愛が歪んでいく

壱婁

文字の大きさ
上 下
2 / 12
幼少期

2歳まで

しおりを挟む
私は2歳までを母と過ごした。

母は母乳が出るが私が大飲みだった為ミルクと併用で飲んで育った。
産婦人科から卒業する時には3時間置きに160mlのミルクを飲んでいたので当時を知る看護師さん達は、少女の時に訪れた私に対しても今でも覚えていると言うくらい飲んでいる。


産まれたあと父が組み立てたベビーベッドについたベビメリーの音楽を聴きながら育っていく。父は元々工業高校から鳶職人になった人なので、手先はとても器用な人だ。舌は少し頓珍漢ではあるが、母の作る料理はこの頃とても美味しいので3人で仲良くたまに夫婦喧嘩しながら暮らしている。


まあ、そんな父の趣味は釣りだ。本職も真っ青なくらい仕掛けが上手く夏にはモリを持ってサザエを取りに出かける母曰く漁師だ。

幼い私と母は父の仕事休みな土日はぐっすりでまだ朝の4時をまわったくらい、そこから父の漁師時間はスタートする。
まだ人が寝静まっている頃当時所有していたワゴン車に父の手によって作られた仕掛けセットと釣竿を入れて海まで向かう。そうして、5時からハゼやタコ、イカ、季節物のカレイ等を釣り上げるのだ。大体父の使う仕掛けで魚やタコを狙う時はウキをつけ、針に地元ではアオムシと呼ばれる生餌を刺し食わせている。ちなみにイカの場合は光り物のルアーで夜の釣りを楽しんでいる。


土日漁師な父は持って帰った魚を捌くことも出来るのが基本母にさせてしまう事が多い。そのため母の不満の元の1つでもある。
ただ魚はすごく美味しいので、父はいつも釣ってきた魚片手にビールで晩酌するのが生きがいで、母は文句を言いつつ美味しいものが食べれるところにはむしろ賛成なので美味しそうに食べている。私は歯が生えてきたくらいから解した魚達をもらい育ってるので軟体系以外の海の生物は大体何でも食べる。

父は本当に何度言うが手先は器用なので魚のほぐし身に関して骨が入っていることはない。母が作る料理を美味しく食べられるためその事が1番嬉しかった。

ただアルコール依存症なことを除けばこの頃はそこそこに良い父親なのである。
しおりを挟む

処理中です...