清貧秘書はガラスの靴をぶん投げる

霧内杳/眼鏡のさきっぽ

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第九章 結婚しろ

9-5

先に風呂に入って温まってきたらいいと言われ、それに甘えさせてもらう。

「……お父さんはやっぱり、お父さんだったなー」

夢ばかり追いかけて、家族は二の次。
でも、みんなを幸せにしてあげたかったんだの言葉に、つい期待してしまう。

「……無駄だって、わかってるはずなんだけどなー」

いっそ、父など本当にいなくなればいいのに。
そんな考えが浮かんできたが、頭を振って追い払った。

お風呂から出たら、彪夏さんにベッドへ連れていかれた。

「傍にいてやるから、寝ろ」

私にベッドに入るように促し、自分は枕元に座る。

「……イヤ」

そんな彼の袖を掴み、懇願するように見上げる。

「……一緒に、寝て」

彪夏さんはしばらくじっと私を見つめたあと、小さくため息をついた。

「わかった」

諦めたかのように一緒のベッドに入り、ぎゅっと私を抱き締めてくれる。

「これでいいか?」

「……うん」

彼の胸に額を擦り寄せ、縋りつくようにシャツをぎゅっと掴む。
きっと聞きたいことはたくさんあるはずなのに、彪夏さんはなにも言わない。

「……母の葬式の最中に、父はいなくなったんです」

私の声に反応するかのように、背中に触れる彼の指がぴくんと動いた。
けれどかまわずに話を続ける。

「あそこに寝ているのは有村さんじゃない、有村さんはどこかで、僕が迎えに来るのを待っているはずだ。
葬儀の最中に突然立ち上がったってそう言ったかと思ったら、周囲の人が止めるのも聞かずに出ていきました。
それっきり、帰ってこなかったんです」

その光景は今でもはっきりと思い出せる。
ただし、私の中では最もつらい記憶だからか、モノクロだ。
そして父に会った日は必ずこの日のことを思い出して、つらくなる。

「父がそれだけ母を愛していて、母の死が受け入れられなかったのは、今では理解しています。
でも私は、私は父にとっていらない子で、父から捨てられたのだと思いました」

父がいなくなったのはこのときが初めてではない。
その前もちょくちょくいなくなっていた。
でも、そのときは母がいたのだ。
もう母はいない、これからは父とふたりでやっていかなければならない。
なのに父はまだ五歳の私を置いて、いなくなった。

「引き取り手のなかった私は、前にも話したようにその後しばらく施設で暮らしました。
それがさらに、私はいらない子だと意識させました」

父はああいう人間だから、家族とは縁を切られていた。
そういう父と結婚した母は駆け落ち同然だったので、私にはそもそも、親類というものがいなかったのだ。
唯一、大家さんが親身になってくれたが、さすがに他人の私を育てるほどの責任は持てなかったようだ。

「九歳のとき、父が真由さんと一緒に私を迎えに来ました。
嬉しかったんです、父が私を迎えに来てくれた、いらない子じゃないって。
……でも」

父が私を迎えに来てしばらくは、私の人生の中で二番目に幸せな時間だ。
家に帰れば父がいて、義理とはいえ母が温かく迎えてくれる。
幸せで、こんな時間が長く続けばいいと思っていた。
でもそれは、すぐに終焉を迎える。

「やっと健太の首が据わった頃、父は再びふらっといなくなりました。
また、父に捨てられた。
やっぱり私は、いらない子だったんだ。
幼子のように泣き叫ぶ私を、真由さんは今の彪夏さんみたいに、抱き締めてくれました」

話し疲れて、そこでふーっと息をつく。
彪夏さんの腕の中、温かい。
いつもなら気持ちが強張って息がうまくできないのに、ちゃんとできてる。

「真由さんが、約束してくれたんです。
私も、健太も、どこにも行かないよ、って。
ずっと清ちゃんと一緒にいる、ひとりにしないから安心していいよ、って」

あのときの、真由さんの腕の中も、今と同じように温かかった。
なんか、思い出すな。

「真由さんが、健太が、弟たちが一緒にいてくれるのなら、私は家族を守って大事にしようって決めたんです。
決めたん、だけどな……」

最近の、健太と巧の態度を思い出し、気持ちが落ち込んでいく。

「家族って思ってたの、私だけなのかな……。
やっぱり、血が半分しか繋がってなかったら、ダメなのかな……」

後半はため息になって消えていく。
健太たちから、まるで私はあの家では異分子のように言われて、ショックだった。

「健太たちは清子を、ちゃんと家族だと思ってるぞ」

それまで黙って私の話を聞いているだけだった彪夏さんが口を開く。

「家族だと思ってるから、清子に迷惑をかけたくないんだ」

「家族だったら、迷惑をかけられるのは当たり前じゃないですか」

思わず反論したら、彼は目を細めて優しく微笑み、私を見ていた。

「そうだな、難しいな」

あやすようにちゅっと額に口付けが落ちる。
それがくすぐったくて、心地いい。

「それに、ひとりになるのが怖いっていうなら、俺がずっと一緒にいてやる」

「……彪夏、さん?」

なにが言いたいのかわからなくて、彼の顔を見上げる。

「結婚しよう、清子。
こんな嘘の婚約じゃなくて」

眼鏡の向こうから強い決意を宿した目で、私を見つめる彼が怖い。

「なに、言ってるんですか?
心に決めた人はどうしたんですか?
それに私は彪夏さんなんか、す、好きじゃない、……し」

後半は本心を隠し、強がった。
しかし、彼の瞳は揺るがない。

「別に好きじゃなくたっていいだろ。
俺と結婚すれば清子の家族の生活は安泰だし、清子もひとりになることはない。
メリットしかないじゃないか」

確かに彪夏さんの言うとおりだし、私としては好きな人と結婚できるのだからいいことずくめだ。
しかし。

「でも、彪夏さんにメリットはないじゃないですか」

私と結婚してしまったら、彼は心に決めた人と結ばれない。
メリットどころか、デメリットしかないじゃないか。

「俺は……清子の美味しい料理が毎日食べられるからいいんだよ」

「はぁ……?」

それが、結婚するメリットになるんだろうか。
私にはさっぱり理解できない。

「とにかく。
清子は俺と結婚しろ」

「え、なんで命令なんですか!?」

「社長命令。
結婚しないなら、クビだな」

ニヒヒッ、と意地悪く笑い、彪夏さんが私の鼻を摘まんでくる。

「えっ、横暴ですよ、横暴!
不当解雇で労働基準監督署に訴えてやる!」

私は怒っているというのに、彼はニヤニヤ笑っていて全然効いていない。

「まあ、クビは冗談だけどな」

急に彼が真顔になり、それまでのふざけた空気が消えた。

「でも、結婚は本気だ。
俺なら絶対に清子をひとりにしない。
家族の生活も約束してやる。
だから清子、俺と結婚しろ」

私の顔に触れ、彪夏さんがじっと見ている。

「……本当に私を、ひとりにしませんか」

私から出た声は、緊張からか酷く震えていた。

「しない。
約束する」

証明するかのように力強く、彼がうんと頷く。

「私を置いて、どこかに行ったりしませんか」

「しない。
だから安心していい」

彼の腕が伸びてきて、再び私を強く抱き締める。

「……じゃあ、彪夏さんと結婚、……します」

これが答えだと、ぎゅっと私から彪夏さんに抱きついた。
……この結婚に、愛だの恋だのなくてもいい。
ただ、彼がこの先ずっと、私と一緒にいてくれるのなら、私を決してひとりにしないのなら、それでいい。
それだけで、私は満足だ――。
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