史上最大の嫁

まんまる

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大怪獣嫁、来襲!

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「具合はいかがですか、優夜」

手の平を優夜の額にあてながら、ノーマは心配そうに尋ねた。
ここ数日間をノーマは優夜の看病に費やしていた。
通常業務は並行処理で完璧にこなしているし、新たに得られたサンプルの解析も順調だった。
しかし、肝心の優夜が『過労』で倒れてしまったのは計算外だった。

「もう、大丈夫です。っと」

ベッドから半身を起そうとした優夜は、バランスを崩して前のめりになった。
駆け寄ったノーマはフラフラする優夜を素早く支えて、再びベッドに寝かしつけた。

「無理をしてはいけません。診察結果によれば回復までにあと二十三時間必要です」
「アハハハ、でも過労で倒れたなんて、カッコ悪いな。遺跡発掘も少し控えなきゃ」
「原因は発掘作業ではありませんが…………いえ、なんでもありません。とにかく今はお休みください」

優夜は黙って言葉に従った。
無感情なはずのノーマの顔に憂いを見たような気がしたからだ。
憂い以外の感情も混じっているように感じたが、それが何なのかはわからなかった。
ノーマにしてみても『過労の原因は夢の中でのやり過ぎです』などといえるわけがなかった。
ついでに基本設計に『嘘をつく』機能を組み込まれていない。
だから黙っているしかなかった。

「ところで、リオラは?まだ今日はこっちには来てないけど」
「リオラ様は畑の方へ行かれました。ケオストラの野菜がなんとか根付いてくれそうなのです」

今までリオラの口にできる食料は森林地帯での狩りや野生の果物、海の魚くらいだ。
あとはノーマが合成してくれた非常食だけだった。
非常食は栄養学的には完璧なのだが、味はいまひとつでリオラもあまり食べたがらなかった。
かといって地球産の野菜はリオラにとっては量が少なくて体質にも合わない。
そこで空き地を畑にして、ケオストラの植物を実験栽培を始めていたのだ。

「うまく育つといいね」
「はい、地球で快適に暮らしていけるよう全力を尽くします」

返事する時にノーマが自然な笑顔を表現できるようになったのは少しうれしい。
でも優夜は気分が暗くなった。
『地球で快適に暮らす』とはリオラにはもう帰るべき故郷の惑星がない、ということを意味しているからだ。
一方、ノーマも笑顔とは裏腹に楽観的ではいられなかった。
採取した優夜の精子で実験したところ、新たな問題が浮上してきたのだ。

「あ、ノーマ。ほら、リオラが戻ってくるよ」
―解決策は用意できましたが。この方法をお二人に実行していただけるか―
「ノーマ?」
―『雪女』という地球の昔話のように、異類婚は難しいということでしょうか?―
「ノーマ、ねぇ、ノーマ!」
―しかしなんとか頑張ってもらわねば。二つの種族が同時に滅びるなど―
「聞こえないの?リオラが呼んでるよ」
「聞こえております、優夜。失礼しました、並行処理にメモリの大半を消費しておりました」
「それって…………考え事していてボンヤリしてたってこと?」
「はい、人間風に表現するとそうなります」

ノーマは平然とした顔でそう答えたが、優夜は目を丸くした。
彼女が高性能なのは知っていたが、まさか『ボンヤリする』ことも可能とは思っていなかった。
おかしなところでケオストラの科学力の高さに敬服してしいると……
ちょうど窓の外から元気いっぱいの声が聞こえてきた。

「ゆぅーやぁー、おッ加減いかがですカー?」

窓の外まで来てたリオラが指先でチョイッと窓を開けた。
走ってきたせいで少し荒い息が部屋の中に吹き込み、花瓶の花を吹き散らし優夜の毛布まで吹き飛ばしてしまった。

「ほっらぁ!キャベツ、こんなにおっきく育ったヨ―!」

両手一杯に山と乗せたキャベツ、ケオストラ産ミニキャベツ風植物がドドドと部屋になだれ込んで、寝室の半分が人間よりも大きなキャベツで埋め尽くされた。
優夜はとりあえず笑顔で、ちょっとひきつった笑顔で答えた。

「あははは、確かに…………豊作だね」
「これで地球風野菜シチューつくったげるヨ。食べれば優夜も元気百万倍なっちゃうゾ」
「う、うん…………お願いする、よ」

前日は同じパターンでお粥をつくってくれた。
調理に機械を使いさえしなければリオラの料理の腕は確かだ。
全部平らげたいくらい美味しかった。
出されたお椀が大型トラックサイズでなければ。
何度もお替りして全部平らげていた、そう断言できるくらい旨かった。

「じゃあ、後でネ。すぐ支度するから」

ズシン、ズシンと軽いスキップで大地を揺らしつつ、リオラは去って行った。

「この前からすごくハイテンションだけど。何かいいことでもあったの?」
「……ええ、まあ。実験結果が順調なので、いろいろと」

一応、笑顔で答えてみたノーマなのだが……
微妙に間があったのと、笑顔にぎこちなさが残ったのを優夜は感じ取った。
感じ取ったのだが、あえて口には出すまいと思った。

(きっと、いろいろ大変なんだな。ノーマさんは)

**********
リオラが船内に戻ったことを確認してノーマは話しかけた。
音声ではなく脳波通信を使ったのは、言語で表現するには少々情報量の大きすぎる相談事があったためだ。

―お帰りなさいませ、リオラ様―
「ん、たっだいまー」
―今は優夜との関係が微妙な時期です。接触はもう少し気をつけていただかないと―
「わかってるわよぉ、ノーマは心配性なんだから」

と、いいつつ音程が外れた歌を口ずさんでいるリオラを見ていると、ノーマはますます安心できなくなった。
それに加えて不安材料が増えていることを、どのようにリオラに話せばいいのかもわからない。

(まったく、専門外のオーバースペックな問題ばかりで困ったものです)
「で、ノーマは何を困っていて私に相談したいの?」
―えっ?―

いきなり、リオラの方から切り出されてノーマは戸惑った。
思考の内面を人間に見透かされるとは人工知能にはありえない。
もし感づかれたとするなら、大きな失敗をしていたことになる。
そんな心理状態まで察知したようにリオラはペロっと舌を出して見せた。

「ノーマとは長い付き合いなんですからね……優夜に関する問題よね、もちろん」
―なぜ、そうだと……いえ、そのとおりです。新たな問題が見つかりました―
「優夜との交配には問題ないはずよ。これは科学者として断言できるわ」
―はい、そのとおりですー
「当初危惧していた子孫同士の近親婚による弊害も遺伝子治療で回避可能だわ。間違いなく」
ーそれも問題ありません。七世代以内に治療も必要なくなるでしょう―
「じゃあ、何が問題なのよ?」
―もっと前段階、受精に至るまでのプロセスです―
「受精の前までって…………あ」

数日前の『初体験』を思い出してリオラは赤くなった。
リアルではない、頭の中だけの文字通り夢のような夢。
それでも優夜が自分に抱いている気持ちを知ることができた。
自分の心も伝えられた。
夢の中の出来事だけに彼には記憶はほとんど残っていないが、リオラははっきりと覚えていた。

「お、お互いの気持ちは、い、一応、確認できてるんだし。タイミングを見て切り出せば」
―告白のことではありません。その後です―
「あ、あとって、やっぱり」
―はい、交尾です―
「そ、それは。現実世界じゃ無理だからって最初からいってるじゃない!地球流のナイトライフは、その…………夢の中でサービスしてもらう、じゃなくて!してあげるし」
―いえ、それがそういうわけにもいかなくなりました―
「仕方ないでしょ!た、体格差ありすぎなんだから、人工授精でなんとかするしかないよ」
―お忘れですか?絶滅危惧種の繁殖を人工的手段のみに頼った場合の授精率低下を―
「…………あ」
―種族生命の弱体化が起こるためと思われますが、六世代後の種族生存率は五十%。十七世代後では十%を切ってしまいます。地球の古い医学・生物学データとケオストラでの研究資料を照合してみましたが、同じ結果が出ましたー
「そんな…………じゃあ私たちは結局、絶滅するかもしれないっていうの」
―いえ、自然交配を併用すれば生存率はほぼ百%になります―
「それができないから!それができないから、悩んでるんじゃないの!私も、優夜も!」
―方法があるといったら?―
「あるわけが…………あるの?」
―はい、あらゆるパターンのシュミレーションの中に一つだけ実行可能な自然交配方法が―
「あるの?優夜と私が現実世界で…………エッチ、じゃなくてセックスする方法が?」
―はい、ございました。ただし…………―

ほんの数秒間だがノーマの言葉が止まった。
最高の人工知能が即断できない。
それが難解な問題を意味することは付き合いの長いリオラにはわかることだった。

「ただし、何なの?」
―若干の困難が伴うと思われます。特に優夜の負担が大きいのです―

リオラは少しの間、呼吸忘れて考えた。
優夜を危険にさらすなど考えたくもなかった。
だが生命の危険があるならばノーマは隠したりはしない、それは信頼できた。

「教えて!その方法を、優夜なら…………きっと、大丈夫!」

**********
「ふーっ、久々のシャバの空気がうまいぜ。なんてね」

マンションから出た優夜は大きく伸びをして深呼吸した。
コールドスリープから目覚めて三年以上、これだけ長く寝ていたのは初めてだった。

「きっと一人で必死になりすぎていた反動だな。リオラが来るまでは…………」

一人ぼっちで目覚めたあの日から、世界の全てが敵だった。
見たこともない大型肉食獣や奇怪な食肉植物、灼熱の太陽に冷たい豪雨。
一見、可愛げな小動物さえ牙をむいて襲いかかってくる。
終わりのない、そして救いもないサバイバルの旅が、なんとか絞り出した気力を削り取る日々だった。
リオラたちが来る前までは『自分は全宇宙に拒否されている』としか思えなかった。
内緒にしていたが何度も自殺を考え、実行しかけたこともあった。
それがあの日、偶然発見した通信技術研究所で生きていた装置を見つけた時から変わった。

「僕は生きていていいんだ、そう思えるようになったんだ。リオラは僕を『命の恩人』っていうけど逆だよ、リオラとノーマの方が僕の、ん?」

リオラが宇宙船から降りるのが見えた。いつもと同じようにこっちへやってくる。
いつもと同じ…………いや?何か違和感があった。

「夕飯の支度始めるのかな。エプロンつけてるし、あれ?」

優夜の笑顔が硬直した。
少し前に大騒ぎになった『裸エプロン』状態だった。
しかし違和感の正体はそれだけではなかった。
一歩踏み出しては大きく右にふらり、また一歩進んでは今度は左に倒れかけ、足元がもつれていた。
まるで…………

「お酒に酔っ払って、ハハ、まさかね?お酒なんか今の地球には…………あ、危ない!」
ドズン!

足がもつれたせいで傾きすぎた体勢を元に戻せずに、リオラは真横に転倒した。
ここには川からの水を都市内に流すための水道施設のひとつがあり、二、三階建ての低い建物群が並んでいた。
リオラの巨体はその施設をいくつも巻き込んで押し潰した。
下敷き、というより瞬間的に圧縮された建築物が粉々になり、握りこぶし大のコンクリの塊がいくつも爆風のような風に飛ばされてきた。
優夜は逃げる、のではなく倒れたリオラに向かってまっすぐ突っ走っていた。
当たれば頭蓋を砕かれるような石をコンクリートをかわし、叩き落して砂塵の雨の中を駆け抜けた。

「まずい!」

続いて前方から飛んでくる。
ひときわ大きな塊はフットワークでかわすには速すぎた。
そして叩き落すには大きすぎた。
とっさに足を止めて身構え、気合を込めてパンチを突き出す。

「ハッ!」

大昔にカンフー映画で見た必殺技だが、威力は映画以上というべきだろう。
触れた瞬間に大岩はドカン!という爆発音とともに粉々に砕けて散らばった。
ただし殴った手の方も相当痛かったのか、優夜は手首を押さえてうずくまった。

「アイタタタ、やっぱり映画みたいにカッコよくは……なんていってる場合じゃない!大丈夫か、リオラ!」
「…………ン、フフフフフ、へーきだヨ」

起き上がろうとして道端にあった給水塔に手をかけた。
上半身を起こすのと引き換えに、タンクがグシャッ!と潰れて、鉄骨を捻じ曲げられた給水塔は横倒しになった。
巨大な手で無残に握りつぶされたタンクが、目の前をゴロゴロ転がっていく様子に優夜は思わずギョッとした。

(なんだ?リオラ、力加減ができてない?)
「どうしちゃったんだよ、リオ…………」

リオラが顔を間近にズイッと寄せてきた。
頬が赤かった、いや顔全体が赤らんでいた。
トロンとした目つき、異常なほど上機嫌な笑顔、そして決定的なのが轟々と吹きつける突風のような吐息だ。
いつもの甘くて暖かい息風の中に別な匂いが混じっていた。
人生経験の少ない優夜でも一応は知っている匂いだ。

「これって、やっぱりアルコール?リオラ、まさかお酒を飲んでいるの?」
「お酒ェ?ちがいますよォ!」
ドズン!

優夜の左右の地面が轟音とともに一メートル以上陥没した。
リオラが四つん這いになって両手をついてきたのだ。
左右を巨柱のごとき両腕に挟まれて、思わず逃げ腰な優夜の頭上から、リズムの狂った大声量が降ってきた。
振り仰げば給水タンクよりでかい乳房が揺れる天井!
そして嬉しそうな甘えた声。

「あたしが飲んだのはですネェー、『銘酒・はんさむぼぉい』とかゆーおクスリでぇスゥ」
「それって完璧にお酒じゃないか、そんな物をどこで?」
「んーとね、ノーマが処方してくれたでェス。『今のリオラ様に必要な効能がある』っていってましたヨ?」
「今のリオラに必要な効能?」
「ハァイ、地球の古代医術に伝わる『勇気を与えるお水』なんですヨー。よく効きますネー、地球古代医術。おかげで勇気百万倍でス、これなら」

ザッ、ゆっくりとリオラは立ちあがった。
前後左右にフラフラして危なっかしいのだが本人はお構いなしに、足元で呆然としている優夜をケラケラ笑いながら見下ろしていた。

「これなら、今までできなかったケド。今ならできますヨ」
ズッ…………ン。

わずか数十センチの位置に降ろされた巨大で重い一歩。
とはいえ、優夜にとっては見慣れた一歩が今は違って見えた。
思わず上を向き、すぐに真っ赤になって下を向いた。
相手が裸エプロンなのを忘れていた。
真上には広範囲モザイク処理すべき光景が、超巨大スケールで展開していた。

「優夜、恥ずかしがることないネ、だって…………これからソコは優夜のモノになるんだからネ」
「え、僕のモノって?」

意味がわからずオウム返しした優夜に……頭上から巨大な手が迫ってきた。
反射的に優夜はジャンプし、指の間をすり抜けて二十メートルも後ろに着地した。
間一髪だった!
今の泥酔状態のリオラは力加減が全くできていない。
もし優夜が細胞強化人間でなかったら逃げ切ることはできなかった。
数十トンもの握力に捕らえられて、即死か瀕死だったろう。
背中に冷や汗が流れるのを優夜は感じた。

「リオラ…………」
「逃げましたネ……せっかく、私が勇気出して……」

上機嫌から不機嫌に、リオラの声質があからさまに裏返った。
顔はあいかわらず笑ったままだが、恐い目で優夜をにらんでいた。
長いサバイバル生活で身に付けた優夜の『野生のカン』が生命の危機を警告していた。

「リオラ、ちょっと落ち着いて」
「優夜に逆プロポーズしたのにィ!」
「ヘッ?」
「乙女ゴコロを傷つけた罪は重いんだヨ。フッフッフッ、覚悟するよろしいでスヨ」

意外な言葉に驚く暇もなく頭上から巨大な足裏が降ってきた。

ドン!

身をよじってかわす数センチ向こうに肌色の壁となって素足が踏み下ろされた。
強化コンクリート舗装された地面が三十センチは陥没し、亀裂が縦横に走った。

「あ、危ないだろ!」
「さあ、地球の伝統遊戯『鬼ごっこ』の始まりですヨー。捕まったら、ウフフフ」

再び足を上げて優夜に狙いを定めるリオラ。
話が全く通じそうにない、となれば優夜としては逃げる以外になかった。
駆け出した優夜の後を、ややのんびりした足取りのリオラが追った。
本気で走れば一歩で十メートル以上のダッシュ!
百メートルなど三秒フラットで走り抜ける強化人間の優夜だが……
一歩の歩幅の差と巨大質量で揺れる足場のせいでリオラをなかなか引き離せない。

「しかたないな!ビル街に紛れ込んで時間を稼げば、なんとか」

隠れる場所の多い都市中心部へ逃げ込めばなんとかなるはず。
時間さえ稼げばアルコールも抜けて酔いもさめるだろう。
そう考えての逃走経路だったが、すぐに考えの甘さを優夜は痛感した。

「ウフウフウフ、隠れんぼは大得意でェすゥ。パドマ星の穴ネズミネコ三百五十二匹を全部捕まえた実績を思い知るがよろしいネ」

小さな雑居ビルの死角に身を隠した優夜を、リオラは難なく見つけ出して手の平でビルの屋上を軽く叩いた。
とたんにビルの上半分が爆発したように吹っ飛び、下半分も一瞬で崩れ落ちた。
土煙がもうもうと舞い上がる中から呆然と見上げる優夜と、倒壊させたビルの残骸をまたいで楽しそうに見下ろすリオラの視線がからみあった。
獲物を捕獲しようと広げられた両手から、またしても間一髪で優夜は逃れた。

「逃がしませんですヨォ。必ず捕まえて…………」

背後から聞こえてくるサドッ気全開の言葉場に続く、うれし恥ずかしげな言葉に優夜の足が止まった。

「捕まえて、お婿サンになってもらいまス、エヘヘヘ…………」

**********
夕日が西へと傾き、空が青から赤へ、そして一番星が輝く頃。
一万年以上も変化を拒んできた永久都市は、かつてないほどの激しい変化を経験していた。
大型デパートだった場所は一階の天井から上が消失して、仕切りと柱だけ残っている有様。
世界(地球)でもっとも高いタワーは土台を蹴り壊されて斜めに傾き、アンテナ群は捻じ曲げられて、あらぬ方向を向いていた。
未来技術を詰め込まれた耐震設計の高層市庁舎ビルは真ん中からへし折られ、無残な半身を大地に横たえていた。
補修ロボットが何十基も都市管理コンピュータの指令で動き回っているが、破壊活動進行中のため近づけない。

「モォーッ、ドコ行ったですカ、優夜?」

少しだけ不機嫌な声をあげてリオラが物資運搬車をつかんで、中身を確かめては放り投げた。
積み荷を含めれば十トンを下らない車体が宙を飛んで、永久都市のランドマークとして設計されたツインタワー・ビルの屋上に激突し爆発炎上した。
さらにリオラには狭くて入れない路地に手を差し込んだ。

「この辺ですかネ、隠れてるのは?んーっ!」

ふたつの高層ビルの間をこじ開けようと両手に力を込めた。
すると路地が広がる、というより左右のビルが傾き崩れ出した。
基礎工事部分まで地面から引き剥がされ、バラバラになりながら他の建物を巻き添えに左右に倒壊した。

「あれぇ?ココにもいなかったですゥ。ドコに隠れたんでしょ?」

小さなビルを千鳥足でふたつ、みっつと蹴飛ばしながらリオラはまだ壊していない……訂正、まだ探していない一角へと去っていった。
ドシン、ドシンと小地震を起こしながら遠ざかる足音と破壊音が遠ざかっていった。
ようやく静かになった廃墟に補修ロボットが集まってきた。
燃え盛る炎を消火し瓦礫を撤去し、残った基礎部分を掘り出して瞬くうちに更地へと戻していった。
人類の英知の結晶というべき『永久都市』は完璧な再生能力を備えていた。
数日もすれば元通りの建築群が何事もなかったように再生される。

カタ…………カタカタ。

壮絶な破壊現場から撤去した瓦礫を満載して走り去っていくトラック群、そのうちの一台の荷台でコンクリートの山がと動いた。
車体の揺れとは違う動きの下から、ニュッと突き出されたのは人間の腕だ。

「やれやれ、助かった…………かな?」

泥まみれの体で這いだしてきたのは優夜。
事務所とおぼしき小さなビルの一角に身を潜めていたのだが、リオラは気付かずにそのビルを踏みつぶした。
咄嗟に近くにあった耐震耐火金庫に飛び込み身を守ったのだ。

「リオラ、どうしちゃったんだろ?気になることもいってたし」

大きなコンクリート塊に腰を下ろして一息つくと、優夜は考え込んだ。

「…………『お婿さん』って。僕とリオラは、地球人とケオストラ人は交配できないって、リオラ自身が」
「そのことについては報告が遅れてしまいました。謝罪いたします」
「ワッ?」

耳元での声に驚いて振り向くと、メイド姿のノーマが立っていた。
優夜と目が合うと同時に両膝をつき、そのまま頭を地にこすりつけた。

「ど、土下座なんて、どこで覚えたの?」
「昨日、礼儀作法に関する古文書の解読に成功しまして。いえ、それよりノーマ様が大変なことに」
「…………お酒呑んで悪酔いしてるんだね?」
「そのとおりです。さすが優夜、見事な洞察力でいらっしゃいます」
「見ればわかると思うけど。でも、なんであんなことになってるんの?」
「はい、それが。優夜に対して度胸のな……積極性の足りないリオラ様のために地球の古代療法を参考に勇気を鼓舞する薬品を調査した結果」
「お酒を合成した、と?」
「はい、ただケオストラにはアルコールを呑む習慣がなかったので、耐性が予想以上に低かったようで」

揺れる無人トラックの荷台で、優夜は額に手をつき痛恨の表情で大きなため息をついた。
ちょっとうらみがましい目でノーマを見上げてみたが、ノーマは鉄壁の無表情を決め込んでいた。

「そもそも、なんでこんなことを。僕とリオラじゃ…………するなんて無理なんだし、そもそも子孫を残すことは不可能だって」
「ああ、まだ優夜には説明しておりませんでしたね。子孫を残すことは可能です」
「へ?それってどういうことだよ!遺伝子構造上不可能って前にいってただろ?」
「それは平均的な地球人の場合です」
「平均的な地球人?どういうこと?」
「最初に頂いた遺伝情報データはどこから入手されたものか覚えていますか?」
「ああ、確か……永久都市の医療記録から転送したんだっけ」

遺伝子データを送ったのは、まだリオラたちが地球へ向かっている旅の途中だった。
その時にリオラは『地球人の平均的な遺伝情報を知りたい』と頼んだ。
記録されていたうちの五千人分のデータを転送し、結果『地球人とケオストラ人は交配不能』と判断されたはずだ。

「ですが、それは普通の遺伝子を持つ地球人の場合です。優夜の遺伝子は普通とは違います」
「あ、そうか。父さんが僕に施した……遺伝子治療の副作用が?」
「はい、あなたに施された治療の副次的効果なのです。しかし問題は交配方法でして。概略をシュミレーションしますと…………」

ノーマの指先にリオラに説明した時と同じ映像が投影された。
それを見つめる優夜の顔色はまず、耳たぶまで真っ赤にになってノーマに抗議しようとしたが、口をパクパクさるだけで言葉になっていなかった。
抗議の意志を唇の動きから読み取ったノーマはフゥとため息をつく仕草を演じた。
たった今、優夜から学んだ人間らしい仕草だが、当時のノーマ自身には人間の模倣をしている、という自覚はなかった。

「リオラ様といい、優夜といい、人間とは分析困難な思考パターンを持っているものです」
「って、無理にきまってるだろ!こ、これじゃまるで僕が…………」
「しかし現実問題として実行可能な唯一の方法なのです。若干の危険もありますが、成功の見込みは非常に高く安全性も考慮してあります」
「で、でもね!こんなのリオラだって、あ?まさかリオラはこれを見たか、らぁ?ワァァァッ!」

ドォン!無人トラックの行く手にあった道路脇のビルがひとつ、いきなり倒壊した。
というより巨大な生足の蹴りにぶち抜かれて道路をふさぐ形で倒れた。
障害物を感知した無人トラックが急ブレーキと急ハンドル、横倒しのビルギリギリで急停止するも転倒。
荷台から放り出された優夜は頭から地面へ叩き付けられる、と思った瞬間にポフッと柔らかな感触に受け止められた。

「よかった、助かっ…………ってないか?」
「んふっふっふっ、ゆーやくん、つっかまえたぁ」

手の平の上の優夜を逃がさないよう、もう片方の手で包み込む。
巨大な指と指の隙間からリオラの巨大な赤ら顔が目の前に見えた。
優夜からしてみれば指の牢屋に閉じ込められたようなものだった。

「リ、リオラ?お、落ち着いて」
「ヒック、リオラはねぇー、いつも冷静沈着ですよぉー。なんたってぇケオストラ一番の生命学者なんですからねぇ」
「ウワップ……」

酒くさい息に思わず鼻をつまんだ。
かなり酔いがまわってるのは間違いなかった。
そしてリオラの嬉しそうな、でも照れくさそうな顔が近づいてきた。
いや唇が近づいてきた。
身の危険を感じた優夜は反射的に飛び下がろうとしたが、背中にぶつかった指の巨大さに逃げられないことを悟った。

「ノーマさん、何とかして」
「はい、優夜」
「邪魔しちゃダメよ、ノーマ!」
「承知いたしました、リオラ様」
「ノーマさぁん!」
「申し訳ありません、優夜。制約により私はリオラ様の命令には逆らえないので」
「そんな殺生な、なんとか助けてくださいよ」
「あなたの生命が危険にさらされた場合は緊急行動をとれるのですが。現状では危険とは認められませんので」
「危険だよ!絶対に、きけ…………んん」

猛烈な酒臭さに優夜は思わず、鼻を押さえた。
ちょっと不機嫌そうなリオラは優夜をつまんで顔の前にぶら下げていた。
彼女の大きな瞳は優夜の全身を大きな鏡のように映していた。

「だぁれが危険だっていうんですカァ?」

優夜は何も答えなかった、だが恐怖で言葉が出ないというのではなかった。

(か、かわいい……リオラって、こんなに可愛かったんだ)

酒気を帯びてほんのり赤い頬、プイととんがらせた唇、トロンとしたジト目。
まるでわがままな子供がすねているようで、それでいてゾクリとさせる濃密な色香。
不機嫌そうな表情を作りながらも薄皮一枚下に確かに熱い感情を隠れていた。
長い入院生活だけが人生経験のすべてだった優夜には、大人の女性といえば看護師さんくらいなものだった。
だが、その何万倍ものスケールと濃厚さをもつ女性が今は眼前にいた。
圧倒的に美しく可愛く愛おしい、言葉も忘れてしまうほどに。

「なんか、いいなさいでぇすぅヨォ、ゆーやくぅん」
「あ、う、うん…………下ろしてくれない、かな?」

ビルよりもでかいリオラに吊り下げられた高さは五十メートル以上、落ちれば常人なら即死。
遺伝子改造された優夜でも着地し損ねれば怪我くらいはするかもしれない。
しかしリオラは首を横に振った。

「ヤダヤダヤダ、下ろしたらゆーや絶対に逃げるもン」
(か、かわいい!リオラ、かわいすぎ……って何考えてるんだ、僕は?)

プクッと両頬を膨らませて、キッと両目を釣り上げる姿には怖さなんかまったくなかった。
困っているはずだった優夜は何故か照れている自分に気がついた。
恥ずかしくて目をそらそうとしたが、それが気に入らないリオラが無理矢理目を合わせてきた。

「だいたい、ですネー、ゆーやくんはあたしのことぉをですネ。最近は避けてばっかり……」

リオラの言葉も止まってしまった。
そのまま声もなく金縛り状態の時間だけが過ぎた。
せめて視線を逸らさなければと二人とも思うのだがどちらも動けなかった。
なにかしゃべらなくては、口を開きかけるのだが単語ひとつ浮ばない。
おまけにタイミングも合わない。
声を出そうとするとかちあい、遠慮すると沈黙が続いた。

―困りました、これでは交渉が進みません―

膨大な演算処理をこなしながらノーマもこの状況に手を出しかねていた。
この後の展開予想を数万パターンもシュミレーションして『初交尾成功』のシナリオを描いてみたのだが。
さっきから全パワーを投入した計算がご破算になっては再計算を繰り返し、人間風にいえば焦っていた。

「あ、あのネ、ゆーや」

さっきまでの上っ面だけの不機嫌とは違う、懇願するような真摯な、いや必死で切ないリオラの想い。
優夜も緊張しながら次の言葉を待った。

「キス………しても、イイ?」

たどたどしさは使い慣れない地球の言語のせいではない。
一生懸命な切実な気持ちが言葉を詰まらせているのだ。
それを感じた優夜は言葉では何も答えなかった。
ただ一度だけ小さくうなずいた。
酒気以外の何かがリオラの顔を一層染めた。
ゴクンと唾を呑んで唇をすぼめ、リオラは顔を寄せてきた。
勇気がないのか目を固く閉じてしまっているが、それは優夜も同じだった。

(り、リオラ……)
(動かないで、優夜。もう少しの間だけ)

優夜はもう捕まえられてはいなかった。
手の平の上に寝かされて温かな吐息のそよ風に包まれていた。
さっきまでは耐え難かった酒の匂いも気にならなかった。
包み込むように取り囲む指の巨柱は『逃がさない』ではなく『逃げないで』と臆病に願うように震えていた。
優夜の肉体よりも大きな唇が赤味を増してゆっくりと迫ってきた。
目を固く閉じて硬直して待ち受ける優夜の顔に、火照った、湿った、柔らかで大きな感触が触れた。
感触は次に顔全体を覆って、全身を押し包んだ。
身動きできないほど強く、決して傷つけないようにやさしく、優夜を抑えつけた。

「ん…………、ゆーやぁ」

唇の間から突き出された舌が優夜の頬をなぞった。
まとわりついた唾液で豪雨に遭ったように服が濡れていった。
その間にも人間の形を確かめるように、大きな舌の執拗な愛撫が続いた。

「リ・オ・ラ、僕も」
「ん、あぅ」

優夜はうごめく舌を両腕で抱き留めた。
戸惑いを見せる舌先にキスし、大きな舌を味わうように小さな舌を這わせた。
小さな獲物の思わぬ反撃にリオラの全身がピクッと痙攣する。
手の中の小さな生命が熱烈に自分を求めてくれる、それだけで緊張しすぎてしまう。

(ああ、私このまま、優夜に、優夜の、ゆう、や、が……ウッ?)
「リオラ……リオラ?」

この正念場で、生まれて初めてというくらいの緊張が悲劇を生んだ。
生まれて初めての酒がリオラの体内と運命を翻弄した。

「ん、ん、んう、う、ウゥゥゥ…………」

頭の中をグルグルかきまぜられるいうな酩酊感、声も出ないくらいの苦しさ、そして胃の中からこみあげてくる…………。
膨大な量の流動物の予想もしてない直撃を受けた優夜は晩年、この時のことを『こんなので溺れ死んだりしたら、地球人類の最期としては記録に残せない』って思ったよ』と懐かしそうに述懐している。
そして酸っぱい匂いの流動物が大洪水のように優夜に襲い掛かり、押し流し、路上から滝のように流れ落ちた。
地球最後の生き残りは濁流の猛威に巻き込まれて下水溝へ転落し、意識を失って深く沈んでいった。
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