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さよならロックスター
6.耳をすませば
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翌日。高千穂と松実は朝から『Musica-polis』の舞台袖に詰めていた。
「えー、とー」
「千中さん! 僕もう昨日のシャトルランで筋肉痛なんですよ!? 足がもう痛くて痛くて、今朝なんかトイレに行くのも地獄!」
「何か、何か形跡は」
「聞いてますか千中さん!?」
「うるさいんだよ。聞く価値あること言わないくせに」
「ひたすら真っ直ぐにひどい!」
一番ひどいのは言葉より、抗議すら無視する姿勢かもしれない。高千穂は彼を視界にも入れず、舞台袖を行ったり来たり。
「まぁだMUGI.さんのこと疑ってるんですか? ライブしながら人を殺すなんて、絶対に無理ですよ」
「休憩時間に舞台袖へ被害者を呼び出したなら、ギリギリ間に合わないことはない」
「いったい何がそんなに、MUGI.さん犯人説の執念を燃やさせるんですか? ライブ中に殺す瞬間でも見たんですか?」
そんなの見ていたら一発解決である。松実としては冗談のつもりだったが、
「ライブ中に見た、か……」
「千中さん?」
「松実ちゃん、私ライブの映像とか音声もらってくるわ」
「はぁ」
冴えない返事の彼へ、高千穂はストップウォッチを投げて渡す。
「おっと」
「じゃあ私が戻ってくるまで、控え室と最寄りのトイレ。タイム測っといてね」
「またやるんですか!? 昨日ですらやる意味なかったのに!?」
「じゃ、早く意味のある仕事ができるよう成長しようか。サボってたら承知しないからね」
「パワハラ界のミハエル・シューマッハめ!」
シューマッハに失礼な言葉を拾うことなく、彼女は『Musica-polis』を後にした。
ここは都内のホテル。警視庁がMUGI.と周囲のスタッフを匿っている場所である。
高千穂はある一室のドアをノックした。
「すいませーん。警視庁の千中ですぅ」
「どうぞー」
「失礼します」
中で待ち受けていたのはMUGI.
ではなく
「うふふ、私も牡丹せんぱーいって呼んでもいいですか?」
「いいですけど多分私の方が年下ですよ?」
スタッフたちのまとめ役、牡丹先輩である。
「それで、何か御用でしょうか」
「はいそうなんですそうなんです。ちょっとお伺いしたいことがありまして」
「私に答えられることならなんでも」
「ありがとうございます、では早速。先日のライブ、映像とか音源はお持ちでないですか?」
彼女は軽く頷くと鞄の中を漁りはじめる。
「えぇ。映像はカメラマンが外注だったので、まだデータ届いてないんですけど。音声データならございます」
取り出されたのはUSB。
「今お聞きになってみますか?」
「よろしいですか?」
「えぇどうぞどうぞ。私も聞いて確認作業をしなければならないので」
牡丹先輩はノートパソコンを開き、データを再生する。
『コツコツコツコツ』
流れてきたのは、ブーツか何かの硬い底で廊下を叩く足音。
「あれ? こんな演出あったっけ?」
「あぁいえ、これはライブが始まる直前の音声です。胸元にピンマイク付けて、早いうちから録音してたんです」
「あ、そうなんだ。これはどの段階から録音してるんです?」
「控え室から移動してる辺りですね」
「そうですかぁ」
『あー、あー、聞こえてる?』
『バッチリでーす』
『はぁい。今楽屋出たところでーす』
『了解でーす」
『あ、そうだ。しっかり音声録音しといてね?』
「ね?」
「みたいですねぇ。これって早送りとか跳ばしたりとかできます?」
高千穂がタッチパネル操作でもない画面へ指を伸ばすと、彼女は小さく頷く。
「できますよ」
「休憩手前までお願いできますか」
「はい」
先輩は手際よくパソコンを操作する。迷いがない動き。さすがスタッフのリーダーだけあって、タイムスケジュールを記憶しているのだろう。
だからどの辺りで休憩があったか、大体把握できている。
「ここかな」
音声を再生すると、
『私は汗かいちゃった。ちょっと着替えてくるね。だからみんなもちょっと休んで。休憩!』
「ドンピシャです」
『ワアアアアアアァァァァァァァ!』
『パチパチパチパチパチパチパチパチ……』
『……パチパチパチパチパ』
「あっ」
「今」
高千穂と牡丹先輩が反応したのはほぼ同時。
二人はお互いの顔を見て確認する。
「今ブツッて」
「音が切れましたよね」
「ということは」
「マイク切ったんですね」
「なるほどなるほど、うふふ」
彼女は昨日のやり取りを聞いている。だから高千穂が何を考えているか分かるのだろう。
ニヤつく彼女に、少し牽制するような声を出す。
「やましいことがあって、とお考えかもしれませんが。単に着替える音が入らないようにしただけだと思いますよ? そうしないと、サブに大音量で衣擦れが響きますから。我々の鼓膜が大変なことになります」
「お気遣いができる人なんですね」
「気遣いで言うなら。『勝手に着替えてピンマイク適当に付け替えるな』っていつも言ってるんで。トントンですね」
「あれまぁ」
そうこう話しているうちに、
『終わりました。入ります』
音声の方ではMUGI.が舞台へ戻ってきた。疑惑の五分は終了したようである。
「どうでしょう刑事さん。何か気になったり疑わしかったりする部分はございましたか?」
「うーむ……」
高千穂は少し唸ったあと、
「よろしければこの音源、お借りできますか?」
と画面に映るデータを指差す。牡丹先輩はUSBをパソコンから取り出すと、手に握らせる。
「本体にもデータ入ってますからね。どうぞ。必要になった時、早めに返していただけるなら」
「お約束します」
彼女は大きく頷くと、
「ご協力ありがとうございました」
牡丹先輩の部屋を後にした。
「明らかに怪しい……でも真相は録音されていない……」
高千穂はブツブツ呟きながら、『Musica-polis』の舞台袖まで戻ってきた。
すると、
「……」
「おや、新たな殺人事件かな?」
舞台袖で松実が倒れている。仰向けで、手足を大の字に投げ出して。
「ハッヒッハッヒッ……」
「本当に走ってたんだね。殊勝じゃない」
「ホントにって……ガッハッ!」
息も絶え絶えだが、震える手で律儀にストップウォッチを差し出す。
「千中、さんが……、満足……タイム、出ません……」
高千穂は仰向けに倒れる忠実な僕に、そっと慈悲の膝枕を貸した。
「そうか、もういい。もう何も言うな」
「そんな、マンガの、死ぬシーン、みたいな……」
「奈良のおっ母さんも誇りに思ってる」
「僕は……、死ぬのか……。母さん……」
「清美ちゃんにも髪の毛と指輪届けてやる」
「誰ですか清美って……。僕結婚してない……」
「だからもう、頑張らなくていいんだ。休め。安らかに……」
「あぁ、うぅ、ゴフッ……」
「うわ松実ちゃんの頭汗でベトベトじゃないの。うわっ」
「急にひどくないですか!?」
松実の頭部を床へリリースした彼女は、立ち上がると一転冷たい目で見下ろす。
「ほら、ルンバのモノマネなんかしてないで立ちなさい。床に転がって汚いよ」
「そんなモノマネ、してません」
「控え室行って座って休みなさい」
「そんなこと言われても……、もう立てません……」
高千穂は呆れたように首を左右へ振ると、
「しょうがないなぁ。大道具運搬用の台車とか借りてくるよ」
「そんな雑な!」
「引きずられないだけマシ」
彼を残して廊下へ出ていった。
ホールの男性職員にお願いして、倉庫を開けてもらった高千穂は
「あったあった」
その中から台車を一つ持ち出した。
明らかに小柄とは言え、成人男性の松実が乗らないサイズだが。
もちろん考慮していない。
「担ぐのはめんどくさいな。じゃ、お借りしますねー」
高千穂は倉庫を開けてくれた職員に軽く会釈する。
せっかくなので、台車は松実のところまで押していくことにした。
廊下にゴロゴロと台車の進む音が響く。
イベントがなければ暇なのか。詰所へ戻る道の同じ職員が、積極的に高千穂へ話し掛けてくる。
「お仕事ご苦労さまです。捜査は進んでますか?」
「そうですねぇ。あとちょびっとかなぁ」
「おぉ! もう少しじゃないですか! 犯人の目星とかはついてるんですか?」
「そういうのは言えないお約束……ん」
「どうしました?」
舞台袖に続くドアが見えてきたというところ。高千穂が急に立ち止まったので、職員はそちらを振り返る。
彼女は台車を軽く前後へ揺すっている。ギシギシと、少なくともよろしくはなさそうな音。
それを確認しながら彼女は困り笑いを浮かべる。
「いえね? なんか重量以上に重いと言うか。こう、タイヤの周りが悪くて、押しづらい感じで」
「あぁー。もう古い台車ですし、ずっと重いもん載せてましたから。錆や歪みで具合悪くなってるんでしょう。ちょっと潤滑スプレー取ってきます!」
職員はそのまま、革靴の音を響かせて掛けていく。
「あっ」
高千穂は思わず台車から手を離すと、
「すいませーん! ちょっと待ってー!」
走っていく後ろ姿を呼び止めた。
「なんでしょう」
彼が走って戻ってくるのすら満足そうに頷いている。
「ちょっと私の周りをぐるぐる回ってもらえます? 歩きでいいので」
「はい? いえ、別にいいですけど」
職員が言われたとおり、地球と月の構図。高千穂を囲うように円を描くと、
「うふふ」
彼女はうれしそうな含み笑いを漏らす。
そして今度は、台車の持ち手を握る。
「次は私と並んで歩いてもらえます?」
「いいですよ」
高千穂は動きが悪い台車を、無理矢理ゴロゴロを押し進める。
とまた、
「うふふふ」
満足そうに笑うのだった。
思わず職員も顔を覗き込む。
「何がそんなにおかしいんですか?」
「いえ。おかしいというより、いいヒントになりそうなので」
「そうですか! よく分かりませんが、それはよかった!」
せっかく「とにかくテンション上げとけ」的リアクションをしてくれた職員だが。
当の彼女自身は、一転煮え切らない顔をしている。
「でもまだ、決めには……」
ブツブツ呟いていると、それを上から掻き消すような大声が、遠くから響く。
「千中さーん!」
「あん?」
声の方を見ると、ようやく立ち上がれるまで回復したのだろう松実が。
ドアからこちらへ顔を覗かせている。
「あんまり遅いんでー! どうかしましたかー!?」
「いやー? 特に」
「あっ!」
彼は高千穂が押しているものを見て、慌てて駆け寄ってくる。
「本当に台車持ってきた! こんなのいりませんよ! しかも荷台小さいし! いくら僕が身長低いからって、さすがにこんなのは!」
「うるさいなぁ、耳元でまくし立てないでよ。松実ちゃんは私と身長変わらないくらいなんだから。ちょうど耳元ど真ん中なんだよ」
「あーっ! また身長のこと言ったーっ!」
ヒートアップする小男に対して、手で小蝿を追い払うような仕草をする高千穂だったが、
「ん? 耳元でうるさい?」
急にその動きをやめて、両手で鼻と口元を覆ってしまう。
「どうしたんですか急に? あっ、汗臭いとか言うつもりですか!?」
「ちょっと松実ちゃん、普通の声の大きさでしゃべって」
「はい?」
「いいから。内容もなんでもいいからとにかくしゃべり続けて」
「はぁ。えー、『拙者親方と申すは御立会の内に御存知の御方も御座りましょうが、御江戸を発って二十里上方』」
「そのままね」
松実がメモ帳を開き、謎の『外郎売』を始めたところで。
高千穂は彼から距離を取る。
「『欄干橋虎屋藤右衛門只今は剃髪致して圓斎と名乗りまする……』」
「ほうほう」
かと思えば戻ってきて、
「『……用うる時は一粒ずつ冠の隙間より取り出だす。依ってその名を帝より』」
「なるほど」
「『イヤ小田原の灰俵のさん俵の炭俵のと色々に申せども、平仮名を以って’’ういろう’’と記せしは……』」
「うんうん」
また離れる。と、
「『……必ず門違いなされまするな。御上りなれば右の方、御下りなれば左側、八方が八つ棟』」
「よしよし」
また近づいてくる。
満足したのか高千穂は松実を手で制すると、またも手で鼻と口元を覆う
「ねぇ松実ちゃん。最初に控え室行った時見たんだけどさぁ。確かキャスター付きのケースがあったよねぇ。あれ、何入ってたのか知ってる?」
「『イヤ最前より家名の自慢ばかり申しても、御存知無い方には正真の胡椒の丸呑み白河夜船』」
「聞いてる?」
「『先ず此の薬を斯様に一粒舌の上に乗せまして』」
「……」
壊れたラジオかのように『外郎売』を垂れ流す、悲しきマシーンと化した松実。
彼女は蹴りを入れて止めることすらなく、肩を竦め首を左右へ振った。
「まぁいいや。それより、丹下さんの顔知ってるスタッフが誰か。休憩時間中に舞台袖へ行ったか聞いといて」
「『その他万病即効在る事神の如し』」
「あとはさ、ちょっとやってみたいことがあるから準備頼める?」
「『ヒョッと舌が廻り出すと矢も盾も堪らぬじゃ』」
「……」
ついに高千穂が露骨にイラッとした顔になったところで。
さっきまでドン引きで黙っていた職員が、気を逸らさせるように口を挟んできた。
「刑事さん、何か分かったんですか?」
すると高千穂は自慢げにニヤつきながら頷く。
「もちろんですとも。なんたって私は……
相手を追い掛けるか相手から来てもらうかって言われたら。足場を奪ってどこにも行けなくする人間ですから」
「……いったいなんの話ですか?」
「『書写山の社しょっしゃっしゃっしゃっしゃっ!!」
「あ、噛んだ」
「えー、とー」
「千中さん! 僕もう昨日のシャトルランで筋肉痛なんですよ!? 足がもう痛くて痛くて、今朝なんかトイレに行くのも地獄!」
「何か、何か形跡は」
「聞いてますか千中さん!?」
「うるさいんだよ。聞く価値あること言わないくせに」
「ひたすら真っ直ぐにひどい!」
一番ひどいのは言葉より、抗議すら無視する姿勢かもしれない。高千穂は彼を視界にも入れず、舞台袖を行ったり来たり。
「まぁだMUGI.さんのこと疑ってるんですか? ライブしながら人を殺すなんて、絶対に無理ですよ」
「休憩時間に舞台袖へ被害者を呼び出したなら、ギリギリ間に合わないことはない」
「いったい何がそんなに、MUGI.さん犯人説の執念を燃やさせるんですか? ライブ中に殺す瞬間でも見たんですか?」
そんなの見ていたら一発解決である。松実としては冗談のつもりだったが、
「ライブ中に見た、か……」
「千中さん?」
「松実ちゃん、私ライブの映像とか音声もらってくるわ」
「はぁ」
冴えない返事の彼へ、高千穂はストップウォッチを投げて渡す。
「おっと」
「じゃあ私が戻ってくるまで、控え室と最寄りのトイレ。タイム測っといてね」
「またやるんですか!? 昨日ですらやる意味なかったのに!?」
「じゃ、早く意味のある仕事ができるよう成長しようか。サボってたら承知しないからね」
「パワハラ界のミハエル・シューマッハめ!」
シューマッハに失礼な言葉を拾うことなく、彼女は『Musica-polis』を後にした。
ここは都内のホテル。警視庁がMUGI.と周囲のスタッフを匿っている場所である。
高千穂はある一室のドアをノックした。
「すいませーん。警視庁の千中ですぅ」
「どうぞー」
「失礼します」
中で待ち受けていたのはMUGI.
ではなく
「うふふ、私も牡丹せんぱーいって呼んでもいいですか?」
「いいですけど多分私の方が年下ですよ?」
スタッフたちのまとめ役、牡丹先輩である。
「それで、何か御用でしょうか」
「はいそうなんですそうなんです。ちょっとお伺いしたいことがありまして」
「私に答えられることならなんでも」
「ありがとうございます、では早速。先日のライブ、映像とか音源はお持ちでないですか?」
彼女は軽く頷くと鞄の中を漁りはじめる。
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取り出されたのはUSB。
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牡丹先輩はノートパソコンを開き、データを再生する。
『コツコツコツコツ』
流れてきたのは、ブーツか何かの硬い底で廊下を叩く足音。
「あれ? こんな演出あったっけ?」
「あぁいえ、これはライブが始まる直前の音声です。胸元にピンマイク付けて、早いうちから録音してたんです」
「あ、そうなんだ。これはどの段階から録音してるんです?」
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「そうですかぁ」
『あー、あー、聞こえてる?』
『バッチリでーす』
『はぁい。今楽屋出たところでーす』
『了解でーす」
『あ、そうだ。しっかり音声録音しといてね?』
「ね?」
「みたいですねぇ。これって早送りとか跳ばしたりとかできます?」
高千穂がタッチパネル操作でもない画面へ指を伸ばすと、彼女は小さく頷く。
「できますよ」
「休憩手前までお願いできますか」
「はい」
先輩は手際よくパソコンを操作する。迷いがない動き。さすがスタッフのリーダーだけあって、タイムスケジュールを記憶しているのだろう。
だからどの辺りで休憩があったか、大体把握できている。
「ここかな」
音声を再生すると、
『私は汗かいちゃった。ちょっと着替えてくるね。だからみんなもちょっと休んで。休憩!』
「ドンピシャです」
『ワアアアアアアァァァァァァァ!』
『パチパチパチパチパチパチパチパチ……』
『……パチパチパチパチパ』
「あっ」
「今」
高千穂と牡丹先輩が反応したのはほぼ同時。
二人はお互いの顔を見て確認する。
「今ブツッて」
「音が切れましたよね」
「ということは」
「マイク切ったんですね」
「なるほどなるほど、うふふ」
彼女は昨日のやり取りを聞いている。だから高千穂が何を考えているか分かるのだろう。
ニヤつく彼女に、少し牽制するような声を出す。
「やましいことがあって、とお考えかもしれませんが。単に着替える音が入らないようにしただけだと思いますよ? そうしないと、サブに大音量で衣擦れが響きますから。我々の鼓膜が大変なことになります」
「お気遣いができる人なんですね」
「気遣いで言うなら。『勝手に着替えてピンマイク適当に付け替えるな』っていつも言ってるんで。トントンですね」
「あれまぁ」
そうこう話しているうちに、
『終わりました。入ります』
音声の方ではMUGI.が舞台へ戻ってきた。疑惑の五分は終了したようである。
「どうでしょう刑事さん。何か気になったり疑わしかったりする部分はございましたか?」
「うーむ……」
高千穂は少し唸ったあと、
「よろしければこの音源、お借りできますか?」
と画面に映るデータを指差す。牡丹先輩はUSBをパソコンから取り出すと、手に握らせる。
「本体にもデータ入ってますからね。どうぞ。必要になった時、早めに返していただけるなら」
「お約束します」
彼女は大きく頷くと、
「ご協力ありがとうございました」
牡丹先輩の部屋を後にした。
「明らかに怪しい……でも真相は録音されていない……」
高千穂はブツブツ呟きながら、『Musica-polis』の舞台袖まで戻ってきた。
すると、
「……」
「おや、新たな殺人事件かな?」
舞台袖で松実が倒れている。仰向けで、手足を大の字に投げ出して。
「ハッヒッハッヒッ……」
「本当に走ってたんだね。殊勝じゃない」
「ホントにって……ガッハッ!」
息も絶え絶えだが、震える手で律儀にストップウォッチを差し出す。
「千中、さんが……、満足……タイム、出ません……」
高千穂は仰向けに倒れる忠実な僕に、そっと慈悲の膝枕を貸した。
「そうか、もういい。もう何も言うな」
「そんな、マンガの、死ぬシーン、みたいな……」
「奈良のおっ母さんも誇りに思ってる」
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「うわ松実ちゃんの頭汗でベトベトじゃないの。うわっ」
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松実の頭部を床へリリースした彼女は、立ち上がると一転冷たい目で見下ろす。
「ほら、ルンバのモノマネなんかしてないで立ちなさい。床に転がって汚いよ」
「そんなモノマネ、してません」
「控え室行って座って休みなさい」
「そんなこと言われても……、もう立てません……」
高千穂は呆れたように首を左右へ振ると、
「しょうがないなぁ。大道具運搬用の台車とか借りてくるよ」
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彼を残して廊下へ出ていった。
ホールの男性職員にお願いして、倉庫を開けてもらった高千穂は
「あったあった」
その中から台車を一つ持ち出した。
明らかに小柄とは言え、成人男性の松実が乗らないサイズだが。
もちろん考慮していない。
「担ぐのはめんどくさいな。じゃ、お借りしますねー」
高千穂は倉庫を開けてくれた職員に軽く会釈する。
せっかくなので、台車は松実のところまで押していくことにした。
廊下にゴロゴロと台車の進む音が響く。
イベントがなければ暇なのか。詰所へ戻る道の同じ職員が、積極的に高千穂へ話し掛けてくる。
「お仕事ご苦労さまです。捜査は進んでますか?」
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「おぉ! もう少しじゃないですか! 犯人の目星とかはついてるんですか?」
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「どうしました?」
舞台袖に続くドアが見えてきたというところ。高千穂が急に立ち止まったので、職員はそちらを振り返る。
彼女は台車を軽く前後へ揺すっている。ギシギシと、少なくともよろしくはなさそうな音。
それを確認しながら彼女は困り笑いを浮かべる。
「いえね? なんか重量以上に重いと言うか。こう、タイヤの周りが悪くて、押しづらい感じで」
「あぁー。もう古い台車ですし、ずっと重いもん載せてましたから。錆や歪みで具合悪くなってるんでしょう。ちょっと潤滑スプレー取ってきます!」
職員はそのまま、革靴の音を響かせて掛けていく。
「あっ」
高千穂は思わず台車から手を離すと、
「すいませーん! ちょっと待ってー!」
走っていく後ろ姿を呼び止めた。
「なんでしょう」
彼が走って戻ってくるのすら満足そうに頷いている。
「ちょっと私の周りをぐるぐる回ってもらえます? 歩きでいいので」
「はい? いえ、別にいいですけど」
職員が言われたとおり、地球と月の構図。高千穂を囲うように円を描くと、
「うふふ」
彼女はうれしそうな含み笑いを漏らす。
そして今度は、台車の持ち手を握る。
「次は私と並んで歩いてもらえます?」
「いいですよ」
高千穂は動きが悪い台車を、無理矢理ゴロゴロを押し進める。
とまた、
「うふふふ」
満足そうに笑うのだった。
思わず職員も顔を覗き込む。
「何がそんなにおかしいんですか?」
「いえ。おかしいというより、いいヒントになりそうなので」
「そうですか! よく分かりませんが、それはよかった!」
せっかく「とにかくテンション上げとけ」的リアクションをしてくれた職員だが。
当の彼女自身は、一転煮え切らない顔をしている。
「でもまだ、決めには……」
ブツブツ呟いていると、それを上から掻き消すような大声が、遠くから響く。
「千中さーん!」
「あん?」
声の方を見ると、ようやく立ち上がれるまで回復したのだろう松実が。
ドアからこちらへ顔を覗かせている。
「あんまり遅いんでー! どうかしましたかー!?」
「いやー? 特に」
「あっ!」
彼は高千穂が押しているものを見て、慌てて駆け寄ってくる。
「本当に台車持ってきた! こんなのいりませんよ! しかも荷台小さいし! いくら僕が身長低いからって、さすがにこんなのは!」
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「あーっ! また身長のこと言ったーっ!」
ヒートアップする小男に対して、手で小蝿を追い払うような仕草をする高千穂だったが、
「ん? 耳元でうるさい?」
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「はい?」
「いいから。内容もなんでもいいからとにかくしゃべり続けて」
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「そのままね」
松実がメモ帳を開き、謎の『外郎売』を始めたところで。
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「ほうほう」
かと思えば戻ってきて、
「『……用うる時は一粒ずつ冠の隙間より取り出だす。依ってその名を帝より』」
「なるほど」
「『イヤ小田原の灰俵のさん俵の炭俵のと色々に申せども、平仮名を以って’’ういろう’’と記せしは……』」
「うんうん」
また離れる。と、
「『……必ず門違いなされまするな。御上りなれば右の方、御下りなれば左側、八方が八つ棟』」
「よしよし」
また近づいてくる。
満足したのか高千穂は松実を手で制すると、またも手で鼻と口元を覆う
「ねぇ松実ちゃん。最初に控え室行った時見たんだけどさぁ。確かキャスター付きのケースがあったよねぇ。あれ、何入ってたのか知ってる?」
「『イヤ最前より家名の自慢ばかり申しても、御存知無い方には正真の胡椒の丸呑み白河夜船』」
「聞いてる?」
「『先ず此の薬を斯様に一粒舌の上に乗せまして』」
「……」
壊れたラジオかのように『外郎売』を垂れ流す、悲しきマシーンと化した松実。
彼女は蹴りを入れて止めることすらなく、肩を竦め首を左右へ振った。
「まぁいいや。それより、丹下さんの顔知ってるスタッフが誰か。休憩時間中に舞台袖へ行ったか聞いといて」
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「……」
ついに高千穂が露骨にイラッとした顔になったところで。
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「刑事さん、何か分かったんですか?」
すると高千穂は自慢げにニヤつきながら頷く。
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高校のクラスでハブられている俺。この高校に友人はいない。そして、俺はクラスの美人女子高生の京野弘美に興味を持っていた。と言うか好きなんだけどな。でも、京野は美人なのに人気が無く、俺と同様ハブられていた。そして、ある日の放課後、京野に俺の恥ずかしい行為を見られてしまった。すると、京野はその事をバラさないかわりに、俺を旧校舎の地下室へ連れて行く。そこで、おかしなことを始めるのだったのだが……。
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