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ルームナンバー319(4)

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結局真っ昼間から、服を着たまま、あんあんしちゃったものだから、神山透のシャツはいよいよヨレヨレなのであった。

いかにも何かしてきました!と言わんばかりの格好で帰す訳にもいかず、シャツは洗濯にかけることに。
着替えは無いので取り急ぎ、近所のコンビニと商店街の洋装品で下着と紳士もののジャージを調達してきた私である。

虎の写実的なプリントがデカデカとされた、謎のセンスが光るジャージを渋々着る神山透は、せっかく買ってきてくれた山本さんには申し訳ないんですけど、と前置きしつつも「今日はこのままシャツが乾くまで、山本さんのおうちにお籠りしたいと思います。」と不満げな顔で言うのだった。

確かに私もそんな服を着させられたら、どこにも行きたくなくなるので、気持ちはわかる。けど、それしか売ってなかったんだってば!

「では今日は、引き続きおうちでイチャイチャしちゃいましょうか?」

不貞腐れる神山透の樣子がおかしくて、と冗談ぽく誘ってみると、「それは魅力的な提案ですね」との切り返し。
腕をぐいと引っぱられ神山透の胸に抱き寄せられると、それが本日3回戦の合図となる、お盛んな私達なのだった。

抱きしめられて深くキスをされて、体を密着させてしまえば、あっと言う間に身も心もグズグズに溶けてしまう。
先程の決意はどこへやら、結局乞われれば何度も好き好き言ってしまうし、神山透からも好きと言って欲しくなる。
何度も乱れておねだりしてしまったり、このまま離れてしまいたくなくて、ずっと一緒にいたいと願ってしまう。

この気持ちは一体なんだろう。
入ってはいけない底なし沼に入りこんでしまったような気がする。開けてはいけない感情の扉を開いてしまった気がする。
神山透に出会う随分前に経験したような、していないような、なんとも言えないこの甘くて苦い感情の中身を知ってしまったら、それから先はどうすればよいのだろう。

……シャツは結局翌日まで乾かず、昼過ぎに名残惜しそうに帰っていく神山透を見送るまで、そんなことを考える私なのであった。

そんな訳で貴重な休みはあっという間に過ぎて、週明け月曜。
社会人としてのいつもの生活が始まり、月、火、水といつものルーティンで作業をこなしていく。
そして本日、木曜日。

出社するとこちらに向けてヒソヒソ声が聞こえてくる。
いつもと違うその違和感に、何?何なの?と思わずソワソワしている私に、朝の挨拶もそこそこに隣の席の小西さんが気遣わしげに声をかけてくる。

「山本さん、もし気分が悪くなるようだったら、今日は早退しても大丈夫だからね?」

え?何?ほんと、何かあったの?
そんな優しい言葉を頂戴する心当たりが無さ過ぎて、逆に不安になる私である。
すると、いつかの飲み会で「女子力が足りなさ過ぎる」と言い放った失礼な同僚が「いやあ、ほんとに驚いちゃったよ~。」などと言いながら、ニヤついた訳知り顔でこちらに近づいてくるのであった。

「山本さんさぁ、最近なんだか急に綺麗になったからどうしてなのかとは思ってたんだけど、まさかそういうことだったとはねぇ。」
「……今の山本さんへの発言、それ、今のご時世アウトなやつですよ?」

穏やかそうな雰囲気に似合わぬ熱き正義の心でその発言を咎める小西さんと、何か含んだようなニヤけ面の同僚の会話を聞きながら、二人の顔を交互に見つめる私である。
こんな状況を目の前で見せられてしまっては、なんだか朝から嫌な予感しかしない。
昨日の退社時はいつも通り、変わったことなど無かった筈なのに、この一夜で一体何が起きたのだろう?

すると困惑する私を無視するかの様にその同僚からは、更にとんでもない話が飛び出すのだった。


「山本さんさぁ、営業1課のあの噂のイケメン神山氏と付き合ってるんだって?」


……えぇっ?
予期せぬ衝撃発言に、思わずブワリと冷や汗と出る。

「……え?急に何ですか?何の話ですか?」 
「またまたー。先週ホテルから出てくる神山氏と謎の女性を誰かが見かけたらしいって、週明けから会社中その噂でもちきりだよ?!知らなかったの?それにしても会社の近くのホテルを使っちゃうなんて、我慢できなかったんだねえ。いやー若いねえ!」

咄嗟に誤魔化そうとしたものの、週末の私達の行動を探る様なセクハラ丸出しの発言を聞かされてしまえば、何故か猛烈に恥ずかしくなり、それを突っ込む余裕など無くなってしまう。

「い、いや、でも女性は誰だかわからなかったんですよね?なのになんで私ってことになるんですか?」
「昨日山本さん、社員食堂行ったでしょ?それを見かけて神山氏と一緒だったのが誰だったのか、やっとわかったみたいだよ?休み明けてから3日も経ってやっと気付かれるなんて、山本さん、会社で顔、知られてないもんだね~。」

なんとか一応食い下がってみるものの、抵抗虚しく益々砲弾を受ける羽目になってしまうのだった。

「……そういうの、ほんとに山本さんに訴えられてもおかしくない発言ですからね?」

私を庇うように、嫌悪感丸出しに言い放つ小西さんのことなどどこ吹く風、実にいやらしい表情を浮かべたまま「おー怖っ!」なんて言いながら失礼な同僚は自席へと帰っていく。

そのなんとも憎たらしい背中に向けて、何か言ってやりたくなる。私は激しく動揺しながらもありとあらゆる罵詈雑言を心の中で投げつけてやりたい衝動に駆られてしまうのだった。

顔が知られてなくて悪うございました!

立ち去る間際、最後の最後までなんとも腹立たしい。
そんな同僚に激怒しつつも、社員食堂になんて行かなけりゃ良かった!!と猛烈な後悔の念にも襲われる。

このところ好んで買っていたコンビニの「レタスたっぷりサンドイッチ」に流石にそろそろ飽きてきて、何故か昨日は無性にきつねうどんが食べたくなって、ならばと思い社員食堂に向かったのだった。
ああほんとにもう。
昨日の私がレタスサンドに飽きなければ、きつねうどんが食べなくならなければ、社員食堂にさえ行かなければ……。

あのまま昼を自席で大人しく過ごしていれば、地味子の特徴をフルに生かして「神山透の隣にいた女の正体は結局不明のまま」として、このままフェードアウトできていたはずだったのに。

……って言うか情報提供者!
あんな場所ホテル街を通りかかるなんて、どう考えても同じ穴の狢だろうにどうして他人のゴシップを提供しようという気になるのか。
あの時間帯に退出ならば私達と同じく延長料金が発生しているはずに違いないし、入る側だったら真っ昼間からヤル気満々ってところだろう。
どっちにしたってお盛んなのはお互い様なんだから、そこはそっと見て見ぬ振りをして頂きたかった!!

姿無き密告者にも猛烈に怒りを感じるが、生憎とあたり散らす場所がない。
あーもう、あれか、やっぱりルームナンバーがよくなかったのか。319号室を選んだからこんな最悪319な展開になっているような気すらしてきてしまう。

とりあえず神山透へ「会社の人に私達がホテルから出てくるところを見られたみたいです」と報告だけはしておいてみる。

恥ずかしさやら謎の居たたまれなさ、周囲からの好奇心に満ちた視線に苛まれつつ日頃のルーティン作業を進めようとするが、仕事になんて全くならない。

小西さんからは「噂話なんてすぐ収まるものだから。でもほんと、今日は無理しなくていいからね?」と、泣けるような労りの言葉を頂いたけれど、ここで早退なんかしたらいよいよこちらの負けである。
挫けそうになる己を叱咤激励しつつ、なんとか午後の休憩時間までやってきて、少しコーヒーでも飲もうかと満身創痍な体でヨタヨタ給湯室まで向かおうとすると、

「……山本さん?」

と、呼び止める声がした。
振り返ってみると、長い手足と栗色のロングヘアーの愛くるしいお人形さんのような女性が、こちらを見つめて小首を傾げている。

「えーと、山本郁子さん?ですよね?」

血のように鮮烈な赤い唇で、再び私の名前を呼ぶ女性。


……そこにいたのは、神山透が特別だったと言う、あの娘。
そう、紺野洋子がいたのだった。

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