エスケーブ

Arpad

文字の大きさ
上 下
2 / 8

エスケーブ #2

しおりを挟む
 いよいよ、部活承認の結果が判る月曜日がやって来た。
 とはいっても、実は結果は既に判っていたりする。それは金曜日の夜、柘植先生から連絡が入ったからである。
「すんなり即日で通っちゃったよ~なんか拍子抜けだね。部室の鍵は月曜日に取りに来てね、一応全員で。では部長さんから、皆に伝えておいてね」
 肩の荷が降りたというのがありありと伝わる電話は、私が一言も発すること無く終わってしまった。今にして思えば、アルコールが入っていたのかもしれない。
 ともあれ、部が承認されたのは、私としても嬉しかった。これで、気楽な学生生活は約束されたようなものである。約束、されたのかな。
 それはそれとして、この結果をさっそく部員たちに教えようと、ダイヤルに向かい合った時、私は衝撃の事実に気付かされた。
「電話番号・・・知らん」
 なので、さっさと諦めてしまいました。どうせ、月曜日には判るのだから良いだろう。
 というわけで、私だけ気楽な休日を経て、月曜日の放課後に皆に結果を報告した。
「そういう事は早く言えや、こらぁ!?」
 支倉姉が私の胸ぐらに掴み掛かってきた。ほんと、喧嘩っ早いな。
「申し訳ない、連絡先知らなくて・・・」
「お陰でこっちは他の部活検討する羽目になっちまったじゃねぇか!?」
「ああ、なるほど・・・ちなみに、何処に落ち着いたんだ?」
「それは、あれだよ・・・料理研究部?」
「・・・ぷっ」
「てめえ、今笑ったか!?」
「笑ってません。息継ぎしただけです」
「てめえは、仮にも陸上生物だろが!?」
 支倉姉との舌戦がヒートアップする中、泉さんが咳払いでそれを制した。
「イチャついているところ悪いのだけれど、話が進まないから止めてもらえないかしら?」
「イチャついてねぇから!?」
 泉さんにも掴み掛かろうする支倉姉だったが、さすがにそれは支倉弟が取り押さえた。血を見ることになりそうだもんな、この二人じゃ。
「さて、これからは部員の連絡先は把握しておいてもらわないと困るのだけれど、部長さん?」
「申し訳ない、後で番号メモらせてほしい」
「・・・メモらせて?」
「ん? ああ、携帯端末持ってないんだよ。あるのは固定電話だけ」
「・・・っ!?」
 私の発言に、泉さんだけで無く、幸坂さんや支倉姉弟もが戦慄している。やはり、そんなにヤバイのだろうか。
「えっと・・・連絡先の件は置いといて、部室の鍵をもらいに行こうか?」
 私の提案に、全員ぎこちなく頷いてくれた。早速、職員室へ向かい、柘植先生を呼び出した。
「ほほう、これで部員集結だね?」
 柘植先生は全員の顔を見回した後、私に苦々しい笑みを向けた。
「個性豊か過ぎるけど・・・栗柄君、まとめていける?」
「あはは・・・善処します」
「あはは・・・とりあえず、この度顧問を引き受けさせてもらいました、柘植智尋です。よろしくお願いします」
『よろしくお願いします』
 こんな時だけ、息が合う。
「はい、良い返事ですね。では部長、これが部室の鍵です」
 柘植先生が手渡してきたのは、真新しい鍵だった。うっ、人肌の温度だ。
「部室棟建て直してから使われたことが無いらしいけど、一応清掃は入ったばかりらしいから綺麗なはずだよ」
「ありがとうございます。それでは見てきますね」
「そうして、そうして。あ、くれぐれも問題は起こさないようにね? 承認されたといっても、最初の活動報告までは様子見みたいなものなんだからね?」
「はい、気をつけます」
 我々は職員室を後にし、部室棟へ向かうことにした。校庭や体育館に近い運動部系の部室棟とは違い、文系の部室棟は校舎の裏手にあり、渡り廊下で移動することになる。
 割りと部屋数の多い建物だが、文系の部活はあまり多くない。確固たる目標がある部活以外は、承認すらされず、承認されても活動報告で躓くことが多いのだとか。我々もその凡例の一つになるやもしれない、案外気が抜けない状況なのである。
 鍵の部屋番号を頼りに、我々がたどり着いたのは、二階の端だった。ちなみにお隣は軽音部で、お隣と言っても三つほど空き部屋を挟んでいるのだが。
 軽音部の部室前の壁には、表札たるステッカーが備わっていたのだが、こちらの部室には何もない。泉さんに尋ねると、あれは活動報告初突破の記念品なのだそうだ。公認の証といったところか。
 いよいよ鍵を開け、牙城となる部屋へ足を踏み入れた。中は広めのワンルームほどで、長机やパイプ椅子、戸棚に用具入れの長ロッカーなどの備品も揃っている。まあ、それ以外は何もないわけだが、悪くない。
「他人からすれば小さな一歩だが、我々にとっては大きな・・・」
「感慨に浸る前に・・・とりあえず、座わりましょうか?」
「・・・はい」
 私の感慨が台無しである。
 泉さんの一声で、私は上座に、その右手に泉さん、幸坂さん、左手に支倉姉、支倉弟の順に着席した。
「さて、せっかくだから部長に挨拶して頂こうかしら?」
「え、聞いてないが・・・?」
「ええ、言ってないもの」
「はぁ・・・仕方ないな。こうして無事に部が承認され、我々はいよいよ部室を手にしたわけで・・・・・・解散!!」
「早いな!?」
 支倉姉がすかさずツッコんできた。なるほど、ツッコミ担当か。
「今日は部室を確認するだけのつもりだったからな。皆にも予定あるだろ?」
「それは、まあ・・・あたしも明良も、そろそろ帰るつもりだったけど」
「何かあったら、また声掛けるから、気負わず帰りなよ。自由参加がメリットなんだからさ」
「・・・そうだな、んじゃ帰るわ。行くぞ、明良」
 支倉弟は一礼して、姉と共に去っていった。これがテンプレートなんだろうな。
「自由参加とは言え・・・」
 その時、泉さんが唐突に口を開いた。
「部長は毎日来て、17時まで居ることが規則で決められているから、お忘れ無く」
「なん、だと・・・」
「それから、鍵を閉めたら、毎回職員室へ返すこと。忘れると面倒なことになるから、お忘れ無く」
「あ、はい・・・じゃない!! 聞いてないぞ、そんなこと!?」
「人に説明をしてもらえなかったと騒ぐ前に、少しは調べておいたらどう? 一から十まで教えてくれるほど、人も、社会も優しくはないのよ?」
「くっ・・・言い返せない、だと」
「貴方が対等な取引をしていると錯覚しているうちに、屈服は決定していたの。甘んじて受け入れなさい」
「・・・そもそも対等な取引をした覚えが無いのだが?」
「あら、そうだったかしら? ・・・それでは、私も失礼するわ」
「はいはい、お疲れ様」
 泉さんへ適当に手を振りながら、私はこれからの事が急に不安になってきていた。実は、自分が一番割りに合わない、そんな立ち回りを演じているのではないか。これから先、どんどん面倒な事が噴出してくるのではないか。
「ぬぁーー!!」
 高まった不安を雄叫びに変え、私は気分をリフレッシュすることにした。
「ひっ!?」
 突然、近くから悲鳴が漏れたので、私の心臓は跳ね上がった。よくよく見ると、幸坂さんがまだ残っていた。
「あ、ごめん、皆帰ったと思ってて、つい・・・」
「その、帰るタイミングを逃してしまって・・・」
 ああ、幸坂さん。私以上に気苦労が絶えないのだろうな。そう考えると、何となく気も晴れたような気がする。
「お互い頑張ろうね、幸坂さん」
「あ、はい? 頑張ります??」
「さてと・・・幸い17時は過ぎてるし、帰ろうか?」
「は、はい!」
 幸坂さんと共に部室を出て、戸締まりをしてから、校舎へ戻ろうとして、私はふと軽音部の部室の前で足を止めた。
「挨拶とかしておいた方が良いのかな?」
 何の気なしに呟くと、幸坂さんが反応してしまった。
「え? ああ・・・そうかもですね。わ、私ちょっと、気まずいですが・・・」
 そういえば、幸坂さんは軽音部を見学していたのだ。事実上、蹴ったわけだから、気まずいのだろう。
「よし、俺は挨拶していくから、幸坂さんは先に帰って。職員室にも寄らないといけないし」
「あ、はい・・・お先に失礼します!」
 幸坂さんはヘッドバンキングのような動きをしてから、脱兎の如く、早足で帰っていった。あの妙な動きは、お辞儀というか、頭を下げている意味合いだったのか。
 幸坂さんの謎が一つ解けたところで、私は軽音部の扉を叩いた。内心、たのも~と唱えながら。
 しかし、いくら待てども、返答がない。というか、人の気配がしない。
 私は留守だと断定し、さっさと帰ることにした。職員室には、柘植先生の姿は無かったので、入ってすぐ左手の壁にある専用のボードに鍵を提げて、私は下駄箱へ向かった。
 これから、これが日常化していくわけか、面倒だな。そんな事を考えながら、靴を履き替え、昇降口を出ようとした、その時である。
「あの、どうでしたか!?」
「ひっ!?」
 下駄箱の陰から不意に幸坂さんが現れ、私は思わず悲鳴をあげてしまった。幸坂さん、貴女も手品師でしたか。
「あ、あれ、幸坂さん。先に帰ったはずでは?」
「いえ、その・・・やっぱり逃げたみたいで、駄目かなって」
「幸坂さん・・・律儀だね。大丈夫だよ、軽音部は留守だったから」
「そ、そうでしたか、良かったです・・・良かったのでしょうか?」
「う~ん・・・どうだろ? まあ、とりあえず帰ろうか・・・幸坂さん、電車?」
「は、はい、実家は少し離れたところなので」
「ああ、地元を避けたんだったね。普通の部活を避けたのは、帰りが遅くなっちゃうから?」
「はい、正解です・・・栗柄君は探偵みたいですね。言い当てられてばかりです」
 役者に詐欺師、それに探偵ときたか、まとまりが無くてアイデンティティを見失いそうだ。
「もしかしたら・・・熱烈なストーカーなのかもしれないね?」
「ひっ・・・!?」
 しまった、本気で幸坂さんが怯えてしまった。
「ごめん、今の冗談は良くなかった、もう言わない」
「い、いえ、少し驚いてしまっただけで・・・」
「安心して、幸坂さんにそこまで興味ないから!」
「あ、はい・・・それはそれで、傷付きますね」
 空は綺麗な夕陽だというのに、幸坂さんの表情はどしゃ降りに遭遇したかのように沈んでしまっている。
「あの、幸坂さん? 何か、お詫びさせてくださいませんか?」
 私は堪らず、そう懇願していた。
「そ、それなら・・・明日、見てくれませんか、DVD?」
「はい、喜んで!」
 お安いご用というものだ。どうせ、17時まで暇だろうし。
 表情が明るくなった幸坂さんと、授業がどうだ、天気がどうだ等と取り留めのない話をしながら、駅へと続く坂を下っていく。我が校は小高い丘の上にあり、その麓にはビルが林立する意外と栄えた繁華街と駅がある。坂を下るうちは、ちょっとした畑や竹林があるというのに、麓に付けばコンクリートジャングルというわけだ。
 人混みに翻弄されながら、駅を目指していると、私は妙な気配を背後に感じていた。
 気配とか言うと、なんだかスピリチュアルだが、端的に言うと視線のようなものである。教師の無茶振りで黒板と向かい合っている時、多くの視線が集まって後頭部がチリチリするあれに近い。
 まさか、尾行(つけ)られているのか。尾行されるとしたら、幸坂さんだろう。本当にストーカーが居たというのか。
 幸坂さんに気付いた様子は無く、というか人混みに酔っているようだ。そのまま、駅前まで来て、私は幸坂さんと分かれることにした。
「俺は本屋に寄っていくから、また明日ね」
「は、はい・・・また明日」
 幸坂さんを、手を振りながら見送り、私は気配が消えるのか待った。幸坂さんの姿が見えなくなっても、後頭部のチリチリ感が消えない。どうやら、尾行されているのは私の方だったらしい。幸坂さんと一緒に居た男がどんな奴か興味があるのだろうか。
 私は真っ直ぐ、駅ビルへと向かった。何はともあれ、面倒なので巻かせてもらおう。駅ビルへ入り、エスカレーターでいわゆるデパ地下へ降りた私は、わざと人混みへと紛れ込んでいく。
 しばらくして、後頭部からチリチリ感が無くなったのを見計らい、上階へのエスカレーターに乗った。ふと、売り場に目をやると、明らかに商品ではなく、キョロキョロと誰かを捜す、女性の姿を一瞬捉えることが出来た。
 あれが尾行者なのか断定は出来ないが、巻くことは出来た。女性というのには驚いたが、今はどうこうする段階ではないので、今日はこのまま帰るとしよう。続くようなら、対策を考えねばなるまい。
 
      
 明くる放課後、新たな日課となる部室の番人という新たな日課を遂行しに行くと、部室の前には幸坂さん、そして何故か泉さんの姿があった。幸坂さんとは約束があるが、泉さんはどうしたのだろうか。
「泉さん、どうしたの?」
「どうした、とは? 私が来ると何か不都合でも?」
「いや、意外だっただけ。泉さんは真っ先に帰るタイプだとばかり・・・」
「ええ、そうね。でも、私は貴方たちの観察者なの。報告書を上げるべく、貴方たちの部活動を監視しなくてはならないのよ」
「ああ、なるほど・・・でもそれって、ほぼ毎日居るってこと?」
「ええ、そうなるわね」
「なら、泉さんが部長で良かったんじゃない?」
「それは嫌」
「何でさ!?」
「嫌な理由を小一時間ここで聴くのと、部室の鍵を速やかに開けるのとでは、どちらが良いかしら?」
「はい、開けま~す」
 私は部室の扉を開け、仰々しくエスコートして見せた。
「どうぞ、お入りくださいませ」
「ええ、最初からそうすることね」
 何故毎度毎度、チクリと釘を刺していくのだろうか。内心、高慢ちきな後ろ姿にあっかんべーをしていると、幸坂さんに肩を人指し指で叩かれた。目を向けると、肩を叩いた人指し指でポータブルな再生機を差した後、その指を口元に持ってきた。
 どうやら、泉さんには内緒で、こっそりと観て欲しいようだ。
 私は無言で頷き、幸坂さんも部室へエスコートしてから、扉を閉めた。
 部室内では、泉さんが上座にでんっと座り、私物らしきノートパソコンを立ち上げていた。
「やっぱり、泉さんはそこが似合ってるんじゃない?」
 私の皮肉を、泉さんは鼻で笑って返答してきた。
「ここまでしか、電源コードが届かないの」
 なるほどね。これ以上邪魔して欲しくないという泉さんの空気を察し、再生機を起動させている幸坂さんのところへ逃げた。
 導かれるままに、再生機の前に座らされると、おもむろにイヤホンを渡された。こういう状況も想定していたようだ。
 イヤホンを装着していると、あのどす黒いDVDケースが取り出され、再生機にディスクが入れられた。
 そして始まる、デスメタルバンド、ベルゼブブのライブ映像。北欧系のバンドらしいが、これは日本で行われたライブらしく、ドーム会場は観客に埋め尽くされていた。
 スモッグの焚かれたステージには、紫、ピンク、赤のライトがローテーションで当てられ、幻想的というか、淫靡な雰囲気を醸し出している。
 そして不意に、耳をつんざく狂声がスピーカーから大音量で発せられ、ステージ上にバンドが登場してきた。鼓膜が昇天しそうな音量にも驚いたが、さらに驚いたのはバンドメンバーが全員若い女性であったことだ。デスメタルというと、あのメイクをした厳ついおっさんが力の限りシャウトするイメージだったが、どうも違うらしい。
 あの独特のメイクはしているものの、衣裳は黒々としたボンテージにハエの羽が付いた、ファンシーというか間の抜けたものであった。もしかしたら、本家よりもライトなグループなのかもしれない。
 そんな憶測をして間もなく、ボーカルがマイクを握った。
 ロシア訛りの英語で語り出したのは歓迎の挨拶。字幕には過激な下ネタが表示され、私は苦笑した。これは、ヤバイ臭いがする。ふと、幸坂さんに目をやると、瞳を輝かせる彼女がそこに居た。
 演奏が始まると、彼女は自分もイヤホンを接続(多数が接続出来るタイプ)し、私を押しやらんばかりに画面へ食いついてきた。物凄い密着度である、私、汗臭くないだろうか。
 そうこうしているうちに、歌が始まる。タイトルはゲヘナ。
 全体的に演奏や歌も上手で、ノリも良い曲なのだが、表示される歌詞が最悪だった。何度も繰り出される卑猥な単語やジョークの嵐。よく全訳されたものである。しかも、演出なのか、バンドメンバー達は盛り上がるにつれて、衣裳を部分的に脱ぎ捨てられていった。羽をむしり、バングルを投げ捨て、ストッキングを引き裂く。肌色が増していくにつれ、観客の歓声も増していき、バンドメンバーはそれに応えるように歌い、踊り狂う。
 やがてタイトル通りの、魔女の夜会のごとき狂宴は、大歓声の下、最初の曲が終わった。規制が掛かれば、ピー音とモザイクばかりのシュールなライブになっていたことだろう。よく日本に上陸出来たな。
 私はそっとイヤホンを外し、こめかみを押さえた。おう、まさかの一撃。幸坂さんの事がまた一つ解らなくなった。彼女はいったい、このバンドのどこが嵌まったのだろうか。というか、これが好きな幸坂さんって。
「ど、どうでしたか!?」
 幸坂さんが、瞳を輝かせて感想を求めてくる。どうしたものか、批判めいた言葉しか浮かんでこない。
「・・・そうだな、これは・・・」
「・・・卑猥ね」
 その時、私と幸坂さんは、背後に泉さんが居たことに気付いた。
「ぴひっ!?」
 幸坂さんの心が音を発てながら崩落していくのが聴こえたような気がする。真っ白な灰と化した幸坂さんはとりあえず触れずに、泉さんへ批判的な眼差しを向けた。
「盗み見なんて趣味が悪いな?」
「貴方のリアクションが面白いから、興味が湧いたのよ」
「え、顔に出てた?」
「ええ、とても、冷めた目をしていたわ」
 うわ、やっちまった。
「・・・そうだ、泉さん、音は聞いてないだろう? 聴いてから総評にしなよ」
「そうね」
 泉さんはイヤホンを受け取ると、ライブ映像を最初から見直した。そして、曲が終わると静かにイヤホンを外した。
「幸坂さん、これで終わりではないのでしょう?」
「・・・へ?」
「貴女は私が言った感想を、栗柄君に言われることを想定していたのではないかしら? ショックを受けたのは、私に見られたからなのでしょう?」
「・・・はい」
「私は、人の趣味を笑えるような、高尚な趣味なんて持ち合わせていないわ。それよりも、まだ終わっていないのなら、続けるべきよ」
「は、はい!」
 幸坂さんが正気に戻り、次の曲を再生し出した。
 すると、まったく印象の異なる衣裳のメンバーと演奏が始まる。メイクは変わらないが、肌色ゼロの黒いロングコートに、情熱的な歌詞を情感たっぷりに歌い上げていく。
「・・・全然違うね?」
「はい、前の曲とは所属事務所が違うんです。劣悪なところから割りと一般的なレーベルに来れたみたいで・・・この頃からなんです、気になり出したのは」
 次の曲も、衣裳が異なり、音楽も違う。その次もその次も、デスメタルにしては大人しい衣裳と上品な歌詞を、耳に優しめに歌い上げる。
「所属を転々としていって、段々とメジャーなレーベルになっていって、音楽もレーベルの方針で様変わりしていて・・・この人達の音楽って何なんだろうって気になって」
 確かに、個性というか、主義主張が無いというか。訴えてくるものが無いのだろう。
 いよいよ、最後の曲。滝のような汗でメイクも剥げ、衣裳ももはやタンクトップにカーゴパンツである。音楽は、段違いだった。
 弦を一度弾いただけで、心を揺らされた。枷が外れたように音のキレが増し、歌声は慟哭のように、自由について歌い上げている。今までに無いくらい、エナジーというか生命力に満ち溢れている。
 ある意味、聴くに堪えない曲である。聴いていたら、はばかり無く泣いてしまうだろうから。よく判らないのに。
「最後はインディースに転向して、やっと判ったんです。ああ、これを歌いたかったんだなって・・・」
 全てを観終えてから、泉さんが口を開いた。
「なるほど、理解したわ」
 泉さんはそれだけ言い残して、帰っていった。何を理解していったのだろうか。
「その・・・何というか、思った以上に大作だったよ」
「すみません・・・趣味全開で」
「いや、好きになるのも解る気がしたよ。こんな機会でもないと観ることもなかっただろうし、ありがとう」
「いえ、その・・・こちらこそ、ありがとうございます!」
「あはは、まあ友達付き合いで発散の場が欲しくなったら、お気軽にどうぞ。貴女の逃げ場所エスケー部へ・・・なんて」
「はい! おすすめはまだまだありますから!」
 おう、マジか。
「おっと、もう17時過ぎてたか。幸坂さんも帰るでしょう?」
「そうですね、帰りましょうか」
 私は戸締まりを、幸坂さんは再生機を手提げに片付けてから、部室を後にした。泉さんのパソコンが置いてあったが、わざとだろうし、気にせず鍵を閉めた。
 あとは昨日と同じ、職員室に鍵を返して、帰路につくだけである。
 また幸坂さんと帰りが一緒になったが、どことなくバツの悪い表情をしていた。
「・・・泉さんにバレたこと、気にしてる?」
「え? あ、その・・・はい」
「う~ん・・・少なくとも泉さんは人の趣味を吹聴するような性格ではないと思うけど、心配?」
「あ、いえ・・・その心配は私もしてないです」
 ああ、泉さんって吹聴する友達居なさそうだもんね。
「その・・・泉さんって、どんな人なのかな、って考えていて」
「泉さん、か・・・そういえば、名前すら知らないな」
 向こうは把握してそうだけど。
「あの、私、栗柄君の名前も知らない、です」
「あ、俺も幸坂さんの名前知らない」
「・・・あの、幸坂結実(こうさか ゆふみ)と言います」
「ああ、どうも・・・栗柄鎬(くりから しのぎ)です」
 名乗り合い、どちらともなく笑いだしてしまった。
「いやぁ、そういえば名乗ってすらいなかったのか」
「改めてだと、なんだか面映いですね・・・鎬は、鎬を
削るの鎬ですか?」
「ええ、そうですよ。幸坂さんの名前は・・・どことなく古典っぽいですね?」
「はい、雅さを身に付けて欲しかったそうです」
「なるほど・・・」
 雅さを身に付けて欲しい子が、デスメタルに嵌まってしまったのか。
「ちゃんとお話ししたことはありませんが、支倉さん達は、暁乃さんと明良君でしたっけ?」
「確か、そうだった。俺も直接聞いてないけど」
「意外とお互いのこと、知らないでいたんですね」
「まあ・・・仲良くする前提で集まったわけじゃないから。なるほど、一番情報を曝しているのは幸坂さんってわけだ」
「え、あの、その・・・それじゃあ、栗柄君の趣味を教えてください」
「う~ん・・・読書?」
「その、アバウトですね・・・」
「えっと、趣味と言えるほどのものが無くて・・・強いて言うなら、サバイバル系の本を読んで、載ってる道具を片っ端から作ってみたことが・・・」
「おお! 例えば?」
「例えば、弓を・・・」
 その時、私は後頭部に昨日と同じ視線を感じた。よくよく周りを見れば、もう麓の繁華街に着いている。昨日もこの辺から尾行されたんだっけ。
「あの、どうかしましたか? 私、何か失礼な事を??」
 いきなり黙ったせいで、幸坂さんが困惑していた。振り返りたい衝動を抑え、努めて何気ない会話を再開する。
「あ、ごめん、思い出してたんだけど・・・そう、弓矢とか作ったよ。石で鏃とか作ってね・・・」
 会話をしながら、駅へと向かっているが、やはり気配は追い掛けてきている。今日も昨日のように分かれて、巻いてから帰るとしよう。
 幸坂さんと改札前で分かれ、駅ビルへと向かう。だが、そうした途端に後頭部への視線が無くなってしまった。
 思わず振り返るが、挙動の怪しい人物は見当たらない。もしかしたら、幸坂さんの方を尾行ていったのか。今から追い掛けても、幸坂さんを見つけることは難しい。私は彼女の無事を祈って、帰路につくしかなかった。

      
 翌朝、幸坂さんは普段通り、自席に座っていた。これで安心して授業が受けられる。放課後、幸坂さんの方から話し掛けてきた。部活が休みの学友から、遊びの誘いがあったらしい。
 私は参加は気が向いたらで良いと伝えてから、率直に昨日の事を尋ねてみた。
「昨日の帰り道、変わったことなかった?」
 幸坂さんは不思議そうな顔で、特に何も、と返答した。
「いや、気にしないで」
 幸坂さんを見送ってから、私は少し物思いに耽ってみる。
 尾行されていないのか、それとも幸坂さんが気付かなかっただけなのか。はたまた全てが私の気のせいなのか。考えたが判らない。答えは今日の帰りに出ることだろう。
 結論を出した時、後ろから頭を叩かれた。振り返ると、仏頂面の支倉姉が立っていた。
「今日も手伝いあるから帰るわ・・・明日なら、少しくらい顔出すかも」
 それだけ言って、弟と共に去っていった。良いのに、気を使わなくても。
 さて、残る泉さんは既に姿が見えない。人が居ないと踏んで帰ったのだろうか。まあ、私は強制的に部室へ行かなければならないのだが。
 ゆったりとした歩調で鍵を取りに行き、部室へ向かう。階段の角を曲がって、少し驚いた。泉さんが待っているのだ。
「・・・遅い」
 近づくと、真っ先に怒られた。
「ごめん、ごめん。帰ったのかとばかり・・・」
「こうも待たされると、私が鍵を取りに行った方が良いのかしら?」
「あ、それは助かる」
 睨まれはしたが、明日からは泉さんが鍵当番になることだろう。
 さっさと扉を開け、入室する。泉さんはパソコンのある上座へ、私は少し間を空けて、彼女の左手に座った。こんなに空いているというのに、隣に座るのもおかしいだろう。
 今日は、特段やることがない。時間を潰す為にも本を持ってきたが、正直眠い。いっそ寝てやろうかと考えていると、泉さんが話し掛けてきた。
「昨日の事、他言するつもりは無いと幸坂さんに伝えてもらえるかしら?」
「何で俺が・・・自分で伝えれば良いじゃない?」
「貴方たち、良い仲でしょ?」
「語弊があるな、せめて仲良いにして・・・と言っても、顔見知りに毛が生えた程度ですよ」
「そう・・・それでも、理解者がいるのは幸福な事よ」
「泉さんも、もはや理解者じゃないの?」
「・・・私は理解というより、許容しただけ。ひた隠しにする程では無い、大したことでは無いと」
「なら、俺も理解者は名乗れないな。幸坂さんみたいに瞳を輝かせること出来てなかったみたいだし」
「・・・それでも、拒絶されるよりはマシなはず」
「中途半端に受け入れても、傷付けるだけかもよ・・・うわ、これ自爆だな」
「そうね・・・でも、理解者面は、すぐに判るものよ。少なくとも幸坂さんは、栗柄君が理解してくれていると思っているはずよ」
「まあ・・・興味が無かったわけじゃないし。最後の方の歌は気に入ったかも、いつの間にか鼻唄歌っちゃってたし」
「幸坂さん、喜びそうね」
 その時、泉さんは微笑んでいた。私が彼女の顔に感情を覚えたのは、初めてかもしれない。まあ、気にしてないだけか。
「・・・泉さんって、友達いるの?」
「何、藪から棒に?」
「いや、少し気になって」
「・・・ある人は、友達というのはその場を乗り切る為のツール、と言っていたわ」
「はあ・・・その定義だと我々は友人ということになりすな?」
「ええ、大事なツールよ?」
「はいはい・・・聴きたかったのとは違ったけどね」
「・・・では、何を?」
「さっき、幸坂さんの趣味を許容したって言ったじゃない?」
「・・・ええ」
「許容って、丸ごと受け入れても余りあるってことじゃない? そんな泉さんを許容してくれる人はいるのかなって?」
「・・・・・・さあ、どうかしらね」
 泉さんは、それから間もなく帰宅していった。地雷だったか、地雷だったよな。居るわけないか、そんな怪傑。
 すっかり目が冴えてしまった私は、読書をして時間を潰し、やがて帰路についた。帰宅して気付いたが、その日尾行されることはなかった。

      
 あくる日の部室は、空気が悪かった。龍と虎、犬と猿、泉さんと支倉姉。
 宣言通り来たは良いものの、支倉姉はメンチ切りまくりである。この両者の緊張状態は、冷戦期の米ソのそれに似ている。口火を切れば、血を見ることになるかもしれない。まったく、こんなんばっかだな。
 私が縮こまりながら読書していると、状況に堪えかねたのか泉さんが帰っていった。扉が閉まると、支倉姉は頬杖を突いたまま、フンッと鼻を鳴らした。
「いけ好かない奴だぜ」
 ここに終末戦争は回避された。ホッとしたのも束の間、こちらにその矛先が向けられてしまった。
「おい、地味太」
「何だ、支倉姉」
 必要以上に絡まれないよう、本を読みながら会話しよう。
「今日はノッて来ないな・・・それであの女の目的は掴めたのかよ?」
「目的って? 部活の説明はしたはずだけど?」
「それはもう判ったよ・・・そうじゃなくて、あの女がこんな集まりを作った理由だよ」
「ん? それは・・・何か忙しいんじゃないの?」
 一瞬言葉に詰まった、そう言われると泉さんは何故一般の部活を避けたのだろう。
「忙しいっつってもなぁ、あれから毎日来てるんだろ?」
「まあ・・・報告書の為だってよ?」
「報告書ねぇ・・・経過観察なんて面倒なことを、忙しい奴がやるか、普通?」
「確かに・・・」
 活動報告書なんて、この部で何を書けば良いのか分からないから、泉さんに丸投げしていたが、あれだけ部長を嫌がる泉さんが何故、報告書は引き受けたのか。良心の呵責なら、まだ可愛げがあるのだが。
「よし、機会があったら聞いてみるよ」
「頼むわ、あたしじゃ血を見ることになりそうだからな」
 あ、自覚あったんですね。
「というか、支倉姉よ。今日は一人なのか? 弟は?」
「そのさ、支倉姉って嫌なんだけど? あたしは何て呼べって言った?」
「だってお前、呼んだらキレるじゃん・・・」
「あれはジョークだよ、ジョーク。小粋でチャーミングな、な? もう言わねぇからさ」
「はぁ・・・それで、明良・・・」
「暁乃だよ!!」
「ジョークだよ、ジョーク」
「あん? ・・・なんだよ、してやられたな!」
「ハッハッハ!」
「ハーハッハッハ!!」
 我々は一頻り、アメリカンに笑い合った。
「ハッハッ・・・はっ!? いや、そうじゃなくて、弟は来ないのか?」
「ああ、明良の奴は後継ぎだからな、ほぼ来れないと思うぜ? 私は気楽なもんで、たまに入りが遅いのさ」
「へぇ・・・将来は家業継ぐのか?」
「はあ!? 明良が継ぐって言ったろ? あたしは・・・まだ保留だよ」
「夢でもあるの?」
「違う・・・明良もいつか、家族を持つだろ? あいつと店を回すのは、あいつの奥さんであるべきで・・・あたしは、お邪魔虫かなって」
「だから、家を出ると?」
「まあな・・・あの明良がいつ嫁さんもらうか判らないが、遅かれ早かれ準備はしておくさ」
「ああ・・・無口だもんな」
「ああ、あいつ照れ屋なんだよ」
「ああ、照れ屋・・・照れ屋!?」
 あの貫禄は、照れてただけなのか。
「あたしがじゃじゃ馬だからかな、明良の奴は落ち着きが振り切れて、不動になっちまった」
「あ、自覚あったんだ」
「声に出てるぞ」
「あ、ヤベ・・・」
「はぁ・・・だから、まだ友達も出来てなくてさ。まあ、あたしもだけど・・・」
「あ、もしかして・・・俺、友達候補?」
「っ・・・そうだよ! 一番可能性がありそうだからな、地味太は。地味だし」 
 大きなお世話だ。
「それは、やぶさかでも無いんだが・・・友達って言っても、駄弁る相手くらいにしか
なれそうにないが?」
「あ? 友達ってそんなもんだろ?」
「そんなもんか・・・明日にでもトライしてみるか」
「ああ、頼むわ」
「俺が自分から行くなんて滅多にないんだからな、有り難く思いなされ」
「はいはい、ありがとな地味太」
「投げやりだな・・・それで、暁乃は?」
「あたしが何?」
「友達は?」
「・・・居ねぇ。だが、マブダチならいるぜ?」
「おお、どんな奴なんだ? 他のクラスか?」
「あ? お前」
「・・・・・・大前、さん?」
「いや、お前だから」
「ああ、俺か・・・」
 おぅ・・・マジか。
「待て待て待って、いつからマブダチ? 何でマブダチ?」
「あたしがメンチ切ってもビビらないからな。怖がってるふりはするけど」
「マブダチの基準、浅いなあ。そんなのゴロゴロ量産されるぞ?」
「いや、中々居ないぜ? 誰も近づいて来ないし」
 ただ単に、面倒な奴と思われているだけではなかろうか。
「大抵の奴は怯むんだけどなぁ・・・お前、何で怖がらねぇの?」
「ああ・・・粋がった口調のくせに、案外可愛い声してるから」
「ファッ!?!?」
 突然、奇声を発しながら、身を乗り出してきた支倉姉に、頬をビンタされた。
「ごはっ!?」
 しまった、地雷だったか。いつも笑いを堪えていた、とは言えなかったな。
「すまん、まさか顔を真っ赤にして怒るほど、コンプレックスに思っていたとは・・・」
「っ・・・そ、そうだよ、アホが! 調子乗んな、バカ野郎!!」
「はい、すんません・・・」
「帰る! 明良の件、忘れんじゃねぇぞ!!」
「へ~い」
 何故かそそくさと帰っていく支倉姉。お疲れ様です。

      
 翌日、今週最後の登校日たる金曜日。
 今日は、初の体育の時間に体力テストが実施される。二人一組で測るようなので、支倉弟に声を掛けようとしたが、柘植教諭に体格が同じくらいの者と組むように言われてしまった。
 まあ、仕方無い。素直に同じくらいの体格の者を捜していると、支倉弟の方で騒ぎが起きていた。
 彼と同じような巨漢の男子でも、準備体操で彼を持ち上げられないというのだ。
 面白そうなので、名乗りを上げてみた。持ち上げに掛かると、確かに重くはあるが、持ち上げられないという程ではなかった。見た目から来る、思い込みとかでは無いだろうか。
「組もうか?」
 支倉弟に問い掛けると、彼は静かに頷いた。この後は、計測をこなしながら、会話していった。連投のようだが、ちゃんと計測を挟んでますから。
「そっちのお姉さんは暁乃って呼べって言われてるけど、何て呼んだら良いかな?」
「・・・明良で構わない」
「そうか、俺は名字で頼むよ。名前なんて呼ぶのも呼ばれるのも慣れてないからさ」
「・・・わかった」
「明良、スポーツは?」
「・・・特には、何も」
「そっか、俺もだ。家の手伝いが忙しいから?」
「・・・ああ。だから、部活には殆ど行けないだろう、すまない」
「気にしなさんな、その為の部活だからな。俺も部長の責務が無ければ、直帰してただろうしさ」
「・・・姉さんは行くと思うから、その・・・よろしく頼みたい」
「ん? 何頼まれたんだ、俺は?」
「・・・姉さんは、ちょっとあれだから、あまり相手をしてくれる人がいない。張り合える相手が居て楽しそうだった・・・可能なら喧嘩仲間になってやって欲しい」
「う~ん・・・殴り合いとかは嫌だぞ?」
「当然だ・・・あんたには勝てないだろうからな」
 それは、俺では勝てないという意味なのか、はたまた俺には勝てないということなのか。
 それはさておいて、姉弟揃って互いの心配とは仲がよろしい事である。支倉弟とは初めて話したが、無口とはいえ、はっきりと物怖じせずに話すし、人当たりもやや高圧的ではあるが、悪くない。
 この姉弟は中々、面白い奴らなのかもしれない。
「ははっ・・・分かったよ、お前達の願い、聞き届けよう」
「・・・達?」
 簡単な話、どちらとも友好的に振る舞えば良いということである。
「よし、昼は一緒に食うか? 暁乃も交えて」
「・・・ああ、悪くないな」
 こうして私は、支倉姉の依頼通りに支倉弟と語らい、友好の一歩を踏み出したわけなのだが。

      
「お前ら、気持ち悪いな」
 それが、昼食の席で、支倉姉が最初に言い放った言葉である。
「なんだ、藪から棒に・・・開口一番で喧嘩吹っ掛けて何がしたいんだ?」
「いや、いきなり仲良くなり過ぎだろ・・・大丈夫か?」
「はい? それはお前・・・」
 仲良くしろって頼んだじゃねぇか、そう言いそうになり、寸前で堪えた。依頼があったなんてバラしたら、支倉姉が暴れるかもしれないし、支倉弟の方も気分が良くないだろう。
「・・・それはお前、明良とはもうマブダチだからな。当然じゃあないか?」
「てめえ、あたしの方は嫌がっといてか!?」
「何だ、妬いてるのか?」
「妬いてねぇから!? そこはかとなく疎外感抱いただけだから!!」
「疎外感は感じたんだ?」
「あ? 双子舐めんなよ??」
 その理屈はよく判らないが、なんとか誤魔化すことは出来たようだ。
「おい、明良! 地味太とはもうマブダチなのか?」
 口から出任せだったが、どう答えるかは見物だな。
 支倉弟は、しばし目を閉じ、おそらく重い悩みながら、曖昧に頷いた。
「・・・そう言えなくも、無いかもしれないな」
 立場的に肯定も否定も出来ないわけか。空気を読む力と協調性は姉以上だろう。
「何だよ、はっきりしねぇな。そこは応ッて答えるところだろうが? だから友達出来ねえんだよ」
「・・・姉さんこそ、友達出来たのか?」
「なっ・・・別に、友達なんて」
「なんだ、俺はマブダチじゃなかったのか?」
「それはっ・・・お願いします」
「おお、了解、了解」
「軽いなっ!?」
 最近思うのだが、支倉姉は割とイジリやすいのかもしれない。茶々入れ易いから、煽り過ぎないように気をつけておこう。
「そうだ、あれは? 体力テストは誰とやったんだ?」
「うっ・・・・・・余ってた奴」
「はあ・・・・・・あ、待てよ・・・もしかして、泉さん?」
「っ・・・ああ、そうだよ! あの女だよ!! 何で判るんだよ!?」
「簡単な推理だよ」
 だって貴女たち、女子の中で余りそうな奴のツートップだし、担当は柘植教諭だったからな。組ませちゃうでしょう、顧問なんだし。
 教室を見回したが、泉さんの姿は無い。
「仲良くしたら?」
「嫌だ、信用ならん」
「頑固だねぇ・・・じゃあ、幸坂さんは?」
「あ? 誰それ?」
「えぇ・・・同じ部だぞ?」
「同じ部・・・ああ、地味子な!!」
「幸坂さんな、覚えとけよ。それで、友達になれそうか?」
「はっ・・・あれを見てみろよ」
「ん?」
 支倉姉に顎で示されたのは、幸坂さんを含む女子の小グループであった。生き残りを賭けた社交界といったところか。
「あそこに私が近付いたら、阿鼻叫喚の坩堝と化すぞ?」
「自分で言うか、それを・・・」
「あんな女子女子した奴と話が合うわけがないさ」
「そうか? 話してみたら、想像と違うかもしれないぞ?」
 主に、デスな趣味とか。
「はいはい、機会があったらな」
「そうですか・・・さて、そろそろ飯を食わないと、昼休みが終わる」
「つい話しちまったぜ・・・明良、弁当~」
 すると、支倉弟が鞄から風呂敷を取りだし、その中から漆塗りの重箱が姿を現した。
「豪華・・・だな」
 運動会じゃあるまいし。
「あ? いつもこれだぞ?」
「・・・弁当箱がこれしか無いんだ。それに、姉さんはよく食べるからな」
「ああ、腹が減った」
 支倉弟が重箱の上段と箸を渡すなり、支倉姉は蓋を開け、中身をがっつき始めた。
「なるほどねぇ・・・明良が作るのか?」
「・・・いつもはな、今日は違う」
「へぇ・・・あれ? まさか、暁乃が??」
「・・・そう思うか?」
「いや、あり得ない」
「おい、聴こえてるぞ?」
「・・・母が作ったものだ」
「なるほどねぇ」
 私は納得しながら、自分の昼食を取り出した。すると、支倉姉が目敏く反応してきた。
「何だ、やらないぞ?」
「いや、いらねぇよ・・・てか何だよ、それ?」
「ん? 惣菜パンだけど?」
 定価120円税別、鳥竜バーガー×2だ。
「そうじゃなくて、大の男がそんなんで足りるのかって事だよ!?」
「男子生徒の6割は、こんな感じの昼食だと思うけど?」
「そうなのか?」
「さあ?」
「適当かよ!?」
「そんなものじゃないか? 苦学生の多い時代だし」
 私がバーガーを頬張りだすと、支倉姉は嘆息した。
「はぁ・・・仕方ねぇな。明良恵んでやろうぜ?」
 頷く支倉弟、重箱の蓋を皿代わりに、おかずを提供された。二人とも、卵焼き。被ってますよ。
「・・・頂きます」
 内心首を傾げながら、手掴みですが、頂きました。
「・・・あ、美味しい」
 製品とは異なる、癖を感じるだし巻き卵だった。
「そうか、旨いか? 欲しいならもっとやるぞ? なんてったって・・・」
 支倉姉は重箱を傾け、中身を見せてきた。
「あたしらの弁当の6割は、だし巻き卵だからな!!」
 眼前に広がる黄色、重箱の半分以上を一塊のだし巻き卵が占領し、後は白米と少量のお香子が申し訳程度に詰まっていた。
「こ、これは・・・」
「・・・朝寝坊すると、こうなる」
 支倉弟の弁当も、もちろん黄色に占められている。
 つまり、寝坊した朝は母親が弁当を作り、そうすると必然的にだし巻き卵弁当になってしまうということか。
「なんというか・・・大変そうだな」
「・・・ああ、毎朝がサバイバルだ」
「それは、なんとシュールな・・・」
「あたしは嫌いじゃないんだけどな。母さん、だし巻き卵だけ超絶上手くてさ、これも場所によって具材が変わってるんだぜ? えっと端から、普通、牛しぐれ、塩昆布、きんぴらに・・・なんだこれ、ツナか?」
「それを混ぜないで一つに巻いたなら、もはや魔術師だな」
「だろ? 料理人の親父でも再現出来ないってよ。それで結婚したらしい」
 なるほど、永遠の研究対象というわけか。
 特に興味の無い支倉両親の馴れ初めを聴かされながら、だし巻き全種頂きました。美味しかったです。

      
 金曜日の放課後、今日もどうやら泉さんと二人きりのようだ。 
 この人と二人きりで話すと話の方向がおかしくなるんだよなぁ、とか考えていると、意外な来客がやってきた。
「お邪魔しま~す」
 扉から顔を覗かせたのは、誰あろう顧問の柘植教諭である。
「先生・・・どうされたんで?」 
「いや、その・・・教頭に、顧問なのにずっと職員室に居るな、って圧力を掛けられちゃって。ちょっと此処で仕事片付けて良いかな?」
「ああ・・・どうぞ、ごゆっくり」
 顧問になったとはいえ、まだ教頭からの圧力が健在とは、心中お察しします。
「あはは・・・すまんね~」
 柘植教諭は、机の上に紙の束と筆記具、そして栄養ドリンクを拡げ、あっという間にパーソナルスペースを形成した。
「それって・・・今日の体力テストの結果ですか?」
「そうよ~今日中にまとめて報告しないといけないの。なのに・・・・・・くっ、教頭の野郎!」
 柘植教諭は、栄養ドリンクの蓋を開け、それを一気に飲み干した。心中お察しとか言いましたが、すみません、察せません。心配になるストレス指数である。
「お、お疲れ様です・・・」
「でもね、君達のおかげで圧力は半減、休日もちゃんと確保できたの。ありがたかったなぁ・・・」
 柘植教諭の目が虚ろになっていき、やがては白目を剥いてしまった。これはヤバイ、怖すぎる。
「しっかりしてください、先生! 今日を乗り切れば、休日じゃあないですか、気を確かに!!」
「・・・はっ、そうだね、意識飛ばしてる場合じゃなかったね。美味しいお酒の為に、先生頑張るよ!」
 爛れてるなぁ、生活習慣。
「それはそうと、体力テストの結果には先生、驚いちゃったよ」
「何がです? 何か問題が?」
「いや、支倉君と組んでたでしょ? 君達の結果がすこぶる良くてね。驚いちゃったの」
「はぁ・・・そうなんですか?」
「ええ、飛び抜けた記録は無いだけど、全ての項目で優秀な成績を収めていて、総合力では、クラスでワンツーだったんだから」
「へぇ、気付かなかったな・・・」
 会話に夢中で、記録には無頓着だったな。
「泉さんも、良い感じだったよ?」
「ありがとうございます、先生」
 パソコンと向き合っていた泉さんは、目線を上げて、ペコリと頭を下げた。そして、ここぞとばかりに、こう続けた。
「私用があるので、今日はここで失礼します」
「え、ええ・・・気を付けて」
 さっさと荷物を片付けて、出口へ向かう泉さん。さては、面倒臭いと踏んで、逃げるつもりなのではないか。
 彼女が、先生の後ろを通る際、私と目が合った。私が非難めいた眼で泉さんを睨むと、彼女は鼻で笑ってきたのです。
「お先に失礼します」
 澄ました顔でそう言い残し、泉さんは去っていった。おのれ泉さん、カムバック。
「・・・泉さんって、いつもあの感じなの?」
「・・・ええ、まあ、大体は」
「ちょっとクラスで浮いてるようだったから、気になってたんだけど・・・」
「本人は気にしてなさそうでしたけど?」
「う~ん・・・同じ部活の支倉さんとなら、と組ませてみたんだけど、逆にかなりピリピリしちゃって、仲悪いの?」
「はい、混ぜるな危険の代表格のような存在ですから。そのうち核分裂します」
「そ、そこまで・・・」
「胃の痛くなる案件ですからね」
 警察沙汰は勘弁して欲しい。
「うん、辛いよね、板挟み」
 また、目が虚ろに。いったい何で共感されたのだろうか。
「それで、部活の様子はどうかな? 承認から大体一週間経つけど」
「そうですね・・・目立ったことは特に何も」
「そうだよね、まだ探り探りだよね・・・でも、活動報告出来そうなことを早く見つけておかないと」
「そこは、泉さんが任せろと言っていましたが・・・」
「それじゃあ、栗柄君はこの部活の事、どう考えてるのかな?」
「この部活は・・・・・・端的に言うなら、逃げ場所なのかもしれません」
「逃げ場所?」
「逃げると言うと、不真面目だとかネガティブな印象を抱かれてしまいますけど・・・人にはそれぞれ、事情があるものでしょう? 時には逃げる場所が、避難所の様なところが必要なんですよ」
「それが・・・ここだと?」
「ここって、部活というものに馴染めなかった奴らの避難所なんじゃないかと思うんです。だから、俺としては部員に個人の事情を尊重して欲しいんです。泉さんがどんな形を望んでいるかは判らないけど、気が乗ったら部活に来てくれる程度で良いかと」
「・・・そうね、先生もここに逃げてきたみたいなものだから、判る気がする」
「あはは、教頭の圧力からの避難所ですか?」
「ええ・・・先生も、ヤバイ時に利用させてもらうかも」
「はい、我々は一蓮托生で成り立ってますから、利用してやってください」
「むぅ・・・まるで、小粋なマスターのいる喫茶店の様だね」
「実際は、小生意気な若造のいる場末の部室ですけど」
「ふふっ、栗柄君は聞き上手というか。あれだね、ホストとかに向いてるんじゃないかな?」
「教師が生徒にホストを薦めないでください! というか、さっきから手が止まってますよ? 早く終わらせたかったのでは?」
「はっ、しまった!? あ、でもまだ疑問が・・・」
「何ですか?」
「栗柄君なら、運動部でも結果を残せてたと思うんだけど・・・なぜ、避けたの?」
「それは・・・運動部に入ったら負けだと思いまして」
「・・・へ?」
 その時、時刻が17時を回った。私は帰ることにして、部室の鍵を先生が預ってくれた。
「お先に失礼します」
「はい、また来週ね」
 私はしずしずと部室を後にした。これで先生も、仕事に専念出来るだろう。
 下駄箱に向かいながら、私は考える。悩みを抱えているからこそ、自由参加のあの部活へ行くのかもしれない。幸坂さんの趣味や、支倉姉弟の友達問題、そして教頭の圧力といったものが例となるだろう。
 なら、ほぼ毎日顔を出す泉さんは、何か悩んでいるのだろうか。
 本当に報告書の為であるなら、問題はないのだが。まあ、わざわざ聞くことでも無いだろう。
しおりを挟む

処理中です...