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第6章 不安な心

7.ジャンと呼べ

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鬱々としながら仕事をこなす。

「ビジネスレターの体裁すら取れてないですね」

はぁっ、と短く、呆れるように井出室長の口からため息が落ちた。

「す、すみません!」

羞恥でかっ、と頬が熱を持つ。
玲が与えてくれたこんな簡単な仕事すらできない。
ますます自分のダメッぷりに落ち込んでいく。

「やる気がないのですか?
迷惑です」

「す、すみません!」

続けてまた、あたまを下げた。
仕事は、遊びじゃない。
わかっていたはずなのに、感情に引きずられてまともにできないなんて。

「や、やり直します」

添削すらしてもらえない手紙を受け取り、席に戻る。
こんなんじゃダメだ、玲に嫌われる。
玲が好きなのはきっと、――高椋さんのような女性、だから。

「仕事を、頑張る」

そして玲に、認めてもらう。
ただ、可愛がられる存在じゃなく。
そしたらきっと、玲は帰ってきてくれるから……。

「音尾さん、内線です」

「は、はい」

恐ろしいほど集中して仕事をしていたところに声をかけられ、我に返る。
私に内線なんて玲以外にありえないんだけど、彼はいまここにはいない。
誰、なんだろう?

「はい、音尾です」

『マシェリー』

聞こえてきた声で、一瞬にして身体が固まる。

「ど、どうしてあなたが、内線、を?」

『んー、どうしても彩梅と連絡を取りたいんだ、とごねたら繋いでくれた』

得意満面の彼の顔が容易に想像できた。
上得意だとはいえ、ここまで甘くていいのだろうか。

『今日も夕食を一緒にどうだ?』

「お断りします」

『すげないな。
食事くらいいいだろう?』

「お断りします」

次はきっぱりと断ると決めたのだ。
絶対に承知などしないとも。

『わかった。
なら俺にも考えがある』

「あ……」

電話はプツン、と切れてしまった。
なんだか悪い予感しかしない。
がしかし、私にはこれ以上、手の打ちようがなかった。

「お疲れ、様でした」

仕事を終え、帰ろうとしたが、井出室長に止められた。

「音尾さん。
今日、ルシエ様になにかなさいましたか」

「え?」

なにって食事を断っただけ、だけど……。

「大変ご立腹で、部屋に来て謝罪しろとのことです。
理由は本人にしか話さない、と」

「え……」

これが、彼の考えというやつなんだろうか。
こんなの、酷い。

「とにかくすぐに、ルシエ様のお部屋へ」

「は、はい」

ぎりっ、と奥歯を強く噛みしめる。
これでは、行かないなんてことはできない。
急かされるようにルシエ様の泊まる、プレミアムスイーツへと向かった。

「失礼します」

「彩梅、待っていたよ!」

部屋に入った途端、ルシエ様が私を抱き締めてきたが、思いっきり押しのけた。

「な、なにをするんですか!?」

「つれないな、マシェリは」

パチン、とウィンクされて、頭痛がしてくる。

「大変、ご立腹で、謝罪を、とのお話、ですが」

「ああ、大変ご立腹だね、俺は。
彩梅が俺と、食事をしてくれないから」

リビングのソファーへ座るように促されたが、そのまま立っていた。
私には彼と、ゆっくり話をする気などない。

「どうして座らない?」

「私は、ここで、けっこう、です」

かたくなに立ち続ける私に、彼は小さく肩を竦めた。

「そんなに警戒することないだろ」

「し、します。
昨日、あんなこと、言われたら」

くつくつとおかしそうに、彼が喉の奥を鳴らして笑う。
私はなにも、笑われるようなことをしていないのに。

「別に無理強いをする気はない」

「して、います、すでに」

「たかが食事だろ」

「たかが、じゃない、です」

話は平行線のまま、交わりそうにはない。

「じゃあ、客として命じる。
俺を怒らせた謝罪として、一緒に食事をしろ」

傲慢、だと思う。
これでは私は、断り切れない。

「しょ、食事、だけ、ですよ」

重いため息をつき、仕方なく彼の命令に従った。

今日の食事はルームサービスだった。
昨日の個室でも身の危険を感じていたのに、客室となると危険はさらに高まる。

「ここのホテルのフレンチはお気に入りなんだ。
ヘタしたら本国の店より旨い」

ご満悦でルシエ様は食事を堪能している。
その一方で私は、味などわからないほどに緊張していた。

「お、お褒めにあずかり、光栄、です」

「なんで彩梅が礼を言うんだ?
客とスタップじゃなく、ただの男と女だって言っただろ?」

「……私にとって、ルシエ様は、あくまで、お客様、です」

カチャン、と彼がフォークを置いた音が妙に大きく響いた。

「ルシエ様じゃない、ジャン、だ」

不機嫌に彼が言い放つ。
けれど私はそれに、従う気はない。

「今日はジャンと呼ぶまで、この部屋から出さない」

まだコースの途中なのに、ルシエ様はぐいっとソースで汚れた唇をナプキンで拭った。
席を立ち、つかつかと寄ってきて、私の顔を掴んで無理矢理上を向かせる。

「ジャンと呼べ」

榛色の瞳が私を睨みつける。
けれど私も、負けずに睨み返した。

「呼びません」

「呼べ」

「呼びません」

「……!」

顔を真っ赤に染めた、彼の顔がいきなり近づいてくる。
逃げられずに、彼に唇を奪われた。

「……さいっ、てい」

ぎろっ、と思いっきり彼の目を攻撃的に見つめる。
けれど彼は怯むどころか、うっすらと笑っていた。

「ますます気に入った。
なにがなんでも俺のものにしてやる」

「私は、あなたの、ものにならない!
私は玲の……」

そこまで言って、言葉が止まる。
私は玲のもの? 
本当に?

「玲の、なんだ?」

嘲笑いながら、ルシエ様が先を促す。

「……私は、玲のもの、なんだから……」

「ふぅん」

ようやく、彼が私の顔から手を離した。

「まあいい。
どのみちすぐに、彩梅の方から俺の方にしてくれと言ってくるだろうからな」

立ったままワイングラスを手に、彼は中身をぐいっと一息に飲み干した。

「今日はもう帰れ。
また、呼ぶ」

「……失礼、しました」

それだけ言ってふらふらと部屋を出た。
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