25時の交差点

おおりく

文字の大きさ
14 / 33

第14話 二つの納品

しおりを挟む
週末に水無月希に「25時の交差点」の傘と額装した絵を納品した早瀬湊は、月曜日から、イラストレーター「H.M.」として、本格的に活動を始めた。

まず、彼は希のポスターデザインを完成させ、データを納品した。彼の「不安定な熱量」と「安定した論理」が融合したデザインは、希から「完璧」という言葉と共に受け取られた。

「H.M.さん、これで私の25歳からのライブは、最高のスタートを切れます!」

希の喜びの声は、湊の疲労を一瞬で吹き飛ばした。この「報酬」は、彼がシステムエンジニアとして受け取る給与とは全く質の違う、感性の肯定だった。

続いて、彼は志村から請け負ったフリーペーパーの挿絵の報酬を使って、自身のウェブポートフォリオを作成し始めた。彼は、自分の描いた絵を、誰かの指示を待つのではなく、自ら「商品」として世界に提示する段階に入ったのだ。

そのポートフォリオには、交差点の絵を始め、日常の中で見つけた「不安定な美しさ」をテーマにしたデッサンを多数掲載した。そして、彼のプロフィールには、「システムエンジニアの視点を持つイラストレーター」**という、二つの世界を繋ぐ、新しい肩書きを掲げた。


しかし、彼のこの「二つの世界」の生活に、早くも影が差し始めた。

週の半ば、湊が担当する重要システムの一部で、小さな異変が検出された。システムの稼働自体に影響はないが、特定の条件下で、データ処理にわずかな遅延が発生するというのだ。

リーダーの関口は、すぐに湊を呼び出した。

「早瀬。君が設計したデータ管理ロジックの一部で、処理遅延が発生している。原因を特定しろ」

「はい」

湊は、すぐにバグの原因を探るために、何万行にも及ぶコードの海に潜った。彼が設計したロジックは、理論上は完璧なはずだ。しかし、彼は、自分のイラスト制作で培った「無駄を削ぎ落とす」視点で、改めてコードを見直した。

そして、見つけた。

遅延の原因は、彼が過去に「安定性」を重視するあまり、過剰に安全策を組み込んだ、一つの冗長なコードブロックだった。論理的には正しく機能するが、システムの効率をわずかに低下させている、「安定という名の贅肉」。

「関口さん。原因は特定しました。過去に俺が組み込んだ、過剰なエラーチェックルーチンです」

「過剰なエラーチェック? 安全性を高めるためだろう」

「はい。ですが、それが結果的に、システムの『美しさ』を損ねていました。このロジックを削ぎ落とせば、処理速度は大幅に改善します。リスクはゼロではありませんが、論理的には問題ありません」

関口は、湊の提案を聞いて、顔を曇らせた。

「リスクはゼロではない、だと? 早瀬、君は今、安定よりも効率を優先しろと言っているのか?」

「俺は、『完璧な論理による究極の安定』を提案しています。無駄な要素を排除し、シンプルな構造で、最高の性能を引き出す。これは、俺がイラストで学んだ『本当に必要な線だけを残す』という美学に基づいています」

関口は、湊の表情の、迷いのない自信を見て、反論できなかった。結局、関口はリスクを承知で、湊の修正案を採用することを許可した。

湊は、すぐにコードを修正し、システムは劇的に改善された。

彼の「不安定な趣味」が、本業の安定性を、さらに高める結果となったのだ。しかし、関口の中には、湊の「安定への過信」に対する、拭い去れない疑念が残った。


その夜、湊は、25時を過ぎた交差点へ向かった。彼には、この成功を希に報告したいという、強い衝動があった。

コンビニのフェンスには、希が待っていた。彼女の足元には、黒いギターケース。そして、彼のデザインしたポスターが、手に抱えられていた。

「H.M.さん。ポスター、本当に素敵です! 今すぐライブハウスに貼りに行きたいくらい」

「水無月さん。喜んでもらえてよかったです。そして、俺からも報告があります」

湊は、システムのエラーと、それを自分の「イラストの美学」で修正した経緯を、希に話した。

「論理的には正しかったはずのコードに、『無駄な贅肉』が潜んでいたんです。俺は、ずっと安定に囚われて、無駄な要素を排除できなかった」

希は、湊の顔をじっと見つめた。

「ねえ、早瀬さん。それは、コードだけじゃない。あなたの人生の設計図も、そうだったんじゃない?」

「……ええ」

「安定したレールの上を歩くために、本当は不要な『保険』をたくさんかけていた。その一つが、あの『過剰なエラーチェック』だった」

希は、ポスターを指差した。

「でも、あなたの絵は、無駄な線がない。本当に描きたいものだけが、力強く描かれている。だから、あなたのコードも、それに引っ張られたんだよ」

湊は、希の洞察力に、再び驚かされた。彼女の言葉は、彼の仕事と人生の「本質的なバグ」を、的確に指摘していた。

二人は、「不安定な夢の交換会」の二つ目の議題に移った。それは、「25歳になってから、自分の不安定な挑戦を、誰かに話したか」というものだ。

「私は、あなたに話しました」希が言った。「でも、早瀬さんは?」

「俺は……関口リーダーには話しました。イラストの仕事を始めたと。ですが、彼は俺の挑戦を**『不安定なリスク』**だとしか見ていません」

「では、ご両親には?」

湊は、沈黙した。彼の両親は、公務員と教師という、安定の象徴のような職に就いていた。彼がシステムエンジニアという安定職を選んだときも、心から喜んでくれた。

「話していません。話したら、きっと『バカなことはやめろ』と言われるでしょう。彼らが求めているのは、俺の『安定した未来の設計図』だけです」

希は、優しく言った。

「誰もが、あなたのように、安定という厚い壁を破る勇気を持っているわけじゃない。でも、いつか話すべきだよ。だって、あなたの新しい挑戦は、誰にも誇れることだから」

湊は、希の言葉に、「安定した本音」の重要性を感じた。

「話します。俺も、自分の人生の設計図を、誰にも遠慮せずに提示すべきだ」

そのとき、彼のスマホが鳴った。着信は、関口からだ。こんな深夜に、関口から電話があるのは珍しい。

湊が電話に出ると、関口の焦った声が飛び込んできた。

「早瀬! 今すぐ会社に来い! お前の修正したロジックで、システムに致命的なバグが発生した!」

「えっ!?」

湊は、顔面蒼白になった。彼の「究極の安定」を追求したはずのロジックが、最大の不安定要素になってしまった。

交差点の街灯の下。希は、不安げな表情で湊を見つめていた。

湊は、電話を切り、希に言った。

「水無月さん。俺の『安定した不安定』のルールが、早くも破られたようです」
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...

MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。 ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。 さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか? そのほかに外伝も綴りました。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

夫婦交換

山田森湖
恋愛
好奇心から始まった一週間の“夫婦交換”。そこで出会った新鮮なときめき

(完)百合短編集 

南條 綾
恋愛
ジャンルは沢山の百合小説の短編集を沢山入れました。

同じアパートに住む年上未亡人美女は甘すぎる。

ピコサイクス
青春
大学生の翔太は、一人暮らしを始めたばかり。 真下の階に住むのは、落ち着いた色気と優しさを併せ持つ大人の女性・水無瀬紗夜。 引っ越しの挨拶で出会った瞬間、翔太は心を奪われてしまう。 偶然にもアルバイト先のスーパーで再会した彼女は、翔太をすぐに採用し、温かく仕事を教えてくれる存在だった。 ある日の仕事帰り、ふたりで過ごす時間が増えていき――そして気づけば紗夜の部屋でご飯をご馳走になるほど親密に。 優しくて穏やかで――その色気に触れるたび、翔太の心は揺れていく。 大人の女性と大学生、甘くちょっぴり刺激的な同居生活(?)がはじまる。

春の雨はあたたかいー家出JKがオッサンの嫁になって女子大生になるまでのお話

登夢
恋愛
春の雨の夜に出会った訳あり家出JKと真面目な独身サラリーマンの1年間の同居生活を綴ったラブストーリーです。私は家出JKで春の雨の日の夜に駅前にいたところオッサンに拾われて家に連れ帰ってもらった。家出の訳を聞いたオッサンは、自分と同じに境遇に同情して私を同居させてくれた。同居の代わりに私は家事を引き受けることにしたが、真面目なオッサンは私を抱こうとしなかった。18歳になったときオッサンにプロポーズされる。

17歳男子高生と32歳主婦の境界線

MisakiNonagase
恋愛
32歳の主婦・加恋。冷え切った家庭で孤独に苛まれる彼女を救い出したのは、ネットの向こう側にいた二十歳(はたち)と偽っていた17歳の少年・晴人だった。 「未成年との不倫」という、社会から断罪されるべき背徳。それでも二人は、震える手で未来への約束を交わす。少年が大学生になり、社会人となり、守られる存在から「守る男」へと成長していく中で、加恋は自らの手で「妻」という仮面を脱ぎ捨てていく…

愛しているなら拘束してほしい

守 秀斗
恋愛
会社員の美夜本理奈子(24才)。ある日、仕事が終わって会社の玄関まで行くと大雨が降っている。びしょ濡れになるのが嫌なので、地下の狭い通路を使って、隣の駅ビルまで行くことにした。すると、途中の部屋でいかがわしい行為をしている二人の男女を見てしまうのだが……。

処理中です...