剣の娘

風城国子智

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 不意に、セアが叢の方へ動く。
〈どうした?〉
 そう、セアに声を掛ける前に、リズミはセアの前に立ち、セアが見つめた叢へ飛び込んだ。だが、……不審者を見つけたのは、後で叢に飛び込んだセアの方。
〈こいつ、は?〉
 セアが右腕で掴んでいる、子供と言って良いほどの小柄な影に、思わず首を傾げる。灰茶色の髪を肩まで垂らし、着ている紺色の服の丈も長い。しかも面妖なことに、銀色の刺繍が見える黒い布で顔の下半分、鼻と口を覆っている。この場所に居ることが不可解な人物が、リズミの目の前に、居た。
 ここは、ミーゼス王国の首都となっている、都。その北側を流れるユール平原の大河フェ・イェールの真ん中にぽつんと浮かぶ島上に作られた、女王の為の宮城の、三重に巡らされた城壁の一番外側の壁の中、一の門と二の門の間に、リズミ達は居る。
 リズミとセアが出会って、十年余り。当時五つに満たなかった幼いセアも、リズミの指導で剣技においてはみるみる、というには少しばかり遅い成長ではあったが、とにかくセアの望み通り『剣の技』を習得し、そしてその為に、十五になったこの夏の初めに『女王の衛士』として採用された。この城に来て、まだ幾日も経っていない。今は、まだ身体に馴染まない下級衛士の制服――生成り色のチュニックに泥色の脚絆、そして粗末な革鎧――を身に着けての、城内を見回る仕事を言いつけられている。
 それはともかく。
「……ヴェシオ王子?」
 もしかして、というように呟かれたセアの言葉に、まさか、という思いでもう一度、セアが捕まえたままの小柄な少年をまじまじと見つめる。ヴェシオ王子は、王国の先代女王セレーの一人息子。確かセレー女王が亡くなったのも十年ほど前だから、セアと同じくらいか、もう少し大きい少年のはずだ。目の前の少年は、どう見ても七、八歳くらいにしか見えない。顔を覆う布も、どう見ても怪しい。やはり、女王の命を狙う無謀な魔法使いかその弟子なのだろう。リズミはそう、判断した。昔から、この城にはこの手の類いの人間がよく侵入していた。二の門までは辿り着くことができても、その先にある、女王を補佐する元老達の議場や、更にもう一つ内側の城壁の中にある、女王自身の居室まで侵入できた者は稀だが。
 と。
 目の前の少年が、セアに向かってこくりと頷く。その少年の瞳が、微笑むように細くなったのを、リズミは確かに、見た。
 次の瞬間。
〈なっ……〉
 景色が、変わる。
 いつの間にか、リズミとセアは、大きくて立派な部屋の中に居た。ここは、一体? 大慌てで辺りを見回す。埃臭い空間の向こうに見えたのは、石造りの壁と太い柱、そして初夏の陽をキラキラと反射するステンドグラス。少し薄暗くなっている奥の方には一段高い場所があり、微かに光るように見える布で作られた椅子が一つ、堂々と置かれているのが、見えた。ここは、この場所は、知っている。……女王の、謁見の間だ。
〈何故、こんなところに?〉
 悩まなくとも、理由は分かる。セアが優しく捕まえていたあのガキが、何らかの魔法を使ったのだ。油断していたが、あのガキはかなりの魔法の使い手だ。リズミは思わず唸った。セアに魔法が効き難いことは、今のところリズミだけが知っている。リズミの隠し部屋を見つけた時から気になって、セアの『能力』について色々試していたリズミが、やっと辿り着いたのが、その結論。そのセアを一瞬にして、二の門と女王の居室との間にある謁見の間まで飛ばしたのだ。相当な力の持ち主である。
 当のセアは、リズミの横できょとんと辺りを見回している。セアにとっては、この場所は、初めての場所。
 あのガキが何故、わざわざこんなとことにリズミとセアを連れて来たのか、その必要性が、分からない。瞬間移動に驚いたセアが腕を離してしまったが故に姿が見えなくなってしまった少年を捜す為にもう一度ぐるりと辺りを見回してから、リズミはもう一度、腕組みをしてうーんと、唸った。
 と。不意に、奥の暗い方から例の少年が現れる。
〈なっ〉
 リズミとセアをここに連れて来た理由はともかく、セアを傷つける奴は許さない。リズミはセアを守るように、セアと少年の間に割って入った。だが、少年は不可視の存在である剣魔のリズミのことが見えているかのようにリズミを一瞥すると、持っていた円形のガラクタのような物をセアに差し出した。いや、ガラクタではない。埃を被ってはいるが、銀のような物質でできた王冠のような物、だ。
「私に?」
 セアの問いに、少年はこくりと頷く。少年が押し黙ったままであることも、リズミには少し恐怖だった。目の前の少年がヴェシオ王子なら、王子は小さい頃の熱病と他国からの呪いの所為で声を発することができなくなったと聞いているから、当然だと納得できるのだが。いや、この少年がヴェシオ王子であるわけが無い。背丈のことは呪いの所為だとも考えられるが、王子はやはり小さい頃の熱病の為に、歩くことも、本を読むこともできなくなっていると聞く。この少年とは、違う。
〈セア!〉
 少年からガラクタを受け取ろうとしたセアに、警告を発する。だが、リズミの警告は、少しばかり遅かった。
「きゃっ!」
 セアがガラクタに触れた途端、ガラクタが急に強い光を発する。
〈セア!〉
 言わんこっちゃない。速攻でセアの手からガラクタを叩き落とす。だが、セアの手から落ちたガラクタは、既に以前の形を取ってはいなかった。光が消えた後、リズミとセアの間の床の上にあったのは。
〈剣?〉
 先程までの、鈍い光を放つ惨めな王冠ではなく、輝くような銀色の、剣。小柄なセアが持っても上手く扱える大きさの剣が、リズミとセアの間に、確かに、あった。剣身の鍔に近い場所が何かを嵌める為に楕円形に凹んでいる以外は、とても優美で、そして何でも斬ることができそうな、薄刃の剣。
〈これは、……まさか〉
 その時になって初めて、リズミは、少年が持って来た物がただの金属ではないことに気付いた。これ、は。……まさか。
〈ネイディア〉
 昔の、苦い思いが、蘇る。何とかその思い出を心の奥底に突っ込むと、リズミは驚愕のまま動かないセアの方を見た。セアは、ネイディアではない。ネイディアのようには、させない。
 おもむろに、少年が剣を拾う。そして少年は、セアの、先程少年の手から金属を受け取ってから動いていない両手に、その剣を置いた。
 次の瞬間。再び、リズミとセアは、外の叢の中に、いた。
「セア! どこだ!」
 下級の衛士達をまとめる隊長の野太い声に、はっと我に返る。
 できるだけ素早く、リズミは呆然とするセアの手から剣を取り上げると、セアを正気に戻す為にその背中を優しく叩いた。
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