捜査一課のアイルトン・セナ

辺理可付加

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白雪姫とシンデレラ

5.One day……

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『なりたい仕事が見付からないって?』
『はい。偏差値だけで学部を選んだツケが来まして』
『そっかぁ。でもなんでそれを、就職課でも教授でも親でもなく、私に?』
『蒼さんの方が年も近くて……親身ですから』
『今言った人たち、みんな親身だと思うけど?』
『いえ。大人は自分の経験と事実をもとにアドバイスをくれます。でもそれは私の立場とは違う。蒼さんはまず私の立場になって考えてくれるでしょう?』
『……就職課行ったことないでしょ』
『はい』
『それに、言うほど私は親身かな?』
『翠先輩が「そんな蒼姉ぇみたいになりたくて教師目指してる」とおっしゃるくらいには』
『……まぁいいや。そんなに言うなら、ちょっとと出掛けよう』
『出掛ける?』





『すいませーん! コーヒーゼリーと、ちーちゃん何にする?』
『このカフェにいったい何が?』
『ブレンドコーヒー一つ。以上で』
『この真夏日で急に出掛けるって、コーヒーゼリー食べたかったんですか?』
『コーヒーゼリーはおいしいけど、それよりここのカフェはね。名にし負う渋谷のスクランブル交差点! それが上から、それも二階の近距離から見えるの』
『はぁ』
『いい? 就職に迷うっていうのはね、別に何も悪いことなんかじゃないの。むしろ楽しみがある』
『楽しみ?』
『例えば医者になりたいって決まってて医学部に入る人がいる。うちの翠みたいに、教師になるって決めて教育学部に入る人がいる。そして逆に。何も考えず、自分の偏差値と合ったってだけで法学部へ入ったちーちゃんがいる。でもそれは良い悪いじゃないよ』
『じゃあいったい』
『「自分の明るい未来を妄想する」っていうのを、先にしたか今からするか、だけ』
『妄想……』
『そう。たかだか妄想だから。やった翠もやってないちーちゃんも、どっちも偉くも悪くもない。楽しい遊びをいつやったかだけの話だから』
『そんなもんですかね』
『さて、というわけで妄想してみよう』
『はぁ』
『今から私が、スクランブル交差点を渡る人を一人指名します。その人が交差点を渡り切るまでのあいだに。その人のストーリーを妄想してください』
『は? なんですかそのゲームは』
『そうしていろいろ妄想したら、思い付くかもしれないじゃん。ちーちゃんが就きたい職業とか、こういう風なライフスタイルで過ごす、とか』
『どうかなぁ』
『ちなみにちーちゃんはどんなライフスタイルがいい?』
『えーと、そこそこ楽してそこそこお金貯めて。好きな時に晩酌ができる、とか?』
『いいねぇいいねぇ、じゃあそのストーリーを見付け出そう。このオペラグラス使っていいよ。それじゃぁまずは……。あのハンカチで汗拭いてる営業マンっぽい七三メガネスーツ! よーい、スタート!』
『……』
『どう? 何が見える? そのオペラグラスには何が映る?』
『静かに』
『すいません……』
『……靴と鞄がややボロいですね。なのにシャツはシャッキリ、ネクタイもれてない。無頓着なくせにそこだけ綺麗なのは、うふふ』
『なのは?』
『奥さんに愛されてるんでしょう。だからシャツはアイロン掛けがされている。プレゼントで貰いがちなネクタイも新品。その代わり奥さんが手入れしない靴や鞄はボロい』
『なるほど。じゃあ次! ハチ公横で突っ立ってる、待ち合わせしてるんだろう彼の甘々なラブストーリーを……』
『普通待ち合わせで相手より先に来てしまったら、スマホでも見て時間潰すでしょう。わざわざ探さなくても、あとから来た方が声掛けてくれるものですから。逆に自分が遅れて相手がいないのなら、もっと周囲をうろうろ探し回ります。でも彼はじーっと雑踏を見ているだけ。かと言ってしている様子もない。おそらく交通量調査か、警察の見当たり捜査かでしょう』
『お、おおう……。じゃああそこの邦画でありがちな、一見冷え切っているご様子の父娘の……』
『親子なら父親が娘に歩調を合わせようとするはずです。でもその様子がないのでおそらく援交ですね。まぁ援交でも、普通は男性が歩調を合わせようとすると思うので。金額の条件が合わないとかトークが面白くないとかなんかで。蒼さんの見立てどおり、しらけてしまったんでしょう』
『……』
『コーヒー遅いですね』
『……』
『なんですか?』
『……いや、すごいね。よく見てるんだね』
『そうでしょうか?』
『そうだよ。だったらもうさ、人と向き合う仕事に就いたら?』
『カウンセリングとかですか?』
『んー、それもいいけど、内面よりは素性とかを見抜いてるから刑事とか?』
『刑事、ですか……?』
『向いてると思うよぉ?』
『こんな横断歩道渡るまでのあいだで、言ってるだけの奴には無理です。どうせ外れる』
『そうかなぁ。でもこの短時間で当てれたら、バンバン事件解決できるじゃん。ちーちゃんの言ってた「そこそこ楽」ができるよ?』
『刑事のどこが楽なんですか』
『いいじゃん刑事。ちーちゃん法学部だし、古畑任三郎ふるはたにんざぶろう好きなんだし』
『……蒼さんが親身って言うのは勘違いでした』
『なんだとっ!?』





──さん……──





──千中さん!──





「んあ?」

 高千穂が目を開けると、そこには必死な松実の顔がドアップ。

「んあ? じゃありませんよ! ほら、乗り換えですよ!? 起きて起きて!」

 静かに、しかし確かに振動が伝わる座席は電車のそれだ。

「あぁごめん。私寝てたのか」
「そりゃもうとね!」
「山登ったり、いろいろあって疲れてるのかな。それと顔近いんだよ」
「だって起きなかったんですもん!」
「はいはい」

 高千穂は彼を乱暴に押しのけると、さっさと電車を降りる。
 ホームで一度大きく伸びをした。

「んー……!」

 懐かしい夢を見たな……。

 彼女の思考を読み取ったわけではあるまいが。松実がタイムリーなことを聞いてくる。

「ところで千中さん。なんかいい顔してましたけど、どんな夢見てたんですか?」
「んー?」

 高千穂はあごに手を当て、少しを取ると、

「エピソード・ゼロ、かな」

『私は今います』全開の顔で笑った。

「はぁ!? まったく意味が分からないんですが!?」
「うるさい。寝顔見てんじゃないよ変態」
「変たっ……!」

 固まった松実に対して彼女は、移動を急ぎながら背中で告げる。

「ほら、早くしないと電車乗り遅れるよ変態」





 ここは横須賀刑務所面会室。やはり向かい合っているのは高千穂と翠である。
 昨日と違うのは高千穂側に、手持ち無沙汰そうな松実がいること。

「三日連続の面会とはね」
「大丈夫です。こちらは捜査の経過報告ということで、回数制限から除外してもらっています」
「連日作業を抜けてると、他の囚人の手前。なんか少し気まずいんだよ」
「そんな都合は知りませんねぇ」

 彼女が少し挑発するように椅子の上で踏ん反り返ると、松実が後ろで「ひっ」と怯える。
 彼にとって翠のイメージは、電話口に割り込むレベルの怒号を撒き散らす。
 言わば祟り神なのだから仕方ない。
 しかし予想に反して翠は穏やかな微笑みを浮かべる。まるで憑き物でも落ちたかのような。

「昨日は八つ当たりみたい……いや、八つ当たりをして悪かった」
「えっ?」
「いえいえ、お気になさらないでください。取り乱して当然です。お察しします」
「ありがとう」

 ガラスの向こうで頭を深々と下げる翠。
 しかし。先ほどの表情も、今の態度も柔らかくしてみせた彼の肩だけは。
 震える本音を吐き出している。
 本人もそれは自覚したのだろう、俯いたまま声を絞り出す。

「でもやっぱり……。悲しいし、腹は立つし。刑務所にいるせいで犯人を殴りにも行けないのは、悔しい……。悔しすぎる」
「服役中の人物があまりそういう発言しないことです」

 恐れおののく松実と対照的に、高千穂は冷静な声を打ち掛ける。
 しかし、それがよかったのだろう。大きく息を吸って吐いた彼は、感情を振り払うように頭を大きく左右へ振る。

「ふぅー……。そうだよな、分かってる。それに、一番悔しいのは蒼姉ぇだろうしな」

 高千穂は逆に深く頷く。気持ちの切り替えを讃えるように。

「はい。いつでも命を絶たれた悔しさは、被害者が一番強いでしょう」
「それもそうだけどさ、蒼姉ぇはさ」

 翠は身を乗り出す。その目は姉を誇りに思うような、自慢するような、悲しむような。
 さまざまな色をステンドグラスのように散りばめている。

「約束してくれたんだよ。『小弦を絶対守る』って。それができなかったのが、一番悔しいだろうなぁ」
「……なるほど」

 彼女も噛み締めるように頷く。松実には分からないが、そこには故人を偲ぶ空間があるのだろう。

「オレたち姉弟、よく怒らせ怒られしてきたけど。それでも大事に思ってる気持ちは本当で、それだけはしっかり伝えて。裏切ったり約束を破ったりしない形で証明してきたから」
「うふふ、大変素敵だと思います。姉に対して夫婦みたいなこと言っててちょっとキモいな、という点を除けば」
「こいつ!」
「うふふ」
「ふっ、ははは!」

 二人は軽く笑い合うと、少し真剣な表情に戻る。

「それで、やっぱり小弦と蒼姉ぇだったんだな?」
「まだDNA解析の結果が出ていないので、なんとも言えませんが。状況を見るに十中八九そうでしょう」
「そうか……」

 翠は一度下を向いてしまったが、またすぐに顔を上げる。
 その目は涙にもすがる思いにも濡れていた。

「犯人、捕まえてくれよ? せめて溜飲りゅういん下げないと、蒼姉ぇが化けて出る」
「えぇ。せめて私くらいは約束を守れるよう、頑張らせていただきます」





 またも横須賀から東京まで蜻蛉返り、高千穂と松実は電車の座席で揺られていた。
 ひたすら窓の外の景色をぼんやり眺める高千穂。その空気の気まずさと、どうしても抑えられない好奇心から。
 松実は彼女に声を掛けた。

「あの、千中さん」
「はぁい」
「聞いてもいいですか?」
「何を」

 高千穂が松実の方を振り向くと、彼は唾を飲んで目を逸らす。聞いていいものか迷っている、というより。
 本当は聞かない方がいいと思っている顔だ。
 しかし吐いた唾は飲めない。彼は意を決して切り出した。


「高千穂さんが、東郷翠を逮捕した事件について」


 高千穂はほんの数秒松実を見据えると、また窓の方を向いてしまった。
 聞かない方がいい話かもしれないのだ。答える気のなさそうな態度に、松実が案外ホッとしていると、

「そうか。あれは松実ちゃんが捜査一課ウチに来るまえの話か……」

 彼女はポツリと言葉を紡ぎはじめた。
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