・無断翻訳禁止・無断朗読禁止

お姫様は死に、魔女様は目覚めた

悠十
恋愛
 とある大国に、小さいけれど豊かな国の姫君が側妃として嫁いだ。  しかし、離宮に案内されるも、離宮には侍女も衛兵も居ない。ベルを鳴らしても、人を呼んでも誰も来ず、姫君は長旅の疲れから眠り込んでしまう。  そして、深夜、姫君は目覚め、体の不調を感じた。そのまま気を失い、三度目覚め、三度気を失い、そして…… 「あ、あれ? えっ、なんで私、前の体に戻ってるわけ?」  姫君だった少女は、前世の魔女の体に魂が戻ってきていた。 「えっ、まさか、あのまま死んだ⁉」  魔女は慌てて遠見の水晶を覗き込む。自分の――姫君の体は、嫁いだ大国はいったいどうなっているのか知るために……

幽閉王女と指輪の精霊~嫁いだら幽閉された!餓死する前に脱出したい!~

二階堂吉乃
恋愛
 同盟国へ嫁いだヴァイオレット姫。夫である王太子は初夜に現れなかった。たった1人幽閉される姫。やがて貧しい食事すら届かなくなる。長い幽閉の末、死にかけた彼女を救ったのは、家宝の指輪だった。  1年後。同盟国を訪れたヴァイオレットの従兄が彼女を発見する。忘れられた牢獄には姫のミイラがあった。激怒した従兄は同盟を破棄してしまう。  一方、下町に代書業で身を立てる美少女がいた。ヴィーと名を偽ったヴァイオレットは指輪の精霊と助けあいながら暮らしていた。そこへ元夫?である王太子が視察に来る。彼は下町を案内してくれたヴィーに恋をしてしまう…。

私に価値がないと言ったこと、後悔しませんね?

みこと。
恋愛
 鉛色の髪と目を持つクローディアは"鉱石姫"と呼ばれ、婚約者ランバートからおざなりに扱われていた。 「俺には"宝石姫"であるタバサのほうが相応しい」そう言ってランバートは、新年祭のパートナーに、クローディアではなくタバサを伴う。 (あんなヤツ、こっちから婚約破棄してやりたいのに!)  現代日本にはなかった身分差のせいで、伯爵令嬢クローディアは、侯爵家のランバートに逆らえない。  そう、クローディアは転生者だった。現代知識で鉱石を扱い、カイロはじめ防寒具をドレス下に仕込む彼女は、冷えに苦しむ他国の王女リアナを助けるが──。  なんとリアナ王女の正体は、王子リアンで?  この出会いが、クローディアに新しい道を拓く! ※小説家になろう様でも「私に価値がないと言ったこと、後悔しませんね? 〜不実な婚約者を見限って。冷え性令嬢は、熱愛を希望します」というタイトルで掲載しています。

遺産は一円も渡さない 〜強欲な夫と義実家に捨てられた私、真の相続人と手を組み全てを奪い返す~ (全10話)

スカッと文庫
恋愛
「お前の価値なんて、その遺産くらいしかないんだよ」 唯一の肉親だった祖父を亡くした夜、夫の健一と義母から放たれたのは、あまりにも無慈悲な言葉だった。 四十九日も待たず、祖父が遺した1億2000万円の遺産をアテに贅沢三昧を目論む夫。だが、彼には隠し通している「裏切り」があった――。 絶望の淵に立たされた由美の前に現れたのは、亡き祖父が差し向けた若き凄腕弁護士・蓮。 「おじい様は、すべてお見通しでしたよ」 明かされる衝撃の遺言内容。そして、強欲な夫たちを地獄へ叩き落とすための「相続条件」とは? 虐げられてきた妻による、一発逆転の遺産争奪&復讐劇がいま幕を開ける!

「お前の味付けは田舎臭い」と追放された宮廷料理番——翌月の晩餐会で、王宮から料理が消えた

歩人
ファンタジー
マルガレーテは宮廷料理番の家系に生まれた令嬢。「素材の声を聴く」調理法で、食べる人の体調に合わせた料理を作る。 だが婚約者フリードリヒは流行の分子美食学に傾倒し、彼女の料理を「田舎臭い」と蔑んだ。 追放されたマルガレーテが去った翌月の大晩餐会、新しい料理人の華やかな料理は見た目だけ。 賓客は一口食べて顔をしかめ、「前の料理番はどこだ」と問う。 一方マルガレーテは、小さな食堂で「本物の味」を求める人々に囲まれていた。 「お口に合わないのでしたら、どうぞお帰りくださいませ」

第三王女の婚約

MIRICO
恋愛
第三王女エリアーヌは王宮で『いない者』として扱われていた。 メイドからはバカにされ、兄や姉からは会うたび嫌味を言われて、見下される。 そんなある日、姉の結婚パーティに参加しろと、王から突然命令された。 姉のお古のドレスと靴でのパーティ出席に、メイドは嘲笑う。 パーティに参加すれば、三度も離婚した男との婚約発表が待っていた。 その婚約に、エリアーヌは静かに微笑んだ。 短いお話です。