捜査一課のアイルトン・セナ

辺理可付加

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さよならロックスター

6.耳をすませば

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 翌日。高千穂と松実は朝から『Musica-polis』の舞台袖に詰めていた。

「えー、とー」
「千中さん! 僕もう昨日のシャトルランで筋肉痛なんですよ!? 足がもう痛くて痛くて、今朝なんかトイレに行くのも地獄!」
「何か、何か形跡は」
「聞いてますか千中さん!?」
「うるさいんだよ。聞く価値あること言わないくせに」
「ひたすら真っ直ぐにひどい!」

 一番ひどいのは言葉より、抗議すら無視する姿勢かもしれない。高千穂は彼を視界にも入れず、舞台袖を行ったり来たり。

「まぁだMUGI.さんのこと疑ってるんですか? ライブしながら人を殺すなんて、絶対に無理ですよ」
「休憩時間に舞台袖へ被害者を呼び出したなら、ギリギリ間に合わないことはない」
「いったい何がそんなに、MUGI.さん犯人説の執念を燃やさせるんですか? ライブ中に殺す瞬間でも見たんですか?」

 そんなの見ていたら一発解決である。松実としては冗談のつもりだったが、

「ライブ中に見た、か……」
「千中さん?」
「松実ちゃん、私ライブの映像とか音声もらってくるわ」
「はぁ」

 冴えない返事の彼へ、高千穂はストップウォッチを投げて渡す。

「おっと」
「じゃあ私が戻ってくるまで、控え室と最寄りのトイレ。タイム測っといてね」
「またやるんですか!? 昨日ですらやる意味なかったのに!?」
「じゃ、早く意味のある仕事ができるよう成長しようか。サボってたら承知しないからね」
「パワハラ界のミハエル・シューマッハめ!」

 シューマッハに失礼な言葉を拾うことなく、彼女は『Musica-polis』を後にした。





 ここは都内のホテル。警視庁がMUGI.と周囲のスタッフを匿っている場所である。
 高千穂はある一室のドアをノックした。

「すいませーん。警視庁の千中ですぅ」
「どうぞー」
「失礼します」

 中で待ち受けていたのはMUGI.
 ではなく

「うふふ、私もって呼んでもいいですか?」
「いいですけど多分私の方が年下ですよ?」

 スタッフたちのまとめ役、牡丹先輩である。

「それで、何か御用でしょうか」
「はいそうなんですそうなんです。ちょっとお伺いしたいことがありまして」
「私に答えられることならなんでも」
「ありがとうございます、では早速。先日のライブ、映像とか音源はお持ちでないですか?」

 彼女は軽く頷くと鞄の中を漁りはじめる。

「えぇ。映像はカメラマンが外注だったので、まだデータ届いてないんですけど。音声データならございます」

 取り出されたのはUSB。

「今お聞きになってみますか?」
「よろしいですか?」
「えぇどうぞどうぞ。私も聞いて確認作業をしなければならないので」

 牡丹先輩はノートパソコンを開き、データを再生する。

『コツコツコツコツ』

 流れてきたのは、ブーツか何かの硬い底で廊下を叩く足音。

「あれ? こんな演出あったっけ?」
「あぁいえ、これはライブが始まる直前の音声です。胸元にピンマイク付けて、早いうちから録音してたんです」
「あ、そうなんだ。これはどの段階から録音してるんです?」
「控え室から移動してる辺りですね」
「そうですかぁ」

『あー、あー、聞こえてる?』
『バッチリでーす』
『はぁい。今楽屋出たところでーす』
『了解でーす」
『あ、そうだ。しっかり音声録音しといてね?』

「ね?」
「みたいですねぇ。これって早送りとか跳ばしたりとかできます?」

 高千穂がタッチパネル操作でもない画面へ指を伸ばすと、彼女は小さく頷く。

「できますよ」
「休憩手前までお願いできますか」
「はい」

 先輩は手際よくパソコンを操作する。迷いがない動き。さすがスタッフのリーダーだけあって、タイムスケジュールを記憶しているのだろう。
 だからどの辺りで休憩があったか、大体把握できている。

「ここかな」

 音声を再生すると、

『私は汗かいちゃった。ちょっと着替えてくるね。だからみんなもちょっと休んで。休憩!』

「ドンピシャです」

『ワアアアアアアァァァァァァァ!』
『パチパチパチパチパチパチパチパチ……』
『……パチパチパチパチパ』

「あっ」
「今」

 高千穂と牡丹先輩が反応したのはほぼ同時。
 二人はお互いの顔を見て確認する。

「今ブツッて」
「音が切れましたよね」
「ということは」
「マイク切ったんですね」
「なるほどなるほど、うふふ」

 彼女は昨日のやり取りを聞いている。だから高千穂が何を考えているか分かるのだろう。
 ニヤつく彼女に、少し牽制するような声を出す。

「やましいことがあって、とお考えかもしれませんが。単に着替える音が入らないようにしただけだと思いますよ? そうしないと、サブに大音量で衣擦きぬずれが響きますから。我々の鼓膜が大変なことになります」
「お気遣いができる人なんですね」
「気遣いで言うなら。『勝手に着替えてピンマイク適当に付け替えるな』っていつも言ってるんで。トントンですね」
「あれまぁ」

 そうこう話しているうちに、

『終わりました。入ります』

 音声の方ではMUGI.が舞台へ戻ってきた。疑惑の五分は終了したようである。

「どうでしょう刑事さん。何か気になったり疑わしかったりする部分はございましたか?」
「うーむ……」

 高千穂は少し唸ったあと、

「よろしければこの音源、お借りできますか?」

 と画面に映るデータを指差す。牡丹先輩はUSBをパソコンから取り出すと、手に握らせる。

「本体にもデータ入ってますからね。どうぞ。必要になった時、早めに返していただけるなら」
「お約束します」

 彼女は大きく頷くと、

「ご協力ありがとうございました」

牡丹先輩の部屋を後にした。





「明らかに怪しい……でも真相は録音されていない……」

 高千穂はブツブツ呟きながら、『Musica-polis』の舞台袖まで戻ってきた。
 すると、

「……」
「おや、新たな殺人事件かな?」

 舞台袖で松実が倒れている。仰向けで、手足を大の字に投げ出して。

「ハッヒッハッヒッ……」
「本当に走ってたんだね。殊勝じゃない」
「ホントにって……ガッハッ!」

 息も絶ええだが、震える手で律儀にストップウォッチを差し出す。

「千中、さんが……、満足……タイム、出ません……」

 高千穂は仰向けに倒れる忠実なしもべに、そっと慈悲の膝枕を貸した。

「そうか、もういい。もう何も言うな」
「そんな、マンガの、死ぬシーン、みたいな……」
「奈良のおっさんも誇りに思ってる」
「僕は……、死ぬのか……。母さん……」
清美きよみちゃんにも髪の毛と指輪届けてやる」
「誰ですか清美って……。僕結婚してない……」
「だからもう、頑張らなくていいんだ。休め。安らかに……」
「あぁ、うぅ、ゴフッ……」
「うわ松実ちゃんの頭汗でベトベトじゃないの。うわっ」
「急にひどくないですか!?」

 松実の頭部を床へリリースした彼女は、立ち上がると一転冷たい目で見下ろす。

「ほら、ルンバのモノマネなんかしてないで立ちなさい。床に転がって汚いよ」
「そんなモノマネ、してません」
「控え室行って座って休みなさい」
「そんなこと言われても……、もう立てません……」

 高千穂は呆れたように首を左右へ振ると、

「しょうがないなぁ。大道具運搬用の台車とか借りてくるよ」
「そんな雑な!」
「引きずられないだけマシ」

 彼を残して廊下へ出ていった。





 ホールの男性職員にお願いして、倉庫を開けてもらった高千穂は

「あったあった」

 その中から台車を一つ持ち出した。
 明らかに小柄とは言え、成人男性の松実が乗らないサイズだが。
 もちろん考慮していない。

「担ぐのはめんどくさいな。じゃ、お借りしますねー」

 高千穂は倉庫を開けてくれた職員に軽く会釈する。
 せっかくなので、台車は松実のところまで押していくことにした。





 廊下にゴロゴロと台車の進む音が響く。
 イベントがなければ暇なのか。詰所へ戻る道の同じ職員が、積極的に高千穂へ話し掛けてくる。

「お仕事ご苦労さまです。捜査は進んでますか?」
「そうですねぇ。あとかなぁ」
「おぉ! もう少しじゃないですか! 犯人の目星とかはついてるんですか?」
「そういうのは言えないお約束……ん」
「どうしました?」

 舞台袖に続くドアが見えてきたというところ。高千穂が急に立ち止まったので、職員はそちらを振り返る。
 彼女は台車を軽く前後へ揺すっている。ギシギシと、少なくともよろしくはなさそうな音。
 それを確認しながら彼女は困り笑いを浮かべる。

「いえね? なんか重量以上に重いと言うか。こう、タイヤの周りが悪くて、押しづらい感じで」
「あぁー。もう古い台車ですし、重いもん載せてましたから。錆や歪みで具合悪くなってるんでしょう。ちょっと潤滑スプレー取ってきます!」

 職員はそのまま、革靴の音を響かせて掛けていく。

「あっ」

 高千穂は思わず台車から手を離すと、

「すいませーん! ちょっと待ってー!」

 走っていく後ろ姿を呼び止めた。

「なんでしょう」

 彼が走って戻ってくるのすら満足そうに頷いている。

「ちょっと私の周りをぐるぐる回ってもらえます? 歩きでいいので」
「はい? いえ、別にいいですけど」

 職員が言われたとおり、地球と月の構図。高千穂を囲うように円を描くと、

「うふふ」

 彼女はうれしそうな含み笑いを漏らす。
 そして今度は、台車の持ち手を握る。

「次は私と並んで歩いてもらえます?」
「いいですよ」

 高千穂は動きが悪い台車を、無理矢理ゴロゴロを押し進める。
 とまた、

「うふふふ」

 満足そうに笑うのだった。
 思わず職員も顔を覗き込む。

「何がそんなにおかしいんですか?」
「いえ。おかしいというより、いいヒントになりそうなので」
「そうですか! よく分かりませんが、それはよかった!」

 せっかく「とにかくテンション上げとけ」的リアクションをしてくれた職員だが。
 当の彼女自身は、一転煮え切らない顔をしている。

「でもまだ、決めには……」

 ブツブツ呟いていると、それを上から掻き消すような大声が、遠くから響く。

「千中さーん!」
「あん?」

 声の方を見ると、ようやく立ち上がれるまで回復したのだろう松実が。
 ドアからこちらへ顔を覗かせている。

「あんまり遅いんでー! どうかしましたかー!?」
「いやー? 特に」
「あっ!」

 彼は高千穂が押しているものを見て、慌てて駆け寄ってくる。

「本当に台車持ってきた! こんなのいりませんよ! しかも荷台小さいし! いくら僕が身長低いからって、さすがにこんなのは!」
「うるさいなぁ、耳元でまくし立てないでよ。松実ちゃんは私と身長変わらないくらいなんだから。ちょうど耳元ど真ん中なんだよ」
「あーっ! また身長のこと言ったーっ!」

 ヒートアップする小男に対して、手で小蝿を追い払うような仕草をする高千穂だったが、

「ん? 耳元でうるさい?」

 急にその動きをやめて、両手で鼻と口元を覆ってしまう。

「どうしたんですか急に? あっ、汗臭いとか言うつもりですか!?」
「ちょっと松実ちゃん、普通の声の大きさで
「はい?」
「いいから。内容もなんでもいいからとにかくしゃべり続けて」
「はぁ。えー、『拙者親方と申すは御立会おたちあいの内に御存知の御方も御座りましょうが、御江戸を発って二十里上方かみがた』」
「そのままね」

 松実がメモ帳を開き、謎の『外郎売ういろううり』を始めたところで。
 高千穂は彼から距離を取る。

「『欄干橋虎屋藤右衛門らんかんばしとらやとうえもん只今は剃髪ていはつ致して圓斎えんさいと名乗りまする……』」
「ほうほう」

 かと思えば戻ってきて、

「『……用うる時は一粒ずつ冠の隙間より取り出だす。ってその名をみかどより』」
「なるほど」

「『イヤ小田原おだわらの灰俵のさん俵の炭俵のと色々に申せども、平仮名を以って’’ういろう’’としるせしは……』」
「うんうん」

 また離れる。と、

「『……必ずかど違いなされまするな。御のぼりなれば右の方、御くだりなれば左側、八方はっぽうむね』」
「よしよし」

 また近づいてくる。
 満足したのか高千穂は松実を手で制すると、またも手で鼻と口元を覆う

「ねぇ松実ちゃん。最初に控え室行った時見たんだけどさぁ。確かキャスター付きのケースがあったよねぇ。あれ、何入ってたのか知ってる?」
「『イヤ最前より家名かめいの自慢ばかり申しても、御存知無い方には正真の胡椒の丸呑み白河夜船しらかわよふね』」
「聞いてる?」
「『の薬を斯様かように一粒舌の上に乗せまして』」
「……」

 壊れたラジオかのように『外郎売』を垂れ流す、悲しきマシーンと化した松実。
 彼女は蹴りを入れて止めることすらなく、肩をすくめ首を左右へ振った。

「まぁいいや。それより、丹下さんの顔知ってるスタッフが誰か。休憩時間中に舞台袖へ行ったか聞いといて」
「『その他万病即効在る事神の如し』」
「あとはさ、ちょっとやってみたいことがあるから準備頼める?」
「『ヒョッと舌が廻り出すと矢も盾も堪らぬじゃ』」
「……」

 ついに高千穂が露骨にイラッとした顔になったところで。
 さっきまでドン引きで黙っていた職員が、気を逸らさせるように口を挟んできた。

「刑事さん、何か分かったんですか?」

 すると高千穂は自慢げにニヤつきながら頷く。

「もちろんですとも。なんたって私は……

 相手を追い掛けるか相手から来てもらうかって言われたら。足場を奪ってどこにも行けなくする人間ですから」
「……いったいなんの話ですか?」
「『書写山しょしゃざんしゃしょっしゃっしゃっしゃっしゃっ!!」
「あ、噛んだ」
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