清貧秘書はガラスの靴をぶん投げる

霧内杳/眼鏡のさきっぽ

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第八章 この一時だけでも

8-2

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その日は三日間の予定で台湾たいわん出張へ行く、彪夏さんに同行だった。

「……で。
なんで私も、ファーストクラスなんですか?」

会社の規定どおり、ビジネスクラスを予約したはずなのだ。
なのになぜか今、ファーストクラスの席に彪夏さんと低い壁を挟んで座っている。

「俺がクラスチェンジしたからだろ?」

涼しい顔で彼はシャンパンを傾けていて、頭が痛い。

「どーせ差額はポケットマネーでしょうし、なにも言いません」

諦めてぽすっとシートに身を預ける。
さすが、ファーストクラスとだけあって、座り心地がいい。
それにもう二度と乗れないだろうし、堪能しないと損だ。

今回の出張は台湾航路就航の準備のためだ。
あと、この件でお世話になっている、現地の会社の、周年記念パーティに招待されているというのもある。
当然、我が社の飛行機は飛んでいないので、グループである桜花航空の飛行機での移動だ。

「お待ちしておりました」

空港では現地コーディネーター、さんが出迎えてくれた。
私は中国語の日常会話くらいはできるが、ビジネスでは役に立たない部分も多い。
なので、コーディネーターを付けるのは当たり前なんだけれど……。

「よろしく頼む」

彪夏さんと握手を交わしている彼女を無言で見つめる。
お嬢様風の私とは違い、背も高く、髪をきっちり結い上げた、いかにも〝キャリア〟といった感じの彼女は、かなりの美人だ。
しかも、初対面で彪夏さんに微笑まれても動じないなんて、かなり自分の容姿に自信がある人と見た。
なんか、悪い予感がするんだけど、気のせいかな……?

彼女に案内してもらい、仕事の話は順調に進んでいく。
彼らの会話を聞きながら、わからなかった単語はすべてメモに取った。

一日目の夜は予定がなかったので、李さんが美味しいお店があると連れてきてくれた。
……のはいい。

「御子神社長。
この店は屋台から始まったお店で、魯肉飯ルーローハンがオススメなんです」

彪夏さんと向かいあって座る李さんは、メニューを広げて彼に説明している。

「じゃあ、それをもらおうかな」

「あとは……」

メニューが読めないだろうとの配慮だとは思うが、……私はそれくらい、大丈夫なんですが?
食事中もずっと、李さんは御子神社長にばかり話しかけ続けた。

「台湾は初めてですか?」

「いや。
プライベートでは何度か来たよ」

楽しそうに話しているふたりの横で、もそもそと前菜を食べる。

……なによ、デレデレしちゃって。
心に決めた人はどうしたの。
私とだけじゃなく、その人とも恋だの愛だの発生させたいんですか?

ちらっと、彪夏さんが眼鏡の奥から私を見る。
視線があった途端に、私のほうの口端を僅かに持ち上げた。
内心を見抜かれていると悟り、一気に頬が熱くなる。
グラスに残っていたビールを景気づけに煽り、口を開いた。

「そうだ。
後学のために今日、わからなかった言葉についていろいろ聞きたいんですけど」

日本語ではなく、中国語で李さんに話しかける。
彼女はなぜか酷く驚いていた。

「い、いいですが」

「じゃあ……」

手帳を開き、今日、疑問に思った言葉や用法について矢継ぎ早に質問する。
そんな私に彼女は完全に面食らっていた。
私ができる〝日常会話程度〟とは、観光なら差し障りがないくらいだろうと軽んじていたのかもしれないが、〝中国で日常生活に不自由しない程度〟には話せるのだ。
だから補助してくれる人がなく、ひとりになるとはいえ、私が彪夏さんの台湾出張に着いてきた。
ビジネスだと専門用語がわからないし、台湾華語と中国語では微妙に違うから、現地の専門コーディネーターを付けたってだけで。

「勉強になりました、ありがとうございます」

最後に、こちらの航空用語が載っている本を教えてもらう。
これから何度も台湾には来るし、帰ったら勉強しよう。

「いえ、こちらこそ」

デザートが出てくる頃には、李さんに私を軽んじているようなところはなくなった。
それどころかよきライバルと見られているように感じるが、気のせいだろうか。

「ああ、言い忘れていたが」

来たときとは違い、いい空気になってまったり食後のお茶を飲んでいたら、彪夏さんが私の肩を抱き寄せる。

「俺と清子は婚約していて、来年春に挙式予定なんだ」

「……え?」

言われた意味がわからないのか、李さんは一音発したまま固まっている。

「そう、なん、です、ね?
おめでとう、ございます……」

今までの努力が無駄だったとわかり、彼女は完全に魂の抜けた顔をしていた。

ホテルまでは自分たちで帰れるからと李さんとは店の前で別れた。

「よかったんですか、あれ?」

「俺は事実を告げただけであって、なにもしていない」

タクシーの中で彪夏さんはおかしそうに笑っていて、性格悪いぞ。

「それに清子は、ヤキモチ妬いてくれたんだろ?」

ドアに頬杖をつき、彼が私を見る。

「わ、私は、ヤキモチなんて!」

嘘だ、彼女と楽しそうな彪夏さんが嫌だった。
だからあんな、喧嘩を売るようなことをした。

「清子がヤキモチを妬いてくれたのなら、我慢した甲斐がある」

私の頬に落ちかかる髪を払い、ふっと小さく笑って彪夏さんが離れる。
あからさまに自分を狙っている彼女が、彪夏さんも嫌だったんだ。
そう知って、気分がよくなっている私って、チョロいんだろうか。
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