『魔導書』に転生した俺と、君との日々。

風城国子智

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第二章 湖を臨む都

2.34 詩作と、伝説の利用

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「サシャ」

 サシャの部屋に現れたカジミールに、ベッドで寝ていたサシャが上半身を起こす。

「元気か?」

「はい」

 サシャの声はまだ、枯れている。だが、起き上がってカジミールを見る瞳に、熱から来る怠さは見当たらない。一時は肺炎になりかけていたが、今は、もう、大丈夫。ベッド横の腰棚の上で、トールは安堵の息を吐いた。

「幾何の課題、持ってきた」

 そのトールの見ている前で、カジミールが大きめの鞄を開いて重そうな本を取り出す。

 三日に一度、おそらく学校に行っていない日に、カジミールはサシャの部屋に顔を出し、学校の課題を一緒に解いている。おそらく、湖に落ちてからずっと学校に行くことができていないサシャを気遣っての、行動。見た目は怖そうだけど、心根は優しい奴なんだ。大柄な身体には小さく見える椅子に座り、石板を膝において唸るカジミールの、ディフェンダー向きの広い背中をサシャの細い背中と比較して、トールは小さく微笑んだ。

 そのまま、時折小声で教え合いながら、本の中の問題を解いていく二人を、黙って見守る。トールも、かつては小野寺おのでら伊藤いとう、そしてサッカークラブや高校や大学の友人達と一緒に、図書館や教室で学校の課題をこなしていた。受験勉強に関しては、自宅の狭い勉強部屋でする方がトールの性には合っていたが、友達と一緒に勉強することも、……楽しかった。

 心の痛みを、飲み込む。

「こんなもんかな」

 サシャ、無理してないかな? 思考を無理矢理、サシャの方へと移す。トールが危惧する前に、カジミールは白墨と、乱雑な図で埋め尽くされた石板をトールの横に置いた。

 カジミールに続いてサシャも、トールの横に石板を置く。解答は、合っているようだ。トールの横で一心不乱に幾何の問題を解いていた小野寺の横顔を、トールは胸の奥へと押し込んだ。

「あ、『星読ほしよみ』の人達から、焼き菓子」

 幾何の本を鞄に収めたカジミールが、鞄から取り出した布袋をトールの横に置く。布袋の中身は、おそらくいつもの、サシャですら口をへの字に曲げる苦いクッキーだろう。布袋を見て小さく歪んだサシャの唇に、トールはサシャに見えないようにこっそりと笑った。

「あれ、この本」

 布袋を置き、鞄に石板を片付けようとしたカジミールが、トールの横に置いてあった本を手に取る。

「前に置いてあったのとは違うよな?」

「私の新しい本だ」

 首を傾げたカジミールの後ろで、丁度その時にノック無しでサシャの部屋に入ってきた算術と幾何の助手エルネストが笑った。

「カジミール君も、詩作に興味を持ってくれるとは」

「あ、えっと」

 そう言えば、カジミールも詩作の課題で頭を抱えていた。前に図書館で見た光景を思い返す。

「本は見つかったのですか、先生?」

 苦い顔をしたカジミールを助けるサシャの枯れた声が、トールの耳に響いた。

「ああ」

 確か、エルネストは今日、新しく製本してもらったという自作の詩をまとめた本と共にサシャの許を訪れ、そしてユーグに案内してもらう形で修道院付属の小さな図書室に向かっていた。トールがそのことを思い出す前に、エルネストはサシャとカジミールに、色褪せた表紙を持つ本を示した。

「『冬の国ふゆのくに』の伝説についてまとめた本を見つけた」

「なんか、面白そうだな」

 『冬の国』にルーツを持つカジミールが、エルネストが持つ本に意外な興味を示す。

「私が読んだら貸そうか?」

「お願いします」

「あ、僕……私も」

 だが、次に響いたサシャの言葉に、トールは少なからず驚いた。確か、前に修道院の図書室で『冬の国』に関する本を探していた時には、『冬の国』に対する嘲りの文章を読んで首を横に振っていた、のに。

「良いよ。ここの本だし」

 本を読んで詩作が進めばなお良い。おずおずとしたサシャの言葉に、エルネストがサシャの白い髪を叩くように撫でる。

「次に来る時は、別の詩の本も持ってくることにしよう」

 ご機嫌な笑みを浮かべたまま、エルネストはサシャとカジミールに背を向けた。

「あの、エルネスト先生」

 その背に向かうように、サシャの声が響く。

「湖の伝説について書かれた本が、あったら、持って来てほしいのですが」

 サシャの言葉に、エルネストは驚いた顔をサシャに向けた。

「確かに、伝説を踏まえた詩も、悪くない」

 エルネストの口の端が、大きく上がる。

「幾何や算術の課題も良いが、音楽や詩作の課題も、ちゃんとやってくれよ」

 本を探すことに同意すると、エルネストは鼻歌を歌いながら去って行った。

「詩作、かぁ」

 エルネストが去ったのを確かめるように首を伸ばしたカジミールが、首を竦めて唸る。

「音楽もだけど、何とかしないとなぁ」

 エルネストの言う通り、湖の昔を知ればサシャの詩作も捗るだろう。ぼやきながら立ち上がるカジミールを見上げたサシャに、トールも笑みを浮かべた。湖底で出会った人々のことも、分かるかもしれない。湖底にいた半透明の子供達の、トールの世界と同じ形の服が視界を過った気がして、トールは大きく首を横に振った。
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