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1 召喚 1
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この異世界への旅の始まりは唐突だった。
トラックに撥ねられたわけでもない、病死でも殺されたわけでもない。
通勤用のバイク(小型125CC)を走らせていたら、人気の無い道路で目も眩む光芒に包まれたのである。
「なんだ!?」
思わず声に出す中年男――彼の名は来雅仁。
零細企業の平社員をずっと飽きずに続けて来た……というより他の事など何もできない、冴えない男だ。
もちろん、体力も運動神経も全然無い。人より優れる技能など無い。容姿もまるで冴えない。当たり前だが金も無い。ないない尽くしの、いてもいなくても世の中に全く影響の無い男だった。
地球の日本から消えるのに、とても都合の良い男なのは間違いなかった。
そして――彼は別の世界へと消えてしまった。
(ここは……どこだ?)
意識を取り戻した時、彼は狭い容器の中に閉じ込められていた。
横倒しになった金属製の筒。その中に敷かれたマット。そこで寝ころんで――そして気を失っていたのである。
陽の光が射している。筒には上向きの、ガラスの蓋があるのだが、その向こうには青空が広がっているようだ。そしてガラス越しに周囲を動き回る複数の人影が見えた。
混乱する仁を閉じ込めていたガラスの蓋が、ほどなく開いた。空気が流れ込んでくる。少し肌寒い……身に纏っているのが病人のガウンみたいな衣である事に、その時気づいた。
「起きなさい。何があったのかを説明する」
筒の外から声がかけられた。若い女性の声。奇麗でよく通る声ではあるが口調は硬く、仁に命令しているようである。どうしていいかわからなかったので、とりあえず仁は身を起こした。
上体を起こした仁は声の主を見た。やはり若い女性である。歳は二十前後だろうか。
その周りには何人もの人間が何らかの作業をしているようだ。
だが仁は彼らの方をよく見ていなかった。身を起こした途端、あまりに印象の強い物が視界に入ったからである。
大きな壁際に膝をつく、三体の巨人。人の十倍ほどの大きさがある。
だが生物などではない。それは生物の甲殻と金属の部品で造られていた。胸部にはハッチが開き、縄梯子が垂れ下がっているのが見える。つまりそれは人が入る乗り物なのだ。
「巨大ロボ……!?」
呟く仁。
「その概念を知っているのか!? そうか……貴方はチキュウ人なのだな……」
そう声をかけられ、仁は改めて、自分へ声をかけた女性を見た。
美しい女性ではある。肩までの金髪に、やや釣り目気味ではあるものの大きな青い瞳。整った顔立ちは、可愛らしさというよりは凛とした真っすぐな意思を感じさせる。
しかし仁は、彼女の容姿より格好に目を奪われた。
(ガイジンのモデルさんみたいな娘だが……なんだって鎧?)
女性は首から下を鎧で包んでいたのだ。革の下地を部位ごとに鎖・小札・鉄板を使い分けて補強した、ファンタジーゲームに出てくるような甲冑で。
(女騎士?)
仁の頭にそんな単語が浮かぶ。ただ女性の腰にある得物は剣ではなく、メイス――柄に鉄塊をつけた鈍器だったが。
女性は仁に鋭い目を向けたまま自己紹介を始めた。
「私はスイデン国のウルスヤ教団神官戦士隊、神聖騎士のヴァルキュリナ。貴方達を保護させてもらう」
混乱したままだが、仁はその言葉からなんとか現状を把握しようとした。
女性――ヴァルキュリナはどこかの国の宗教関係者らしい。
隊、と言ったが……なるほど、彼女以外にも鎧を着た男が何人か辺りにいる。だが銀色の甲冑に比べれば明らかに安物の鎧だし、ヴァルキュリナに話すを任せて仁と口を聞こうとしなかった。おそらく彼らの中で、一番地位が高いのはヴァルキュリナなのだ。
そして「貴方達」とは……? その意味を考える仁の耳に、別の女性の声が響く。
「他の二人も目を覚ましたよォ!」
甲高い、子供のような声だった。聞こえた方へと視線を上げる仁。
声の主はすぐに見つかった。
それは空中を舞う、掌に乗るぐらいの、透き通った翅を羽ばたかせる妖精の少女だった。リボンで結んだポニーテールに、大きくまん丸い目をくりくりさせた、声の印象通り子供っぽさが溢れている女の子。光沢のあるドレスの短いスカートがひらひらとなびき、童話の挿絵でも見ているかのようだった。
(神官戦士に兵士に妖精、か。ファンタジー風味で腹いっぱいだな。後はモンスターが出れば完璧だが、それはご遠慮願いたいからよ……)
そう考えた仁の視界……自分のすぐ側に、何かが上体を起こした。仁が着ているようなガウンを羽織っているが、それ越しにさえ屈強で逞しく盛り上がった筋肉が透けている。
だがその肌は緑色の鱗で覆われていた。顔は……牙こそ生えてはいるが、丸みのあるトカゲだ。ただ奇妙な事に、その両目は複眼になっていたが。
「マジでモンスター!?」
仁は驚いて叫んだ。
そして叫んで硬直した。
小さく呟いてもわからなかったが、大声を出すとはっきりした。自分の声がいつもと違う。聞き覚えはあるのだが、何か違う。
戸惑いながら周囲を見渡す仁。自分が寝ていた筒のガラス蓋――開いたまま垂直に立っている――が目に入り、そこに映る姿に目が釘付けになった。陽光のあたる角度がガラスを鏡のように機能させるに丁度良かったのか。仁の上半身がはっきりと見えたのだ。
毎朝洗面所で見る顔ではなかった。
ニ十歳ぐらいの青年だ。若い頃の自分の顔に似てはいる。だがそれよりずっと精悍で男らしい顔立ちだ。体も健康的で、トカゲ男ほどではないが十分に逞しい。休日は寝る日だと決めている弛んだ中年の体ではなく、スポーツマンや格闘家の物だ。
それ以上に驚くべきで奇怪なのは、右腕である。これは有り得なかった。
節足動物のような甲殻が、鎧のように、肩から指先まで覆っていたのである。
恐る恐る左手の指で触れる。右腕の甲殻は己の皮膚だ。
日曜の朝に放送している特撮番組のヒーローのスーツを生物的にしたような、異形の、怪物の腕だった。
「どうして! なんで? どうなっているの!?」
トカゲ男とは反対側であがる、少女の悲鳴。自分の胸の内を代弁したような声に思わず振り向く。
そこで筒から上体を起こし、仁やトカゲ男と同じガウンを纏って半泣きになっているのは、おそらくミドルティーンの……中高生ぐらいの少女である。
ショートカットにやや垂れ目の、中性的だが気の弱そうな少女だ。小柄で色白く、今の仁やトカゲ男のような逞しさは見られない。
少女は自分の体をあちこちまさぐっていた。
「なんでボクが女になってるの!? なんで? ねぇなんで!?」
少女が悲鳴をあげる。その言葉からして、少女は女ではなかったようだ――そう仁は察した。
ふう、と溜息をついてから、神聖騎士のヴァルキュリナが仁達へ声をかける。
「貴方達に何か変化が起こっているとしたら、それは召喚した者達の仕業だ。奴ら――魔王軍の有する基地の一つがここだったのだが、しばらく前に勇者が襲撃し、この基地は壊滅した。我々はそこに何か残されていないかを国の命令により調査しに来て、基地の地下で君達三人と数機のケイオス・ウォリアーを発見し、外――この中庭へ運び出したのだ」
(魔王? 勇者? そこまでテンプレ守るなら、正義側が召喚しろよ。魔王側に召喚されて改造されて放置食らってたとか……スジが通らねぇ)
頭の中で悪態をつく仁。
その時である。
轟音とともに周囲が激しく振動した! その源は大体わかった――巨大ロボが立つ壁の向こうだ。壁の向こうには半壊した砦のような建物が見えるのだが、そのさらに向こうで何かが爆発したようなのだ。
兵士達が悲鳴をあげる。その恐慌から、彼らにとっても予期せぬ事態なのが仁にはわかった。兵士が一人が壁の向こうから回り込み、走って来る。
「大変です! 魔王軍のケイオス・ウォリアーが攻撃してきました!」
「戻ってきたというの? それとも残した物を回収するために部隊を差し向けて来たのか。クッ……このままでは……」
唇を噛むヴァルキュリナ。さらに轟音と振動が周囲を襲った。ヴァルキュリナは他の三人――仁、トカゲ男、少女(?)――に声をかける。
「力を貸して欲しい。魔王軍との戦いになってしまうが……」
少女(?)が不安そうに仁とトカゲ男へ、か細い声で問いかけた。
「どうしよう? 魔王がボクらを召喚したなら……魔王と戦っていいのかな?」
「まぁ……確かに判断材料が無さ過ぎるな。魔王がどんな奴なのか知らんしよ」
仁もそう言うしか無かった。
その横でトカゲ男が「ゲッゲー」と鳴く。肯定なのか否定なのか腹が減っただけなのか、仁には全くわからない。
爆音がまた響いた。ヴァルキュリナはやや焦りながらも三人へ語る。
「魔王を詳しく知っている者は、人類側にはいない。数年前に魔物の軍を率いて現れ、この大陸の全国家へ宣戦布告もなく攻撃を仕掛けて来た。占領した地域を支配はしているし、その勢力圏は今やこの大陸最大の国さえ凌ぐが……世界征服が望みなのか、他に目的があるのか、それさえも不明だ」
そこまで言って、一瞬口籠る。
だがすぐに言葉を続けた。
「魔王軍に召喚され、その下で戦う事を選んだ者達もいる。その中には戦いで勝利し、占領地を任された者も。侵略者として人類の国を蹂躙し、手柄をあげれば、報酬は与えられるようだ」
(おいおい……それをここで俺達に教えるのかよ?)
ヴァルキュリナにしてみれば、敵側の悪評を吹き込むのが当然の状況だろう。だが人によっては魔王軍を選びかねないこの説明――仁はこの女騎士が何を考えているのかわからなくなった。
そこへさらに少女(?)が訊ねる。
「それは戦わされるという事だよね? ボク、戦闘どころかケンカにも勝った事ないよ……」
戦いを恐れる者ならヴァルキュリナの言葉を肯定的には捉えないだろう。
しかし……
「貴方達が人類側に来ても、戦う事は期待される。この世界で異世界人を召喚するのは、この世界のほとんどの戦士より強いからだ。そうなれる適正がある者だけを選ぶよう、今の召喚魔法は調整されている。貴方達が選べるのは人類側で戦うのか魔王軍に行くかの二つで、そのどちらを選んでも、そこで成功できる素質は持っている」
所々、口にするのを躊躇わなかったわけではないが。女騎士ヴァルキュリナは、三人にはっきりとそう教えた。
仁は絶句した。
少女(?)はぽかんと口をあけて呆けた。
トカゲ男は「ゲッゲー」と鳴いた。
四人を動かしたのは、次の轟音と振動。そして兵士の一人の声だ。
「もうもちません! 急いでください!」
それを聞いて仁は頭を掻く。
「騎士さんがえらく正直な事はわかった。命かかってるなら信用できる奴といるのがスジだろ。で、力を貸すと言ってもどうすればいい? やっぱ、あの巨大ロボに乗れっていうのかよ?」
「そうだよ! あれはケイオス・ウォリアー。敵もあれに乗って来ているの!」
妖精の少女が仁の頭の上で元気に叫ぶ。
「しかし巨大ロボはあっても操作方法がわからねぇぞ。マニュアルは無いのかよ?」
仁はヴァルキュリナへ訊ねる。
彼女はすぐに答えた。
「説明書の事か? そんな物は無い。無いが、貴方達なら乗れば操作できる筈だ」
(そういうパターンも知らないではないが……いざ自分がぶっつけ本番でやらされるとなると、不安しかねぇ)
困って頭を掻く仁。
子供の頃、ロボットアニメは好きな方だった。
それ故に、ロボットアニメのタイトルやキャラクターを集めたシミュレーションRPGシリーズを長らく遊んでもいた。
有名無名、様々なロボットアニメのキャラクターや機体が参加しており、そこそこ有名で最盛期には当時のゲーム雑誌でも大きく取り上げられていた長期シリーズだ。
ゲームから興味をもって視聴したアニメも、仁には何作かある。その中には異世界へ召喚された主人公が強く格好いい機体に乗って大活躍する物もあった。
だが迷っている余裕は無かった。爆発が視界内ではっきりと起こり、壁の向こうの砦跡を大きく削ったのだ。煙の中から粉塵が噴き上がり、仁の周囲にもパラパラと落ちる。
「そういう物だと信じるしかねぇな。仕方ねぇ!」
半ばヤケクソで叫び、仁は立ち上がった。自分が入っていた金属の筒――SFアニメで見たコールドスリープ用の槽そっくりだった――から飛び出し、ロボットへ走る。
ロボットの鳩尾辺りにある操縦席はハッチが開き、縄梯子が垂れ下がっている。仁はそれに飛びつき、大急ぎで登った。
(頼むぜ……俺にもアニメの主人公みたいに、恵まれた不思議パワーがあってくれよ……)
祈りながら梯子を登りきる。
革の座席、体を固定するベルト。レバーやボタンはシートの左右についていて、真正面から乗りこむようになっていた。
魔王軍からの激しい砲撃が機体を揺さぶる。それに押されるように、仁はシートへ飛び込んだ。
急いで体の向きを替え、座席に座り直し、シートベルトを締める。
その時――不思議な事が起こった!
トラックに撥ねられたわけでもない、病死でも殺されたわけでもない。
通勤用のバイク(小型125CC)を走らせていたら、人気の無い道路で目も眩む光芒に包まれたのである。
「なんだ!?」
思わず声に出す中年男――彼の名は来雅仁。
零細企業の平社員をずっと飽きずに続けて来た……というより他の事など何もできない、冴えない男だ。
もちろん、体力も運動神経も全然無い。人より優れる技能など無い。容姿もまるで冴えない。当たり前だが金も無い。ないない尽くしの、いてもいなくても世の中に全く影響の無い男だった。
地球の日本から消えるのに、とても都合の良い男なのは間違いなかった。
そして――彼は別の世界へと消えてしまった。
(ここは……どこだ?)
意識を取り戻した時、彼は狭い容器の中に閉じ込められていた。
横倒しになった金属製の筒。その中に敷かれたマット。そこで寝ころんで――そして気を失っていたのである。
陽の光が射している。筒には上向きの、ガラスの蓋があるのだが、その向こうには青空が広がっているようだ。そしてガラス越しに周囲を動き回る複数の人影が見えた。
混乱する仁を閉じ込めていたガラスの蓋が、ほどなく開いた。空気が流れ込んでくる。少し肌寒い……身に纏っているのが病人のガウンみたいな衣である事に、その時気づいた。
「起きなさい。何があったのかを説明する」
筒の外から声がかけられた。若い女性の声。奇麗でよく通る声ではあるが口調は硬く、仁に命令しているようである。どうしていいかわからなかったので、とりあえず仁は身を起こした。
上体を起こした仁は声の主を見た。やはり若い女性である。歳は二十前後だろうか。
その周りには何人もの人間が何らかの作業をしているようだ。
だが仁は彼らの方をよく見ていなかった。身を起こした途端、あまりに印象の強い物が視界に入ったからである。
大きな壁際に膝をつく、三体の巨人。人の十倍ほどの大きさがある。
だが生物などではない。それは生物の甲殻と金属の部品で造られていた。胸部にはハッチが開き、縄梯子が垂れ下がっているのが見える。つまりそれは人が入る乗り物なのだ。
「巨大ロボ……!?」
呟く仁。
「その概念を知っているのか!? そうか……貴方はチキュウ人なのだな……」
そう声をかけられ、仁は改めて、自分へ声をかけた女性を見た。
美しい女性ではある。肩までの金髪に、やや釣り目気味ではあるものの大きな青い瞳。整った顔立ちは、可愛らしさというよりは凛とした真っすぐな意思を感じさせる。
しかし仁は、彼女の容姿より格好に目を奪われた。
(ガイジンのモデルさんみたいな娘だが……なんだって鎧?)
女性は首から下を鎧で包んでいたのだ。革の下地を部位ごとに鎖・小札・鉄板を使い分けて補強した、ファンタジーゲームに出てくるような甲冑で。
(女騎士?)
仁の頭にそんな単語が浮かぶ。ただ女性の腰にある得物は剣ではなく、メイス――柄に鉄塊をつけた鈍器だったが。
女性は仁に鋭い目を向けたまま自己紹介を始めた。
「私はスイデン国のウルスヤ教団神官戦士隊、神聖騎士のヴァルキュリナ。貴方達を保護させてもらう」
混乱したままだが、仁はその言葉からなんとか現状を把握しようとした。
女性――ヴァルキュリナはどこかの国の宗教関係者らしい。
隊、と言ったが……なるほど、彼女以外にも鎧を着た男が何人か辺りにいる。だが銀色の甲冑に比べれば明らかに安物の鎧だし、ヴァルキュリナに話すを任せて仁と口を聞こうとしなかった。おそらく彼らの中で、一番地位が高いのはヴァルキュリナなのだ。
そして「貴方達」とは……? その意味を考える仁の耳に、別の女性の声が響く。
「他の二人も目を覚ましたよォ!」
甲高い、子供のような声だった。聞こえた方へと視線を上げる仁。
声の主はすぐに見つかった。
それは空中を舞う、掌に乗るぐらいの、透き通った翅を羽ばたかせる妖精の少女だった。リボンで結んだポニーテールに、大きくまん丸い目をくりくりさせた、声の印象通り子供っぽさが溢れている女の子。光沢のあるドレスの短いスカートがひらひらとなびき、童話の挿絵でも見ているかのようだった。
(神官戦士に兵士に妖精、か。ファンタジー風味で腹いっぱいだな。後はモンスターが出れば完璧だが、それはご遠慮願いたいからよ……)
そう考えた仁の視界……自分のすぐ側に、何かが上体を起こした。仁が着ているようなガウンを羽織っているが、それ越しにさえ屈強で逞しく盛り上がった筋肉が透けている。
だがその肌は緑色の鱗で覆われていた。顔は……牙こそ生えてはいるが、丸みのあるトカゲだ。ただ奇妙な事に、その両目は複眼になっていたが。
「マジでモンスター!?」
仁は驚いて叫んだ。
そして叫んで硬直した。
小さく呟いてもわからなかったが、大声を出すとはっきりした。自分の声がいつもと違う。聞き覚えはあるのだが、何か違う。
戸惑いながら周囲を見渡す仁。自分が寝ていた筒のガラス蓋――開いたまま垂直に立っている――が目に入り、そこに映る姿に目が釘付けになった。陽光のあたる角度がガラスを鏡のように機能させるに丁度良かったのか。仁の上半身がはっきりと見えたのだ。
毎朝洗面所で見る顔ではなかった。
ニ十歳ぐらいの青年だ。若い頃の自分の顔に似てはいる。だがそれよりずっと精悍で男らしい顔立ちだ。体も健康的で、トカゲ男ほどではないが十分に逞しい。休日は寝る日だと決めている弛んだ中年の体ではなく、スポーツマンや格闘家の物だ。
それ以上に驚くべきで奇怪なのは、右腕である。これは有り得なかった。
節足動物のような甲殻が、鎧のように、肩から指先まで覆っていたのである。
恐る恐る左手の指で触れる。右腕の甲殻は己の皮膚だ。
日曜の朝に放送している特撮番組のヒーローのスーツを生物的にしたような、異形の、怪物の腕だった。
「どうして! なんで? どうなっているの!?」
トカゲ男とは反対側であがる、少女の悲鳴。自分の胸の内を代弁したような声に思わず振り向く。
そこで筒から上体を起こし、仁やトカゲ男と同じガウンを纏って半泣きになっているのは、おそらくミドルティーンの……中高生ぐらいの少女である。
ショートカットにやや垂れ目の、中性的だが気の弱そうな少女だ。小柄で色白く、今の仁やトカゲ男のような逞しさは見られない。
少女は自分の体をあちこちまさぐっていた。
「なんでボクが女になってるの!? なんで? ねぇなんで!?」
少女が悲鳴をあげる。その言葉からして、少女は女ではなかったようだ――そう仁は察した。
ふう、と溜息をついてから、神聖騎士のヴァルキュリナが仁達へ声をかける。
「貴方達に何か変化が起こっているとしたら、それは召喚した者達の仕業だ。奴ら――魔王軍の有する基地の一つがここだったのだが、しばらく前に勇者が襲撃し、この基地は壊滅した。我々はそこに何か残されていないかを国の命令により調査しに来て、基地の地下で君達三人と数機のケイオス・ウォリアーを発見し、外――この中庭へ運び出したのだ」
(魔王? 勇者? そこまでテンプレ守るなら、正義側が召喚しろよ。魔王側に召喚されて改造されて放置食らってたとか……スジが通らねぇ)
頭の中で悪態をつく仁。
その時である。
轟音とともに周囲が激しく振動した! その源は大体わかった――巨大ロボが立つ壁の向こうだ。壁の向こうには半壊した砦のような建物が見えるのだが、そのさらに向こうで何かが爆発したようなのだ。
兵士達が悲鳴をあげる。その恐慌から、彼らにとっても予期せぬ事態なのが仁にはわかった。兵士が一人が壁の向こうから回り込み、走って来る。
「大変です! 魔王軍のケイオス・ウォリアーが攻撃してきました!」
「戻ってきたというの? それとも残した物を回収するために部隊を差し向けて来たのか。クッ……このままでは……」
唇を噛むヴァルキュリナ。さらに轟音と振動が周囲を襲った。ヴァルキュリナは他の三人――仁、トカゲ男、少女(?)――に声をかける。
「力を貸して欲しい。魔王軍との戦いになってしまうが……」
少女(?)が不安そうに仁とトカゲ男へ、か細い声で問いかけた。
「どうしよう? 魔王がボクらを召喚したなら……魔王と戦っていいのかな?」
「まぁ……確かに判断材料が無さ過ぎるな。魔王がどんな奴なのか知らんしよ」
仁もそう言うしか無かった。
その横でトカゲ男が「ゲッゲー」と鳴く。肯定なのか否定なのか腹が減っただけなのか、仁には全くわからない。
爆音がまた響いた。ヴァルキュリナはやや焦りながらも三人へ語る。
「魔王を詳しく知っている者は、人類側にはいない。数年前に魔物の軍を率いて現れ、この大陸の全国家へ宣戦布告もなく攻撃を仕掛けて来た。占領した地域を支配はしているし、その勢力圏は今やこの大陸最大の国さえ凌ぐが……世界征服が望みなのか、他に目的があるのか、それさえも不明だ」
そこまで言って、一瞬口籠る。
だがすぐに言葉を続けた。
「魔王軍に召喚され、その下で戦う事を選んだ者達もいる。その中には戦いで勝利し、占領地を任された者も。侵略者として人類の国を蹂躙し、手柄をあげれば、報酬は与えられるようだ」
(おいおい……それをここで俺達に教えるのかよ?)
ヴァルキュリナにしてみれば、敵側の悪評を吹き込むのが当然の状況だろう。だが人によっては魔王軍を選びかねないこの説明――仁はこの女騎士が何を考えているのかわからなくなった。
そこへさらに少女(?)が訊ねる。
「それは戦わされるという事だよね? ボク、戦闘どころかケンカにも勝った事ないよ……」
戦いを恐れる者ならヴァルキュリナの言葉を肯定的には捉えないだろう。
しかし……
「貴方達が人類側に来ても、戦う事は期待される。この世界で異世界人を召喚するのは、この世界のほとんどの戦士より強いからだ。そうなれる適正がある者だけを選ぶよう、今の召喚魔法は調整されている。貴方達が選べるのは人類側で戦うのか魔王軍に行くかの二つで、そのどちらを選んでも、そこで成功できる素質は持っている」
所々、口にするのを躊躇わなかったわけではないが。女騎士ヴァルキュリナは、三人にはっきりとそう教えた。
仁は絶句した。
少女(?)はぽかんと口をあけて呆けた。
トカゲ男は「ゲッゲー」と鳴いた。
四人を動かしたのは、次の轟音と振動。そして兵士の一人の声だ。
「もうもちません! 急いでください!」
それを聞いて仁は頭を掻く。
「騎士さんがえらく正直な事はわかった。命かかってるなら信用できる奴といるのがスジだろ。で、力を貸すと言ってもどうすればいい? やっぱ、あの巨大ロボに乗れっていうのかよ?」
「そうだよ! あれはケイオス・ウォリアー。敵もあれに乗って来ているの!」
妖精の少女が仁の頭の上で元気に叫ぶ。
「しかし巨大ロボはあっても操作方法がわからねぇぞ。マニュアルは無いのかよ?」
仁はヴァルキュリナへ訊ねる。
彼女はすぐに答えた。
「説明書の事か? そんな物は無い。無いが、貴方達なら乗れば操作できる筈だ」
(そういうパターンも知らないではないが……いざ自分がぶっつけ本番でやらされるとなると、不安しかねぇ)
困って頭を掻く仁。
子供の頃、ロボットアニメは好きな方だった。
それ故に、ロボットアニメのタイトルやキャラクターを集めたシミュレーションRPGシリーズを長らく遊んでもいた。
有名無名、様々なロボットアニメのキャラクターや機体が参加しており、そこそこ有名で最盛期には当時のゲーム雑誌でも大きく取り上げられていた長期シリーズだ。
ゲームから興味をもって視聴したアニメも、仁には何作かある。その中には異世界へ召喚された主人公が強く格好いい機体に乗って大活躍する物もあった。
だが迷っている余裕は無かった。爆発が視界内ではっきりと起こり、壁の向こうの砦跡を大きく削ったのだ。煙の中から粉塵が噴き上がり、仁の周囲にもパラパラと落ちる。
「そういう物だと信じるしかねぇな。仕方ねぇ!」
半ばヤケクソで叫び、仁は立ち上がった。自分が入っていた金属の筒――SFアニメで見たコールドスリープ用の槽そっくりだった――から飛び出し、ロボットへ走る。
ロボットの鳩尾辺りにある操縦席はハッチが開き、縄梯子が垂れ下がっている。仁はそれに飛びつき、大急ぎで登った。
(頼むぜ……俺にもアニメの主人公みたいに、恵まれた不思議パワーがあってくれよ……)
祈りながら梯子を登りきる。
革の座席、体を固定するベルト。レバーやボタンはシートの左右についていて、真正面から乗りこむようになっていた。
魔王軍からの激しい砲撃が機体を揺さぶる。それに押されるように、仁はシートへ飛び込んだ。
急いで体の向きを替え、座席に座り直し、シートベルトを締める。
その時――不思議な事が起こった!
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