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第五章 堕ちゆく花
第六十九話 開幕
しおりを挟む――ミノル。
――ボクは、絶対にお前を許さない。
「おい、メンター! ボケっとすんな!」
俺は我に返った。
顔を上げると、「希望の雫」を担いだスノーが立っていた。厳しい目つきで考え事をしていた俺を睨んでいる。
「……あ、すまない」
「おめえ、何考えてんだよ。戦場にいること忘れてんじゃねえぞ」
スノーの言う通りだった。
俺たちはいま、通常出撃の最中だった。スノーの周囲には切り刻まれた敵の死体が転がっていて。花の咲いた穏やかな森林が血に染め上げられている。
「イケメンターも肝が据わってきたってことなんじゃない? この状況でぼうっとできるなんて~」
俺のそばで守護をするネコヤナギが、からかうように言ってきた。
「ちょっと前までは血を見ただけでも吐きそうになっていたのになあ。あ~あの頃の初心なイケメンターが懐かしいぜ~」
「……ほんとすまん。ちょっと考え事をしてしまってな」
ネコヤナギが小首を傾げる。
「考え事?」
「……大したことじゃないんだけどな。ふいに、忘れていたことが頭を過ったというか。忘れていたことだってわかるのに、完全に思い出せないでモヤモヤするっていうか……。そのことに気を取られてしまったよ」
「ふぅん。……まあ、そういうことはあるよね~。でも戦場にいることを忘れるのは、ネコヤナギさんとしても良くないと思うなあ」
「……すまん」
謝る他ない。
スノーとネコヤナギが同時に溜息をついた。
「アホ。今回は初期エリアの通常出撃とはいえ、この前みてえに何が起こるか分からねえんだからボケッとすんな。死にてえなら好きにすりゃいいけどよ」
「ああ……。死にたくないから気をつけるよ」
「そうしてくれよ~。イケメンターが死んだら私も死ぬからね~」
さらっとネコヤナギに重いことを言われ、苦笑いを浮かべる。冗談っぽく言っているけど、「病み状態」の彼女が言うと冗談には聞こえない。
気をつけないとな。
俺は軽く頬を叩いた。
「……よし」
気になって仕方ないが、いまは思い出せないことに意識をとらわれているときではない。スノーの言うとおり、何が起こるのかはわからないのだ。油断せず集中しよう。
「椿、来てくれ」
俺はメニュー画面を開きながら、やや離れた位置にいた椿を呼んだ。
「はい」
「これからボス戦エリアに向かうが、まだ余力は残しているか?」
椿は綺麗な所作でうなずいた。
「ええ、もちろんです。作戦行動に問題はないです。リリーとリンドウもそうよね?」
「うん、ボクはぜんぜん大丈夫だよ。ダメージもほとんど受けてないし」
リンドウが制服についた土を払いながら答えた。リリーもにこやかに笑いながらリンドウの言葉に同意を示す。
「……よし、なら先に進もう。今回もスノー以外の人員で可能な限り対処してくれ。四人でどうしようもない場合はスノーに出てもらうようにする」
「かしこまりました。当初の段取りどおりですね」
「ああ」
スノー以外の人員でなるべく動くようにしているのは、レベリングのためだ。スノーが対処すれば序盤エリアの攻略なんかすぐに終わるが、その分他のアンサスたちに経験値が入らなくなり成長が見込めなくなる。スノーとそれ以外のレベル差を埋めるためにも、このようなフォーメーションは必須であった。
「あー、まぁた俺は暇になんのか」
スノーが不満そうに口を開いた。
「まあまあ、仕方ないわよ。スノーちゃんが出てしまうと皆が経験を積めなくなってしまうからね」
「それは分かってるけどよ。……おい、メンター。次の出撃からは俺も前に出してくれ。あまりにも戦わねえと腕が鈍るしよ」
「わかった。次のステージに進んだら頼もうかな」
「言ったな? 約束だぜ?」
スノーがにやりと笑いながら指をさしてきた。「約束する」と伝えると、軽く口笛を吹いて上機嫌になる。
……ほんと変わったよな、こいつ。出会ったばかりの頃なら、こんな素直に言うことは絶対聞かなかったし、こちらの命令なんか無視して敵に突っ込んでいただろうから。
鼻歌をならしながらハルバードで自分の肩を叩くスノーは、少し子供っぽくて正直可愛らしかった。
次の出撃はボス戦も任せてもいいかもな。
そう考えていると、俺を見ていたネコヤナギがボソリと呟いた。
「絶対……じゃん」
なんと言ったのだろう?
ネコヤナギは俺と目が合うと、なぜか恨めしそうに目を細めて、背中を叩いてきた。
痛い。なんで叩かれたんだ。
「ばーか。戦場にいるのに鼻の下伸ばしてるんじゃないよ~だ」
「……なんの話だよ?」
「さあね~」
ネコヤナギははっきりと答えずに、頬を膨らませながら早歩きになった。
……そんなに分かりやすいかな。
俺は溜息をついて、椿の方に目をやった。彼女は真剣な表情でリリーとリンドウにボスエリアでの段取りを指示しており、こちらには気づいていない。
内心、ほっとする。
良かったよ。気づかれていたら、なんと言われたかわかったものじゃないし、余計な勘ぐりを受けたかもしれないからな。
この気持ちは押し殺すと決めたのだ。だからもっとちゃんとしないといけない。俺の見るべき相手は椿なんだ。彼女を悲しませるようなことは、少しでも考えないようにしないと。
気持ちに応えると決めたのだ。
責任をとると誓ったのだ。
自分の決めたことを、ちゃんと守りぬけ。
「ねえ、イケメンター」
ネコヤナギが前を向きながら、淡々と口を開いた。
「なんだ?」
「……待っててね?」
「え?」
俺は思わず瞬きを繰り返した。
「待っててねって、なにを……?」
ネコヤナギはなにも答えなかった。その視線の先には椿がいて。ネコヤナギの琥珀の瞳は、ほんの少しだけ薄暗く淀んでいた。
俺は気づいていなかった。
わかっていたはずなのに。自分の行動の矛盾と、思いと相反する行動を取らないといけない状況のせいで、あらゆる無理が生じていることを。だからこそ何かが壊れかねない綱渡りを常に続けないといけないことを。
そして、それが長く続くわけもないことを。
わかっていたはずなんだ。だから俺は、どうにかしようと頭を悩ませて、スノーとともに動けるところは動いていたんだ。
でも、遅すぎたんだ。
いや、最初からどうにもならなかったんだ。
椿は、最初から俺を裏切っていて。
ネコヤナギたちの気持ちと、椿の思いは水と油のように交わらなくて。
だからこそ、不和が生じることは最初から決まっていたのだ。
いや、仕組まれていた。こうなることがすでに決定されていた。
気づくはずもないだろう。
これが、最初から俺だけを狙い済ました壮大な復讐劇になっていたなんて。
この時の俺に、気づけるわけもない。
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