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廃墟の出会い

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 打ち捨てられた神殿の玉座の下にあった、小さな隙間。
 その隙間を覗いて調べていた楓理ふうりが見つけたのは、小さな二つの光、だった。
「……え?」
 何故光がこんな所に? 楓理の心に浮かんだこの驚きは、その光がくるんと動いたことによって驚愕へと変わった。
 口をあんぐりと開けてしまった楓理の目の前で、その光が急に大きくなる。いや、『光』ではない。瞳、だ。しかも、人間、の。
 隙間の暗がりから、細っこい手足に不釣り合いなほど大きな目をした子供が出てきて、楓理の目の前に立つ。
「お姉さん、何してんの? こんな所で」
 そして、その大きな瞳で楓理をじっと見つめてから、子供はその姿に似つかわしい、可愛らしい声を上げた。
「え……、えっと」
 いきなり子供が現れたことについての驚愕に、『男』なのに『お姉さん』と間違われたことが重なって、しばし言葉を失う。楓理の性別は、正確には『両性具有』なのだが、書類上は『男』であるし、自覚も男(多分)だ。……まあ、確かに、見た目は『女』だし、最近『女性化』が頓に進んでいるような気もしないでもないが。
 それはともかく。
「この遺跡の下調べをしているんだよ」
 内心の動揺を隠しつつ、にこっと笑って子供の質問に答える。初対面の人間には好印象を持ってもらえるようにする。これが楓理のモットーだ。
 楓理は、この神殿遺跡の近くにある都市天楚の大学院生である。中世史と魔法学が専攻で、今日は指導教官の手伝いでこの遺跡を調べているのであった。
「君は?」
 そのことをざっくりと子供に説明した後で、楓理はそう、尋ね返した。
「かくれんぼ?」
「うん。そんな感じ」
 子供にしては大人びた、ある意味こましゃくれた返事に思わず苦笑してしまう。だが、しかし。そう答えた子供の身体が微かに震えているのを、楓理は見逃さなかった。
 黙って自分の上着を脱ぎ、子供に着せかける。こういう言葉遣いをする子供のプライドは高めだから、「寒い?」と聞いたところで否定されるに決まっている。
 上着を脱いでシャツ一枚になった身体に、外からの冷たい風が当たる。そっと入口の方を窺うと、細い雨が降っているのが分かった。道理で、寒い筈だ。楓理はそっと、自分の両腕を掴んだ。
 と、その時。
 急に、子供が楓理の身体にしがみつく。
「わっ!」
 衝撃と、重力のままに、楓理は石の欠片が散らばった神殿の床にドシンと尻餅をついて、しまった。
「痛っ!」
 思わず、呻く。だが、自分の身体に子供がぴったりとしがみついたまま動かないを見て、楓理ははたと口を閉じた。この子には何か、他人に言えない事情があるに違いない。外は霧雨だし、しばらく雨宿りも良いだろう。楓理はそう思い、腹に乗ったままの子供を抱き締めた。
 冷えた身体に、子供の体温が心地良い。
 ……どれくらい、そうしていただろうか? 廃墟の床の、冷たい感触に、はたと目が覚める。いつの間にか眠ってしまっていたらしい。雨はとっくの昔に止んでいて、神殿の入り口から差し込んでくる光が斜めに床を照らしていた。
 もう、こんな時間だ。帰らなければ。そう思い、床に投げ出された腕に力を入れる。だが、身体が持ち上がらない。異常なほどに身体中が疲労しているのがはっきりと、分かった。何故? 冷たい石床に横たわったまま、首を傾げる。疲れるようなことなど、何もしていない筈なのに。
「お姉さん、ありがとう」
 戸惑う楓理の耳に、にこやかな子供の声が響く。声のした方に何とか頭を向けると、件の子供が元気そうな様子で立っていた。その子供の姿が、先程よりもしっかりと見えるのは、気のせいだろうか?
 だが。
「美味しかったよ。……これで、帰れる」
 そう言い残した次の瞬間、子供の姿は、夕日に溶けるように消えた。
 後に残ったのは、呆然とする楓理のみ。
 あの子供は……この神殿に巣くっていた魔物? それとも精霊? この身体の疲れ具合から考えると、おそらく、あの子供が、楓理の『力』を吸ってしまったのだろう。動かない頭では、それだけ考えるのがやっとだった。
 まあ、良いか。冷たい床に寝転がったまま、ふっと溜息をつく。少なくとも、あの子供は『笑顔』だったではないか。幸い、楓理が此処にいることは指導教官や同じ研究室の人々が知っている。楓理が夜になっても帰って来なければ、誰かが此処へ探しに来るだろう。それくらいの恩は、彼らに売っている筈だ。
 いつの間にか身体に掛けられていた上着の意外な暖かさに、楓理はほっと息を、吐いた。
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