トンカツと魔性

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第二章からあげ 六節目

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 明くる日曜日、学校もしょうようも休みで、道悟は大いに寝坊していた。
 麗らかな午後の日差しを浴びながら、思いっきり背伸びをしてみる。凝り固まった身体を伸ばしながら、昨晩の事を思い返す。
 毎日の様に深夜の街を駆けずり回っているが、殺人鬼の尻尾すら掴めていない。いったい何処の魔性の手先なのか、野心的な海外勢か実は排他的な国内勢か。どんな力を持っているのかすら判っていない。判っているのは、心臓を欲しているという事だけ。もちろん、それが儀式的な行動なのか、即物的な意図なのかは定かではない。
 私見で言えば、海外勢が怪しいと考えている。心臓を欲するなんて、如何にも大陸的な発想だ。そう見せ掛ける為の芝居とも考えられなくもないが、考えても仕方の無い事ではある。今は未だ、好機を待つ事しか出来ない。
 さて、昼食は何にしようか。道悟がキッチンへ踵を返そうとしたその瞬間、彼の携帯が鳴動し始めた。画面を確認し、思わず天井を仰ぐ。
「・・・もしもし、連日何なんですか、女将?」
「唐揚げ、作ってなかった!?」
「・・・・・・あ」
 道悟はこの時にやっと、試作するはずだった唐揚げを、作り忘れていた事に気がついた。
「というわけで・・・集合♪」
「えぇ・・・・・・はい」
 ああ、力を使って移動したい。道悟は肩を落とし、ショボくれた声で返事をした。


 道悟がしょうようの戸口を叩くと、いつも通り女将が迎え入れてくれた。
「休日出勤、ご苦労様です♪」
「ああ、はい・・・こんにちは、女将」
「こんにちは、新田君♪ こんなに出入りするのなら、合鍵、作っちゃう?」
「・・・茶化さないでください」
 いつも通りの逍子を、道悟は素っ気なく流し、彼女の横をすり抜けて、さっさと入店してしまう。その今までに無い手応えのなさと無気力さに、逍子は動揺を隠せない。
「お、怒ってるの? 反抗期? 新田君、ぶり返しちゃったの?」
「はぁ・・・・・・すみません、雇用主に取るべき態度では無かったですね・・・今日は未だ何も食べてないせいです・・・きっと」
「そ、そうなの? 何か食べる?」
「・・・いえ、途中でミルクティーは飲んだので、最低限のパフォーマンスは可能かと。なので、早く唐揚げを作りましょう」
「え、ええ、作れば食べれるものね!」
 道悟は、私服の上に借り受けたエプロンを装着してから、厨房に立った。逍子はあのフリル付きエプロンを貸出したのだが、彼はまったく反応を示さなかった。着てからのノリツッコミかと期待したが、そうでも無い。ただただ、漬け込んでいた鳥手羽元を、逍子が用意しておいた片栗粉にまぶしていく。
 作業はつづが無く進行していくが、場の雰囲気は冷えきってきた。道悟としても、空気を悪くしているという自覚はある。判っているのに、抑えられない。いつもなら、抑えられている感情の奔流が、道悟の心を掻き乱す。
 何処からどう見ても、心のバランスを崩し、平常心を欠いている。荒ぶりそうな精神を抑制すべく、道悟は自身にこう言い聞かせた。唐揚げさえ作れば帰れる、だから何も考えずに遂行しろ、と。
 だがその時、無心で作業をこなそうとする道悟の腕を逍子が鷲掴んだ。そして、呆気取られた道悟に、怒声を浴びせ掛ける。
「そんなやっつけ仕事の貴方に、油は任せられないわ!」
 ド直球の正論である。おそらく、ここでカッとなるのが普通の反応なのだろうが、道悟の場合は逆に作用し、平静を取り戻すキッカケとなった。
「ただ作るだけじゃ駄目、やっつけ仕事で作るのはもっと駄目・・・美味しく作るのが、私たちの義務なのよ?」
 表情を強ばらせながらも、穏やかな口調で諭そうとする逍子。まるで頬を叩かれたかの様な気分に、道悟は陥る。思考を鈍らせていた靄が晴れ、もはや何故思い詰めていたのかも思い出せない。
「すみません・・・目が醒めたみたいです」
「ええ、目に光が戻ってきたわ♪ 何か悩み事?」
「悩みというか・・・・・・いえ、悩みですね」
「悩みがあるのなら、話してみて。これでも私は、聞き上手と持て囃されているのよ♪」
「それは心強い・・・具体的に、どなたから?」
「それを聞くのは野暮ってものよ? 早くカエルになりなさーい♪」
「・・・カエル?」
「ゲロゲ~ロ♪」
「・・・ああ、吐けと?」
「必死に隠してたのに・・・飲食店的に」
「ああ、すみません・・・悩みはですね、そういえばもうすぐ中間試験だな、勉強する時間は有るかなと思いまして」
 本当の悩みは言えないので、道悟は代わりに小さな悩みを打ち明ける事にした。
「なっ・・・・・・忘れてた」
「ちょっと・・・大丈夫なんですか?」
「ええ、まあ・・・何とかなるわ・・・たぶん」
「試験期間の営業は?」
「休むわけには行かないわ、家業ですもの」
「なら、頑張ってください。健闘を祈ります」
「一人は・・・その・・・あの・・・お手伝いお願いします!」
「はぁ・・・仕方ないですね。そういう先々の予定は、早めに教えてくださいよね?」
「はい・・・反省します」
「あはは、お願いしますね・・・油もちょうど良い頃合いですし、揚げていきましょうか。許可は頂けます?」
「ええ、今の新田君ならオッケーよ♪」
 無事に許可も下り、道悟は鳥手羽元を適度に熱された油へ投下していった。衣が色付き、表面がカリカリに確認して、油から引き揚げる。中まで火が通っているのか、試しに揚げたてを一つ、食してみる事にした。
 漬け込む前に、骨と身の間に切れ込みを入れておいたので肉はホロリとすぐに外れる。かなりホットではあるが、肉はジューシーかつ軟らかい。火は中までしっかりと通っているようで、これは切れ込みの副次的効果なのだろうか。
「私にも、くださいな♪」
「滅茶苦茶、熱いですよ?」
「大丈夫♪」
 逍子が揚げたての唐揚げにかじり付いた次の瞬間、彼女は悲鳴を上げる事になる。
「熱ひゃい!?」
「言わんこっちゃない・・・」
「うぅ・・・でも、美味しく出来ている・・・完璧ね♪」
「はい、良かったです・・・それにしても、割りとたくさん出来ましたね、唐揚げ」
 道悟は、てんこ盛りとなっている唐揚げを見て、苦笑した。
「大丈夫、残れば我が家の夕飯となるし、増援も呼んであるから♪」
 ちょうどその時、店の戸口が叩かれた。
「来たみたい♪」
 逍子は駆け足で戸口へ向かい、ある人物を迎え入れた。
「こんちわっす!」
 それは、リニューアル初のお客様、口調が独特な漫研女子その人である。逍子を追ってカウンターまで出てきた道悟は、目を丸くして驚いた。
「えっと・・・そちらが、女将の言った増援ですか?」
「ええ、漫研の但馬ちゃんよ♪ 但馬ちゃん、あっちのお兄さんが調理担当の新田君よ」
「初めまして、第一中学漫研部部長、但馬悠美っす!」
「初めまして、新田道悟です・・・今日はどうしたんですか?」
「はい、女将さんから新作の試食に誘われたので、部活前に馳せ参じたっす♪」
「それはそれは・・・忙しいところ、女将がすみません」
「とんでもないっす!? 自称第一のファンとしては、見逃せないイベントっすから♪」
「うふふ、嬉しい限りだわ♪ 新田君、揚げたてをお出しして?」
「あ、はい、ただ今!」
 道悟は即座に踵を返し、唐揚げてんこ盛りの皿を持ち、カウンター席に腰掛けた但馬の前にドンと置いた。
「おお、凄いっす! 頂くっす!」
 但馬は威勢良く唐揚げにかじり付き、しばし咀嚼した後、目をガン開いた。
「美味・・・美味いっす!」
 隣に腰掛けていた逍子が、嬉しそうに微笑む。
「うふふ、但馬ちゃん好きなだけ食べていってね?」
「ありがとうございまっす・・・でも、部活があるので少しだけしか食べていけないかもしれないっす」
 そう言って、但馬は5本の唐揚げをペロリと平らげてしまう。
「そういえば、漫研部ではどんな事をしているの?」
 但馬が食後の口周りを拭いている時に、逍子が唐突に質問を投げ掛ける。
「えっと・・・一年はとにかく好きなマンガを模写し続けるっす。二年で大体は手本無しで描ける様になるので、色々な二次創作に打ち込むっす。それで三年に、オリジナルを描いて、画集を纏めて卒業していくっす」
「何という英才教育・・・但馬ちゃんは三年生なの?」
「はい、そうっす・・・おっと、こんな時間っすか!? 部長が遅刻すると事なので、失礼しまっす! 美味しかったっす!」
 但馬は二人に一礼すると、脱兎の如く、店を飛び出していった。
「気を付けて~・・・・・・どうやら、唐揚げは大丈夫みたいね」
「ええ、残りの手羽元、漬け込んじゃいましょうか」
 二人は、但馬のテンションに呆気取られ、しばらく戸口を見つめ続けた。
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