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第五章 堕ちゆく花
第六十七話 溶けない砂糖
しおりを挟む食堂にいた。
リンドウの個別キャラクタールートが進展してから翌日。昼の仕事を終わらせた俺は、「おやつを一緒に食べたい」というシオンのわがままを断りきれず、休憩がてらのティータイムを楽しむこととなったのだ。
テーブルにはリンドウ、スノー、シオンが座っていた。椿は厨房でお茶菓子の準備をしており、ネコヤナギとリリーは用事があるとのことでこの場にはいない。「写真屋に用事がある」だのなんだの言って、二人して珍しく外出申請を出してきたのだ。二人は今頃、最寄りの町に出かけていることだろう。
「……パパの隣がよかった」
シオンが頬を膨らませて不満を垂れる。彼女はリンドウとスノーの間に座らされていた。
「そうだよね、シオンちゃん。メンターの隣がよかったよね」
リンドウが笑いながら言った。
「うん。すのーお姉ちゃんがダメって」
「駄目に決まってんだろ。そこに座っていいのは椿だけだ」
スノーが憮然と言い放つと、シオンは風船のように頬を膨らませた。
「……すのーお姉ちゃんの意地悪。嫌い」
「…………あっそ」
スノーの眉がわずかに下がる。ちょっとショックを受けたようだ。
「んなこと言われたって仕方ねえだろうが。ダメなものはダメなんだ」
「なんで?」
「何回も言ってんだろ。こいつと椿は結婚してんだから、他の女が無闇に近づくのは良くねえんだよ。いい加減わきまえろ」
「わかんない。結婚してたらなんで近づいたらいけないの?」
「だから――」
スノーは上手い説明が思いつかないのか、後頭部をかきながら言い淀んでいた。むすっとするシオンを困ったように見つめている。
まあ、説明に困るよな……。大人なら察することは容易にできるだろうけど、シオンの場合は精神がかなり幼くなっているので、そうした人間関係の微妙な良し悪しの判断はつきにくいだろうから。
俺が言い添えようと口を開きかけると、リンドウが優しくシオンの頭に手を置いた。シオンが、きょとんとした丸い目をリンドウに向ける。
柔らかく微笑みかけるリンドウ。
「えーとね、シオンちゃんにとってメンターは大切なパパなんだよね?」
「うん」
「じゃあ、そのパパが他の子ばかり抱っこしていたり他の子とばかり遊んでいたりしたら、シオンちゃんはどう思うかな? シオンちゃんのことを大好きだ、シオンちゃんが特別なんだってパパが言っているのに、他の子を特別扱いし始めたらどう?」
「いや! 私だけと遊んでほしい! 他の子なんてかまわないでほしい!」
「うん、そうだよね」
リンドウはシオンの頭を撫でながら穏やかに続ける。
「それと同じことなんだよ。椿姉にとってメンターは旦那さんで、特別な人なんだから。メンターがシオンちゃんのことばかり構っていたら、椿姉が嫌な思いをしちゃうでしょ? スノーお姉ちゃんが駄目だって言っているのは、そういうことなんだ」
「……知らない」
シオンは厨房の方をちらりと見遣ると、俯く。
「あの人嫌いだもん。怖いモヤモヤ、たくさんついてるし」
「あはは、たしかに椿姉は怒ったら怖いもんね。シオンちゃんの気持ちは分かるけど、ほら……スノーお姉ちゃんの言うことをシオンちゃんが聞いてくれないと、メンターがその怖い人に怒られちゃうんだよ? シオンちゃんはパパを困らせたいのかな?」
「それはイヤ」
「だよね。シオンちゃんは優しくてかしこい子だから、パパが嫌がることはしないよね?」
「……うん」
シオンがシュンとしながら頷いた。
「よしよし、いい子いい子。……ほら、ちゃんと言うことを聞いてくれた偉い子には、リンドウお姉ちゃんから飴ちゃんをプレゼントだ。メロン味の飴好きだもんね、シオンちゃんは」
「……うん。ありがと」
シオンに飴玉を渡しながら、リンドウは愛おしげな手つきでシオンを抱き寄せる。あまりにも優しすぎる抱擁に、シオンも小さくはにかんでいた。
「……。すげぇな、リンドウのやつ」
スノーが瞬きを繰り返しながら口を開いた。
たしかに凄い。俺とスノーの手にも余るシオンを一瞬で丸め込んで懐柔したのだから。末恐ろしいほどの手練だ。まさかリンドウにこんな特技と母性があるとは……。
俺とスノーが尊敬の眼差しをリンドウへ向けていると、トレイを持った椿が現れた。
「お茶菓子とコーヒーをお持ちしましたよ。……あら、何事なんです?」
仲良く抱き合うリンドウとシオンを見て、椿が小さく目を見開いた。
「あはは、大したことではないんだけどね。シオンちゃんと仲良くなったんだ」
「まあそうなの? よかったわねシオン」
「……がるるっ」
椿を見たとたん、牙をむき出しにするシオン。何とも言い難く、俺たちは皆苦笑いを浮かべる。
「あらあら、嫌われちゃっているようね」
「……すまん椿」
「そんなに気にしているわけじゃないから、謝らなくてもいいわよスノーちゃん。……まあ、嫌われちゃうのは仕方ないことだと思うわ」
椿は微笑みながらゆったりと答えると、コーヒーカップとお茶菓子を俺たちのところに置いてくれた。
椿お手製のブラウニーだ。しっとりとした断面は見るからに美味しそうで、さっきまで唸っていたシオンも大人しくなり目を輝かせる。現金なやつだな……。
スノーとともに苦笑しながら、コーヒーに口をつけた。香ばしい豆の香りと、優しい苦味がくせになりそうだ。ブラウニーのほろ苦い甘さによく合っている。
「……美味しいですか?」
椿が、俺を見ながら不安そうに聞いてきた。
「ああ、すごく美味しいよ」
「……よかったです。ちょっとオーブンの時間を間違えちゃったので、ちゃんと出来ているか不安だったんですよね」
「失敗したって感じは全然しないぜ」
スノーがブラウニーを口に放り込みながら言った。
「すげえよな相変わらず。俺はお菓子作りなんてできないからなあ」
「うふふ、今度一緒に作る? 簡単なやつならすぐに覚えられるわよ」
「あー、やめとく。絶対変なもの作っちまうもんよ」
「そう? まあ、気が向いたらやってみましょう。やってみると案外楽しいものよ」
「……そうかなあ」
……スノーがお菓子作りか。
なぜか頭の中にふりふりのエプロンを身につけて、憮然とした表情でチョコレートをかき混ぜる彼女の姿が浮かんだ。似合わない。すごく似合わないが、ギャップがあっていいかもしれない。
「てめえ、何笑ってんだよ?」
スノーから睨まれた。
「いや、ごめん。スノーがお菓子作りする姿って想像しにくいなって思って」
「馬鹿にしてんのか? あ?」
「……すみません」
久しぶりに凄まれたけど、やっぱり怒らせると怖いな……。
そんな俺たちのやり取りをみて、椿はくすくすと笑っていた。椿の態度には余裕があった。それも左手に光る指輪の効果なのだろうか。
「……ねえ、椿姉」
ふと、冷たい声が柔らかい雰囲気に差し込んできた。
リンドウが、コーヒーカップを無表情に見つめている。
「どうしたの、リンドウ? お砂糖を入れておいたんですけど口に合わなかったかしら?」
「……」
微笑む椿を一瞥して、ゆっくりとカップに目を落とすリンドウ。カップを受け皿に置くと、彼女は小さくはにかんだ。
「ちょっと甘かったかも。でも、気にするほどじゃないかな」
「……そう。それはよかったわ」
「うん。……ボク、ちょっと用事を思い出したからそろそろ行くね。コーヒーとお菓子美味しかったよ」
「ありがとう。もう飲まないなら、カップは流しに置いてくれると嬉しいわ」
「……わかったよ」
リンドウはカップを持つと厨房の方へ向かった。
たしかおやつタイムに誘ったときは、用事はないと言っていたような気がするんだけどな。急用だろうか?
「……ふふ、甘かったのね。入れすぎたかしら」
椿が厨房を見ながら、小さくそうつぶやいた。
「……お砂糖、ね」
ボクは流しにコーヒーカップを置いて、苦笑いを浮かべるしかなかった。
このコーヒーは少しも甘くなんかなかった。
だから、砂糖なんか入ってはいない。
そう普通の砂糖は――。
ボクはカップを傾けて、コーヒーをゆっくりと流した。ちゃり、と音が聴こえた。まるで小さな金属が擦れ合うような音。
少なくなったコーヒーから現れたのは、小さな錆びた釘だった。それも一つじゃない。いくつもいくつも入っている。
「……」
なんて斬新な形をした砂糖なんだろう。
きっと溶け出しているのは糖分じゃなくて怨念にも似た憎悪だね。
「……怖いなぁ」
見られていたんだろうね、きっと。この前のボクとメンターのやり取りを。
ボクは釘の入ったカップを置いて、大人しく食堂を出た。退出するときに感じた椿姉の真っ黒な視線は、憎悪以外の何もこもっていない純度の高すぎる悪意に満ちていて。背中に冷や汗が流れるのを感じてしまう。
扉を閉めて、ボクは寄りかかった。自然と息が溢れる。
「……」
とうとう牙を見せ始めたか。
今まで椿姉は水面下でもアンサスたちを攻撃してくることはなかった。おそらくはスノーさんを刺激しないようにするためだ。椿姉ではスノーさんには敵わないからね。
だのに、なりふり構わずこうして牽制をしてくるようになった。それはなぜか?
簡単な話だ。椿姉の心情に変化が生じ始めているからだ。
彼女は焦り始めている。
メンターの気持ちが自分のそれと噛み合わないことに気づいて。
「……可愛いね」
怖いけどね。
でも、可愛いとは思うよ。余裕がないからこそかえって余裕があるように振る舞おうとするし、証を無駄に見せびらかしてくる。そして、だからこそ攻撃的になるしかないんだよね。
やり方がえげつないのも、なかなかいいなって思う。リリーがあの場にいたらニヤニヤ笑いながら喜んだだろうなあ。
釘を見せてもよかったかもしれないけどね。あの場にはスノーさんもいたから、言い逃れはしづらかっただろうし。
でも、それをやったらどんな目に遭うかわからない。それに、ボクはできる限り中立の立場を保持したかった。メンターがボクのことを「当事者ではない」と感じていてくれることこそが重要だからだ。リリーにも、「リンドウは関わらないスタンスを取っているように」とアドバイスされたしね。
ボクはまだ動くべきではないんだ。
リリーたちに任せた方がいい。
「……最後に笑うのは誰だろうね」
ボクは天井を見ながら呟く。
それは少なくとも――。
少なくとも、椿姉ではない。
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