1 / 7
1.
しおりを挟む
――その図書館にはある決断を迷う人間しか入れないという。
森の中で迷い、うろうろとしていたら古ぼけた建物の前に出た。
「こんにちは。
いや、はじめましてかな」
玄関を竹箒で掃いていた若い男が私に気づき、黒縁眼鏡の奥で目尻を下げてにっこりと笑う。
「えっと……。
ここ、どこですか」
先ほどまでの鬱蒼と木が生い茂る暗い森とは違い、そこは燦々と日が差しのどかにモンシロチョウが飛んでいた。
「ここですか?
図書館ですよ」
男はにこにこと笑っているが、どうも胡散臭く見える。
「あのー、最寄りの駅かバス停にはどう行けば……」
「ええーっ!
もう行ってしまうんですか!」
私が最後まで言い切らないうちに男が瞬間移動でもしたんじゃないかという勢いで迫ってきて、背中が仰け反った。
「ええ、私は……」
そこで言葉が途切れた。
早くどこかへ向かわなければいけない。
それはわかっているのだが、肝心な場所がわからない。
さらになぜ、そこへ早く向かわねばならない理由も思い出せなかった。
「まあまあ、とりあえずお茶でもどうですか?
お見受けするに酷くお疲れのようですし」
いい考えだとばかりに男が手を打つ。
「そう……ですね。
疲れているので、少し休んだほうがいいのかもしれません」
指摘されて急に足が重く感じた。
ずきずきと頭も鈍く痛む。
長く森を歩き回っていればそうなるだろう。
――長く?
いったい、いつから私はこの森にいたの?
そもそもなぜ、ここに?
必死に思い出そうとするが頭は靄がかかって重く、なにも出てこない。
「きっとお茶を飲んで休めば疲れも取れますよ。
そうだ!
美味しいお菓子をいただいたんです、一緒にお出ししますよ。
さあ、どうぞ」
混乱して立ち尽くす私の背中を、促すようにそっと男が押した。
待っていてくれと言われた椅子に座り、あたりをきょろきょろと見渡す。
建物は木造で、レトロな雰囲気だった。
いまだに昭和から建て替えられていないのか、そういうコンセプトで建てられたのかのどちらかだろう。
しかし、人の気配がまったくない。
「お待たせしましたー」
少ししてお盆にカップとお菓子をのせ、男がやってきた。
「冷めないうちにどうぞ」
これまたここの雰囲気を壊さない、アンティークなポットからカップへとお茶が注がれる。
少しのあいだ水面を見つめたあと、カップを手に取った。
紅茶のいい香りが鼻腔をくすぐる。
ひとくち飲んだ紅茶は、温かく私の胸を満たしていった。
「……美味しい」
呟いた途端、ぽろりと涙が転がり落ちていった。
「えっ、あっ」
慌てて拭うが、それは次々にあふれてくる。
けれど、自分がどうして泣いているのかわからない。
「どうぞ」
ようやく私が泣き止んだ頃、男がハンカチを渡してくれた。
「……すみません」
すっかり恐縮しきってハンカチを受け取り、涙を拭う。
「いえ。
お疲れだったようですから」
なんでもないように言い、男は紅茶をひとくち飲んだ。
「よろしかったらゆっくりしていかれませんか」
二杯目はミルクティーにしてくれた。
優しい甘さが心に染みる。
「あの、でも、そういうわけには。
急いでますし」
そうだ、早く私はあそこへ戻って――。
「……さん。
お嬢さん」
「えっ、はい」
声をかけられ、意識が目の前に戻ってくる。
「まだそんなにぼーっとしてるのに、危険ですよ。
それにその用事とは、そんなに大事なものですか」
「それは」
大事なものだと答えようとして、言えなかった。
別に私などいなくてもかまわないのではないか。
なぜかそんな考えが浮かんでくる。
「お嬢さんは酷く疲れているので、休養が必要です。
しばらくここで、ゆっくりしておいでなさい」
眼鏡の下で眉を寄せ、男は深刻そうに私を見た。
「そう、ですね。
私には休みが必要なのかもしれません」
もうずっと、休んでいない気がする。
鈍い頭痛は長いこと居座っていた。
身体はくたくたでこの椅子から立ち上がれる自信すらない。
「はい。
いたいだけここに、いていいですからね」
目尻を下げて男がにっこりと笑う。
こうして私はこの森の奥の図書館で、過ごすことになった。
森の中で迷い、うろうろとしていたら古ぼけた建物の前に出た。
「こんにちは。
いや、はじめましてかな」
玄関を竹箒で掃いていた若い男が私に気づき、黒縁眼鏡の奥で目尻を下げてにっこりと笑う。
「えっと……。
ここ、どこですか」
先ほどまでの鬱蒼と木が生い茂る暗い森とは違い、そこは燦々と日が差しのどかにモンシロチョウが飛んでいた。
「ここですか?
図書館ですよ」
男はにこにこと笑っているが、どうも胡散臭く見える。
「あのー、最寄りの駅かバス停にはどう行けば……」
「ええーっ!
もう行ってしまうんですか!」
私が最後まで言い切らないうちに男が瞬間移動でもしたんじゃないかという勢いで迫ってきて、背中が仰け反った。
「ええ、私は……」
そこで言葉が途切れた。
早くどこかへ向かわなければいけない。
それはわかっているのだが、肝心な場所がわからない。
さらになぜ、そこへ早く向かわねばならない理由も思い出せなかった。
「まあまあ、とりあえずお茶でもどうですか?
お見受けするに酷くお疲れのようですし」
いい考えだとばかりに男が手を打つ。
「そう……ですね。
疲れているので、少し休んだほうがいいのかもしれません」
指摘されて急に足が重く感じた。
ずきずきと頭も鈍く痛む。
長く森を歩き回っていればそうなるだろう。
――長く?
いったい、いつから私はこの森にいたの?
そもそもなぜ、ここに?
必死に思い出そうとするが頭は靄がかかって重く、なにも出てこない。
「きっとお茶を飲んで休めば疲れも取れますよ。
そうだ!
美味しいお菓子をいただいたんです、一緒にお出ししますよ。
さあ、どうぞ」
混乱して立ち尽くす私の背中を、促すようにそっと男が押した。
待っていてくれと言われた椅子に座り、あたりをきょろきょろと見渡す。
建物は木造で、レトロな雰囲気だった。
いまだに昭和から建て替えられていないのか、そういうコンセプトで建てられたのかのどちらかだろう。
しかし、人の気配がまったくない。
「お待たせしましたー」
少ししてお盆にカップとお菓子をのせ、男がやってきた。
「冷めないうちにどうぞ」
これまたここの雰囲気を壊さない、アンティークなポットからカップへとお茶が注がれる。
少しのあいだ水面を見つめたあと、カップを手に取った。
紅茶のいい香りが鼻腔をくすぐる。
ひとくち飲んだ紅茶は、温かく私の胸を満たしていった。
「……美味しい」
呟いた途端、ぽろりと涙が転がり落ちていった。
「えっ、あっ」
慌てて拭うが、それは次々にあふれてくる。
けれど、自分がどうして泣いているのかわからない。
「どうぞ」
ようやく私が泣き止んだ頃、男がハンカチを渡してくれた。
「……すみません」
すっかり恐縮しきってハンカチを受け取り、涙を拭う。
「いえ。
お疲れだったようですから」
なんでもないように言い、男は紅茶をひとくち飲んだ。
「よろしかったらゆっくりしていかれませんか」
二杯目はミルクティーにしてくれた。
優しい甘さが心に染みる。
「あの、でも、そういうわけには。
急いでますし」
そうだ、早く私はあそこへ戻って――。
「……さん。
お嬢さん」
「えっ、はい」
声をかけられ、意識が目の前に戻ってくる。
「まだそんなにぼーっとしてるのに、危険ですよ。
それにその用事とは、そんなに大事なものですか」
「それは」
大事なものだと答えようとして、言えなかった。
別に私などいなくてもかまわないのではないか。
なぜかそんな考えが浮かんでくる。
「お嬢さんは酷く疲れているので、休養が必要です。
しばらくここで、ゆっくりしておいでなさい」
眼鏡の下で眉を寄せ、男は深刻そうに私を見た。
「そう、ですね。
私には休みが必要なのかもしれません」
もうずっと、休んでいない気がする。
鈍い頭痛は長いこと居座っていた。
身体はくたくたでこの椅子から立ち上がれる自信すらない。
「はい。
いたいだけここに、いていいですからね」
目尻を下げて男がにっこりと笑う。
こうして私はこの森の奥の図書館で、過ごすことになった。
5
あなたにおすすめの小説
狼隊長さんは、私のやわはだのトリコになりました。
汐瀬うに
恋愛
目が覚めたら、そこは獣人たちの国だった。
元看護師の百合は、この世界では珍しい“ヒト”として、狐の婆さんが仕切る風呂屋で働くことになる。
与えられた仕事は、獣人のお客を湯に通し、その体を洗ってもてなすこと。
本来ならこの先にあるはずの行為まで求められてもおかしくないのに、百合の素肌で背中を撫でられた獣人たちは、皆ふわふわの毛皮を揺らして眠りに落ちてしまうのだった。
人間の肌は、獣人にとって子犬の毛並みのようなもの――そう気づいた時には、百合は「眠りを売る“やわはだ嬢”」として静かな人気者になっていた。
そんな百合の元へある日、一つの依頼が舞い込む。
「眠れない狼隊長を、あんたの手で眠らせてやってほしい」
戦場の静けさに怯え、目を閉じれば仲間の最期がよみがえる狼隊長ライガ。
誰よりも強くあろうとする男の震えに触れた百合は、自分もまた失った人を忘れられずにいることを思い出す。
やわらかな人肌と、眠れない心。
静けさを怖がるふたりが、湯気の向こうで少しずつ寄り添っていく、獣人×ヒトの異世界恋愛譚。
[こちらは以前あげていた「やわはだの、お風呂やさん」の改稿ver.になります]
その出会い、運命につき。
あさの紅茶
恋愛
背が高いことがコンプレックスの平野つばさが働く薬局に、つばさよりも背の高い胡桃洋平がやってきた。かっこよかったなと思っていたところ、雨の日にまさかの再会。そしてご飯を食べに行くことに。知れば知るほど彼を好きになってしまうつばさ。そんなある日、洋平と背の低い可愛らしい女性が歩いているところを偶然目撃。しかもその女性の名字も“胡桃”だった。つばさの恋はまさか不倫?!悩むつばさに洋平から次のお誘いが……。
もう一度確かな温もりの中で君を溺愛する
恋文春奈
恋愛
前世で俺は君というすべてを無くした 今の俺は生まれた時から君を知っている また君を失いたくない 君を見つけてみせるから この奇跡叶えてみせるよ 今度こそ結ばれよう やっと出逢えた 君は最初で最後の運命の人 ヤンデレ国民的アイドル松平 朔夜(25)×平凡なオタク大学生佐山 琉梨(22)
『嫌われ令嬢ですが、最終的に溺愛される予定です』
由香
恋愛
貴族令嬢エマは、自分が周囲から嫌われていると信じて疑わなかった。
婚約者である侯爵令息レオンからも距離を取られ、冷たい視線を向けられている――そう思っていたのに。
ある日、思いがけず聞いてしまった彼の本音。
「君を嫌ったことなど、一度もない」
それは誤解とすれ違いが重なっただけの、両片思いだった。
勘違いから始まる、甘くて優しい溺愛恋物語。
貴族との白い結婚はもう懲りたので、バリキャリ魔法薬研究員に復帰します!……と思ったら、隣席の後輩君(王子)にアプローチされてしまいました。
ぽんぽこ@3/28新作発売!!
恋愛
秀才ディアナは、魔法薬研究所で働くバリキャリの魔法薬師だった。だが――
「おいディアナ! 平民の癖に、定時で帰ろうなんて思ってねぇよなぁ!?」
ディアナは平民の生まれであることが原因で、職場での立場は常に下っ端扱い。憧れの上級魔法薬師になるなんて、夢のまた夢だった。
「早く自由に薬を作れるようになりたい……せめて後輩が入ってきてくれたら……」
その願いが通じたのか、ディアナ以来初の新人が入職してくる。これでようやく雑用から抜け出せるかと思いきや――
「僕、もっとハイレベルな仕事したいんで」
「なんですって!?」
――新人のローグは、とんでもなく生意気な後輩だった。しかも入職早々、彼はトラブルを起こしてしまう。
そんな狂犬ローグをどうにか手懐けていくディアナ。躾の甲斐あってか、次第に彼女に懐き始める。
このまま平和な仕事環境を得られると安心していたところへ、ある日ディアナは上司に呼び出された。
「私に縁談ですか……しかも貴族から!?」
しかもそれは絶対に断れない縁談と言われ、仕方なく彼女はある決断をするのだが……。
星屑を紡ぐ令嬢と、色を失った魔法使い
希羽
恋愛
子爵令嬢のルチアは、継母と義姉に虐げられ、屋根裏部屋でひっそりと暮らしていた。彼女には、夜空に輝く星屑を集めて、触れた者の心を癒す不思議な力を持つ「銀色の糸」を紡ぎ出すという、秘密の能力があった。しかし、その力で生み出された美しい刺繍の手柄は、いつも華やかな義姉のものとされていた。
一方、王国には「灰色の魔法使い」と畏れられる英雄、アークライト公爵がいた。彼はかつて国を救った代償として、世界の色彩と感情のすべてを失い、孤独な日々を送っている。
ある夜会で、二人の運命が交差する。義姉が手にしたルチアの刺繍にアークライトが触れた瞬間、彼の灰色だった世界に、一瞬だけ鮮やかな色彩が流れ込むという奇跡が起きた。
その光の本当の作り手を探し出したアークライトは、ルチアを自身の屋敷へと迎え入れる。「私のために刺繍をしろ」──その強引な言葉の裏にある深い孤独を知ったルチアは、戸惑いながらも、初めて自分の力を認められたことに喜びを感じ、彼のために星屑を紡ぎ始める。
彼女の刺繍は、凍てついていた公爵の心を少しずつ溶かし、二人の間には静かな絆が芽生えていく。
しかし、そんな穏やかな日々は長くは続かない。ルチアの持つ力の価値に気づいた過去の人々が、彼女を再び絶望へ引き戻そうと、卑劣な陰謀を企てていた。
捨てられた生贄オメガ、魔王城で極上の『巣作り』始めます!~不眠症の魔王様、私のクッションで爆睡して溺愛モードに突入~
水凪しおん
BL
「役立たずのオメガ」として冷遇され、血も涙もない魔王への生贄として捨てられたリノ。
死を覚悟して連れてこられた魔王城は、寒くて硬くて、居住性最悪のブラック環境だった!?
「こんなところで寝られるか!」
極限状態で発動したオメガ特有の『巣作り本能』と、神業レベルの裁縫スキルが火を噴く!
ゴミ同然の布切れをフカフカのクッションに、冷たい石床を極上のラグマットにリフォーム。
すると、不眠症で常にイライラしていた魔王ザルドリスが、リノの作った「巣」のあまりの快適さに陥落してしまい……?
「……貴様、私を堕落させる気か」
(※いいえ、ただ快適に寝たいだけです)
殺されるどころか、魔王様に気に入られ、気付けば城中がリノの虜に。
捨てられた生贄オメガが、裁縫一つで魔王城を「世界一のマイホーム」に変える、ほのぼの逆転溺愛ファンタジー!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる