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地図にどこにもない
しおりを挟むナトラージャが調達してきてくれた服を着て、ユアンの用意してくれた料理を食べた直也は、食後の紅茶を前にして満足げに溜息を吐いた。
その様子を正面からナトラージャと見ていたユアンは、テーブル端に置かれている折り畳まれた紙の複数ある内一つを直也の目の前に広げる。
紙はそれなりに大きく、何かの図と文字が描かれていた。
「我々の居るセレネディア王国全域の地図です。ナオヤ様。貴方が住んでいた場所は、どこですか?」
じっと地図を見ていた直也は、首を横に振る。
自分の居た日本とはかけ離れた形で―――ユアンは、セレネディア王国といっただろうか。
その国が描かれている時点で、自分の住んでいた場所はない。
「わからない。という事でしょうか?」
その質問に、直也はまた首を横に振った。
「この国ではない。という事でしょうか?」
そうだ。と今度は縦に首を振る。
では、とユアンはかなり折り畳まれて分厚い紙を広げた。
それは、テーブルを覆い尽くさんばかりに大きい。
「では、この世界の全体図です。どの辺りか、わかりますか?」
だが、その全貌を見た直也は、固まってしまった。
「わかりませんか?」
じっと動かない直也に何かを察したのか、ユアンが気遣うような声色で問い掛けた。
直也は頷こうとした。が、ぐっとせり上がってきた何かに耐えきれず、顔を歪める。
泣くまいとしたが、急激に目に水の膜が張り―――零れた。
「ナオヤ」
「ナオヤ様……」
最初に動いたのは、ナトラージャだった。
席から立ち上り直也の側へ行って、静かに涙を零す身体を力強く抱き締める。
抱き締められることによって腰を捩じっていた直也は、思わずナトラージャに向き直り背に腕を回す。
縋らなければ、何かを叫びそうだった。
「……ない」
直也の声は、迷い子のように拙く頼りなかった。
そう。無いのだ。
どこにも、直也が知っている“地球”の姿が無い。
大きな一つの大陸。
それしか描かれていなかった。
父親には縁がなかったが、その代わりに少人数でも良い仲間に出逢えた。
何度も、その人達に巡り合えたことを感謝するほどに―――。
その人達がいない場所に、自分がいる。
薄々、そうではないかと思っていた。
だが、否定していた――――異世界に自分が居る。
自覚すると、心が裂けそうな痛みに襲われた。
「ぅッー」
声を抑えて涙するのが得意になったのは、いつ頃だっただろうか。
だからなのか。泣いている時、心の出入り口で止まる直也を苦しませる塊が、痛みが、そこから抜け出すことはいつだってない。
いつだって、泣き終わるとその痛みの原因である塊は、心の奥深くへ引っ込むだけだ。
ナトラージャは、自分も痛みを耐えているよな顔で直也を見下ろしていた。
そんな顔をさせたい訳じゃない。と直也は俯き、涙を止めようとぎゅっと目を瞑る。
「声を抑えて泣くな……」
頭上から降ってきた優しく囁くような声と共に背中を擦られ、直也は胸を借りたことになる相手を見上げた。
また一つ、涙が新しい痕を付けながら頬を伝っていく。
そして、その後を追うように膨れ上がった目尻の涙は、壊れものを扱うような慎重さでナトラージャの指が攫って行った。
「そうです。痛々しくて、こちらまで苦しくて堪らない」
席に座ってこちらを見守ってくれているのだろうユアンの真っ直ぐな言葉に、直也はナトラージャの服を縋るようにギュッと握りしめた。
「大丈夫だ。俺はお前の側にいつまでも居てやる」
お前が、声を抑えて泣くことが無いように。
ナトラージャの朗々とした誓いのようなそれに、頼りがいのある芯の通った温かい瞳に見詰められ、 直也は大きく息を吸って背を震わせる。
そして、今度は小さいながらも声を抑えずに泣いた。
いつだって月は、直也を慰めてくれた。
だが、その月は『声を抑えて泣くな……』などと言ってくれなかった。
『大丈夫よ。きっと良いことがあるわ』
『大丈夫。大丈夫。きっと良いことがある。絶対ある』
そうだ。いつだって、自分が自分を慰めていた。
月が、慰めてくれている……そう自分自身を偽って―――。
「ナオヤ。大丈夫だ。俺が守る」
ナトラージャは、慰めるように抱き締めた直也の耳元で甘く囁いて、涙の浮かぶ目尻やその痕に唇を寄せる。
ナトラージャの行動に普段だったのなら驚いただろう直也は、泣きすぎて頭がぼうっとしていてそれ以上考えられなくて……。
ただ、きらきらと直也の視界にオレンジ色の光るものが映っている。
月は女性に例えられる方が多い。
しかし、今日から直也にとって逞しいナトラージャが慰めてくれる月だ。
頼りない人生を歩んできた直也にとって、慰め守ってくれるという人物は、本人が気づかなくとも必要だった。
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