『魔導書』に転生した俺と、君との日々。

風城国子智

文字の大きさ
117 / 351
第四章 帝都の日々

4.3 教室前の再会

しおりを挟む
 厨房を出、すぐ横の井戸で立ち止まったサシャを、再びの暗闇の中で確かめる。

 井戸を覆う屋根に遮られて、星は見えない。緋星祭あかぼしのまつりから十一日経っているから、星の位置は。トールが指を折っている間に、サシャは井戸の水で口を濯ぎ、顔もきっちり洗い終えていた。

「行こう、トール」

 小さく響くサシャの声に、頷く。

 門番に断って開けてもらった門の先もまた、星明かりだけの暗闇に沈んでいた。

 暦は夏だが、空気は冷たい。その冷たさに首を振ったトールには構わず、サシャは暗い石畳へと歩を進める。春分祭しゅんぶんのまつりの頃から学校に通い始めた一人と一冊だから、暗闇の道も、既に慣れている。歩く距離も、実はそんなに長くない。黒竜こくりゅう騎士団の館から、北へ延びる石畳の道を真っ直ぐ進む。大きめの常夜灯が光る四つ辻を右に曲がってしばらく行くと、蔦に覆われた城壁のような壁と、小さく揺れる灯りが見えてきた。

「サシャ」

 聞き知った低い声にサシャがほっと息を吐くのを、サシャのエプロンのポケットの中から確かめる。

「おはようございます、バジャルドさん」

 サシャに声を掛けた大柄な青年から、サシャは小さなランタンを受け取った。

 このランタンは、グスタフ教授の朝の講義を受講する学生が並ぶ列の最後尾を示すもの。ランタンの明かりを使って先頭の方を眺めると、既に十数人が、グスタフ教授が授業を行う部屋へと続く玄関扉の前に並んでいるのが見えた。

 いつもながら盛況だな。ランタンの把手をぎゅっと握り締めたサシャの、白く光る手に息を吐く。アラン師匠と、北都ほくとの学校の事務長であるヘラルドの尽力で、自由七科のうち『文法』と『算術』の二つの科目については、サシャは北都で資格を得たことになっている。残りの五科目については、火傷から回復した春分祭の頃から、この帝都ていとでの勉強を開始した。一方、サシャは、帝都の大学の許しを得て、一週間に一度、古代の法について研究しているグスタフ教授の講義を聴講している。トールの世界で言えば、高校を卒業せずに大学の授業を受けているようなものだが、トールが通っていた大学にも『公開講座』や『聴講生・科目等履修生』の制度はあったし、トールも、中学校や高校時代、大学で開催されていた科学系の公開講座の幾つかに通っていた。大学に通っていた時にも、教養の授業には定年退職した人々が教室の前の方の席に座っていた。サシャがグスタフ教授の授業を受けるのも、トールが公開講座を楽しんでいたのと変わらないのだろう。腑に落ちた思考に、トールは小さく頷いた。

「……あの」

 聞き覚えのある声に、思考が中断される。

「グスタフ教授、の……」

 顔を上げて見えた、星の光でも分かる濃い金色の髪に、トールは言葉を失った。

「……」

 サシャの震えが、トールの震えに変わる。

「サシャ?」

 背後に響いたバジャルドの声で呪縛が解けたのだろう、意外に滑らかに動いたサシャの腕が、目を見開いた細い影にランタンを押しつけた。

「グスタフ教授の授業、初めてか?」

 そのサシャの後ろで、バジャルドの、春分祭の頃のサシャも聞いたアドバイスが響く。

「後ろ、人、来たら、そのランタン渡してくれ」

「は、はい」

 バジャルドの言葉に頷いた細い影、セルジュが、サシャに背を向ける。そのセルジュに小さく首を横に振ると、トールは、冷たい壁に背を預けて俯いたサシャの方へと顔を向けた。

 思い出すのは、北都を流れた中傷のこと。図書館に飾られていた古代の神々のレプリカの一つを盗んだという言いがかりと、伝染病の終息を自分の手柄にするために下町の井戸に毒を入れたという嘘の噂。おそらくそのために、サシャも内心喜んでいた北向の老王への謁見が中止になった。言いがかりも噂も真っ赤な嘘だが、セルジュはきっと、両方とも信じているのだろう。怒り、ではなく、悲しみの感情が、トールの心に湧き上がる。サシャは、大丈夫だろうか? 俯いたサシャの、今にも泣き出しそうな瞳の色に、トールは唇を噛み締めた。トールが人間の身体を持っていたら、サシャを抱き締めて慰めることができたのに。いや、セルジュに対してサシャを弁護することもできる。しかし今のトールは、ただの『本』。何もできない。

「サシャ」

 不意に、トールの目の前を、小さな布袋が踊る。

「後ろの新人さんも、一つ取ると良い」

 教室が開くのを待っている行列には時々、誰が差し入れしているのか小腹を満たす干し果物が入った袋が回ってくる。おそらくそれだろう。トールが推測する前に、サシャは布袋を受け取ると、中身を取らずに後ろのセルジュに布袋を差し出した。

「……」

 サシャから布袋をひったくるように受け取ったセルジュも、中身を取らずに布袋を後ろの人影に渡す。

 やはりセルジュは、サシャに対する中傷を『本当のこと』だと信じている。不意にトールを抱き締めたサシャの、腕の冷たさに、トールは「大丈夫」の文字を背表紙に並べてみせた。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

【㊗️受賞!】神のミスで転生したけど、幼児化しちゃった!〜もふもふと一緒に、異世界ライフを楽しもう!〜

一ノ蔵(いちのくら)
ファンタジー
※第18回ファンタジー小説大賞にて、奨励賞を受賞しました!投票して頂いた皆様には、感謝申し上げますm(_ _)m ✩物語は、ゆっくり進みます。冒険より、日常に重きありの異世界ライフです。 【あらすじ】 神のミスにより、異世界転生が決まったミオ。調子に乗って、スキルを欲張り過ぎた結果、幼児化してしまった!   そんなハプニングがありつつも、ミオは、大好きな異世界で送る第二の人生に、希望いっぱい!  事故のお詫びに遣わされた、守護獣神のジョウとともに、ミオは異世界ライフを楽しみます! カクヨム(吉野 ひな)にて、先行投稿しています。

貧民街の元娼婦に育てられた孤児は前世の記憶が蘇り底辺から成り上がり世界の救世主になる。

黒ハット
ファンタジー
【完結しました】捨て子だった主人公は、元貴族の側室で騙せれて娼婦だった女性に拾われて最下層階級の貧民街で育てられるが、13歳の時に崖から川に突き落とされて意識が無くなり。気が付くと前世の日本で物理学の研究生だった記憶が蘇り、周りの人たちの善意で底辺から抜け出し成り上がって世界の救世主と呼ばれる様になる。 この作品は小説書き始めた初期の作品で内容と書き方をリメイクして再投稿を始めました。感想、応援よろしくお願いいたします。

神様の忘れ物

mizuno sei
ファンタジー
 仕事中に急死した三十二歳の独身OLが、前世の記憶を持ったまま異世界に転生した。  わりとお気楽で、ポジティブな主人公が、異世界で懸命に生きる中で巻き起こされる、笑いあり、涙あり(?)の珍騒動記。

真祖竜に転生したけど、怠け者の世界最強種とか性に合わないんで、人間のふりして旅に出ます

難波一
ファンタジー
"『第18回ファンタジー小説大賞【奨励賞】受賞!』" ブラック企業勤めのサラリーマン、橘隆也(たちばな・りゅうや)、28歳。 社畜生活に疲れ果て、ある日ついに階段から足を滑らせてあっさりゲームオーバー…… ……と思いきや、目覚めたらなんと、伝説の存在・“真祖竜”として異世界に転生していた!? ところがその竜社会、価値観がヤバすぎた。 「努力は未熟の証、夢は竜の尊厳を損なう」 「強者たるもの怠惰であれ」がスローガンの“七大怠惰戒律”を掲げる、まさかのぐうたら最強種族! 「何それ意味わかんない。強く生まれたからこそ、努力してもっと強くなるのが楽しいんじゃん。」 かくして、生まれながらにして世界最強クラスのポテンシャルを持つ幼竜・アルドラクスは、 竜社会の常識をぶっちぎりで踏み倒し、独学で魔法と技術を学び、人間の姿へと変身。 「世界を見たい。自分の力がどこまで通じるか、試してみたい——」 人間のふりをして旅に出た彼は、貴族の令嬢や竜の少女、巨大な犬といった仲間たちと出会い、 やがて“魔王”と呼ばれる世界級の脅威や、世界の秘密に巻き込まれていくことになる。 ——これは、“怠惰が美徳”な最強種族に生まれてしまった元社畜が、 「自分らしく、全力で生きる」ことを選んだ物語。 世界を知り、仲間と出会い、規格外の強さで冒険と成長を繰り広げる、 最強幼竜の“成り上がり×異端×ほのぼの冒険ファンタジー”開幕! ※小説家になろう様にも掲載しています。

悪役令息、前世の記憶により悪評が嵩んで死ぬことを悟り教会に出家しに行った結果、最強の聖騎士になり伝説になる

竜頭蛇
ファンタジー
ある日、前世の記憶を思い出したシド・カマッセイはこの世界がギャルゲー「ヒロイックキングダム」の世界であり、自分がギャルゲの悪役令息であると理解する。 評判が悪すぎて破滅する運命にあるが父親が毒親でシドの悪評を広げたり、関係を作ったものには危害を加えるので現状では何をやっても悪評に繋がるを悟り、家との関係を断って出家をすることを決意する。 身を寄せた教会で働くうちに評判が上がりすぎて、聖女や信者から崇められたり、女神から一目置かれ、やがて最強の聖騎士となり、伝説となる物語。

おいでよ!死にゲーの森~異世界転生したら地獄のような死にゲーファンタジー世界だったが俺のステータスとスキルだけがスローライフゲーム仕様

あけちともあき
ファンタジー
上澄タマルは過労死した。 死に際にスローライフを夢見た彼が目覚めた時、そこはファンタジー世界だった。 「異世界転生……!? 俺のスローライフの夢が叶うのか!」 だが、その世界はダークファンタジーばりばり。 人々が争い、魔が跳梁跋扈し、天はかき曇り地は荒れ果て、死と滅びがすぐ隣りにあるような地獄だった。 こんな世界でタマルが手にしたスキルは、スローライフ。 あらゆる環境でスローライフを敢行するためのスキルである。 ダンジョンを採掘して素材を得、毒沼を干拓して畑にし、モンスターを捕獲して飼いならす。 死にゲー世界よ、これがほんわかスローライフの力だ! タマルを異世界に呼び込んだ謎の神ヌキチータ。 様々な道具を売ってくれ、何でも買い取ってくれる怪しい双子の魔人が経営する店。 世界の異形をコレクションし、タマルのゲットしたモンスターやアイテムたちを寄付できる博物館。 地獄のような世界をスローライフで侵食しながら、タマルのドキドキワクワクの日常が始まる。

転移先で日本語を読めるというだけで最強の男に囚われました

桜あずみ
恋愛
異世界に転移して2年。 言葉も話せなかったこの国で、必死に努力して、やっとこの世界に馴染んできた。 しかし、ただ一つ、抜けなかった癖がある。 ──ふとした瞬間に、日本語でメモを取ってしまうこと。 その一行が、彼の目に留まった。 「この文字を書いたのは、あなたですか?」 美しく、完璧で、どこか現実離れした男。 日本語という未知の文字に強い関心を示した彼は、やがて、少しずつ距離を詰めてくる。 最初はただの好奇心だと思っていた。 けれど、気づけば私は彼の手の中にいた。 彼の正体も、本当の目的も知らないまま。すべてを知ったときには、もう逃げられなかった。 毎日19時に更新予定です。

少し冷めた村人少年の冒険記

mizuno sei
ファンタジー
 辺境の村に生まれた少年トーマ。実は日本でシステムエンジニアとして働き、過労死した三十前の男の生まれ変わりだった。  トーマの家は貧しい農家で、神から授かった能力も、村の人たちからは「はずれギフト」とさげすまれるわけの分からないものだった。  優しい家族のために、自分の食い扶持を減らそうと家を出る決心をしたトーマは、唯一無二の相棒、「心の声」である〈ナビ〉とともに、未知の世界へと旅立つのであった。

処理中です...