蒼の脳

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第五章 Brain Harmony

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 今日は機人の起源、先導者たちについて話そう。
 前回、機人は先導者たちという科学者たちの成れの果てと話したが、その技術はどこから生まれたのか。機人化技術の生みの親は、皮肉にも日本から選出された紺野蒼という、当時15歳の科学者だった。察しているとは思うが、彼女は現コンノCEOの娘にあたる人物だ。
 彼女は多くの発明をし、世界に貢献した。日本一の誉れと呼ばれ、数多くの勲章も賜った才女だ。彼女は、あの絶望の日から一週間後に、世界中へ人類の延命プランを発表した。
 それが、機械の身体、いや金属の身体への移行を促す、エボルヴ計画であった。
 今こそ人類は本能という枷から解き放たれ、次の種へとステップアップし、地球から、いや惑星から自立すべきなのだと提唱した。具体的な課程と技術を提示しながら。そう、既に自らを機人するというデモンストレーションだ。
 このプランに、先導者たちはスタンディングオベーション、つまりは大賛成した。世界の頭脳が認めたのである。しかし、世界は、人類はそれにNOを突き付けた。国連は、彼女を先導者たちから除籍しつつも、彼らの根拠地であるマリアナ人工島に幽閉した。彼女が野に解き放たれるのは危険だと判断したからである。
 その二年後、マリアナ人工島は機人が支配し、世界中で人々を虐殺し始めた。しかしその時、機人を率いていたのは、先導者たちの総長、アーネスト・ククルトンであった。
 始まりの機人、紺野蒼の消息は明らかになっていない。諸説の中には、救世機は彼女が建造したというものもあるが、証拠になるものはどこにも無いそうだ。


 人類解放党のテロ、作戦名風林火山を鎮圧してから一時間後、天霧は特務隊長官室に居た。
「大体、事態は収拾出来てきたわ。お疲れ様、英雄殿?」 
 彩藤の茶化すような言い方に、天霧は眉をひそめた。寝不足でやや気が立っているのだ。
「そんな事を言われるために、自分は帰れずにここに居るのでしょうか?」
「不機嫌そうね、そんなに眠いなら、そこのソファで寝ていきなさい」
「嫌です、ばっちい」
「それでも兵士の端くれなの? そんな事気にしてたら生きていけないわよ?」
「そうだとしても、俺は構いません。それより、本題を話したらどうですか?」
「それもそうね・・・今回の一件で、世論では二つの話題が盛り上がっているわ。まずはコンノの防衛力の貧弱さ。もう一つは救世機の再来、反AR思想者を悪と断じた事」
「悪、ねぇ・・・」
「これは一気にARとの融和が進むでしょうね」
「裏目に出なければ幸いですが・・・もう一つの方は?」
「コンノの防衛網については、保安局と特務隊の軍備格差を埋める新たな組織が編成されることが決まったわ。詳しくはまだ未定だけど」
「それはまた・・・一波乱ありそうな案件ですね」
「そうでしょうね、特務隊と保安局で主導権を握ろうと取り合っているのに、新たな組織が参入してきたら争いが激化するのは目に見えている。そこで保安局と新たな組織を対にして、その上位に独立した監督役を置くことにしたの」
「え、どこです?」
「もちろん、私たちよ」
「えぇ・・・もしかして、今回の件で役員会議ゆすりました?」 
「失礼ね、正当な評価と言って欲しいわ。特務隊が今回の一件を片付けたわけだし。なぜ、私たちが本業でも無いテロ対策に乗り出したのか、わかるでしょう?」
「ええ、暇だからでしょう?」
「違うわ! 活躍して、この飼い殺し状態から抜け出す為よ」
「なるほど・・・でも、何もせず給料もらえるなら願ったり叶ったりじゃないですか?」
「それは仕事以外に生き甲斐がある人だけ、私は何がなんでも海に戻りたいし、行動制限も解除したいの」
「インドアなのに?」
「そろそろ黙ろうか?」
「・・・アイマム」
「ともかく、このまま進めば特務隊は日の当たる場所に戻れるわ。でも、裏返せば飼い殺しにしておく余裕も無くなってきたということでもある」
「また、何か起きると?」
「何も起きないわけがないでしょう?」
「ええ、勘弁して欲しいですが・・・」
「そうね、でも私はそれに備えるつもり」
「ええ、陰ながら応援してます」
「いや、日の当たる場所に出るって言ったでしょう・・・本気なの、実働部隊を辞めたいって?」
「はい、コンノの研究所でナイトヘロンの強化プランを煮詰めていこうと思います」
「紺野清光氏の所へ、ねぇ・・・うちが通常部隊になると、動き難くなるのは解るけど。相談くらいしなさいよ」
「学業があるから、ですよ。というわけでナイトヘロンは研究所へお願いします」
「分かったわ、いつも唐突なんだから君は・・・」
「いつもありがとうございます」
「誤魔化されないわよ? どこへ行こうと私たちとの腐れ縁は断てないんだからね、エージェントとしての籍は残しておくし、ガンガン仕事も回すわよ?」
「はい、報酬次第でお受けします」
「ほんと抜け目の無いこと・・・まあ、都流木さんとファッカーズには通知しておくけど、ちゃんと挨拶はしておくようにね」
「ええ、そう遠くないうちに。それでは、もう帰りますよ?」
「そうね、お疲れ様。これから学校なんて大変ね」
「はい、お疲れ様で・・・ん? 学校?」
「ええ、今日は平日よ?」
「え、あれだけのことがあったのに、休みじゃないんですか?」
「被害があったのは、第二区と第零区の一部だけだから。他は平常運転のはずよ」
「長官、今こそ貴女の御力で学校を休みに!!」
「管轄違うし、学業頑張るのでしょう?」
「こんなところで裏目に出るとはっ・・・!?」
「明後日は祝日なんだし、ファイト~」
「明後日じゃないですか!!」
 天霧は雑に礼をし、長官室を飛び出していった。登校時間まで後二時間弱。

                   
「あ、朝帰り」
「違うわ」
 登校時間まで一時間を切った頃、帰宅した天霧は玄関先で久遠と鉢合わせていた。
「ニュース観てないのか?」
「観てないけど? どうかした?」
「いや、何でもない・・・もう、行くのか?」
「誰よりも早く着かないとだし、歩きだから」
「ああ、そうか」
 学園内では、居候だということは極秘事項な久遠。誰よりも早く行くことで、送迎車が無いことを隠蔽し、なおかつ真面目さをアピールしている。歩きなのは、お小遣いを減額したからだが。
「まあ、気を付けてな」
「心配なら、またリムジンをチャーターしてくれても良いんだけど?」
「馬鹿やろう、あれが幾らしたか忘れたのか?」
「・・・いや、あれには冗談抜きで驚いちゃったよ。御嬢様半端ねぇって」
「お前が努力して本物の御嬢様になれば良いじゃないか? その才能を生かせば・・・」
「玉の輿を狙える!」
「・・・そっか」
「勘違いしないでよね、女の子限定だから」
「はいはい・・・それで、白兎は?」
「おかしなところは無かったから、家まで送ったよ。素人目だから、ちゃんと検査に連れてってあげてよね?」
「ああ、そうする予定だ・・・その、世話になったな。お前もろくに寝れてないだろう?」
「まあね・・・お小遣い減額を解消する程度の働きはしたかもね~?」
「検討しておくよ。ほら、行ってらっしゃい」
「へ~い」
 久遠は玄関を出ると、振り向き、天霧に軽く敬礼してみせた。半笑いで。
「お疲れ、英雄殿?」
 パタンッと閉まる玄関。天霧は深い、実に深いため息をついた。
「ニュース、観てんじゃん・・・」
 その後、シャワーと着替えを済ませた天霧は、眠りたい気持ちを抑え、登校時間で家を出ていった。
 
           
「起きろ、バカぁ~!!」
 机をガタガタと揺らされ、天霧は目を覚ました。
「・・・ああ、稲葉か。何だか懐かしいな、これ」
 天霧の言葉に、稲葉は柳眉を逆立て、さらに激しく揺さぶった。
「ほぼ毎日してるんですけどー! 昨日もしたんですけどーー!!」
「あわわわ・・・そうだったっけ? そういえば何故いつも起こすんだ?」
「それは・・・」
 稲葉の揺さぶりが、ピタリと止んだ。
「お~い、どうした?」
 少し心配になり、天霧が声を掛けた。彼女は、目の焦点が合っておらず、もはや硬直している。
「・・・あ、れ?」
 どうやら、フリーズを起こしているらしい。自分の習慣について聞かれた時、たまに答えに詰まる時がある。それは自身の行動と思考に齟齬が発生しているのだと思われる。例えば、単純に理由が無いとか、言うわけにはいかないのに聞かれるであろう行動を取ってしまうとかだろう。そんな時は、同調し易い理由を与えてやると良い。
「そうか、あれだな・・・自分が寝てはいけない時、真後ろで寝られると捻り潰したくなるもんな?」
「え、あ・・・そ、そうよ! いつかあんたの頭をスイカの様にかち割ってやりたいのよ!! ・・・あれ?」
 思った通り、フリーズの解けた稲葉。しかし、出てきた言葉に天霧は頬をひきつらせた。
「そ、そうか・・・それは、すまない。いや・・・申し訳ございません、稲葉さん」
「やめてーー!?」
「そこまでの殺意を秘めていたとも知らず、申し訳ございません」
「釈明させてーー!!」
 すると、二人の元へ岡本がやって来た。
「おや、お二人さん、どうしたん?」
「おお、岡本か。ちょうど稲葉をからかっていたところだ」
「からかわれてたのッ!?」
「いつも通りだね~。んじゃ、体育祭の話でもしますか?」
「・・・体育祭?」
「あれ、天霧さんや、聞いてなかったん? なんと今年は体育祭を開催すると一昨日くらいにティーチャーが言ってたじゃない?」
「知らんな・・・稲葉、知ってたか?」
「・・・ええ、あんたは寝てたわ。張本人のくせに」
「張本人?」
「ふぅ、あんたクラブを潰したじゃない? それからみんなARが維持してきた全うな部活動へ入り始めて、触発された校長が調子づいて体育祭の復活を放送朝礼で宣言しやがってくれやがったのですよ」
「つまり、自分のせいだと?」
「そこまでは言わないけど・・・一応、学校としては人間重視だから、人間の生徒が中心になって準備するようにって・・・めんどくさいじゃない?」
「ああ、面倒だ。抗議をしに行ってくる」
 立ち上がろうとする天霧を、岡本が慌てて止めた。
「まあまあ、ちょっと落ち着いて。いつも変なところで行動的だよな?」
「体育祭では寝る暇が無いではないか」
「予想外の反論!? あのね、体育祭を勝ち抜いた組には課外学習の行き先が、第四区の牧場か通常部外秘の菱形島か選べるんだよ!」
「ああ・・・それが?」
「牧場で農業体験なんて嫌なんだ! 行くなら男のロマン、菱形島だい!!」
「お、おう・・・どっちもどっちな気がするがな」
 菱形島だって大したもんじゃない、天霧はそう言いかけて、なんとか呑み込んだ。
「同じ組になる全学年、全クラスが一致して菱形島に行きたがっているんすよ」
「圧倒的だな」
「あたしは・・・牧場も悪くないと思うけど?」
「・・・とにかく、勝つための作戦会議を始めようぜ!!」
『お、おお~?』
 こうして、尋常ならざる岡本の熱意に圧され、作戦会議はゆる~く始まったのである。

   
「楽しみですね、運動会?」
 放課後の下駄箱、白兎は微笑みながら、天霧へ投げ掛けた。
「体育祭だろ・・・楽しみなのか?」
 天霧は意外そうに投げ返した。
「はい、知識としてはあっても、経験はありませんから」
「なるほど、そういう考え方もあるな」
「それに、忠邦君のカッコいい姿が見たいです」
「無茶ぶりだな・・・というか、二十歳も過ぎた俺が本気で学生の相手をしたら、卑怯じゃないか?」
「勝負とは非情なものですから」
「えぇ・・・」
「冗談です、体育祭では手を抜く方が卑怯らしいですよ」
「そういうものか・・・?」
 二人は靴に履き変え、昇降口を出た。そこで、ふと天霧が口を開いた。
「そうだ、今日は紺野さんにメンテしてもらうからな・・・昨日の一撃でどんな影響が出てるか判らないし」
「私は大丈夫ですよ? 今日もいつも通り過ごせましたし、私は特に頑丈なんですよね?」
「確かにそうだが・・・行くのは決定だ。異論は認めない」
「はい、わかりました。久々にお父様と会うのも悪くありませんし、何より忠邦君が一緒ですから」
「ん? それは当然じゃないのか?」
「そう願います・・・さあ、行きましょう?」
「あ、ああ・・・」
 天霧たちは循環モノレールに乗り、一路、第四区へと向かっていた。所要時間は一時間半ほどである。第四区は、農耕牧畜エリアであり、広大な畑と草原が見渡す限り広がっている。ここではコンノ関係者の為に本物の食材を生産しているのだが、表向きには過去の文化の再現、教育資料として認知されている。それには、本物の食材には有害物も含まれていて、疑似食材が良いのだという刷り込みを行なう意味もある。
 第四区最南の駅につくと、天霧たちは駅近くの林へと足を伸ばした。鬱蒼とした茂みを分け入ると、そこには角の取れた墓石のようなものがある。これが研究所への道を開く鍵なのである。
 天霧はそれを両手で掴み、90度動かした。これで第一の鍵が解除された。鍵はまだある。一つでは誰かに偶然開かれてしまうからだ。墓石のような物体の上部、苔に隠れて、小さな矢印が刻まれている。これを辿ると、とある木へ行き着く。そこの小さな洞の中へ手を入れるとボタンがあり、それを押し込めば第二の鍵の解除が為された。そして最後、墓石を押し込むと第三の鍵が解除される。これにより、墓石が土台ごとせり上がっていき、そのせり上がった筒上の土台には地下への昇降機が配備されているのだ。
 天霧たちは昇降機へ乗り込み、土台が再び沈み込む形で、地下へと降りていった。昇降機の扉が開くと、そこには、清潔な病院のロビーを想起させるような、白一色の空間が広がっていた。壁から天井、床にソファまで真っ白である。照明が反射して少々目が痛い。
「やあ、久しぶりだね二人とも!」
 施設の奥から、白衣を纏ったオールバックの男性が姿を現した。この人物こそ、コンノCEOにして、すべてのARの生みの親、紺野清光博士である。
「琴音が一緒ということは、メンテナンスに来たんだね?」
「ええ、しばらく来ていなかったのですし・・・少々外傷を受けてしまったので」
「それは大変だ! さあ琴音、検査服に着替えてきなさい、いつものロッカーの中にあるから」
「はい、お父様」
 では、と白兎は頭を下げて、施設の奥へと消えていった。
「・・・報告は受けているよ、明来君。例の自動人形、クルミ割りに殴られたそうだね」
「すみません、自分の不手際です」
「愛娘の事だから気にするなとも言い辛いが・・・あれはイレギュラー過ぎる存在だからね」
「自動人形だったのですか、奴は?」
 天霧は珍しく表情豊かに驚嘆していた。
「ああ、少なくとも君が送り付けてきたものは、完全な自動人形だったよ」
「つまり奴は・・・機人が送り込んできた存在だったと」
「その可能性が一番高い。私のAARを凌駕する戦闘能力を持たせられるのは、彼らぐらいだよ」
「奴らは、クルミ割りを送り込んでいったい何を狙っていたのでしょうか?」
「ふっ、察しはついてるのだろう?」
「・・・白兎の中身、でしょうね」
「ああ、遭遇してしまったのは不運だったが、始末がついたのだから、今は良しとしようじゃないか?」
「ええ・・・・・・そうだ紺野博士、ナイトヘロンはもう来ましたか?」
「ああ、来ているよ。整備を始めているが、何か要望でも?」
「ええ・・・ナイトヘロンの外装について、新しい殻を用意して頂きたく」
「なるほど、今度はどうするかね?」
「重装甲化も悪くありませんでしたが、動きは遅く、取り回しが悪いのは少々戦い難かったです。なので、高機動と重装甲の折衷点を模索して頂きたく」
「なるほど・・・よし、考えてみよう」
「ありがとうございます・・・欲を言えば、殴る蹴るに対応して頂けると助かります」
「また無茶を言ってくれるな・・・しかし、君の操縦センスとナイトヘロンのコンセプトは、やはり合っていないのかもしれんな。後継機の開発を急ぐべきか・・・仕事が遅くて申し訳ない」
「いえ、そんな・・・多忙の中、良くしてくれています」
「ありがとう。だが、自分の不甲斐なさには嫌悪感すら覚える時がある。きっと蒼なら、そうな風に考えてしまう自分がね」
「あいつには・・・おっと、お嬢さんには、そう考えさせる程、才気に満ち溢れていましたからね」
「あはは、あいつで大丈夫だよ、水臭い。幼馴染みなんだから、私も君を息子のように思っている。結婚式の親族席は私のものだ」
「まあ・・・当分無いですけどね」
「何? 君だってもう成人しているんだ、そんな遠い話では・・・」
「お二人とも、着替え終わりましたが、まだ掛かりそうですか?」
 着替えを済ませた白兎に声を掛けられ、天霧たちは話を中断した。
「わかったよ、琴音。ではンテナンスルームへ行こうか」
 紺野を先頭に、天霧と白兎は施設のさらに奥へと移動を始めた。


 CTのような、大型の医療機器に飲み込まれていく白兎を、隣の操作室にて、天霧と紺野はガラス越しに眺めていた。
「夢を見る・・・琴音はそう言ったのだね?」
「ええ・・・たしか、俺の幼少期の姿を見たとか」
「・・・夢、AIは夢を見るのかという議論は昔から続けられていた。AIが夢を見ることは稀にあるというのは、暗に認められていた。記憶処理のラグとしてね」
「・・・だが、白兎の場合、夢を見るというのは、違う意味を指す」
「そう、これは活性化だ。君が回収した娘の、蒼の脳がその脳神経を伸ばし、琴音の神経回路に接触し始めているのだろう」
「つまり、蒼が目覚めようとしているのでしょうか?」
「おそらくは・・・だがそれは、この検査を終えてからでないと判断出来ない」
「そうですか・・・」
 天霧は、白兎の入った機器を見つめながら、ぼそりと呟いた。
「蒼が目覚めたら、白兎はやはり・・・」
「ああ、徐々に身体の主導権は奪われていくだろう。だが、彼女は消えずにリミッターとなる。蒼が唯一、慈しみを覚えていたウサギや、心動かされた君の琴の音のように。彼女を踏みとどまらせるリミッターにね」
「蒼には、問い質さなければことがある・・・ただ、今は目覚めて欲しくないと思っています」
「・・・時間はあまり残されていない。何故なんだい?」
「解っています。ただ、今年だけは白兎に白兎として学生生活を送らせてやりたい。今度、体育祭があるんです」
「・・・何だって?」
「今度、体育祭が・・・」
「明来君!!」
「はい?」
「君という奴は・・・まだ解ってくれていなかったようだね」
「・・・はい?」
「そんな・・・そんな大事な事を何故早く教えてくれないんだ!」
「・・・やっぱりか」
「蒼は、体育祭なんて猿のお遊戯だ、とか言ってサボり続けていたからな、運動会の頃ですら!! 私はずっと、父兄競技に出られなかった」
「・・・はて、今回の体育祭に父兄参加の競技があっただろうか?」
「最悪出られずとも良い、ただ普通に娘を応援したい・・・」
「・・・はぁ、変わらないな、この人は」
「さっそく、最高のビデオカメラを作り出さねば!」
「あれ、ナイトヘロンの外装や後継機の件は?」
「そんなものは後回しだ!!」
「おいおい・・・まあ、そういうことなんで、もう少し白兎のままで居させてやりたいんです」
「そうか・・・こればっかりは私でもいかんともし難い。今回の件で脳に変化が起きたかもしれないし、この検査で何かわかると良いにだが・・・それはそうと、検査には時間が掛かるが、どうするかね?」
「どのくらいですかね?」
「そうだな・・・軽く三時間は掛かるだろう」
「そんなに・・・わかりました、終わるまで出てきます」
「わかった、終了間近で連絡を入れよう」
「ありがとうございます」

        
    
「都流木、調子はどうだ?」
「うおっ・・・鷺塚か!?」
 天霧が訪れたのは、第零区にある特務隊関係の病院。テロ鎮圧後、都流木がそこへ検査入院したと聞いていたからだ。病室へ行くと、都流木は包帯で目を巻かれ、イヤホンを着けた状態で、ベッドに寝ていた。天霧はそのイヤホンをむしり取り、声を掛けたのだ。寝ていると思いきや、起きていたようだ。
「まったく、情報遮断中なのに音楽を聴いて大丈夫なのか?」
「無論だ、AARの長時間操作で脳に過度な負担は掛かっていたが、視覚情報をカットするだけで大丈夫だと言われたぞ?」
「音楽聴いて良いとは言われてないじゃないか・・・ちなみに、何を聴いてたんだ」
「っ!? ちょっ待っ!?」
 天霧は奪ったイヤホンを耳に近付けた。流れてきたメロディーは聞き覚えはあるが、どうも思い出せないものであった。しかし、少し聴くと答えが歌詞になっていた。
「ああ・・・なるほど、あの曲か。鋼鉄大帝メガリヌス、小さい頃、再放送でやってたな」
「っ・・・!? なんてことだ・・・」
「安心しろ、耳には嵌めてないぞ?」
「そこじゃない! ・・・悪いか、ヒーロー好きで!!」
「悪くはないぞ、俺も嫌いでは無いし」
「引っ掛かる言い方だな、さては女がヒーロー好きというのが気に入らんのだな!」
「元気だな・・・そうじゃなくて、俺はこう作品名やキャラクター名が歌詞に入っている曲が少し苦手なんだ」
「・・・なぜ?」
「カラオケで歌い難い」
「ああ・・・」
「それだけだ、特に気にしていないぞ。実を言うと心当たりはあったんだ」
「はっ!?」
「ナイトヘロンに音声認識機能があると教えた時は羨ましそうだったし、合体機能は無いのかと詰問したりしてたからな、もしや・・・って」
「くっ、私としたことが・・・そんな前のことも覚えているのか」
「まあな・・・さて、今日話があって来たんだ」
「は、話か?」
「ああ、実は・・・しばらく一線から退こうと思う」
「・・・本当か?」
「・・・本当だ、研究所でナイトヘロンの強化、発展に集中する」
「・・・ファッカーズはどうする気だ?」
「お前に託すよ。組んでみて悪くなかったろ?」
「まあ、な・・・意図せず最善の働きをしてくれるからな、悪くはない」 
「あはは、良かった」
「おい、あいつらには話したのか?」
「未だだが?」
「はぁ?」
「言ったろ? あいつらは根っからの軍人だ。いちいちしみったれた別れはしない。任務で鉢合わせたら旧交を温めれば良い」
「・・・なるほど、信頼しているというわけか」
「まあな・・・そろそろ面会時間が終わるな」
「もう帰るのか? 早く無いか?」
「いや、面会自体が特例なんだからな? 情報遮断中だし」
「病院は暇だ。妙に人恋しくなる。会話、会話がしたい」
「いや、寝てろよ。暇をもて余すのがお前の治療だろう? これ以上脳を使うと、鼻から溶けた脳が垂れてくるぞ?」
「何だそれは、めちゃくちゃ怖いな!?」
「安心しろ、このあと医師が薬品でお前を昏倒させる。強制安静というやつだ」
「本当か!!」
「いや、冗談だ」
「まったく・・・帰れ、なんか疲れた」
「ああ、帰るよ」
「・・・一応、ありがとう。見舞いに来てくれて」
「・・・」
「・・・既に居なかった!?」
「居るぞ?」
「居るのかよ!!」
 このあと、騒ぎ過ぎだと飛び込んできた看護師に注意を受け、都流木は本当に強制安静に処せられた。

      
 まだ時間のある天霧は、そろそろ退院するはずの田上のことも見舞うことにした。学生服では素性を探られてしまうので、近くの特務隊用のセーフハウスへ立ち寄り、スーツへ着替えた。
 ここからの身分は、また保安局員である。面会許可を取り、病室へと足を運んだ。
「失礼します」
 ノックをしてから、天霧は病室の戸を開けた。すると、まだベッドに縛り付けられている田上の姿が目に留まった。
「おお・・・カラスか。よく来たな」
 ずいぶんと、気だるそうな印象を受ける田上が寝そべっていた。これはとても退院間近とは思えない。加えて、どう見ても田上の負傷箇所が明らかに増えている。しかも、真新しい。
「田上さん・・・もしかして」
「おっと・・・バレちまったか。その通りだ、昨日の東関所でやらかしたのは俺だよ」
「保安局が無茶な防衛線を張っていたと聞きましたが・・・田上さんでしたか、なんか納得です」
「どういう意味だ・・・そりゃ?」
「いえ、あんな迅速かつイカれた行動を取れるのは、保安局では田上さんしかいませんよ」
「誉めてんだか、貶してんだか・・・」
「讃えてるんですよ。まあ、代償は大きかったみたいですね?」
「ああ、ちょっとヘマしちまってな。入院期間が延びちまったよ・・・あはは」
「あまり笑える状態ではないですよ・・・管とか刺さってるし」
「ああ、息子にも言われたよ。いい歳なんだから、自愛を覚えろってよ」
「息子・・・?」
 その時、病室の戸がいきなり開かれた。
「親父、里子と朱鳥はもうすぐ着くって・・・あっ!?」
 天霧は、その人物を見て、苦笑した。それが、この前因縁をつけてきた雲野だったからである。
「どうも、雲野課長。まさか貴方が田上さんのご子息だったとは・・・この前のあれも、親子愛ゆえでしたか・・・納得です」 
「くそ、特務隊のエージェント! また来ていたのか!」
「おいおい、息子よ・・・一応病室だぞ、ここは」
「もうすぐ私の妻と娘が来るんだ、早々にお引き取り願おうか!」
「それはそれは、田上さんにご子息どころかお孫さんまでいらしたとは。これは見物・・・いえ、ご挨拶しませんとね」
「止めろ! 貴様のような得体の知れない輩と会わせるものか!!」
「はて、そこまで毛嫌いされる由縁は無いはずですが・・・どうしてですかね、田上さん?」
「カラスよ、お前がおちょくってるからじゃあねぇか。まったく・・・利幸、そう突っ掛かるな。こいつやこいつの仲間がテロを止めてくれたから、俺らは生きてたんだからよ」
「田上さん・・・それ以上はちょっと」
「邪魔をするな! なんだ親父、何を言いたいんだ?」
「あん? 今回はこいつが助けてくれたから、俺たちは死なずに・・・」
「待て親父、俺たちを助けたのは救世機だぞ・・・まさか」
 雲野は愕然と、天霧を見詰めた。
「まさか・・・あんたが鷺塚?」
「え、違いますよ?」
「違うのか!!」
「私は彼とコンタクトが取れるうちの一人。彼に出動をお願いしただけですよ。ねぇ、田上さん?」
「お、おう、そうだった。そう言いたかったんだ」
「はい、彼も皆さんのお蔭で英雄のままでいれた、と言っておりました」
「はぁ・・・わかったから、もう帰ってくれ。家族だけにしてほしいんだ」
「そうですか、わかりました。では田上さん、御大事に」
「あいよ・・・すまないな」
「いえ、今後は特務隊も形を変えていくでしょうが、よろしくお願いします」
「長官は、あの艦長さんだったな」
「ええ、あの人は理知的だけど、無茶する癖があるので気に掛けてやってください」
「なんだ、それじゃあまるで・・・」
「早く帰れよ!!」
 雲野の盛大なツッコミが看護師を呼び寄せ、うるさいとの注意を受けた。

            
 まだ思いの外、時間を余らせた天霧は、第三区の歓楽街にも足を運んでいた。
 様々な欲望が軒を連ねる、広大な歓楽街の中で、天霧が訪れたのは飲食ストリートだった。この前、久遠が白兎を連れ回した時の事、彼女たちはとある小籠包屋に来ていた。店名は恒覇軒、後で聞いたところによると、そこも本物を出す店らしい。話では、中のスープが飛び出してくるとか。再現では中が気持ち湿っているような小籠包しかないので、それは試してみたいと天霧は考えていたのだ。
 とはいえ、恒覇軒があるのは、飲食ストリートの奥底、かなり治安の悪いエリアである。基本、歓楽街の治安は良いとは言えない。何せ、ARのエマージェンシーコールの8割はこの区で発生しているのだ。テロリストや犯罪者、チンピラなどの社会悪が流れ着くのが此処である。人間社会には、その様な場所は必ず生まれるものだ。人類が絶滅し掛かっても、こういう輩は何処からともなく湧いてくる。
 そのような場所に、白兎を連れていくという久遠の愚行。白兎は楽しかったと言っていたが、リスクが高過ぎる。実際、問題も起こったが、リムジン運転手の手腕でなんとか乗り切ることが出来たそうだ。やはり小遣いの削減は続行すべきだろうか。
 まあ、自分も来ているのであまり責められないが、と天霧は自嘲した。汚ない路地を何本か抜けた先に、恒覇軒はあった。意外と普通の店構えなのである。店先での販売で、売り子はナニ人か判らないが、安い生地のチャイナ服を着た若い娘である。とはいえ、あまりジロジロ見てはいけない。店奥で父親らしきナニ人か判らないおやっさんが、中華包丁を舌舐め擦りしながら君を見つめているからだ。
 天霧は小籠包を買い求める時、敢えておやっさんを見据えた。すると、おやっさんが頬を赤らめる始める。無事に買い求めることが出来た天霧は、そこでは食べず、足早にその場を離れた。おやっさんに、熱過ぎてすぐには食べられないとのアドバイスを受けたというのもあるが、おやっさんの嫌に熱い視線に違和感を覚えた事が大きい。
 もう少しで比較的安全な表通りへ出られるという場面で、トラブルに遭遇した。二人組の男が、年若い女性を路地へ連れ込もうとしているのだ。
 これは非常に厄介な出来事である。こういう状況はよくネタとして描かれるが、見ず知らずの人間の災難に関わるというのは、後々の悲劇を招くリスクがある。倫理的に見過ごすことは出来ないが、リスクを考えるなら、適当なARにエマージェンシーコールを発信してもらえば良い。そこまで考えて、天霧はある事に思い至った。そして、彼の結論は大きく変容する。
「よし、ぶちのめすか」
 天霧は軽い足取りで、件の路地へと向かった。路地では案の定、口論が起きていた。
「私に触わるな!!」
「黙れ! ここまで来ればこっちのもんなんだよ!!」
 思った通りの厄介事に、天霧は苦笑しながら、小籠包の蓋を開け、割り箸を割った。
「すみません!」
 天霧が声を掛けると、男たちは振り向いた。その瞬間、彼らの口内へ小籠包が投げ込まれた。
「あ、入った・・・あ~動くな、動くと小籠包が火を噴くぜ?」
「ふぁんだほ?(何だと?)」
「だれふぁかしらねふぇが、こんなふぉふぉじゃなんふぉおどふぃふぃほならへーへ(誰だか知らねぇが、こんなもんじゃ何の脅しにもならねぇぜ)」
 男たちは、思い切り、小籠包を噛み潰した。すると、どうだろう、どこに入っていたのかと疑うほどの肉汁が迸り、四方へ噴射したのである。そして、ここが重要、その熱さたるやおそらく100℃を超え、空気に触れるや沸騰を始めたのだ。
 そんな代物を男たちは噛み潰したのである。気分としては電気ポットで沸かしたてのお湯をがぶ飲みした感じだろうか。喉が焼け、舌が焼け、皮膚が焼ける。断末魔すら挙げられない激痛が脳へと伝わり、それがあまりの衝撃である為か、男らは気絶してしまった。
「はぁ・・・あのおやっさん、何てものを作っていやがる」
 天霧は肩を竦めながら、女性の方を見た。彼女は、まるで仕留めた蚊を見下すように、男らを平睨していた。
「・・・えっと、大丈夫ですか?」
「・・・ええ、大丈夫」
「それは、良かっ・・・」
「私だけで、大丈夫だった」
「・・・そっすか」
 ほら面倒臭い、とばかりに天霧は肩を竦めた。
「それじゃあ、早く帰った方が良いのでは? いくらなんでも同じ目には遭いたくないでしょう?」 
「・・・ええ、そうね」
 女性は、さっさと駆け出して行ってしまった。
「・・・ん?」
 女生徒の反応に違和感を覚えながらも、気絶する男たちを確認した。
 まだ起き出す様子は無いが、少しやり過ぎたかもしれない。ひとまず、天霧は小籠包の入っていたのか容器を二人の近くに置いた。自ら小籠包を食べて気絶した、少し苦しいが、まずまずのシナリオである。ともあれ、この連中が通報することは無いだろう。そうすれば、自らの腹を探られる可能性もあるし、何よりこんな笑い話を広める気にもならない。
 天霧は辺りを見回し、顎に手を当てた。この状況ならARを路地へと連れ込めるかもしれない、天霧は先ほどそう思い至っていたのだ。連れ込まれる状況を見たら、ARなら間違いなく追跡を始める。犯罪の予防、通報、可能なら防止が一般ARの義務だからだ。
 クルミ割りはこのような手口でARを誘い出し、破壊していたのではないだろうか。そんな事を想像していると、天霧の端末に着信が入った。紺野博士からである。
「もしもし、終わりましたか?」
 天霧が踵を返し、紺野からの返答を待っていた刹那、目の前に拳が迫っていた。これはミスをした、天霧が後悔するのと時同じくして、拳は天霧の顔面に打ち込まれた。
 イメージとしては、高速のバスケットボールを顔面に受けたような感じだろうか。鼻がツンとし、爽快な衝撃が頭部を突き抜け、意識が虚空へ飛んでいきそうになる。身体から力が抜け、端末が手から滑り落ちる。上体から背後へ倒れ込み始めた時、沸き上がってきたのは、そのすべてを打ち消すほどの怒りだった。左足が後ろへ一歩下がり、つっかい棒になる。ここまでは反射、地面を掴むように足へ力を込めたのは意志。それを皮切りに四肢へ命が下る。敵を潰せと。
 体勢を立て直してから、ほぼ無動作で左手が打ち出され、何者かの腹部を捉えた。これらは端から見れば、ほんの一瞬の出来事である。その何者かは、素早く間合いを取った。天霧は、再び焦点が合う前から、その何者かの正体には当てがついていた。
「・・・クルミ割り」
 焦点が合うと、そこには前に見たレインコートの人物がいた。
 天霧は垂れてきた鼻血を手で拭いながら、歪に微笑んだ。血の味は懐かしく、嫌いなものである。
「頭を撃ち抜いて仕留めたと思ったのだが・・・元気そうじゃないか?」
「・・・」
 対話をするつもりは無いらしい。奴は再び、左手で殴りかかってきた。天霧はパンチに合わせて身体を退きつつ、右手を相手の左拳に当て、左下へといなした。体勢を崩すクルミ割り、しかし右足を軸に、倒れ込む運動エネルギーを取り込みながら、左足で回し蹴りを見舞ってくる。
 天霧はすぐに右腕をL字に引き寄せ、左手を軽く開きながら、右耳前に構えた。すると、クルミ割りの臑が天霧の右腕に当たり、回し蹴りの勢いを削ぐ。しかし、この防ぎ方では、足先の勢いが増し、天霧を襲う。それを受け止めるのが左手が役目である。
 丸太で横薙ぎにされたような衝撃に耐え切った天霧は、左手でしっかりと奴の足先を握り、身体を時計回りに回転させ、右腕を鞭のようにしならせて、クルミ割りのこめかみ辺りを裏拳で強打した。この時のポイントは接触する寸前に拳を作ること。無駄な力みを生じさせないことで、腕が鞭のようにしならせることが可能となり、接触寸前に力を集中させることで、大きくその威力を上げている。
 これには、クルミ割りもよろめいた。その隙に天霧は掴んでいた足先、つまりは左足を両手でがっしりと握り、傍のコンクリート壁へクルミを投げ飛ばした。正面から壁に激突するクルミ割り、しかしまだ天霧は止まらない。
「ウラァッ!!」
 激突の反動で跳ね返ってきた、クルミの後頭部目掛けて、右拳を打ち込んだ。新たな衝撃により、クルミ割りの顔面が再びコンクリート壁へ激突する。そして、反動で跳ね返ってきたところを、さらに左拳で打ち返した。残虐レスラーも真っ青の連打を繰り返すこと3セット、コンクリート壁にはヒビが入り始めていた。
 既に意識は無いと踏んだ天霧は、念押しの一撃を構えた。頭を掴み、コンクリート壁へ打ち付けるのだ。天霧が頭を掴んだ瞬間、クルミ割りの、爛々と血走った眼と目が合った。
 背筋にゾッと悪寒が走る。その根源は奴の右拳、頭を掴まれながらも、器用に打ち出してきた。天霧は手を離し、後方へ跳んだ。しかし、奴の右拳は肉薄し、僅かに腹部へ触れてしまった。すると、今度は天霧の身体が反対側のコンクリート壁まで吹き飛ばされてしまった。
 衝撃を和らげる為に跳んだというのに、この威力。天霧には、腹部が爆発したように思えた。触ってみたが、幸いにも穴は開いていないようだ。しかし、身体に力が入らない。起き上がろうと、もがいている天霧に、クルミ割りは馬乗りになった。
「・・・マジか」
 クルミ割りの右拳が振りかぶられ、天霧が死を意識した。
 しかし次の瞬間、何を思ったか、クルミ割りは左拳に振りかぶるのを変えた。天霧が疑問を抱いたその時、何者かの足がクルミ割りを蹴り上げた。軽く10メートルの高みへ。
 仮にも人間をその高さまで蹴り上げた者は、ソルジャーキットにそっくりな容貌であった。ただ細部が違う。特に目立つのは、表面に施されたブラックバード迷彩だった。
 クルミ割りは、回転しながら綺麗に着地し、新たに現れた存在を注視した後、何処へか走り去ってしまった。さすがに不利を悟ったのだろう。
「これは・・・MHS?」
「その通り、どうやら間一髪だったようだね?」
「その声は、紺野博士? 貴方がそれを着れるわけが無いのに?」
「ああ、これは遠隔操作だ。それよりも、立てるかい?」
「お恥ずかしながら・・・無理です」
「分かった、運ぼう。話は研究所に着いてからだ」
 天霧がMHSと呼んだ存在は、天霧をひょいと抱き上げると、近くの建物の屋上まで跳び上がった。
「まさか、お姫様抱っことは・・・」
「我慢してくれ、まだ操作し難いんだ」
 MHSは屋根から屋根へ跳び移り、人目を避けて移動を始めた。

      
「まったく、ひどい目に遭った・・・」
 紺野研究所ロビーのソファに横たわりながら、天霧は呟いた。
 その傍らでは、紺野博士がレントゲンを見ながら難しい顔をしていた。
「内臓や骨に異常は無いみたいだ。身体に力が入らなかったのは、おそらく衝撃の影響による一時的なものに過ぎないはずだ」
「そうか・・・良かった。それにしても、とんでもない威力だった。あれなら確かにARの頭蓋骨(ヘッドフレーム)を粉砕できるのも頷けます」
「しかし、まさか他にもいたとはね。単独ではなかった」
「かなり痛めつけたんですけど、声一つ挙げなかった。あのレインコートの下はARなのか、あるいは・・・」
「何か思う事でもあるのかい?」
「まあ、無くは無いですけど、まだ推測の域をでないというか・・・」
「そう言わず、教えてくれないか?」
「う~ん・・・感覚的に、俺と同じような気がして」
「同じと言うと・・・つまり?」
「ええ、奴はケミカルアーミーかもしれません」
 ケミカルアーミー、特殊な薬品を投与し、肉体を飛躍的に頑丈にした存在。紺野蒼が、機人と平行して研究していた人体のエボルヴ計画。結局は、人体である戦略的優位性が無い為、中止されていた。
 しかし、天霧はその薬を5年前に自ら投与していた。それが、生身でナイトヘロンを動かす必須条件だったのだ。ナイトヘロンとケミカルアーミー、そして機人の蜂起。全てが紺野蒼の掌の上で行われた実験だった。あの災厄は次代の種は有機物か無機物か、紺野蒼によって試されていたのだ。
「俺は、その気になれば常人の2倍相当の膂力が出せる。奴は俺の手加減無しの攻撃を受け切った。あれがモンスターでないなら、重傷だ」
「しかし、ケミカルアーミーにする為の薬は、世界に一つ。君に投与されたものだけのはずだが?」
「もしかしたら、データが回収されたのかも。蒼の奴のラボを破壊するまで、少し時期が開いたから」
「だとしても、あの右手の威力は異常だ。ケミカルアーミー以外の要因もあるはずだ。今回はMHSを送り込んだから、助かったけれど・・・」
「そうそう、MHSだけど、いつの間にあんな機能が?」
 MHS、Machinery Human Suit、機人服と名付けた、紺野蒼の遺産の一つ。ナイトヘロン用のパイロットスーツであり、それ自体が優秀なパワードスーツで、機人と同等の力を発揮できる構造になっている。特務隊で運用していたソルジャーキットも、MHSを基に作られた。正確に言えば、簡易的に模倣したのである。
 本題に戻ると、MHSには遠隔操作機能など備わっていなかったのだ。
「今まで、オーバーホールしていただろう? その時、閃いて追加したんだ。MHSは外骨格のようなもの、全身に人工筋肉が張り巡らされているだろう? だから、空気圧で膨らませれば、遠隔操作できると考えたんだ・・・」
「・・・それで?」
「MHSは持ち運びに適していないだろう? だから、呼び寄せられるようにしたんだよ」
「確かに・・・それは便利だ」
「まあ、これからも使ってやってくれ」
「はい・・・また遭遇したら、使わせて頂きます」
「また、襲いに来るのだろうか?」
「だと思いますよ、少なくとも奴の狙いの一つは俺でしょうから」
「狙いの一つ?」
「白兎の居場所を聞き出そうとしたのでは?」
「君を捕えてかい?」
「ええ、昨日は素顔を晒していましたから、ずっと尾行されていたのかも・・・今後とも狙ってくる可能性があるので、警戒しておきます。そういえば、白兎は?」
「ああ、もう着替え終わる頃だろう」
「いえ、検査結果を」
「ああ、脳の異常は見られなかったよ。一応、他の機能も診たが、異常無しだ」
「では、脳の活性化の時期は?」
「不明だ。もしかしたら、近々一時的に脳が活性化するタイミングがあるのかもしれない」
「そうですか・・・まあ、そこは焦らず行きましょう」

     
 学生服に着替えた天霧は、白兎と共に、第一区の中心地へ向かうバスに乗っていた。
 特に会話も無く、だからといって気まずいわけでも無く、二人はただバスの揺れに身を任せていた。白兎の口から、その名前が出るまでは。
「忠邦君から見た、紺野蒼さんはどんな人でしたか?」
 想定外の質問に、天霧は困惑した。
「何だ、唐突に?」
「夢に、幼少期であろう忠邦君が出てきてから、私はずっと調べていました」
 何を、そう聞こうとして天霧は止めた。十中八九、天霧忠邦という人物について、であろう。
「可能な限り、貴方の経歴を遡りました。その結果、天霧忠邦という人物は、戦後に突然現れた存在だとわかりました。そう、どう遡っても初めて貴方と対面したあの日までしか貴方の歴史は存在しない」
「それで・・・?」
「アプローチを変えてみました。紺野蒼と幼少期が重なり、今も生存を確認出来た人物は一人、鷺塚明来のみ。しかし、鷺塚明来も戦後一年で所在不明になっている。それは私達が対面した頃に重なる。忠邦君が鷺塚明来なのですか?」
 白兎の問い掛けに、天霧は嘆息した。乗客が少なくて助かった。
「そうだよ、俺の本名は鷺塚明来だ。だが、白兎が確認したであろう記録は機密のはずなんだが・・・どうやって調べたんだ?」
「それなんですが・・・私にはハッキング技術はありませんし、そもそもARは犯罪を起こさない設定です。なのに、私はお父様のパソコンをジャックし、貴方の過去に行き着く事が出来た。だから思うんです、これも彼女の意志なのではないかと」
「蒼の意志、ということか?」
「私は、貴方の過去を探るということばかりに集中していました。脳内物質の作用を自分の意志と思い込む人間のように。蒼さんが、貴方の近況を知りたがっていたのかもしれませんね」
「なら白兎は、あいつに操られていたのかもしれないと?」
「・・・かもしれません」
「・・・かもしれないのか」
 二人は、互いの顔を見合い、笑いを噴き出してしまった。これがまた、しばらくツボに嵌まる。
「良かった、いつもの白兎だ」
「いつもの・・・私ですか?」
「ああ、さっきまでのは・・・なんか機械みたいだったからな」
「えっと、私は機械ですよ?」
「おお、そうだったな」
「お忘れで?」
「冗談だよ」
「ふふっ・・・忠邦君が私にべったりだったのは、私の中に蒼さんがいるから、だったんですね」
「言い方よ・・・まあ、その通りだけど」
「やっと謎が解けました・・・感無量です」
「まったく、恐れ入ったよ」
「・・・それで、紺野蒼はどんな方だったんですか?」
「・・・あいつは、どこまでも自分勝手だったな。振り回されてばかりで・・・」
『次は~終点、終点、第一区庁前、第一区庁前~』
「・・・着いちゃいましたね」
「ああ・・・また今度、話そうか」
 天霧は発しかけたその言葉を、胸の内で反芻した。
 俺は、紺野蒼を絶対に許さない。
          
        
「仕事だ、ジャーニー!!」
 帰宅早々、天霧はリビングへ突貫した。
「・・・んなっ!?」
 そして、着替え中の久遠と遭遇した。
 もちろん天霧は久遠には目もくれず、自室へと入っていった。制服を脱ぎ、ラフなパーカー姿に着替えると、再びリビングへと戻った。その瞬間、久遠のデリンジャーが唸りを挙げた。撃ち出されたゴム弾は、天霧の顔面に飛来する。しかし、天霧はそれを軽々と慣れた様子でキャッチした。
「なんだ、痛いぞ」
「い、今、み、見た!?」
「ん? 着替えのことか?」
「スルー出来ると思ったか~!!」
 荒れ狂う久遠に、天霧は実に煩わしそうな、冷徹な目を向けた。
「俺が謗られる覚えは無いぞ、共用スペースでの着替えは禁止と取り決めただろう? だから、着替えをしていたお前に非があるわけであり、言うなれば、露出狂が裸を見られたと怒っているようなものだ」
「ガーン!? ・・・な、何も言い返せないだとぉ」
 淡々と述べられる天霧の論説に、Tシャツにハーフパンツ姿の久遠は、膝を折り、床に手をついた。
「動体を目で追うのは反射的なものであり、防衛本能の最たるものだぞ? そもそも、一瞬着替えを見たからといって何だと言うのだ? 一瞬では人もチンパンジーも変わらないだろう?」
「さっきから例えが酷い!?」
 天霧は、項垂れる久遠の前にしゃがみ、肩に手をそっと置いた。
「要は、人に怒る前に、自分に非が無かったか考えるようにしろ、ということだ。対人関係とはまさに鏡、己が非を認め、謝罪から入れば、相手も謝罪を返してくれるだろう。怒りをぶつければ、怒りを返されるのもまた然り」
「はい・・・共用スペースで着替えてごめんなさいでした!」
「ああ、こちらも少し配慮が足らなかったかもしれない、詫びよう。すまなかったな」
 これぞ、真の和解の形なり。顔を上げた久遠の目には涙が溜まっていた。
「すげぇよ、ほんとしょうもない事で心を洗われたよ。人間としての差に泣けてくるよ」
「・・・本読んどいて良かった」
「え、何か言った?」
「いや、何も。それより仕事を頼みたいのだが」
「仕事?」
「ああ、実は今日、クルミ割りに襲われたのだが、その場所の監視カメラのハッキングを頼みたい」
「今、さりげなくとんでもないことを告げられたよ。襲われたって・・・大丈夫なの?」
「ああ、だからここに居る。頼めるか、ジャーニー?」
「やるよ、おやっさん。あんたには借りを作っちまったからな!」
「誰がおやっさんだ、とっとこ掛かれい!!」
「アイサー!!」
 久遠はPCを取ってくるなり、恐ろしいスピードで立ち上げた。
「それで襲われたのはどこ?」
「どこって・・・その・・・第三区の大通りから一本奥へ入った路地だ」
「あ、さては小籠包食べにいったな~・・・何時ごろ?」
「18時くらいだった」
「う~ん・・・」
「どうかしたか?」
「なんか、小籠包投げてる奴がいる」
「ああそれな、俺だ」
「うわ、ほんとだ・・・」
「俺が倒した男たちの近くに女性が居るだろう?」
「うん、居る」
「そいつの素性と、この後の行動が知りたい。まずは駆け出した後の行動を追ってくれ」
「はいよ・・・あれ、表通りとは逆だ、工事現場に入っていく・・・あ、出てきた、これって!?」
「このレインコート、間違いないクルミ割りだ・・・やはりあの女性が」
「うわ、ほんとに襲われてんじゃん。うお、やり返した。うわあ、これなんて映画?」
「さあな・・・よし、女が駆け出す前に戻ってくれ。身元を掴みたい」
「はいよ~・・・う~ん、あんまり解像度が良くないな。鮮明化しないと・・・・・・うん、出来た」
「どこの誰か調べられるか?」
「任せて、私のコンノ美女検索エンジンにかければすぐに判るはず・・・」
「・・・普段の用途は聞きたくないな」
「えっと・・・あ、出た。今は大学に通ってるみたいだね、寄宿舎に暮らしてる」
「名前は?」
「登録されてるのは・・・沙田霞?」
「経歴は後で洗うとして・・・どうにかして、中の様子を見れないか?」
「ちょっと、女の子の部屋を覗く気?」
「興味ないのか?」
「興味津々であります!!」
「なら、Goだ」
「アイサー!」
「・・・どうだ?」
「PCのカメラをジャック。待って・・・これは!?」
「なんだ!?」
「着替えてる~!!」
「・・・そういうの流行ってるのか?」
「うひょ~絶景かな! え、嘘、そんな・・・き、キタァーーーー!!」
「はぁ・・・見れる状態になったら教えてくれ」
「ふぁ~い・・・えへへ・・・ちっ、終わっちまった。どうぞ~」
「俗物め・・・ふむ、確かに、こいつだ。遂に突き止めたぞ、クルミ割り」
「あんなボコボコにされてたのに、綺麗な身体してたよ」
「やはり、普通の肉体では無いか・・・右腕は、一見普通だな」
「そろそろ、感知されちゃうかな。接続、切るよ?」
「ああ、十分な収穫だ」
 久遠が回線を切ると、画面にはデスクトップが表示された。
「さてと、行ってくるか」
「ええっ、これから!?」
「ああ、先手を取る。善は急げだ」
「ちょっと、昨日から寝てないんじゃないの?」
「大丈夫だ、授業中寝てた」
「それは学生としてどうなの!? そうじゃなくて、少しは休みなってこと!」
「ああ、後顧の憂いを断ったら、そうさせてもらう」
 天霧は、自室からボストンバッグを持ってきた。中にはナイトメアを始めとする商売道具が入っている。
「侵入を援護しつつ、白兎宅の監視も頼む。相手は自動人形を使役している可能性がある」
「はいよ~任された」
 再び、PCを操作し出す久遠。天霧はボストンバッグを担ぎ、自宅を後にした。
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