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1.眼鏡じゃない、あの人

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……私は眼鏡フェチだ。

小学校のときに好きだった先生は眼鏡だったし、中学のとき憧れていた先輩も眼鏡だった。
高校のとき、片思いしていた同級生のあいつも眼鏡だったし、大学生のときにできた初彼もやっぱり眼鏡だった。

……そう。
眼鏡フェチ、というか眼鏡があって初めて好きになれるというか。

そのはず、なのだ。

なのになんで。

……なんで私はいま、
眼鏡じゃないあの男のことが気になって仕方ないのだろう?



その男……主任との出会いは、今年の九月。
秋の人事異動で東京本社から福岡支社のうちに移ってきた。

二十八歳、独身。
標準語、だけど関西出身だからかどこか残る関西訛り。
半袖シャツじゃなくて袖まくり派。
長身。
綺麗で大きな手。
爽やかな笑顔。

……ええ。
女子的には萌え要素満載ですよ。
けど如何せん、主任は眼鏡じゃない。
なのでこの時点では興味がなかった。

……この時点、では。



「なんで秋吉あきよしは、眼鏡じゃないの!?」

「はぁっ!?
毎度ながらおまえの言ってること、意味わかんねー」

主任の歓迎会。
いつものように同い年の秋吉に絡んでいた。

……というか。

一年前。

私は秋吉に告白された。
まあ、優しいし、見た目だって悪くないし。
嫌いではなかったけれど。

でも、秋吉は眼鏡じゃない。

……眼鏡じゃないから友達以上の好きになれない。

そう告げたときの秋吉の顔はいまでも忘れられない。

それ以来、秋吉とはいい友達……だと思っている。

「聞いてくださいよ、主任。
俺、こいつに『眼鏡じゃないから好きになれない』って振られたんですよ」

「は?」

主任の目がまん丸に見開かれた。
口に運ぼうとしたグラスの手は止まっている。

「あー、あのですね。私、眼鏡フェチ、で。
昔っから好きになる人、全員眼鏡なんですよ。
もう、眼鏡から恋がはじまるっていうか」

「ふーん、そうなんだ」

「おかしいでしょ、こいつ」

おかしそうに笑う秋吉と一緒に、主任も笑っている。

「ほんとに眼鏡掛けてないとダメなんだ?」

「ええ、……まあ」

すぅーっと細くなった主任の目に見つめられて、一気に酔いが醒めた。

……まるで、私の心の奥底を探っているような。

「ふーん」

興味なさそうにもう一度そう言って、主任はグラスに残っていたビールを飲み干した。
手近にあった、まだ入っている瓶を掴んで主任の空になったグラスに注ぐ。


「そういえば、主任。
来週末から放生会ほうじょうやはじまるの、知ってます?」

「なになに?
ほうじょうや、って」

「それはですねー」

暢気に話題を変えてきた秋吉に、心の中で感謝した。

……さっきのあれ、は。一体なんだったんだろう?



歓迎会が終わって翌週末。
主任に頼まれた資料作りが難航し、残業していた。
ちなみに私は主任の補佐なので、これは仕方のないことだ。

時間の遅い部署内には、主任と私のふたりしかいない。

「悪いね、遅くまで」

「いえ」

主任は資料作りを手伝ってくれている。

……手伝う、って言い方も変かもしれないが。
だって、自分が使う資料だし。

けれど、自分の仕事が終わると、ちゃんとやってくれるのが嬉しい。
前についていた奴は資料作りやなんかを私に押しつけて、自分はさっさと帰っていたし。

……まあ、そういう奴だったから左遷されたけどね。

「お詫び……でもないけど。
明日、放生会行かない?」

「は?」

「あ、ほら。
この間の歓迎会のとき、秋吉が言ってただろ?
福岡では有名な祭りだって。
ちょっと行ってみたいけど、ひとりじゃなんだし、まだ地理とかよくわかんないし。
よかったら案内してくれないか?」

「えっ」

……まただ。
また、あの、目。

まるで、心の中を探られているみたいで、居心地が悪い。

「それとも、こんなことをいうとセクハラでパワハラ?」

冗談だよ、とでもいうように主任が笑った。
何故か詰めていた息をそっと吐き出す。

「別に予定もないですし。私なんかでいいのなら」

「うん。頼むよ」

……なんか強引に押し切られた気がしないでもないが。
明日、主任と放生会に行く約束をした。
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