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後編

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私はマリシア タラチゴランジュ。
サランバルク辺境伯嫡男ランハルト様の婚約者なのです。
理解して頂けたかしら。
そろそろこの茶番を終わらせても良い頃合いですよね。
折角のお祝いの場が台無しですから。
しかし私の予想に反して話しは続いて行きます。

「まさかとは思うが、何故タラチゴランジュの御令嬢が双華と呼ばれるのか知らないのですか?まさか、そんな事はないですよね?」

少し呆れを含んでランハルト様が問いました。
王子殿下とその仲間たちの顔色は青を通り越して、色を無くしました。
私的には知られてなくても一向に構いませんが、王家であり、上位貴族の御子息が全く耳にしないのはおかしな事です。愉快な仲間達には騎士団長の御子息もいるのです。その御子息が何かしら聞いていていても不思議ではないはずなのですが。
ひとり、ソニア様だけが顔を赤くしてぶつぶつと何か呟いていて、それが少し不気味です。

「ーーー深淵でスタンピートがあったでしょう。それは酷い有様で、異常なほどに高位魔獣が湧きました。人の地とを隔てる魔法防護壁も壊され魔獣が領内に雪崩れ込んだのです。王都まで届き兼ねない不浄、それを押さえ込んだのがタラチゴランジュの双子です。舞い踊る花の如く闘い、癒し、そして不浄を押し戻す盾となりました。誰が言い始めたのか定かではありませんが、その時より双華と呼ばれているのですよ。」

徐舌に語るのはランハルト様。
深淵とは辺境に広がる未開の地。魔獣が闊歩する弱肉強食の世界です。その境界線を護るのがサランバルク領の役目であり、8年前は嫡男のランハルト様も討伐に参加されたはずです。
あの時は誰もが死と隣り合わせで、助かったのは奇跡と言っても過言ではありませんでした。
それほどの惨状だったのです。
でも人から聞かされるととても恥ずかしいものなのです。ただ単に暴走癖のある姉のストッパーとして一緒に行動し、結局共闘する事になり暴れまくった結果という黒歴史なだけなのですから。側から見ていた人達によって祭り上げられただけで、あの地にいた者は皆英雄だと思うのです。
人よりも多めな魔力とこれまた魔術に傾倒しすぎる親を持つ弊害だと思って欲しいのです。その結果、平均より斗出した魔術師がふたりも出来上がってしまっただけなのですもの。

「8年前の事か、ならばその女は10歳。そんな子どもに何が出来る!それこそ自作自演、侯爵家の捏造ではないのか!」

確かにまだ10歳になったばかりでした。
行動力のありすぎる片割れを持つと、あり得ない事が起こります。
身分を隠して冒険者に登録して依頼をこなしてみたり、従軍してみたり。
あの時は年齢的な事もありましたし後方支援、雑用係として連れて行ってもらったのです。
侯爵令嬢ではなく、冒険者のアナとシアとして。

「お前はただ王城の奥で震え上がっていただけの小僧だったからな。10歳の娘が辺境に赴き冒険者として任に就いていたなど想像も出来なかろう、がそれは事実だ。ユージーンも王家の義務を遂行する為に先陣を切り、双華と共に討伐に加わっている。故に、王太子妃であり、辺境伯夫人となるのだよ。」

陛下はひどく冷めた瞳で第2王子殿下を見てそう仰った。
年齢は関係なく、その心に王族としての誇りと義務、それを遂行出来る行動力、判断力があるのかないのか。
それを見極めている気が致しました。
果たした陛下はどう推察したのか。
長い間がありました。
それから不意に視線が外され、殿下の周りを見回しました。
既に陛下にも報告されているだろう、愉快な仲間たちの振る舞い。
どう考えても現状維持も難しいでしょう。

「皆の門出を祝う場で王家の恥を晒すはめになった事、申し訳なく思う。この馬鹿どもは連れ帰る故、改めて宴を執り行って欲しい。」

陛下は収集のつかなくなった茶番劇を無理矢理終わらせて下さった。これ以上ここで言い争っても良い事がないと言うか、恥の上塗りをしそうな勢いですものね。
陛下の目配せで護衛騎士達がスマートに問題児集団を回収して行きます。

「な!なんだ貴様らは!は、離せっ!!」

殿下は抗う動作を見せたが、他の取り巻き達は大人しく連れて行かれた。

「なんで?どうして?私は王妃になって幸せに暮らすんでしょ!どこで間違ったの?ちゃんと全部クリアしたはずよ?まだユージーン様にも会ってないのに!こんなエンド知らないわよ!!」

ソニア様は意味不明な事をキンキン声で喚き、暴れながら騎士に引きずられて出て行く姿は鬼気迫るものがあります。

「父上!!」

ふたりの叫び声だけが最後まで響いていました。

「最後まで騒がせた。学園長、申し訳ないが後を頼む。ああ、彼奴らの訴えの検証をするのに記録を借りる。」

「かしこまりました。」

「マリシア嬢、明日、登城してくれるか。」

学園長の指示で途絶えた音楽が鳴り始め、騒めきも戻り始めました。
会場を後にしようとした陛下が、思い出したように私に声をかけたのです。

「明日、でよろしいのでしょうか。このまま登城した方が宜しいのではないでしょうか。」

これから行く事になると思っていましたのに。
鉄は熱いうちに打て、何事も迅速に進めて行くものだと。

「いや、やらなければならない事がある故、明日で充分だ。今は皆と卒業を祝うと良かろう。」

今日をもってアカデミーを後にする私への配慮なのだと思いました。
このまま登城してしまえば、共に学んだ方々に別れの挨拶も出来ないですから。

「ご配慮ありがたく存じます。明日、必ず御前に参上致します。」

「楽しいものではないが明日もよろしく頼む。ランハルト、しっかりとエスコートするように。」

陛下はそう言ってアカデミーを後にされた。
場所は違えど、明日も今日と同じ茶番の繰り返しだろうか。そう考えると途端に気が重くなりました。

「シア、疲れただろう?少し休もう。」

私を覗き込んだランハルト様は心配そうに、気を使って下さいます。
確かに、あの方達のお相手は精神的にも疲れました。

「お願い致しますわ。なんだか気が抜けてしまいました。」

扇子で口元を隠し、周りに気がつかれない程度のため息を吐いた。

ふたりで会場を抜けて中庭に出ると、花も盛りの頃で疲れた心を癒してくれようです。
しかし、確認しておかなければならない事があります。

「ーーーーそれで、ランハルト様はいつからこの茶番をご覧になっていたのですか?」

ランハルト様は表情を変える事もなく微笑む。
その笑顔に騙されはしません。

「あまりにもタイミングが良すぎです。ランハルト様も、陛下も。王子殿下が計画していた事も全てわかっていて泳がせたていた、そうでしょう?ユージーン様もお戻りになられるし、その前に一掃したかったのですよね。王子殿下がやらかしたお陰で芋づる式に排除できそうですもの。」

全て陛下の手の上なのですよね。
私もそのひとりで、茶番劇には必要な駒だった。
所詮は陛下の僕の末端。
それが嫌な訳ではないけれど。
このモヤモヤする感じは何かしら。

「ーー多くは語れないけれど、私も登場人物ひとりだよ。陛下はとても憂いていらしてね、国の為に決断されたんだ。陛下の、ジーンの、憂いを払えるならば例え道化でも演じてみせるさ。」

ランハルト様の至上はユージーン第1王子殿下。
彼の方の為、国の為ならば命も厭わないのは分かっています。
そこに私は一片も含まれない事もね。
ただの盾でいる事だけを望まれているのですから、仕方のない事です。

「もう良いのです。明日になれば少しは教えて頂けるでしょう。陛下直々にお声掛け頂いたのですから。」

明日もまたあの非常識達と相見えると思うと憂鬱になるけれど、今日とは違って私は傍観者でいられそうですし。
そう思えば気持ち的には楽な気がします。
もうマリアナと呼ばれる事はないと思いたい。

ぼんやりと彩どりの花を見回した。
今日に合わせて華々しく開花させたので、ここにだけ一足先に春が来た様だった。
もうここともお別れなのだ。
平和で平穏だった、大人達に守られていた世界は今日でおしまい。
物思いに耽ていた私の手をランハルト様が掬い上げて、布越しに手の甲に口づけを受けた。
余りに突然の事で動揺しました。
だって、普段はフリだけで布越しとは言え実際に唇が触れる事はなかったのに。

「私のシア、美しい私の華。卒業おめでとう、これでやっと君に触れられる。」

今まで必要以上の接触もなかったし、儀礼的な挨拶しか受けた事がなかった。
それはまさに政略的な婚約者様の、礼儀正しい振る舞いだったのだけれど。
なのにコレは何なのです?
ランハルト様は私の前で片膝をつき、右手には紅の薔薇。

「マリシア嬢、私と結婚して下さい。貴女が盾になると言うならば、私は対なす剣となり貴女ごと全てを守り抜く事を誓う。どうか私の妻となりこの愛を受けて欲しい。」

私達は婚約していて、結婚の日取りまで決まっていて、プロポーズなんて今更な感じで。
なのに何故?
私の戸惑いが伝わったのか、ランハルト様は可笑しそう微笑んだ。

「違うよ。対外的には政略だと思われているけど、私がシアに一目惚れしたんだ。あの地獄の様な辺境に降り立った華に。誰もが絶望していたあの場所で希望をもたらし、微笑んでくれた君に恋をした。だからどうしても君の隣に立ちたかった。」

熱く見上げる蒼の瞳と視線が絡む。
カーッと顔に熱が集まったのがわかった。
今の今まで同じ想いを返してもらえるなんて考えてもいなかったから。
足りない分は私の分で補えば良いと思っていたのに。

始めてお会いしたのはお母様に連れられて行ったお茶会だと思ってました。
それは王城の小さな箱庭で行われた王妃様主催のお茶会。
王妃様の派閥に属する夫人達の集いで、その子弟にもお声がけ頂いて、デビュタント前の子どもがそこそこ参加していたはずです。
そこでお会いしたのがランハルト様でした。髪は紫紺、瞳は蒼く澄んでいてキラキラと輝いてそれはそれは綺麗だったのを覚えています。私と6つの歳の差があるのに淑女みたいにお相手をして頂いて、胸が高鳴りました。お茶会が終わるまでずっと付き添って頂いて、まるでお姫様みたいだったのを覚えています。
ランハルト サランバルク様。
深淵との辺境を任せれる辺境伯家の次期様。知力にも武力にも優れていて、加護持ちだとの噂もある優秀な人だと聞きました。
過去には王族も降嫁されていて血筋も申し分なく、アカデミーを主席で卒業され、後は領地に戻られる予定だとか。
涼やかな微笑みと淀みのない話術、この方が次の領主様になるならば彼の地は大丈夫だと、烏滸がましくも思ったのを覚えています。
それから少しして、お父様からランハルト様との婚約が整ったと聞かされ、次にお会いしたのは婚約式の時だったかしら。
その時にお召しになっていた漆黒の、軍服の様な礼装がとても素敵で。私が初めて造った若草色の守り石をピアスに仕立てて付けて下さっていて、それがすごく嬉しくて、たとえ政略だとしても手を携えて守って行こうと思えたの。
それからもお手紙のやり取りとか、予定が合えばお会いして近況を報告しあったりとか、一緒に魔獣の討伐に出かけた事もありました。女の癖に殺傷に出向くのかと蔑んだ目を向ける人達もいらしたけれど、ランハルト様は違った。止めろは絶対に言わない。そのかわり必ず一緒に出かけて、私を守って下さる。剣技は私如きがかなう訳もないけれど、私の魔術との相性は良くて、足手纏いにはならなかったと自負しておりました。
だから歩み寄りながら、親愛でも友愛でも芽生えて頂けたかしらそれで満足だと思っていましたの。
それなのに、

「そ、そんな話し、今まで一度も聞いた事がないわ。そ、それ、に態度だって!」

「一度箍が外れてしまえば、君の魅力に抗えなくなるからね。婚姻前に君を奪ってしまう事にもなり兼ねないし、太い釘を刺されていてね。」

「釘?ですか。」

「そう主に君の兄上とか父上とかだね。後はジーンからも少し。卒業して無事に嫁に迎えられるまではエスコート以外で君に触るなとか、まぁ色々だよ。出来たら君を愛でていたかったのに、周りにそれを邪魔ばかりされて。でも、アカデミーを卒業したからそれも終わり、ようやく君に触れられる。」

晴れ晴れした笑顔がそこにあった。
政略結婚だからそこには打算しかないのだと思っていたのに、それは私の思い違いなの?
ランハルト様は私を私として見てくれていた?

「は、初めてお会いしてのは王妃様のお茶会ではなくなかったのですか?あの前にお会いしていたの?」

「気がつかれなくて良かったような、残念なような。あの時、ふたりがいなければ私もジーンも生残る事は出来なかった。」

「ユージーン様がいらしたのは分かったの。アナが驚いていたもの。何故こんな最前線に殿下がいるんだって。あの一団にランハルト様もいらしたの?」

8年前のあの時、緊急事態を知らされた両親は事態の終息の為に辺境に飛んで行った。お兄様は後方支援に奮闘されていて、王都の屋敷には双子だけが取り残されてしまった。
どうやら辺境がヤバイらしいと冒険者の間でも情報が行き交い、上級の冒険者達が招集されていると聞いて、それでこっそり家を抜け出して、冒険者達の後方支援と雑用係として辺境の手前までついていったの。今、考えてもとても無謀で愚かな振る舞いだった。でもマリアナは『私の魔力が微々たるものでも、助けられる物はあるはずだ』と言って突っ走ってしまって。そうなれば諫めるのも、止められるのも私の役目なのよね。マリアナを護りながら、たどり着いた場所は人の住む地ではなくなっていて、それはもう地獄の様な有様だった。
人って簡単に死んでしまうんだって、少しの運と力が生か死かを決める過酷な最前線。
魔力を紡いで造られた辺境の防御壁も魔獣に打破されしまい、魔力持ちが懸命にそれを再建していたのを垣間見ました。
それこそがこの地の防衛線なのだけれど、波のように襲い来る魔獣のせいで何処かしら穴が開いてしまう。
魔獣を押しとどめる騎士や冒険者達も次から次に来る魔獣で疲労が溜まる一方だった。
血が噴き、手足が飛び、命が消えて行く。
たまらなく怖かった、それでも『盾』とし教育されてきた私達は止まれなかった。
剣を抜き、魔力を込める。
震える心で、嫌気が差すほどに教育されたてきた事に感謝した。命を守る為に自然と体が動いてくれるんだもの。
初めて足を踏み込んだ防護壁の向こう側は赤く染まっていた。その地は強者だけが存在出来る場所だった。
でもその先で傷付いた誰かを庇いながら、闘う集団を見つけたの。
いつもの通り防御と癒しに長けたマリアナが動けない集団にむかい、私は押され気味な前線に走った。
怖くなかったかと言えば嘘になる。
それでも私の力は護る力。
王国の盾になる力、そう聞かされて育ってきた。今、その力を行使する時なのだと心が叫んでいた。
1番先で押し留めていた集団に行き当たる。
皆、気力だけで戦っていた。
だから魔法狂いの両親が歌う様に奏でていた呪文をなぞった。
それが最上位の氷結呪文だと言っていたから。
私なら紡げるかもしれないと言っていたから。
誰にも死んでほしくなかったから。

それは私からごっそりと魔力を奪ったけれど、不様に倒れはしなかった。
目前で凍りつき動きを止めた魔獣を尻目に撤退を促した。
その一団の中に第1王子であるユージーン様がいらっしゃったのに気がついたのはアナだった。
それは酷い傷を負い、皆が庇っていたのが彼の人だ。少し遅ければ今はなかったと思われるほどの重症だった、、、ってマリアナが言っていたっけ。
ふたりはその時にお互いに好意を抱いて、愛を育んだの。これぞ運命の出会いって言うのかしら。
でも、あそこにランハルト様もいらしたかしら。いらしてもおかしくはないけれど、次期当主があの様な死地に赴くものなの?それを言ったら第1王子殿下がいたのもおかし過ぎたのだけど。

「ーーー凍てつく氷華を唖然として見ていた1人だ。あの人外地に舞い降りた女神に恋して、どうしても諦められなくて、見っともなく足掻きまくってようやく君の手を取る事を許された。だけど私に沿うのは深淵と共に生きると同じ。また起こるかもしれないそんな危険な場所に君を繋げてしまう。それでも私と共に立ってくれるだろうか。」

ひとつの薔薇を手向けられ、私の答えを待っている。
その花の持つ意味はーーー。

「お受け、致しますわ。何処だろと私はあなたと共にありたいのです。」

私は綺麗に笑えているかしら。
愛を請われたというのに、涙が溢れ落ちそうになるのはどうして?
差し出された薔薇を受け取ろうとしたのにランハルト様がその手を取り上げて指先にキスをした。
それに驚いて固まっていたら、ランハルト様は立ち上がって薔薇を私の髪に飾ろうと、腕の中に囲われる形となってしまう。
内緒話をするように耳元に口を寄せて、私にしか聞き取れないくらいの声量で呟く。

「俺を受け入れてくれてありがとう。」

ランハルト様の吐息が耳に触れてくすぐったい感覚と今までに無い率直な言葉に胸が鳴る。

「ふふ、これからもよろしくね?俺の奥さん」

チュッと頰に何かが触れた。
触れた辺りに手を当ててみる。
一瞬のことすぎてそこには何も残ってはいなかったけれど。
前に立つランハルト様を見上げると満面の笑みを浮かべていた。
思ったよりも近くに見えるランハルト様のお顔。
この唇が私に触れた。
そう思ったら全身の血液が顔に集まって、さらに火照って行くのがわかった。
きっと首の付け根まで赤く染まっている。

「可愛い、これで誓いのキスなんてしたら倒れてしまうかな?」

そう言うと顎の下に添えられた指で持ち上げられて俯いていた顔を上げられた。
私よりも高い位置にある柔らかく笑う瞳とかち合ったら、綺麗なお顔が近づいて来て、唇を掠めて元に戻る。
上を見上げ、ランハルト様の胸の中にいた私は一瞬の出来事過ぎてついて行けなくて。
鈍くなっていた頭が少しずつ、少しずつ回り始めて、キスされた事を自覚した。
その後はランハルト様と踊ったり、色々な人にご挨拶をしたのだけれど足元がふわふわして、気持ちも落ち着かなくて、ずっと繋がれていたランハルト様の手の温もりしか覚えていない。

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