彼が眼鏡をかける理由

霧内杳/眼鏡のさきっぽ

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最終章 僕と彼の永遠

第2話

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終業時間まで、ビクビクとしながら過ごす。

「朝日」

「あっ、はい!」

声をかけられるだけで、びくりと大きく身体が震えた。

「これ、頼む」

「わかり、ました」

同僚が差し出す、書類を受け取る。
彼がいなくなり、ほっと一息。

「あ、朝日さん!」

「は、はいっ!」

少し離れたところから女子社員に声をかけられ、瞬間、背筋が伸びた。

「例の件、どうなってます?
商品部の方が返事が欲しいみたいで」

「内線、ですか?
代わります」

頷いた彼女が、僕へと電話を回す。

「お電話代わりました、朝日です。
例の件、ですよね。
あの件は……」

平静をよそいながらも、落ち着かず心臓はドキドキと速く鼓動を続けてた。
僕と航路が付き合っていると広まったら、どうなるのだろう。
会社にはもう、いられなくなるのかな。

結局、彼女たちにそれくらいの分別はあったらしく、終業時間まで誰からもそのことを指摘されなかった。
けれど、今日が無事だったからといって、明日もそうだとは限らない。

「……ただいま」

「おかえりー!
もうメシできるから、着替えてこいよ!」

マンションに帰ったら、航路がキッチンで料理をしていた。
これからのことを考えて憂鬱で堪らない僕とは反対に、彼は上機嫌で作詞作曲自分の謎歌を歌っている。

「……あのね」

ソファーに鞄を置くと同時に、僕の口からは重いため息が落ちていった。

「ん?」

彼は僕に背を向けたまま、料理を続けている。

「なんであんなこと、言うの?」

「なんでって……」

ようやく火を止め、彼が僕を振り返った。

「僕がいまの生活を壊したくないの、知ってるよね?」

なのに航路の不用意な言葉で壊された。
今日はなにもなくてもきっと、すぐにバレるに決まっている。

「俺は、陽介のためを思って」

項垂れてしまった彼の顔は見えない。

「僕のため?
どこが?」

はっ、と吐き捨てたら、びくっ、と大きく航路の身体が揺れた。
……次の瞬間。

「陽介のために決まってんだろ!?
陽介が俺を他の奴に盗られたくないって言うから、俺には付き合ってる奴がいるって釘を刺しただけじゃないか!」

つかつかとその長い足で距離を詰め、僕に捲したてる。
しかしながら。

「言いようってものがあるよね!
僕、って断言しなくても、それとなくにおわせとけばいいだろ!?」

キレ返し、二枚レンズ向こうの瞳を睨んで言い返した。

「そんなの、誰と付き合ってるか訊かれるに決まってるだろ!」

「なら適当に、取引先の女の子とか、合コンで知り合った子とか言えばいいじゃないか!」

「陽介は嘘で、しかも架空の人間だとしても、俺が陽介以外の誰かと付き合っていいのかよっ!?」

「そ、それは……」

それにはもう、反論できなかった。

『取引先で知り合った子と、付き合ってるんだ』

嘘だとわかっていても、そう航路が言うのを想像するだけで胸にナイフでも刺さったかのように痛い。
黙ってしまった僕を航路はただ、見つめている。

「……それに俺だって、同僚とかと好きな人の話がしたい」

「……!」

ぽつりと零された言葉は、僕の心へずっしりと重く沈んでいく。
眼鏡の奥で歪んだ瞳、あんなつらそうな航路の顔は……見たことが、ない。

「……でも僕は、いまの生活が壊れるのは嫌なんだ」

視線は少しずつ落ち、最後には床を向く。

「……もう寝る。
おやすみ」

とん、と軽く航路の胸を押し、寝室へ行った。
スーツが皺になるとか、眼鏡が汚れるだとかかまわずに、ベッドへ潜り込んで布団をあたままでかぶる。
航路が僕のことを考えてくれていたのはわかった。
それにどれだけいままで、僕のために我慢をしてきたかも。
もしかしたらこのあいだ白峰部長に会いにいったのも、ただ単に僕ののろけ話をしたかっただけかもしれない。

――ガシャン!

「ああっ!」

――ガシャン、ガシャン!

「くそっ!」

ドアを一枚挟んだ向こうからは、食器の割れるけたたましい音と、航路の怒号が聞こえてくる。
それから逃げるようにきつく耳を塞ぎ、僕は小さく丸くなった。

理由がわかったところで僕は、いまの日常がなくなるのが怖いのだ。
目立たず、ひっそりと生きてきた。
それ以外の生き方なんて、知らない。
いくら航路が苦しんでいるのを理解したところで、変えるのなんて無理だ。

「……」

どれくらい時間がたったのか、いつのまにか静かになっていた。
耳を澄ませても聞こえてくるのは遠く、サイレンの音ばかり。
トイレに行きたいのもあって、そっと寝室を出る。
けれどそこは、真っ暗だった。

「……航路?」

もしかして、ソファーで寝ているんだろうか。
ざわめきを抑えつけて電気をつける。

「え……?」

しかし、白々しく照らされたリビングに航路はいない。

「航路?
航路!」

これはきっと気のせいだと浴室とトイレを確認したが、そこにもいない。

「どこ、行ったんだよ……?」

きっと、コンビニへ行っただけ。
そう思いたいのに、シンクには無残に割れた食器と今日の夕食だったであろうステーキやサラダが満たされていた。

「航路、いる……?」

いないとわかっていながら、ふたりで書斎兼仕事部屋として使っている部屋のドアを開ける。
当然ながらそこも真っ暗だった。

「あ……」

照明をつけ、縋る思いで室内に巡らせた視線が、そこで止まる。

「なん、で……」

ふらふらと足を向け、航路の机に手を突く。
見下ろしたそこには――彼の眼鏡が置かれていた。

「眼鏡ないと、見えないのに……」

航路は僕に負けず劣らず、目が悪い。
予備も持っていないのに、ノー眼鏡で出掛けるなんて、危険でしかない。

「航路!」

電話をかけようとポケットを探るが、携帯がない。
慌てて寝室へ戻り、ベッドをさぐって探した携帯をタップする。

「……」

呼び出し音を聞きながら、なんと言うか必死に考えた。
あやまる?
でもなんて?
それに、それで解決する問題でもない。
いくら考えても答えは出ないし、呼び出し音はただ虚しく続くばかりだった。
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