君が手に、我が手を重ねて

風城国子智

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婚約者 2

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 エリカが暮らしていた、帝国の西の端にある街から、帝国の真ん中に位置する帝都までは、馬車で五日ほど掛かる。そして。一日目も二日目も三日目も四日目も、リトのエリカに対する態度は最初の時と全く変わらなかった。もちろん、馬車の乗り降りには手を貸してくれるし、街道沿いの宿に泊まる際には、エリカの荷物を部屋に運んでくれたり、食事時に料理を取り分けてくれたりは、してくれている。だが、それでも、……敬して遠ざけられているような感じは、確かに、する。
 やはり、親が――エリカの父もリトの母も既に亡くなっているので、この場合はエリカの母一人が――強引に決めた婚約者だからだろうか? それとも、エリカが美人ではなかったから、期待外れだったと思っているのだろうか? いつまでも若くて美人だと街では評判になっているエリカの母の、エリカにとっては腹立たしい顔を脳裏に浮かべ、エリカは馬車で喋っているリトと家令のダリオに分からないように小さく息を吐いた。エリカは父似で、従兄のリトはエリカの母と同じくらい美人だったという伯母、リトの前の『黒剣隊』の隊長だったというリトの母に似た。ただ、それだけのこと。それでも。森や田園の風景が珍しいのか、飽きずに馬車の外を眺めるリトの横顔に胸の痛みを覚え、エリカはそっと俯いた。
「平原を開拓していた人々は皆、平原を脱出したはずですが」
 そのエリカの耳に、ダリオと話すリトの涼やかな声が入ってくる。
「平原の魔物が帝国のこちら側に入ってこないよう、『黒剣隊』は平原と帝国を守る為に必要だと思うのです」
「しかし陛下は、必要無いと仰ってますね。帝国の西側を守る『黒銀騎士団』だけで十分だと」
「ええ。……ですが」
 ダリオの言葉に、リトが沈んだ声を返す。
「それでも、魔物の扱いに長けた『黒剣隊』を解散させるのは、勿体無いことだと思います」
「それを、陛下への目通りが叶った時に申し上げれば良いのですよ、リト殿」
「はい。そうします」
 僅かに頷いたリトに、ダリオが微笑む。そしてダリオは、馬車の屋根の上で二頭立ての馬を操っている御者に馬車を止めるよう命じた。
「もうそろそろ、帝都が見えてくるはずですよ」
 ダリオの言葉に、リトの後から馬車を降りる。
「うわぁ……!」
 目の前に開けた光景に、エリカは思わず感嘆の声を上げた。
 森のずっと向こう、低くなった場所に見えるのは、大河の両岸に所狭しと立ち並ぶ黄みがかった建物群。狭い平地に小さくごちゃごちゃと建てられたものもあれば、丘の上や中腹に建つ、中庭が見える優雅なものもある。本や人の噂で聞いた市場広場らしきものや競技場らしきものも、まだ遠くにあるはずなのに、僅かな靄に霞むだけで意外にはっきりと見ることができた。
「あれが、帝都です」
 何も言えないリトとエリカに、ダリオがそう、説明する。話には聞いていたが、これほどとは。エリカはただただじっと、低地に広がる巨大な街を見つめた。
 その時。エリカの横で、エリカと同じように街に見とれていたはずのリトが、ついと動く。
「なっ!」
 馬車の屋根の上に座っていた御者が驚きの声を発する前に、御者に襲いかかろうとしていた影をリトは腰の剣で叩き切っていた。
「魔物? こんなところに?」
 何時に無い戸惑いの声を上げたダリオがエリカの腕を強く掴む。
「お嬢様は馬車の中へ!」
 リトが叩き切った、森の中から湧き出すように出てくる闇よりも深い影におののく前に、エリカはダリオに誘導されるように馬車の影に隠れた。と、その時。
「なっ!」
 ダリオの絶句に、振り向く前に馬車の扉に掛けてあった弩を掴む。狙いを定める前に、エリカは弩の引き金を引いた。エリカの放った矢が、馬車の影でエリカとダリオを襲おうとした影の勢いを弱める。
「エリカ!」
 そして間髪入れず、リトの剣が影を一閃で消し去った。
「エリカ! 大丈夫?」
 剣を掴んだままのリトの手が、エリカの、弩を握ったままの手に触れる。初めて感じた、その手の小ささと温かさに、エリカははっと心の中で息を吐いた。これまでも何度か、エリカはリトの手に触れては、いた。だが。この温かさは、知らなかった。
「だ、大丈夫?」
「え、ええ……」
 戸惑いを覚え、リトの手をそっと振り解く。胸の鼓動を、エリカは抑えることができなかった。

 怪我をした御者の代わりに、リトが御者席に座る。
「道なりにまっすぐ進めばすぐ帝都ですから」
 馬を扱ったことが無いというリトに懸念を示したダリオに微笑むと、エリカは身軽に馬車の屋根によじ登り、リトの横に座った。
「……怪我は、無い?」
 馬車が動き始めてすぐ、もう一度、リトが、確かめるようにエリカの右手に触れる。しかし今度はすぐに、リトはエリカから身を離した。心が、捩れるように痛む。やはりリトは、エリカのことをやっかいな婚約者だと思っているのだろうか? エリカの悲しさは、しかしすぐに晴れた。
「……す、済まない」
 俯いたリトの、耳まで真っ赤にした横顔に、驚く。
「と、砦は、男所帯だったから、その、女の子、には、どう接したら良いのか分からなくて、その」
 馬車を操ろうとぎこちなく腕を動かしたリトが、少しだけエリカの方をみる。もう一度、エリカの右手に重ねられたリトの左手は、小さく、そして手袋を付けていても分かるほど固かった。『黒剣隊』の隊長だったのだから当然だとしても、この手は、美人の顔からは想像もつかない、荒れた手だ。それでも、どこか、温かい。右手の上に重ねられたままのリトの左手に、エリカは自分の左手をそっと重ねた。
「一つだけ、聞いていい?」
 そのエリカの耳に、前を向いて慎重に馬車を御すリトの声が響く。
「弓は、どこで?」
「西の街の警備隊に混じって」
 エリカの答えに、リトは驚いた横顔をエリカに見せた。
 平原に跋扈する魔物から人々を守る『黒剣隊』。その長と婚約を結んだと母から告げられる前から、『黒剣隊』はエリカの憧れだった。いつか平原に赴き、『黒剣隊』の一員になりたい。その想いから、エリカは母やダリオの目を盗んでは、街の男の子たちに混じって弓や短剣の稽古を受けた。武術を習うのは、お転婆だと言われ続けていたエリカの性に合っていた。女子に剣は扱えないと言っていた街の警備隊所属の武術の師匠は、剣の技まではエリカに教えてくれなかったが、それでも、エリカが弓と短剣を操る技を習得するのを許してくれた。
「そうか」
 再び前を向いて馬車を操るリトの横顔が、微笑む。無言のまま、強く握られた手が感じる温かさに、エリカは戸惑いながらも小さな笑みを零した。
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