世界で一番のプレゼント

halsan

文字の大きさ
上 下
1 / 1

世界で一番のプレゼント

しおりを挟む
彼女は口の中に甘酸っぱい感触を残しながら、その身を寄り添える。
ここは彼の小さな部屋。彼女の横には穏やかな寝息。
彼のぬくもりを彼女は額に感じる。
これからの2人を彼女は想い、彼女はささやかな幸せを喜ぶ。
そして彼女は眠りについた。
彼と2人で歩むこれから。彼女にとってそれが世界で一番のプレゼント。

彼は口の中に錆の味をあふれさせながら、その身を震わせる。
ここは雑踏の路地裏、彼の腹には刺された穴。
これで全てが終わったと彼は諦める。
救えなかった彼女の運命を憂い、彼は世の中すべてを呪う。
そして彼は息絶えた。
彼自身が無の世界に消えたこと。彼にとってそれが世界で一番のプレゼント。

父は口の中に消臭ガムを放り込みながら、その身を急がせる。
ここは帰宅途中の商店街。父の手には大きな紙の箱。
急ぎ足による動悸の高まりも、いまの父には心地よい。
待っているだろう娘と妻の姿を胸に、父はこれから訪れる幸せを目指す。
そして父は無事帰宅した。
父を迎える笑顔の娘と妻。父にとってそれが世界で一番のプレゼント。

兵士は口の中に無機質な砂を噛みながら、その身を大の字にする。
ここはある紛争地域、兵士の胸には銃弾が埋まる。
薄れゆく意識で兵士は誇る、愛する家族を守りきったことを。
家族の笑顔を思い浮かべながら、兵士はこれからの未来を子供たちに託す。
そして兵士は冷たくなった。
子供たちが実現する平和。兵士にとってそれが世界で一番のプレゼント。

赤子は口の中に何も感じることができず、その身を横たえる。
ここは難民が集まる場所、赤子の横には息絶えた母。
空腹が赤子をじわじわといたぶり、赤子はその身を削られる。
母の匂いが臭いに変わり、赤子はただただ飢えていく。
そして赤子は母を追った。
飢えのない世界。赤子にとってそれが世界で一番のプレゼント。

詐欺師は口の中にあらゆる贅を放りこみながら、その身を安全な場所に置く。
ここは先人が命を賭して守った国、詐欺師はそれを当然のように享受する。
詐欺師は正直者や弱者を楯にし、反対のための反対を唱え、新たな金を手に入れる。
何の義務も責任も負わず、残すべきものを食いつぶす。
そして詐欺師は国を滅ぼす。
詐欺師は既にプレゼントを食い尽くした。

僕は口の中に与えられた餌をしゃぶりながら、その身を朽ちるままにする。
ここは未来がないと詐欺師が語る国、僕は言われるがまま未来を悲観する。
ところが僕は知った。それは彼女と彼と父と兵士と赤子が溶けていった世界。
期待と呪詛と安堵と希望と絶望の世界。僕が想像し得なかった世界。
すると誰かが囁いた。
知ったこと。君にとってそれが世界で一番のプレゼント。
しおりを挟む

この作品の感想を投稿する


処理中です...