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少女と魔導書、そして儚くも優しい約束

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 冷たい感覚に、意識を取り戻す。
「ここは、……って、まさか」
 戸惑いを隠さないジルの声に既視感を覚える。石畳の床からおずおずと上半身を起こしたマリの腕の中で、殊更ゆっくりと、魔導書は辺りを見回した。……あの時と、同じ場所だ。確かめるように、もう一度、部屋全体を見回す。魔性の獣をルネにけしかけ、ルネから取り上げた魔導書を使おうとした先王が魔法の暴発を起こして死んだ、部屋。
「な、なんで……? ここ、何?」
 震える声を発するマリに、掛ける言葉が浮かんでこない。震えを止めるために顔を上げると、それまで見えていなかった部屋の奥、暖炉の側に、もう一人、細身の影を持つ人物がいた。
「こ、国王陛下」
 人とは思えないほど緩慢に、床に座り込んだままのマリの前に立った人物を認めて、ジルが床に膝をつく。これが、現在この国を統べている者。魔力とは異なると判別できる、どこか禍々しい気配を覚え、魔導書は思わず身構えた。
「それが、先王が日記に記していた『魔導書』か?」
 その人物の太い腕が、マリの胸元に伸びる。
「だめっ!」
 マリが抵抗する間もなく、魔導書は、国王を名乗る人物の手の中に収まっていた。
「返してっ!」
 魔導書を開く国王の足にむしゃぶりついたマリの身体は、簡単に足蹴にされる。石畳の床に強くぶつかり、悲鳴を上げることなくぐったりとなってしまったマリに、息ができなくなる。しかし魔導書にはどうすることもできない。
「この魔導書を使えば、どんな者でも魔法を使うことができる。そう、先王の日記には書かれていた」
 魔導書のページをめくる太い指から逃れるために、無駄だと分かっているがじたばたと身を揺らす。
 だが。
「我が最愛の妻を蘇らせることも」
 次に響いた、悲哀を含む声に、魔導書の震えは何故か止まった。
 魔導書を『使う』ことができるのは、魔導書自身が認めた者だけ。古くから存在するこの国を打ち立てた王の血を受けた者も、無理をすれば使うことができるが、それでも、……死んだものを蘇らせる魔法は、魔導書には含まれていない。
 不意に、魔導書を作成した者のことを思い出す。この古い国を打ち立てた初代王は、魔力を過信し、そのために愛する家族を全て失った。放浪の末、見捨てられた辺境の地に王国を興した初代王は、二人の息子の一人に王位を譲り、強い魔力を持つもう一人の息子には、自身の魔力を封じて作成した魔導書を贈った。自分と同じ過ち、愛する家族の一人を蘇らせるために一族全員を失ったその過ちを繰り返させぬよう、蘇りの呪文だけは発動しないと『約束』させた、魔導書を。
「やはり、『魔法』などというものはまやかしに過ぎぬ!」
 魔導書が認めた『主人』達が記した呪文を片っ端から唱えていた国王の声が、不意に止む。
 次の瞬間、魔導書は暗い宙を舞っていた。
[なっ!]
 落下地点に見えたのは、燃え上がる暖炉の炎。
 なすすべもなく、魔導書は炎に包まれた。
「だめっ!」
 一瞬にして遠くなった魔導書の耳に、マリの叫びが響く。炎の中にマリの華奢な腕が見えたと思った次の瞬間、炎は、魔導書の周りから消えた。
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